Daman(2001)#238
Daman(制裁) 01.08.28 ★★★
ダマン
製作:NDFC/原案・脚本・台詞・監督:カルパナー/撮影:ビジョイス・ヴェルゲース、ジャティンデール・シャルマー/音楽監督・プロダクション・デザイン・「gum sum gum sum」アッサミー作詞:Dr.ブペン・ハザーリカ/音楽アレンジャー:ヴィヴェーク-フィリップ/音響設計:プリータム・チャクラボルティー/詞:マーヤー・ゴーヴィンド/音楽場面監督・編集:アニルバーン
出演:ラヴィーナー、サヤージ・シンディー、サンジャイ・スリ、ライマー・セーン、ランジャン・コシャール、バールティ・ジャフリー、シャーン
公開日:2001年5月4日(日本未公開)
National Awards:主演女優賞(ラヴィーナー・タンダン)
STORY
輿に揺られて嫁いだドゥルガー(ラヴィーナー)を待っていたのは、逆上型の夫サンジャイ(サヤージ)の暴力だった。すでに家庭は崩壊しており、父親は放心状態、母親はすすり泣くだけ。弟のスニール(サンジャイ・スリ)がなんとか取りなし、次第にドゥルガーとスニールは心惹かれ合う。だが、娘ディーパー(ライマー)が年頃に育った頃、スニールは酒に酔ったサンジャイと口論し、河へ突き落とされてしまう。心の拠り所を失ったドゥルガーはディーパーと共に家を出るが、サンジャイは二人を追って…。
Revie-U
主演のラヴィーナー・タンダンと敵役のサヤージ・シンディーは、ボリウッド版「わらの犬」とも言える緊迫映画「Shool(槍)」(1999)に続くヒロインと敵役。
特にサヤージは登場するだけで、もう恐ろしい。使用人たちは震え上がっていて、父親は狂ったように神々と死んだ妻の遺影に祈りを捧げるだけ。その母親も生前は息子の振る舞いにただすすり泣くしかない。サンジャイはまさに「キレまくり」という表現がぴったり。なにかにつけて暴れるだけでなく、嫁が来るという歓びの感情からさえ暴れまくってしまう。一家は、この<モンスター>のために崩壊しており、為す術もない(まるでどこかの国でよくある現状のようだ)。牛刀を振り翳して押し寄せる村人にも動じないところはクールだし、一方でそんな暴力の権化であるサンジャイに依存しているのだ。
何も知らずに嫁いだドゥルガーは初夜早々、<夫>からいきなり言われなき暴力を受けて絶望。彼女の怯えた日々はなおも続き、サディスティックな家庭内レープを受けた晩、一度逃げ出すものの警官に連れ戻されてしまう。やがて子供を妊り、その娘が10代に育つまでその家に留まるのは不思議な氣もするが、インドの実情からすれば当然だろう。不思議に思えるというより釈然としないのは、予算の関係かドゥルガーの実家背景がすっぽりカットされているため。
演技派へ転向したラヴィーナーは本作でNational Film Awardsを受賞。選考にあたって委員が辞めるなど物議を醸したが、虐待される役柄に挑戦したということに過ぎない印象である。
今どきの娘に育ったディーパーの同級生コゥーシーク役に、歌手のシャーンが扮している。何作か映画にも出演し、「Dillagi(笑い話)」(1999)や本作でもプレイバックを務める。ドゥルガーを陰ながら支える弟スニール役のサンジャイ・スリは二流スター。
監督のカルパナー・ラージュミーは、かの名監督グル・ダットの姪で早くから映画の現場へ入りドキュメンタリーを制作していたという。1986年にシャバーナ・アーズミー、ナスィールディン・シャー主演「Ek Pal(ひととき)」で劇映画デビューし、第2作「Rudaali」ルダリ-悲しむもの-(1992)は各国の映画祭で数々の映画賞を受賞し、日本でもアジア太平洋映画祭で上映された。それだけに、オープニングのタイトルバックからして海外の映画祭を意識した作りを感じさせる。「ルダリ」でディンプル・カパーディヤー(トゥインクル・カンナーの母)にNational Film Awardsを、続く「Darmiyaan」(1998)でサヤージにFilmfare Awards 最優秀助演男優賞ノミネート、今回もラヴィーナーにNational Film Awards をもたらせているが、演出の冴えは今ひとつ。
