Gadar(2001)#006
Gadar(暴動)/2001 01.07.27 ★★★★
ガダル
製作:ニティン・ケニー/監督:アニル・シャルマー/脚本・台詞:シャクティマン/撮影:ナジーブ・カーン/音楽:ウッタム・スィン/詞:アナン・バクシー /振付:ジャイ・ボーラデー/アクション:ティヌー・ヴェルマー/美術:サンジャイ・ダバーデー/衣装:バウナー
出演:サニー・デーオール、アミーシャー・パテール、アムリーシュ・プリー、マスタル・ウトカルシュ・シャルマ、スレーシュ・オベローイ、ムスターク・カーン、ヴィヴェーク・シャークィー、アーシャー・バッチュチャーニー、ヴィシュワジート・プラダーン、サマル・ジャイ・スィン
ナレーション:オーム・プリー
公開日:2001年6月15日(年間トップ1+インド映画史上トップ1ヒット!/日本未公開)
47th FILM FARE AWARDS:特別賞(アミーシャ・パテール)、アクション監督賞
8th SCREEN VIDEOCON AWARDS:主演男優賞(サニー・デーオール)、アクション監督賞
STORY
1947年、1日違いで認められた印パ分離独立(パーテーション)によりインド領、パーキスターン領共に排斥暴動が発生。富豪アシュラーフ・アリー(アムリーシュ)一家は暴徒から逃れ、パーキスターン領へ向かう列車に飛び乗った。が、娘サキーナー(アミーシャー)は群がる人の波で列車に乗り遅れ家族と生き別れる。ヒンドゥー暴徒に襲われる彼女を助けたターラー・スィン(サニー)は、彼女を守るため思わず流れた血で彼女の額へ結婚を意味するシンドゥールを与えて自分の妻としてしまう。サキーナーはパーキスターン領へ向かうものの、献身的に彼女を支えるターラーの情にほだされ、彼を愛していることを悟ってインド領に留まる。
7年後、子供も大きくなったホーリー祭のさなか、父アシュラーフがラーホール市長となったことを知り連絡を取ったサキーナーは、パーキスターン領の家族を訪ねる。だが、家族はターラーとの結婚を認めず、パーキスターン人との婚約を強要して彼女を国内に留めようとする。ヴィザが所得できないターラーと息子は国境を越えて彼女と再会するものの、アシュラーフの怒りは収まらずパーキスターン軍に追われる地獄の逃避行となる・・・。
Revie-U
この雨季、アーミル・カーンの「Lagaan」ラガーン(2001)と共にボックスオフィス・バスターとなっている「Gadar」。
まず驚かされるのが、オープニングの避難列車へ乗り込むモブ・シーンだ。エキストラの数はハンパではなく、恐らく2000人は下るまい。まさしく蜜に群がる蟻状態。日本の終戦直後もあのような感じだったのだろう、と想わせつつ、さらに衝撃的なのは、敵対する市民たちが虐殺団となって、牛刀をふり回し、乗客を襲い、女性は皆レエプされてしまうシーン。
これはまさに事実そのままらしく、1958年4月よりデリーに日本語講師としてインド人講師と同じ待遇で3年余り教鞭を取った石田保昭著「インドで暮す」(岩波新書/初版1963年)によると、「独立とともにインドのあちこちで回教徒、ヒンドゥ教徒の殺しあいがはじまった。/やがて避難列車がきた。避難列車というもののじつは殺戮列車で、パーキスタン領内を進行中は駅ごとにヒンドゥ教徒が車内から引きずりだされて殺され、インド領内を進行するばあいには回教徒が引きずりだされて殺される。/死体にうずまり血のしたたる客車がアムリツァール駅に到着するときの光景はすさまじいものであったにちがいない。」
まさにオープニング・シークェンスはこの文章と同じく、パーキスターン領から国境近くのアムリトサル駅に到着した列車は死体の山。これに報復する形でインド住民が暴徒化するのだが、さすがにこれはインド映画だからで、暴動は互いの国で同時多発的に発生したと思われる。
サニー・デーオル演じるスィク教徒ターラー・スィンは、アミーシャーが通うミッション系カレッジの女子寮へ生活雑貨を運ぶ行商のトラック・ドライバー。なぜか、サキーナーとターラーは惹かれ合ってはいたが、無論、心の内は告白できぬまま。
