Band Baaja Baaraat(2010)#227
バンド・バージャー・バーラート
製作:アディティヤ・チョープラー/原案・監督:マニーシュ・シャルマー/脚本&台詞:ハッビブ・ファイサル/撮影:アシーム・ミシュラー/作詞:アミターブ・バターチャルヤー/音楽&背景音楽:サリーム-スレイマン/振付:ヴァイバヴィー・メルチャント/VFX:Tata Elxsi-VCL/衣装デザイン:ニハリカー・カーン/プロダクション・デザイン:ソーナル・チョウドリー、T・P・アビッド/編集:ナムラター・ラーオ
出演:ランヴィール・スィン、アヌシュカー・シャルマー、アビラージ・K・ミナワーラー、プラターナー・ゴースワーミー、イーシャー・アシュター、アディプ・チョープラー、マンミート・スィン、ニーラージ・スード
公開日:2010年12月10日(年間22位/日本未公開)/140分
STORY
デリーの学生ビットゥー(ランヴィール・スィン)は、パーティー会場を切り盛りしていた生意氣な女子シュルティー(アヌシュカー)と対立。が、氣が合って「シャーディー・モバラク(結婚おめでとう)」と名付けたウェディング・プランのイベント会社を設立。好調に業績を伸ばすが、酔った勢いでふたりがベッド・インしたことから…。

(c)Yash Raj Films, 2010.
Revie-U
Filmfare Awards、Screen Awards、Zee Cine Awardsなど2010年度の新人男優賞を総なめにしたランヴィール・スィンのデビュー作。
とは言っても、見るからにムサく頼りない印象。もっとも、リティク・ローシャンのような初めからシャー・ルク・カーンを脅かすような新人スターはヒンディー映画史でも例外中の例外。アクシャイ・クマールもサイーフ・アリー・カーンも、初めは似たようなものだったから、非映画一族でデビュー時からこれほど注目を浴びたランヴィール・スィンがどう伸びるかは見物。

(c)Yash Raj Films, 2010.
ヒロインは、ヤシュ・ラージ・フィルムズ(YRF)の屋台骨を支えるアディティヤ・チョープラー久々の監督作「Rab Ne Bana Di Jodi(神は夫婦を創り給う)」(2008)でシャー・ルクの相手役に大抜擢されたアヌシュカー・シャルマー。
もっとも年間2位に食い込んだメガヒットのヒロインながら、その後しばらく、オファーがまったく入らずキャリアが危ぶまれたが、昨年はシャーヒド・カプール共演「Badmaa$h Company(悪党商会)」(2010)と2作出演。すっかりYRFの看板女優となった感がある。
本作での印象はまずまず。例のむかつき顔は相変わらずだが、愛らしい表情も増え、ようやく女優としてこれなれて来た様子。
2月に公開されたアクシャイ共演の新作「Patiala House」(2011)も軽ヒット中。
アヌシュカーNランヴィール・スィンは、本作の監督マニーシュ・シャルマーと引き続きYRFで「Ladies vs Ricky Bahl」(2011)が12月9日リリース(封切り)予定でアナウンス済み。
アヌシュカーだけでは心許ないという訳ではないだろうが、プリヤンカー・チョープラーの従姉妹パリニーティー・チョープラーがこれでデビュー、ミス・インディア出身で「16 December」(2002)のディパンニター・シャルマーが結婚後の復帰作として配役されている。
さて、映画一族でもないランヴィール・スィンがこれほどまでに新人男優賞を獲りまくったのは、やはり本作が<今>のインドを、その空氣感をダイレクトに映し出しているからだろう。
10 年ほど前の「Dillagi(冗談)」(1999)など、家族経営のダーバー(街道沿いの大衆食堂)からインターナショナル・ホテルをオープンするまでになった立身出世物もそれは物語が転がり出すまでの下地で終わってしまい、実質、ありきたりな恋愛物に終止し、冒頭で見せたホテル開業の準備風景などすっかり忘れ去られていて食い足りない印象があったが、YRFはランビール・カプール主演「Rocket Singh」(2009)、「Badmaash Company」(2010)、そして本作と、むしろ恋愛話を脇に追いやって起業話をメインに進める。
