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Jaanwar(1999)#013

2001.10.13
オススメ度 =陳腐 ★★=退屈 ★★★=平均点 ★★★★=面白い! ★★★★★=お気に入り!!

Jaanwar

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Jaanwar(獣)01.10.13 UP ★★★★
ジャーンワル
製作・監督:スニール・ダルシャン/脚本:ロビン・バット/台詞:K・K・スィン/撮影:サミール・レッディー/音楽:アナン(アーナンド)-ミリン(ミリンド)/詞:サミール/アクション:ティヌー・ヴェルマー

出演:アクシャイ・クマール、カリシュマー・カプール、シルパー・シェッティー、ジョニー・リーヴァル、シャクティ・カプール、アーシーシュ・ヴィダヤールティー、アシュトーシュ・ラーナー、モーニシュ・ベール、マスタル・アディティヤ

公開日:1999年12月24日 (日本未公開)

STORY
ギャングスター、バッシャー(アクシャイ)は、町で見かけた踊り子サプナー(カリシュマー)に惹かれる。ある取引で警察の待ち伏せを喰らい、怪我を負った彼をサプナーが助け、ふたりは恋に落ちる。結婚式の当日、彼を売った麻薬組織の男を見つけたバッシャーは、男を刺殺。そのまま警察に追われる身となる。式をすっぽかされたサプナーは、逃亡先から捨て子を連れ戻ったバッシャーを理解できず、追い出してしまう。

数年後、鍛冶屋となったバッシャーは捨て子のラージュー(アディティヤ)を我が子として育て、私立の小学校へ通わせていた。ところが、学園の理事を務めるオベローイ(モーニシュ)マンター(シルパー)は、ラージューこそ列車事故で生き別れた我が子だと確信する・・・。

Revie-U
大自然を謳歌しているかに思えるオープニング・ショット。

ところが旱魃による飢饉で、人々が連なって村を捨てる光景が映し出される。ひとりの少年が餓えた母親に食べ物を恵んでもらおうと人々に掛け合うが、足げを喰らうだけだ。誰にもそんな余裕はないのである。それでも少年は村の戸を叩き続け、中庭のテーブルに山のように盛られたローティを見つける。そこには、厳つい髭を蓄えた眼光鋭い男スルターン(シャクティ)が座っている。

男はローティ1枚を掴んで放り投げる。喉から手が出るほど欲った少年がそれをキャッチしようとすると、2匹の獰猛な大型犬が少年に飛びかかる。少年は犬を振り交わし、母の待つ家へひたすら走る。獣より早く! だが、家に戻ってみるとすでに母親は息絶えていた。餓死である。

スルターンは少年の根性を買い、鍛冶屋に連れてゆく。彼はアンダーワールドの人間で、鍛冶屋は密造拳銃を作っていたのだった。そして、少年はヒットマンになるべく育てられ、やがてバッシャーの名で知られるようになる。

バッシャーとは、同年に公開されたシャー・ルク・カーンBaadshah(帝王)(1999)と同じ名。シャクティ・カプールがスルターンなら、アクシャイがバッシャー(バードシャー)というわけだが、この名はヒンディー語で子供を意味するバッチャーに引っ掛けられていて、それ故、後半、子育ての話となるのである。

オープニング・エピソードも強烈であったが、この捨て子とバッシャーの出会いのエピソードも強く心を打つ。

サプナとの結婚式に向かう矢先、彼を売った男を刺殺したバッシャーは逃亡せざるを得なくなり、言わば人生の歓喜からどん底へ突き落とされた状態となる。暗い浜辺で一目を避ける(わりには焚き火している)バッシャーに泣きじゃくる幼児がまとわりつく。最初は追い払うものの、その子が海へ転落。やはり、彼は助けてしまう(焚き火は子供を暖めるため設定されたのだった)。

翌朝、目覚めたバッシャーは無意識に起き出し、近くの屋台でパコーラを買い求め、喰おうと口に運ぶ。すると、その後ろに婦人がミルクを買いに現れる。昨夜の捨て子を思い出したバッシャーは、パコーラをミルクと交換してもらう。

彼は捨て子を抱えサプナの元を訪ねるが、彼女はバッシャーの心情が理解できず追い返してしまう。なにしろ、集合住宅に住む彼女は結婚式をすっぽかされ、住人たちから散々馬鹿にされたばかりである。彼自身、警察に追われる身でありながら、捨て子を拾って来るとは!

