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Mumbai Meri Jaan(2008)#228-7

2011.03.22
オススメ度 =陳腐 ★★=退屈 ★★★=平均点 ★★★★=面白い! ★★★★★=お気に入り!!

Mumbai Meri JaanMumbai Meri Jaan
(ムンバイー、我が命)
★★★★☆
ムンバイー・メーリー・ジャーン

製作:ロニー・スクリューワーラー/監督:ニシカント・カマト/原案・脚本・台詞・作詞:ヨーゲーシュ・ヴィナヤク・ジョーシー/脚本:ウペンドラ・シダーイー/撮影監督:サンジャイ・S・ジャダーヴ/音楽・背景音楽:サミール・パテルペーカル/プロダクション・デザイン:マヘーシュ・サルガオンカル、ダナンジャイ・モーンダル、パリマール・ダース・ポーッダル/衣装:サチン・ローヴァレーカル/VFX:Tata Elxsi/音響設計:サンジャイ・マゥーリヤー、アルウィン・レーゴー/アクション:ジャーヴェード-アエージャズ/編集:アミット・パワル

出演:パレーシュ・ラーワル、K・K・メノン、イルファーン、R・マダヴァン、ソーハー・アリー・カーン、ヴィジャイ・マゥールヤー、サクシャーム・ダイマー、スミター・ジャイカル、ディヴヤー・ジャグダレー、シュリーヴァラブ・ヴヤス

公開日:2008年8月22日(日本未公開)/135分
Filmfare Awards:脚本賞、編集賞、批評家選作品賞
Screen Awards:音響設計賞
リヨン新世代映画祭:作品賞

*不安を煽る文面はありませんが、氣分が優れない場合はページを閉じて様子を見てください。

STORY
2006年7月11日18時24分~35分、帰宅時間で混み合ったムンバイー郊外線。行き交う7つの列車で連続爆破テロが次々と発生。乗り合わせた、あるいは爆破現場に遭遇した登場人物たちは事件のショックから心が激しく揺さぶられ、壊れつつも、やがて街に暮らす人々との関わりから再生してゆく…。

Revie-U
夕刻の一等車を狙ったムンバイー列車連続爆破事件は209名の尊い命を奪い、負傷者は700名を越えた。だが、本作で描かれているように事件そのものによって心に傷を負った人々は計り知れないだろう。

劇中、トゥカラームの台詞にあるように、7つの列車に仕掛けられた爆弾は、元々7つの島から成っていたムンバイーを7つに引き裂く狙いがあったかのようにさえ思える。
しかし、本作が公開された2008年11月に起きたムンバイー同時多発テロにより、ムンバイーのみならず、インド国民はヒンドゥー/ムサルマーン/スィク/クリスチャン等のコミュナル(政治的に利用された宗教の垣根)を超えて、嫌テロのムードが巻き起こり、かえってムンバイー市民/インド人としてまとまった意識が高まることとなった。
さらに事件直後、マハーラーシュトラ知事(リティーシュ・デーシュムークの父)と被災したタージ・マハル・ホテルを視察したラーム・ゴーパル・ヴァルマーが事件をネタにさっそく映画を作るのではないかと叩かれたほど。

この後、テロ絡みの企画は変更を余儀なくされたが、タリバンや9.11後の米国内における自国民の状況を扱ったパキスタン映画「Khuda Kay Liye」神に誓って(2007)に影響され、ヤシュ・ラージ・フィルムズジョン・エイブラハム N カトリーナー・ケイフ共演「New York」(2009)を、カラン・ジョハールサイーフ・アリー・カーン N カリーナー・カプール共演Kurbaan(犠牲)」(2009)、さらに制作が延びたシャー・ルク・カーン N カジョール共演マイ・ネーム・イズ・ハーン」My Name is Khan(2010)など主に米国を舞台にした作品が目立つ。

米国は9.11以後も、地球外生物による侵略物を含むCGIを多用した精巧なディザスター映画が数多く作られ、被災中毒に陥っていることが指摘されもしたが、今回、大津波や原発事故の報道映像漬けになってみると、逆にこれらディザスター映画を観ている間はこれが自分と切り離された外部で起こっている出来事として受け止める装置として米国民が自己の内部で恐怖心を置き換える心理効果を求めていたように思える。

