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Naam(1986)#026

2006.05.03
オススメ度 =陳腐 ★★=退屈 ★★★=平均点 ★★★★=面白い! ★★★★★=お気に入り!!

NaamNaam(名前)/1986 06.05.03 ★★★

ナーム

製作:クマール・ガゥラーヴ/監督:マヘーシュ・バット/原案・脚本・台詞:サリーム・カーン/撮影:プラヴィーン・バット/詞:アナン・バクシー/音楽:ラクシュミーカーント-ピャーレーラール/振付:サロージ・カーン/アクション:モーハン・バガッド/美術:マドゥカル・スィンディー/編集:デヴィッド・ダーワン

出演:ヌータン、クマール・ガゥラーヴ、サンジャイ・ダット、プーナム・ディロン、アムリター・スィン、パンカジ・ウダース、パレーシュ・ラーワル、アーカーシュ・クラーナー、ラーム・モーハン、グルバッチャン、アシュートーシュ・ゴーワリカル、チャンシュヤム、シェーフナーズ・アナン、リタ・ラーニー・コォール、アルヴィンド・ジョーシー、プールニマー、カマル・ディープ、モーハン・シェリー、ブルース・リ他

公開日:1986年9月12日(年間18位/日本未公開)

STORY

寡婦である母(ヌータン)の細腕に育てられた真面目なラヴィ(クマール)と不良のヴィッキー(サンジャイ)。ある時、ヴィッキーは改心して、一家を助けるためドバイへと出稼ぎに出るが、アンダーワールドのドンであるラーナー(パレーシュ)の思惑から密輸絡みで香港へ飛ぶこととなる・・・。

Revie-U *結末にやや触れています。

若かりしサンジャイ・ダットの主演作。美しき兄弟愛の佳作としても知られている。

ストーリーの前半を引っ張るのが、マジメな兄ラヴィ役クマール・ガゥラーヴGang(2000)、「Kaante(棘)(2002)など時よりメジャー作品に脇役で登場と大成しなかったが、なかなかどうして重要な役どころ(実は自己プロデュース作)。この頼りなさそうな奥田英二似のクマールが寡婦の母親と不良に育った弟を町工場で働いて養う。

ラヴィはもともとタイピストの職を得ていたが、雇用主のホームパーティーにボーイとして借り出され、そこから一家の歯車が狂い始めるのだ。

このパーティー、雇用主の夫人(さっきまでラヴィを誘惑していた)が撮った社会派写真のコンテスト入賞祝いで、上流階級が飢餓に喘ぐ子供たちのモノクロパネルを酒の肴に歓談に耽るというもの。ここでラヴィが怒り爆発。と言っても、サンジャイではないので、雇用主を締め上げては思いのたけを歌い出す(曲名調査中)。

この正義感あふれる兄に対して、サンジャイ演じるヴィッキーは、札付きの不良少年。サンジューはこの年27歳。筋骨隆々とは言い難いものの、概ね現在の印象と変わらず(芝居の出来も同じ?)。デビューして5年目ながらフィルモグラフィは振るわず、もっぱらアメリカのドラッグ更生施設へ入っていた虞犯青年だけに作中のヴィッキーとオーバーラップしてしまう。脚本を手がけているサリーム・カーンサルマーン・カーンの父親で、心の中のイメージキャストは多感な少年期にあるサルーだったのだろうか?などと思ってしまう。

縄張り荒しだとグンダー(ゴロツキ)から喧嘩を売られ、相手にナイフを抜かれるエピソードがふるってる。サンジューは左手を開き、「これが俺のパンチャ(パー)だ。な、そうだろ? 5指が全部開いてるから。まあ、慌てんなよ。これから長い話をしようってんだ。あるところにひとりの男がいた。その男は死ぬ前に4人の息子を呼び寄せ、ひとりづつに枝を渡し、折ってみせるように言った。枝は簡単に折れた。そこで男は、次に4本の枝を束ねて折るように言った。今度は折れない。4人で力を合わせれば誰にも負けないと言うわけさ。そこでだ、この俺も開いてるパーを握ってムッカ(グー)にするわけだ。この拳をカピール・デーヴ(クリケットの名選手。「Mujhse Shaadi Karogi」にゲスト出演している)みたいに振り上げて、強烈なパンチを野郎の顎にぶち込むってわけよ」とばかり延々と口上をあげて意表を突き、相手をのしてしまうのだ。

紆余曲折を経て、ヴィッキーは改心。一旗揚げにドバイへと出稼ぎに出るが、そこでもパレーシュ・ラーワル扮するアンダーグラウンドワーラーに関わりを持ち、香港に麻薬密輸へと飛ばされる! そう、前半は文芸物、後半はアクション仕立ての二部構成なのであった(音楽も前半はしんみり調、後半はゴールデン・ハーベスト調に分かれている。香港のパートでは、ブルース・リーのそっくりさん、ブルース・リも出演! ただ派手なカンフーの立ち回りでないのが残念)。

