Escape from Taliban(2003)#241
「Escape from Taliban」★★★
製作:アショーク・ケームカー、ヴィジャイ・ノーパニー/原作:スシュミター・バネルジー「Kabuliwala’s Bengali Wife」/監督:ウッジャール・チャッタルジー/台詞:シュブラジョーティー/撮影:ヴィヴェーク・バナルジー/作詞:メヘブーブ/音楽:バーブル・ボース/背景音楽:ヴァンラージ・バーティア/美術:ビジョン・ダース・グプタ/アクション:バブー・カンナー/振付:パップー・カンナー/編集:ウッジャール・ナンディ
出演:マニーシャー・コイララ、ナワーブ・カーン(新人)、フェーローズ、ヴィヴェーク・マリック、プリットヴィー・ズトシー、ジャハンギル・カーン、ベニカー、シュブラジョーティー、アミット・バジャージ、シャブナム・カプール、ベビー・クルパー、アリー・カーン
公開日:2003年3月7日(日本未公開)
STORY
カーブルの男ジャーンバーズ(ナワーブ・カーン)と恋に落ちたヒンドゥーのスシュミター(マニーシャー)は、故郷ベンガルを離れ、アフガニスタンへと駆け落ちする。が、ジャーンバーズには第一妻がいたばかりか、さっさとインドへ出稼ぎに戻り、アフガニスタンの村に幽閉された身となる。しかも、ターリバーンが台頭し始め…。
Revie-U
マニーシャー・コイララの役者魂には、いつも感心させられる。
デリー留学中にスカウトされて、モデルからボリウッド入りを果たしたお嬢さま女優だったかと思えば、ヒンドゥー・ムスリムの宗教対立を真っ正面から取り上げた「ボンベイ」Bombay(1994)でヒンドゥーと恋に落ちるイスラームの女性を熱演、「ディル・セ 心から」Dil Se..(1998)に至ってはインド分離独立50周年記念式典を狙うテロリスト役に挑戦。親印のネパール会議派を率い、代々ネパール首相を担った政治的な家柄の彼女だけに、家族から猛反対を受けなかったのかと驚いたものだった。
(民主化前のネパール地方選でも強権を発する国王側に伯父たちが逮捕され、急遽彼女が選挙の応援に駆けつけた。ただし、マオイストの圧力から投票率は20%台に留まり、結果は惨敗)
そんな彼女が出演していたのが、スシュミター・バネルジーの実話ベンガリー手記「Kabuliwala’s Bengali Wife(カーブル男のベンガル人妻)」を映画化した本作。アメリカのアフガーニスターン侵攻を受けてターリバーン崩壊後、すぐに企画撮影されたフットワークにはこれまた驚き。
ちなみに、娯楽を禁じていたターリバーンが倒れてアフガーニスターンで真っ先に上映された映画は「Taal(リズム)」(1999)などのボリウッド映画であった(本作でもターリバーンが音楽禁止を触れ歩き、結婚式の宴を銃撃するシーンがある)。
映画は、1994年11月、ターリバーンのカーブル(カブール)制圧から間もない時期から始まる。
マニーシャー演じるスシュミターは、ヒンドゥーながらムサルマーン(イスラーム)の男に恋してしまい、誘いに乗ってカルカッタから彼の故郷アフガーニスターンへと移り住む。時は1988年。ちょうどルーシー(ソヴィエト)のアフガン侵攻末期で内戦状態にあった。
この頃のインドは新経済路線以前であるが、大都市カルカッタから移り住んだスシュミターの目にはアフガーニスターンの生活が前近代的に映る。なにしろ、疲労から倒れれば祈祷師がやって来るだけ。近隣には郵便局も病院もない。
さらに彼女にとって最大の苦難は、ジャーンバーズには第一妻が既にいたという事実(彼の家族も黙っていて、しばらく同じ屋根の下に暮らし身籠もった後に氣づく)。彼女の処置が重荷となった男は何も言わずにインドへ出稼ぎに出てしまう。
このへんの男の身勝手な社会は、「マートブ! 自由を求めて550日」(ベティ・マームディ/ウィリアム・ホファー共著)が思い出される。
パスポートも取り上げられたスシュミターに自由はない。そこへターリバーンが幅を利かせるようになり、ますますインドへの帰郷は不可能と思えるようになる。
先進的な知識を持っていた彼女は村の診療所を引き受けるようになるが、これは医学の道を志していたマニーシャーにとってもやりがいがあったろう。たが、すぐにターリバーンの若者が荒しに来るのだった。
そして、自由を賭けた彼女の脱出劇となる。ひと足先に公開された「Shakti(ザ・パワー)」(2003)のカリシュマー・カプールにはシャー・ルク・カーン演ずる放浪者という助っ人が用意されていた。本作では、第一妻が手を貸すものの、同じ男を愛した共感からではなく、「夫は私だけのもの」というのがリアル。
アフガンに見立てたレーやラージャスターンなどロケ地が美しい。
映画の出来としては低く、登場するスターもマニーシャーのみ。彼女が狂言まわしとなって、インド女性の受難を描いたマルチスター大作「Lajja(恥)」(2001)とは比べるべくもない。
アート系だろうとBグレードだろうと、その映画に合わせた芝居を見せるマニーシャーには今回も感服。