さて、本作の監督ニシカント・カマトは、「Saatchya Aat Gharat」(2004=マラーティー)に脚本家として参加し、米「フォーリング・ダウン」から発想した監督デビュー作「Dombivali Fast」(2006=マラーティー)でNational Film Awards 最優秀マラーティー映画賞を受賞。
その後、本作でニキルを演じたR・マダヴァン主演「Evano Oruvan(誰かが)」(2007=タミル)を手がけた後、本作を監督することとなった。出たがりのインド人監督らしく、ニシカントもまたニキルの友人で「世界中、どこにいても危険は同じ」と彼を諭すヴィノード役にて出演。
脚本家としてはネーハー・ドゥピア主演の色物映画「Julie」(2004)や凡作コメディ「Mr.White Mr.Black」(2008)などを引き受けていることから、本作も請負監督として手腕を発揮したと言える。
次回作はジョン・エイブラハムを主役に迎え、警官アクション物「Kaakha Kaakha」(2003=タミル)のリメード「Force」(2011)で、米21世紀フォックスとインドのStar TVがジョイントしたフォックス・スター・スタジオでの製作ということからハリウッドのインド進出が進んでいることが見て取れる。

レビューはそれぞれの登場人物にスポットを当て章立てでアップしたが、劇中、これらのスケッチがモンタージュされて描かれる群像劇となっている。一話完結のオムニバスと異なり、スレーシュトーマス、トゥカラームらのように交差する人生もあれば、ニキル、ルパリのように切り離されたままの人物もいる。
これらの群像劇は、ボリウッドにおいてゼロ年代後半に入って加速化したスタイルでYun Hota Toh Kya Hota(もし起きたら、何が起きるか)」(2006)、「Honeymoon Travels Pvt.Ltd.」(2007)、「Life in a…Metro(大都会)」(2007)など、大抵は市井の暮らしを描いた小粒映画に多いが、サルマーン・カーンアニル・カプール、ジョン・エイブラハムゴーヴィンダプリヤンカー・チョープラーヴィッディヤー・バーランジュヒー・チャーウラーなど9名のトップ・スターを起用した「Salaam-E-Ishq(愛のサラーム)」(2007)のような例もある。
これは90年代まで主流だったマサーラー映画と入れ替わって、洗練されたクオリティを保ちつつ多様な観客が感情移入しやすいように発達した、ミュージカルと並ぶボリウッド映画の特徴。
もっとも、俳優の顔を知り尽くし、複雑な物語構成に慣れたインド人観客ならともかく、日本の観客にはハードルが高い手法にも思える。

本作の終盤、ムンバイー全市民による黙祷の中でラジオから流れるメモラブル・ソングが、デーヴ・アナン(=アーナンド)主演「C.I.D(中央捜査局)」(1965)においてスリのジョニー・ウォーカルが大都会ボンベイの生きづらさと愛着を歌い上げるyeh hai bombai meri jaan(これがボンベイ、我が命)」モハムド・ラフィギーター・ダット)。

Mumbai Meri Jaan

(c)UTV Motion Pictures, 2008.

日本映画は、昭和30年代を描きながらも現代の観客層に合わせて懐メロを一切流さなかった「フラガール」の例からも見て取れるように世代間が分断された上に、若者層の中でも趣味が細分化し、大予算を投入する映画作りが崩壊していたが(テレビ局絡みの製作委員会スタイル以外の8割は、ボリウッドのB級映画にも遠く及ばない製作費2千万円程度?)、これを機会に日本人も年代を超えたつながりへ回帰し、よき日本映画が作られ、真の復興へとつながって欲しいと願うばかりだ。

 

災害被害に遭われ亡くなられた方々に謹んでお悔やみを、現在も災害被害に困窮している方々へ心から声援を、また、いち早く平穏が戻りますようお祈り申し上げます。

1:イントロダクション
2:列車に乗るも間一髪助かったニキル(R・マダヴァン)
3:自警化する失業中のスレーシュ(K・K・メノン)
4:経済成長から取り残された下流層のトーマス(イルファン・カーン)
5:テロで婚約者を失ったTVリポーターのルパリ(ソーハー・アリー・カーン)
6:退職間近の平警官トゥカラーム(パレーシュ・ラーワル)
7:バックグラウンド

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