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"国境にかけるスクリーン"のタグを含む記事

▶ 国境にかけるスクリーン vol.13

ボリウッド映画の中で描かれているパキスタンおよびイスラーム描写を毎回綴った日パ協会会報「パーキスターン」に連載していたコラムを再録。いよいよ今回で終了の第13回は印パ分離の問題的を描いたパキスタン映画「Ramchand Pakistani」篇。

2011.06.27 - UPDATE!

▶ 国境にかけるスクリーン vol.12

ボリウッド映画の中で描かれているパキスタンおよびイスラーム描写を毎回綴った日パ協会会報「パーキスターン」に連載していたコラムを再録。第12回は印パ分離独立をテーマにした社会派作品「Train to Pakistan」篇。

2011.05.30 - UPDATE!

▶ 国境にかけるスクリーン vol.6 – Veer Zaara

ザーラー(プリティー・ズィンター)は、パーキスターンに暮らす良家の子女。祖母のように慕っていたスィク教徒の乳母が今際のきわに言った「インドに散骨して欲しい」という願いを叶えるべく、単身家を飛び出し国境を越えてインドへ入る。
バスの事故が縁で知りあったインド空軍のパイロット、ヴィール(シャー・ルフ・ハーン*)は、純真な彼女の願いを聞き入れ、乳母の散骨を手伝う。いつしかふたりに愛が芽生え、国境を越えたヴィールは彼女の婚約者によってスパイ容疑で投獄されてしまう。そして、22年の月日が流れ…。
人としての誇り、無償の愛が和平をもたらす
Veer Zaara(2004)/ヴィールとザーラー
監督のヤシュ・チョープラーは、英領インド時代のラーホール(現パーキスターン)出身。分離独立50年あたりからなにかとパーキスターンを悪とするボリウッド映画での風潮に終止符を打つべく本作は作られた。
一方的な婚約に縛られた女性をヒーローが獲得するストーリーは、彼の息子が監督した「DDLJ」(1995)に通じるテーマである。当時は花嫁の父が鬼のような形相を剥き出し、婚約者が銃を手にして主人公を阻もうとした。
だが、本作の父親はただ卒倒してしまうし、婚約者も彼をスパイとして密告するだけで、10年前なら展開されたような血まみれの格闘は見られない。
これは時代が変化しただけでなく、監督の意図が印パの不和を憂うところにあるためだろう。
本作の登場人物は、実によく名乗る。刑務所の看守でされ、その役職を盾にすることなく、自分の名前を名乗る。それは誰もが誇りを持っていることの表れだ。
20年以上に渡って投獄されながらも、ヴィールは自分の無実を証明出来るザーラーの名を決して口にすることはなかった。なぜなら、結婚して子供も産んでいるであろう彼女の<名誉>を傷つけることになるからだ。同時にそれは、彼女への<無償の愛>を意味する。
密告する婚約者の手口は陰湿ではあるが、場面はそこまでで後々、彼が登場することはない。
つまり、脚本上、パーキスターン側の「個人」に憎しみが向かないように配慮されているわけだ。印パ問題に関して憎むべきは二国間の緊張をもてあそぶ政治のシステムであって、人としては憎み合ってならない、との主張が読み取れる。
ヴィールが彼女に抱く<無償の愛>、それはすなわち、同じ大地に生き分かれた同胞への想いとも言えよう。
★ボリウッドは、ハリウッドになぞったヒンディー/ウルドゥー映画の愛称。古くからパキスタン人にもこよなく愛される。世界各国に散った在外市場を持つ規模から、もはやインドの国内映画とは呼べない状況に成長。
* シャー・ルフ・ハーンは、Shah Rukh Khanのウルドゥー読み。ヒンディー読みでは、シャー・ルク・カーンとなる。
(すぎたカズト)
初出 「パーキスターン No.218 2008/7」(財)日本・パキスタン協会

タグ: 2004, V, シャー・ルク・カーン, プリティー・ズィンター, ヤシュ・チョープラー, 国境にかけるスクリーン

2010.10.18 - UPDATE!

▶ 国境にかけるスクリーン vol.5 – Awarapan

ボスの命を受けたシヴァンがリーマを訪ねると彼女は祈りの最中。用件を伝えた別れ際、掛けられた言葉が「フダー・ハーフィズ(神のご加護がありますように)」遠く故国を離れ、荒んだアンダーワールドに身を置く主人公の心を揺り動かしたのは…。

2010.08.31 - UPDATE!

