Pyaar Diwana Hota Hai(2000)#220
Pyaar Diwana Hota Hai(恋に狂って)02.08.31 ★★☆
ピャール・ディワーナー・ホタ・へェ
製作:R・B・チョードリー/監督:キルティー・クマール/台詞:ジャーヴェード・シッディキィー/撮影:ペーター・ペーリラ/詞:アナン(=アーナンド)・バクシー/音楽:ウッタム・スィン/振付:ラージュー・スンダラム、ガネーシュ・アチャルヤー、ラガヴェンドラ・ローレンス/背景音楽:ボビー
出演:ゴーヴィンダ、ラーニー・ムカルジー、オーム・プリー、ラクシュミーカーント・ベールデー、キショール・バンサーリー、ファリーダー・ジャラール、アプールヴァ・アグニホートリー、ディーパック・ティージョリー、ジョニー・リーヴァル、ナヴィン・ニスチョール、スミター・ジャイカル、マカランド・デーシュパーンデー、ラザック・カーン、グッディー・マールティー
特別出演:ランバー
公開:2000年4月26日(日本未公開)
STORY
画家を夢見てデリーにやって来たスンダール(ゴーヴィンダ)は、看板描きの仕事を得るが、やっぱり女の子とも付き合いたい!と、ひょんなことから聾唖の振りをする羽目に。そして、出会ったのが、アメリカからインド古典舞踊を習いにやって来て、師匠から聾唖者の表情を研究するように言われたパーヤル(ラーニー)。スンダールは今更聾唖者じゃないと言えなくなって・・・。
Revie-U *結末に触れています。
早口が売りのゴーヴィンダから早口を取り去ったら??? そんな作品がこれ。
しかし、ストーリーというほどのものはなく、演出もD級とあって、面白くなるのは終盤になってから。
2幕目からスンダールはずっと聾唖の振りをし続けるが、パーヤルに慕われれば慕われるほど罪の意識に嘖む。いよいよ終盤、「真相」を知ったパーヤルがスンダールに言い求めるものの、彼は何も言おうとしない(この時のゴーヴィンダの表情がよい)。と、そこへドクターが現れ、本当の「真相」を明かす。
なんと彼は、贖罪とパーヤルへの愛の証として、ドクターに去声(!)手術を頼んだのだった。ドクターは渋々承諾するが、それを見せかけと知ったスンダールが自ら舌を切り取ってしまった!!というもの。ゴーヴィンダ版「春琴抄」というわけだ。
何もそこまで、とは思うだろうが、過剰なところがインド人のメンタリティーでもあるし、また様々な苦行精神が生きるヒンドゥー社会がその背景に感じられる…。
もっとも、これはインド人観客にもまったくウケなかったようで、ゴーヴィンダ主演作では甥っ子ヴィネイ・アナンのための名前貸し作品「Dil Ne Phir Yaad Kiya(心がまた疼き出す)」(2001)にさえ遠く及ばない大フロップという有り様。
実にしんみりしたエンディングも悪要因だが、タミル映画のリメイクというのが大いに足を引っ張ったようだ(ラーニーはオリジナルを見て氣に入っての出演というが)。
リメイクするからには南でヒットした作品なのだろうが、大抵のリメイク物はフロップとなる。北インドの南嫌いを差し引いても、その安易な威勢が「リメイク物はつまらない」と言わしめているのだ。
さらに、全般的にミュージカル・シーンもかなり地味とあっては、ヒットなど望むべくもない。一応、スイス・ロケ「pyaar diwana hota hai」もあるものの、「yeh kya jaadoo sa(これは魔法ですか)」などゴーヴィンダがラモジ・フィルム・シティで一人踊り続けるという寂しさ。コケた要因にフィルミーソングの先行発売から封切りまで1年以上と間が空いたという説(撮影自体は数年前?)もあるが、それ以前の問題だろう。
ちなみに「dewana dil ne」のメロは、「Refugee(難民)」(2000)の「aisa lata hai」のひねり。
それでも感心するのは、低予算の上、演出も冴えず、全体につまらないトーンと三拍子揃っていながら、ゴーヴィンダをはじめとする出演者がそれで手を抜いてるとか、馴れ合いでやっている雰囲氣がないことだ。
特に、ゴーヴィンダは終盤の芝居がよく、本心はアジャイ・デーヴガンのように演技派としてやって行きたいという氣持ちが感じられる。
ヒロインを演じるは、ラーニー・ムカルジー。古典舞踊の練習シーンが興味深い。新作「Chori Chori(こっそりと)」(2002)に期待したい。
スンダールの仲間に、「Dil(心)」(1991)のデーヴ・アナン(=アーナンド)そっくりさんことキショール・バンサーリー、「Dhlhan Hum Le Jayenge(花嫁は僕が連れてゆく)」(2000)のディーパック・ティージョリー、そして毎度お馴染みのラクシュミーカーント・ベールデー。
早口の看板描きにジョニー・リーヴァルが、途中からいなくなる聾唖の看板描きラザック・カーンの分も代行。
パーヤルの父に「Hindustan Ki Kasam(インドの誓い)」(2000)のナヴィーン・ニスチョール。その妻に「Soldier」(1998)のファリーダー・ジャラール。その友人夫妻に「Hum To Mohabbart Karega(僕らは恋するだろう)」(2000)の汚職銀行員プラムード・モートゥーと「Na Tum Jaano Na Hum(君も僕も知らずして)」(2002)のスミター・ジャイカル。
そして、なにかとパーヤルの氣を引こうとするが、まったく相手にされないヴィクラム役に「Hum Ho Gaya Aap Ke(私はあなたのものに)」(2001)のアプールヴァ・アグニホートリー。彼は、もう完全なフラレ役専門役者と定着した模様。
エスプリの利いたドクター・S・プリー役に「Ghayal(傷ついた者)」(1990)のオーム・プリー。
その他、スンダールを娘の恋人と勘違いする親父役に「Ajnabee(見知らぬ隣人)」(2001)のナレンドラ・ベディ、ベランダの女役にグッディー・マールティー、「Company」(2002)のナレーター、マカランド・デーシュパーンデーが乞食役でチラリ出演。
しかしながら、登場人物のそれぞれがストーリーにリンクして生かされているわけではないので、単なる寄せ集め出演の印象を受ける。やはり、大コケの要因は監督の力量不足か。
*追記 2011,03,06
ストーリーの原版はタミル映画「Sollamale」だが、タイトルはラージェーシュ・カンナー(トゥインクル・カンナーの父でアクシャイ・クマールの義父)とアーシャー・パレーク主演「Kati Patang(糸切れた凧)」(1970)のメモラブル・ナンバル「pyar deewana hota hai」からの借用。「Kuch Kuch Hota Hai」何かが起きてる(1998)の前半、娘役ラーニーに向かって父親役アヌパム・ケールがピアノで引き語るのがこの曲。「Kati Patang」の劇中でもパーティー・シーンでラージェーシュがアーシャーを前にピアノで引き語っている。プレイバックは、キング・オブ・プレイバック・シンガーのキショール・クマール。