本作も若者受けする学生生活の描写から始まり、型通りに出会ったふたりが犬猿の仲となっているが、パーティーでのダンス・シーンなど「実際のパーティーで踊っている風景」というスタンス。打ち上げでは既存のヤシュ・ラジ・ヒット・ナンバルで踊るも、アヌシュカーが「一般女子」という設定からシャー・ルク共演「Rab Ne Bana Di Jodi」からのナンバルは流れない。終盤のショー・アップされたボリウッド・ダンスもクライアントの富豪からリクエストされていた「シャー・ルクのダンスがドタキャン」という口実が用意されている。
その打ち上げ中、汗だくで踊った中年スタッフは次々に引き上げ、残ったふたりが流れから身を寄せ合い、思いがけずキスし、行きがかり上、ベッドイン。
愛の言葉はなく、行為が先となる。
翌朝、ふたりは何事もなかったように業務に戻る。が、互いに氣をもみ、やがて大きな波乱へと至る。ここで、これまでのボリウッド作品と決定的に異なるのは、主人公のふたりに誰も介入しないことだ。
本作は<リアルさ>を出すためか、顔の知れた脇役キャストは極力廃され、スィクのマンミート・スィン程度で台詞もほとんどない(あとは顔が印象に残り難いタイプ?を配役)。「犬も食わない…」ではないだろうが、「シャーディー・モバラク」のスタッフもただ傍観しているだけで仲裁しようとはしない。ましてシュルティーの両親など嫁入り前の娘がどこの馬の骨とも解らぬ男と会社を立ち上げては事務所の2階にベッドひとつ持ち込んで泊まり込むのを止めるどころか、会社へ顔を出すスケッチひとつないのだ。
YRFと言えば、元々はヤシュ・チョープラー監督のホーム(自社/自家)プロダクションであり、ヤシュのカラーとして恋愛物を中心に製作してきた。ただ、ヒット・メーカーだけに時代を読む目は冴えていて、90年代に入るやシャー・ルクを起用し、経済開放の消費時代に突入した背景からストーカー物「Darr(恐怖)」(1993)で当てるなどした。
さらに以後のYRFを決定づけたのが、長男アディティヤが初監督を任された「DDLJ」(1995)だ。これは旧来のラヴ・ストーリーに対抗する若者像を打ち立て(それ以前も自由恋愛の映画は多々あったが)、さらにゼロ年代に入るといち早く家族路線から若者層にターゲットを移し、バブリーな社会氣運を煽るゴージャスな海外ロケを展開、上映時間のコンパクト化を押し進め、製作・配給だけでなくソフト販売、TV事業にまで乗り出し、ボリウッドのトップ・コングロマリットへと成長。
YRFの戦略として感心してしまうのが、ついこの間までシャー・ルクやサイーフなどを主演に据えた煌びやかな作品を自社カラーにしていながら、「Dev.D」(2009)や「Udaan(飛翔)」(2010)などニュー・ストリームの台頭を予感するや、「Rocket Singh」(2009)、「Badmaa$h Company」、「Lagangey Parindey(無頼の鳥)」(2010)などリアルなテイストへ急旋回。この先見の明、変わり身の速さには舌を巻くほかない。
特に本作は、ラヴ・ストーリー離れ、ノンスターの主人公ふたりに限定した確信犯的アプローチをとり、かなりの冒険作と言えよう。
実際、予算的には10カロール(1億8000万円。物価換算で9億円)とシャー・ルクらトップスターのギャラと大差ない金額。海外ロケを展開し25カロール(4億5000万円。物価換算で22億5000万円)かけた「Badmaa$h Company」の半分にも満たず、これはゼロ年代以降、YRF作品で最も<低予算映画>。
一見、夢を求める観客の現実逃避を提供するために作られた今までのボリウッド映画と異なる<リアル・テイスト>のように見えて、起業話としてはライバル業者との競争も描かれず、恋のライバルもモバイル(携帯電話)でのやりとりに終止し、脇役も絡まず、ほとんどふたりだけの世界となっていることから、観客ターゲットとされた若いカップルを映画を観ているその時間だけは、やかましいことを言う両親や厳しい競争社会を忘れさせる<夢見映画>という基本ポジションは変わっていない。