ヒロインは、ラヴィの婚約者にプーナム・ディロンカリーナー・カプールに思い詰めたようなジャヤー・バードゥリーを混ぜ合わせたような艶やかな美人女優である。すでにこの時代で大胆にもクマールとのキス・シーンを見せている。

後半、ドバイ行きの飛行機でヴィッキーの隣に乗り合わせるのが、「ラジュー出世する」Raju Ban Gaya Gentleman(1992)でもセカンド・ヒロインを演じていたアムリター・スィンサニー・デーオールとダブル・デビューを果たした「Betaab(燃える恋)(1983)から3年目とあって、ヒロインとして重用され、酔って片肌脱いで歌うシーンも。サンジャイとの共演は多く、ほぼ毎年のペースで7本を数える。

近年、サイーフ・アリー・カーンと離婚する前後からスクリーンにも復帰し、「23rd March 1931:Shaheed」(2002)や退廃マサーラー「Kalyug(末世)(2005)などに出演。

後半、観客の心を掴む見せ場として、ガザル歌手のパンカジ・ウダースが彼自身として登場。ステージで歌う「chitthi aai hai(手紙が来た)には、エキストラの観客も思わずもらい泣き。異郷の地で苦境に立たされたヴィッキーの心に染み入り、寸前まで仲違いしていたリタと郷へ帰ってまっとうに生きようと思い直させる。インド人がどれほど歌を人生の拠り所としているか、よくわかるというもの。

パンカージは本作でプレイバックしているマンハル・ウダースの弟で、サンジューの映画では、やはりサルマーンとの兄弟物「サージャン/愛しい人」Saajan(1991)にも顔見せ出演している。

感極まってステージに上がり、パンカジと抱きあうのはBeta(息子)(1992)のアーカーシュ・クラーナー。俳優だけでなく脚本家として活動し、後年、アジャイ・デーヴガンの実録風ギャング物Company(2002)でも香港の土を踏んでいる。本作では、ヴィッキーにフラットを貸す在外パーキスターン人役。国としては対立している印パであるが、人としては国外にあって同じ南アジア人としてなにかと助け合う様が美しい。

アンダーワールドのドン、ラーナー役が、まだ売り出し中のパーレシュ・ラーワル。自らライフルをぶっ放し、精悍なところを見せる。

あと、俳優時代のアシュトーシュ・ゴーワリカルが、暴動の最中も身重のアムリターを乗せて病院へと走って男氣を見せるタクシーの運転手役で出演。Munna Bhai MBBS(2003)でもサンジューが連発していた下町語彙の「アップン(俺)」を連発! 昔の映画ではローワークラスの脇役には、案外こういう台詞まわしが多い。

母親役のヌータンは、カジョールの母タヌージャーの姉にして、モーニーシュ・ベールの母親でもある。50年代から清純なヒロイン役で活躍し、演技派として名を馳せ、「Seema」(1955)、「Sujata」(1959)、「Bandini」(1963)、「Milan」(1967)、「Main Tulsi Tere Aangan Ki」(1978)でFilm Fare Awards 主演女優賞を受賞、後年も「Meri Jung(私の闘い)(1985)でFilm Fare Awards
助演女優賞
を獲得。惜しくも1991年に癌で亡くなっている。

本作でも老いてなお、往年の美しさを秘めたまま。母親役ということで、息子を叱りつけるシーンでは本当にビンタを食らわすのがよい。

中盤、この母の口から幼い頃から健気に兄弟の面倒を見てきたラヴィが、実は亡き夫が愛人に産ませた子供であったことが告げられる。K3G(2001)、「Main Hoon Na(私がいるから)(2004)の原点をみるような血を超えた家族愛が物語の格となって観る者の情感へ語りかけるのだ。

クマールは、「Mother India」(1957)、「Sangam」(1964)に主演している往年の俳優ラジェンドラ・クマールの息子で、本作も親子でプロデュース。父親同士が親しかった関係からラージ・カプールの娘シーマと婚約したが、後に破談。クマールは、サンジャイの妹ナムラター(アンジュー?)と結婚している。

蛇足ながら、ラジェンドラは本作の香港ロケ中に長電話を掛けまくったアムリターのギャラから国際電話の料金をさっ引いたとか。

マヘーシュ・バットの演出は、並み。前半の叙情的なパートはよいものの、後半の香港パートとなるとややテンポが落ちる。このへんは編集者時代のデヴィッド・ダワンにしても素材が足りず?腕を振るえなかった模様。フィルミーナンバー中のキス・シーンで、クマールとプーナムの唇が触れ合う寸前でカットしておいて、後々のシーンでしっかりキス・シーンを見せるお遊びは楽しい。

結末は、サンジューの復活作Vaastav(現実)(1999)と「紅の流れ星」(1967=日活)の渡哲也を思い起こさせるばかりか、この後もさらに続くサンジューの波瀾の実人生が重なる、ヴィッキーの末路が哀しい。

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