「Farz(義務)」(2001)でビルの屋上から飛び降りてもノー・プロブレムな人間凶器を演じたサニーだけに、今回も怪力にかけては武蔵坊弁慶も真っ青という爆闘を見せる一方、サキーナーに巻いてもらった赤いターバンがもったいなくて被れないという純情ぶりがよい。
「Border」デザートフォース(1997)でも果敢に戦場へ臨むスィク教徒の軍人を演じていたが、今回もターバンに萌えるような顎髭で血の栄えるキャラクターとなっている。もっとも、ロマンス・シーンでは髭を剃り、ミュージカル・シーンではスィク教徒以外のキャラクターも見せる。
また、ムスリムの娘と知った住民たちがサキーナーを襲うシーンで、彼女を助けたターラーがサキーナーの額にシンドゥールを塗ってしまう行為が、公開後、またまたヒンドゥー/ムスリムの間で物議を醸した。これは、名目上、自分の妻として彼女を保護するためだったのだが、ヒンドゥーとしてはムスリムの女性に聖なる結婚の印を与えるのが大いに憤慨だったらしく、ムスリムとしても同じ反論だったようだ。
特筆すべきは、アミーシャー・パテールの存在感だろう。
彼女は、リティク・ローシャンと「Kaho
Naa..Puaar Hai(言って・・・愛してるって)」(2000)でデビューした、まだまだホットな新人だが、インド領では家族と分離され、パーキスターン領では愛する者と我が子から分離させられる、ストーリーからしても堂々たるメイン・キャラクターを演じ切っている。18年のキャリアを持つサニーの前作「Champion(チャンピオン)」がコケしたのに引き換え、「KNPH」と連続メガヒット出演となったアミーシャーは名実共にボリウッドのスターダムに駆け上がったと言えよう。
カレッジでの卒業公演シーンで、ステージに立ったサキーナーが自分で唄う代わりに歌好きのターラーを招き上げる。戸惑う彼に「Gao…Gao
Naa…(さあ、歌って)」と促す台詞は、インドの劇場で大喝采だったはずだ!
一方、アムリーシュ・プリーは久々にラストでこってり殴られる憎まれ親父役。自らパーキスターン軍のヘリに乗って、逃亡するサキーナーたちを追う。
母親もサキーナーの結婚など眼中なく、執拗に地元で結婚させパーキスターン領内に留めようとさせる。が、訪ねて来た孫を一目見るや、その可愛さに頬が緩んでしまう!
「oh ghar aaja pardesi ke teri meri ek zinddee」と唄うメインテーマ「udja kale kawan」は、異国の人への想いをつづった歌詞だが、回想のカレッジ・シーンでは単にロマンティックな歌かと思ってものの、実はパーテイションにより国境を越え異国の人となってしまったサキーナーへの想いを歌ったと判り、ぐっと来る。
さすが作詞の大家アナン・バクシー!
本作はサテライトTVのZEE ネットワークが総力をあげて製作した大作だけあって、列車を使ったスケールあふれるアクションも展開! クライマックスは国境へ向かう列車と、市長という職権を乱用してパーキスターン軍を動員した追跡シーン。アミーシャーまでもが小銃を構え、なんと可愛い子役さえ石炭を放り込み、機関車を突っ走らせる!
美術もしっかりしていて、サキーナーがパーキスターン側の家族と連絡を取るシーンでの電話機は、1940年代らしく糸電話みたいな受話器のやつなのだが、これが真鍮製の新品で実にエレガンス。かと思えば、サキーナーが家族との思い出に浸る「ケ・セラ・セラ」のメロディーは、「なるようになるわ、先のことなどわからない」という有名な歌詞が劇的効果としてはマッチするものの、年代的に細かく検証するとヒッチコックがドリス・デイの歌う「ケ・セラ・セラ」を主題歌(アカデミー主題歌賞受賞。作詞・作曲はジェイ・リビングストン&レイ・エヴァンス)にした「知りすぎた男」は1955年の作品。時代が合ってない?! さらに言えば、クライマックスで列車を追うパーキスターン軍のヘリは、なんと最新のジェット・ヘリ。この時代にあったの?!
まあ、くだらないツッコミは置いておいて、メガヒットの要因はやはりパーテイションを壮大なスケールで描いたことだろう。
(本作は拡大公開も手伝って、「Lagaan」を大きく引き離して年間トップ1ヒットを驀進。クライマックスの列車VSパーキスターン軍は、サニーの父親ダルメラ出演、伝説的大ヒット作「炎」Sholayに対応。01.11.10追記)