▶ 国境にかけるスクリーン vol.4 – ぼくの国、パパの国

1971年、英国マンチェスター郊外ソルフォード地区に住む在外パキスタン人ジョージ・ハーン(1)は、英国人の妻と結婚して25年。7人の子供たちは母親が英国人ということもあってキリスト教文化に親しんでいる。
もっとも、これは厳格な父親に隠れてのこと。ジョージは子供たちにパキスタン人らしい伝統的な生活を求め、息子たちの縁談を取りまとめることに腐心する。
しかし、長男ナーズィルが結婚式の最中に出奔。一家の面汚しをした長男は亡き者にされ、一層ジョージは息子たちの縁談を取りまとめようと躍起になり、一家は分裂し始める…。
アイデンティティーに悩む在外パキスタン人
「ぼくの国、パパの国」East is East/1999
英アカデミー英国作品賞を受賞し、日本でも「ぼくの国、パパの国」という邦題で2001年に公開されたこの映画は、パキスタン系の演劇人アーユブ・ハーン-ディンの自伝的舞台劇を脚色したイギリス映画。
印パ分離独立以前に英国に渡った父親(ボリウッド名優のオーム・プーリー)は、ジョージという英国名と英国人の第2妻を持ちながらパキスタン人としての伝統にこだわり続けている。
ことあるごとに「第1夫人を呼び寄せるぞ」と口にする彼は、現代の視点からすれば立派なドメスティック・バイオレンスとなるが、経済成長に伴いボリウッド映画でも見かけなくなった威厳ある父親像は見ていて清々しくもある(見ている分に限ってだが)。
時代設定の1971年といえば、バングラデシュ独立を許した第3次印パ戦争の年。家庭崩壊の危機に揺らぐジョージの挫折感が、これに重なり合う。
当時は西洋社会自体が旧世代と新世代で闘い合った、変革の時代だ。両親たちの母国とは異なる国に生まれ育った「デシ」(2)たちはなおさら、新しいムーヴメントに魅了されたことだろう。
映画にユーモラスな息吹を吹き込んでいるのが、末っ子で、いつもフード付きの
コートを着込んでいるザジ。これが彼の<割礼>問題のメタファーになっていて、ある日、神学校で皆の知ることとなり、家に通告され、西洋医院での<手術>となる。
このエピソードは在日ムスリムたちにも通じる悩みで、特に日本人妻の家庭では切実な問題として映るようだ。
伝統的にも、世代的にも「守り、伝える」べき意識が失われてしまった感のある現代日本社会が問い直されているかのように思えてならない。
(1)ハーン ウルドゥー読みのKhanをカタカナに置き換えた表記。正確的な発音はカとハの中間、とされる。ヒンディー読みは「カーン」。
(2)desi=語源は国/郷を表すdesh、転じて同国人・同胞。在外南アジア人共通の語彙で、ABCD=American Born Confused DesiやBBCD=British Born Confused Desi等、二世の心情に使われる。
(すぎたカズト)
初出「パーキスターン No.216 2008/3」(財) 日本・パキスタン協会

タグ: オーム・プーリー, 国境にかけるスクリーン

2010.02.27 - UPDATE!

▶ 国境にかけるスクリーン vol.3 – Sarfarosh

ちょうど10年前あたりから分離独立50周年記念を謳って、印パ問題を題材にした映画が北インドのボリウッドでしばしば作られるようになった…

2009.12.28 - UPDATE!

▶ 国境にかけるスクリーン vol.2ーNamastey London

近年、ボリウッドではNRI市場を重視して製作される傾向にあったが、これには在外パキスタン人も大きく貢献している。インド映画を押す在外パキスタン人の存在とは…「Namastey London」

2009.12.01 - UPDATE!

▶ 国境にかけるスクリーン vol.1ーMain Hoon Na

映画の中で描かれているパキスタンおよ びイスラーム描写を毎回綴ってゆきます。今回は、南アジアに強い影響を与えているばかりか、在外人口の多い欧米、アフリカ周辺国、旧共産圏など今やハリ ウッド映画に追随する巨大なマーケットを持つ北インド映画のボリウッドから。

2009.10.30 - UPDATE!