バッシャーは捨て子をイスラーム廟へ置き去ろうとし、その心情が楽師たちによって歌われる「jaanewale」となる。富豪で当たり前のボリウッド映画にあって、ここではバクシーシを受ける乞食や財布をするストリート・チルドレンなどが描かれ、子供の運命が示される。結局、バッシャーは泣き続ける子供を捨てきれず、きれいさっぱり足を洗って、ひっそりと鍛冶屋を営みながら子供を育てる。

とは言え、バッシャーの愛情は自身のトラウマに由来する歪んだ物だ。マンターと親しくなったラージャーに苛立ったあまり、バッシャーは「おまえのためだったら命を捨てられるんだぞ!」と、アクション映画の撮影現場に乗り込んでロング・ジャンプ・カー・スタントを買って出る! スタントは無事成功、ラージャーはバッシャーの生還に泣いて抱きつくのだが、通常、親がこういう育て方をすると子供の人格は破壊されやすい・・・。

アクシャイ・クマールは芝居も上々、ビルから飛び降りるダイヴ・スタントも例によって吹き替えなし!
後半、小汚いロン毛に口髭のメイクで通し、時代の流れから浮き上がった感じがキャラクターをよく伝えている。カリシュマーとからむミュージカル・ナンバー「mausam」での、マンハール・ウダースの落ち着いたプレイバックもアクシェイの雰囲気にマッチしている。

バッシャー逮捕に執念を賭けるインスペクター役が、アーシーシュ・ヴィダヤールティー。何度もバッシャー逮捕を試み、寸でのところまで行くのだが、いつも逃げられてしまう。逆に追跡中、横転したポリース・カーの下敷きになったところをバッシャーに助けられたりもするが、バッシャーの相棒アブドゥールを逮捕し、拷問をかけ、執拗に彼の居所を探ろうとする。

後半、バッシャーが下町の鍛冶屋になって潜伏している情報を得た彼は、私服で住居を訪ね何も知らない無垢なる少年ラージャーと接触。ここでバッシャーが心を改め、監獄で刑期を務める以上の苦労をしていたことを知り、そっと見逃す。
恐らくこのインスペクター役は、アーシーシュに当てられて書かれたのではあるまいか。同年のVaastav(現実)(1999)でもそうであったが、アーシーシュは単なる脇役敵役を超えて認知されたバイプレーヤーとなっており、ひとつの見せ場としてこのシーンが描かれているからだ。

シルパー・シェッティーも大きく成長している。ダンサーやギャングの情婦という薄幸なサブ・ヒロインが似合いだったが、ここでは財閥の若夫人で、列車事故で幼い我が子を失った母親役。そんな感傷を表すような私立学園の理事という設定である。学園に通うラージャーを目にした強く心惹かれ(ここで、彼女は依怙贔屓して別格の豪華な昼食を与えたり、山ほどのプレゼントをしてしまうのだが・・・)、彼が母の日のセレモニーでうたう歌声を聞き、我が子だと確信する「paas bulati hai」のミュージカル・ナンバーも心を打つ(学堂でセレモニーが行われている最中、理事であるマンターが別棟で会議しているのも何なのだが)。

この少年に育ったラージャー役のアディティヤは、これまたシルパーの生き写しのような凛々しい美少年で一層エモーションを掻き立てる。

クライマックスは、バッシャーの居所を掴んだスルターンがラージャーを誘拐、彼のアジトに乗り込んだバッシャーは檻(!)に閉じこめられ、目の前である試練が行われる。バッシャーはオベローイたちに「ラージャーはオレの実の子だ」と言い張っていたが、知ってか知らずか、スルターンが犬を嗾けラージャーの根性を試すのだ! おお、これこそJaanwar!!

無論、現代っ子でマンターの子であるラージャーに少年時代のバッシャーにあった飢餓感などなく、怯えて犬どもに引き摺り回されるだけだ(吹き替えなし!!)。この後、死闘が続き、例によってすべてが終わった後にポリース・カーの到着というエンディングとなる。
先の試練もあって、事実を受け止めたバッシャーは、平手打ちまでしてラージューを母親の元に追い返そうとする。しかし、彼を立派に育てあげたのはバッシャーであった。ラージューは実の両親よりバッシャーを「肉親」として選ぶ。その姿を見て、オベローイたちは納得し、おそらくは「たまには遊びに来させて」とかいう提案をしそうな画で幕が閉じる。

カリシュマー・カプールの踊り子ぶりも可憐でよい。後半は、別れても忘れられず、バッシャーを恨み続け、出所した相棒の入れ智慧で彼を射殺しようとまでするが、その時、オベローイたちとラージャーを巡ってのやりとりを聞き、一気に情にほだされてしまう。しかし、ウエイトはバッシャーとラージャー、そして母親のマンターに置かれているので、サプナの印象は霞んでしまうが作品としてはそれでも十分だ。

スルターン役のシャクティ・カプールは、メイクも極っていて、出番は少ないものの印象が強い。

相棒アブドゥール役は、1999年度 LUX ZEE CINE AWARDで極悪男優賞(「Sanghursh」)を受賞、Tarkieb(方法)(2000)にも出ていたアシュートシュ・ラーナー(本年、目出度く結婚)。

ジョニー・リーヴァルが、バッシャーと親しいオートリキシャー・ワーラー、バージランギ役で出演している。

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