クライマックスは、ダシェーラー祭(ドゥルガー/カーリー・プージャー)の最中、ブラフマープタル河の河原までつけ狙い忍び寄るサンジャイをドゥルガー女神が乗り移ったドゥルガーが女神のトリシュール(三叉戟)で刺し殺す見せ場ながら、モンタージュで処理してあるだけなのだ。虐待、虐待の連続の末、ドゥルガーの加護に走って…というのならエモーションが昂ったのだが…。
オール・アッサム・ロケということで、地元のダンサーなのか、普段のボリウッド映画では見慣れぬアッサム顔に親近感を覚える。もっとも、ローカルダンス・ナンバーはかなりアバウトな編集なので、ボリウッド・メジャー作品の荘厳なダンス・シーンを見慣れているとちょっとつらい。
ただ、音楽(の一部)は心地よく、悲惨な物語の中にあってカヴィター・クリシュナムールティーとアルカー・ヤーグニクの歌声は一服の清涼剤となる。
アッサム州で実際に起きた事件を下敷きに、DVに苦しむインド人女性の人権向上を訴えるため国立映画開発公社、保険省が出資製作。アッサム州では免税処置で公開されたが、特にムンバイーではコケてしまった。
家族揃って映画館へ行くインドの観客にとって足を運びづらいテーマであることが要因かと思っていたが、やはりこれは演出の問題であろう。眼の肥えたインドの観客を満足させるには今一歩の出来で、深刻なDVの諸問題にも詰めが甘いと言わざるを得ない。日本でも同じくDVを扱った「愛を乞うひと」(1998=東宝)を全国100館以上のブロック・ブッキングに平然と組み込み、大コケさせた東宝とは少々事情が異なるようだ。
各国映画祭に出品されているので、もしや東京国際映画祭のカネボウ国際女性映画週間あたりにラインナップされるか。
*追記 2011,04,02
>カルパナー・ラージュミー
本人も不満が残ったのか、同じくヒロインがドゥルガーの化身となる「Chingaari(閃光)」(2006)をスシュミター・セーン主演で監督。演出面も向上。
>サヤージ・シンディー
ゼロ年代に入ってボリウッドの洋画志向からか、メジャー作品で脇役俳優が排除され、最兇を誇った悪役の場をテルグなど南インド映画やマラーティー映画などにシフト。「Hello Hum Lallann Bol Rahe Hain(ハロー、おいらラーッランだけど)」(2010)のマクランド・アナースプレー製作・主演「Gallit Gondhal Dillit Mujara」(2009=マラーティー)でもキャラクタライズされた地元のボス政治家役で出演。
>サンジャイ・スリ
その後、小粒映画「Jankaar Beats」(2003)や「My Brother…Nikhil」(2005)、「Bas Ek Pal(ただひと時だけ)」(2006)などに主演するもメジャー・アクターとまでは認知されず。
>ライマー・セーン
本作ではダビング(アテレコ)のため、目も当てられない印象だが、その後はヒンディー/バンゴーリー映画で活躍。「The Japanese Wife」(2010)での台詞に頼らない芝居が秀逸。
>音響設計:プリータム・チャクラボルティー
FTI(国立映画テレビ研究所)で音響工学を専攻し、本作でサウンド・デザインを担当したのが、「Dhoom(騒乱)」(2004)でメガ・ブレイクする前の音楽監督プリータム。チャクラボルティー(Chakraborty)はバンゴーリー(ベンガリー=ベンガル語)読みの綴りで、「チャンドゥニー・チョーク・トゥ・チャイナ」CC2C(2009)のミトゥン・チャクラワルティー同様、ヒンディーでは母音が変化し、チャクラワルティー(Chakravarty)となる(「Va」はヴァ=ワ)。