Dil Se..(1998)#014
「ディル・セ 心から」Dil Se.. /1998 01.10.31 ★★★★
製作:シェーカル・カプール、ラーム・ゴーパル・ヴァルマー/製作・原案・脚本・監督:マニ・ラトナム/台詞:ティグマンシュー・ドゥリア、スジャーター/撮影:サントーシュ・シヴァン/音楽:A・R・ラフマーン/詞:グルザール/振付:ファラー・カーン/美術:サミール・チャンダ
出演:シャー・ルク・カーン、マニーシャー・コイララ、プリティー・ズィンター、サビヤサーチー・チャクラヴァルティー、ケン・フィリップ、ミーター・ワシシュタ、ゾーラー・サイガル、ラグヴィール・ヤーダウ、アルンダディ・ラーオ、ゴゥタム・ボーラー、マンジート・バワー、プリィヤ・パルレーカル
公開日:1998年8月21日(日本公開2000年8月)
FILM FARE AWARDS:撮影賞、音楽監督賞、作詞賞、男性プレイバックシンガー賞(スクヴィンダール・スィン)、振付賞、ラックス新人賞(プリティー)
SCREEN VIDEOCON AWARDS:音楽監督賞、男性プレイバックシンガー賞(スクヴィンダール・スィン)
STORY
北東インド・アッサム州、深夜。取材を終えたラジオ局のレポーター、アマル(シャー・ルク)は不穏な警戒体制にあるハフロン駅に乗りつける。そこで、列車を待つ謎めいた女(マニーシャー)と出合い、強く惹かれる。山間部で武装ゲリラの取材を続けるアマルは、町のバーザールで再び彼女に出くわし、なんとか口説こうと彼女の住む村まで押しかけるが、やがて彼は、彼女の「夫」と称する男と仲間によって山へ連れ込まれ半殺しの目に遭う。
だが、彼女のことが忘れられないアマルは手がかりをつかむと、インド最北ジャンムー・カシュミール州ラダックのレーへと飛ぶ。沙漠の中を歩きながら彼女を口説こうとするが、翌朝、彼女の姿はなく、砂の上に別れのメッセージが残されているだけだった。
デッリーへ戻ったアマルは傷心から縁談の相手プリティー(プリティー)との結婚に同意。が、彼を半殺しにした男たちの一人を市中で見つけ、後を追う。逃げる男は警官たちに捕まり、毒を飲んで自決。そして、婚約パーティーの日に、女友達を連れたメグナ(マニーシャー)が現れ、ラジオ局での臨時雇いを乞う。アマルはずるずるとメグナを手元に置き、次第に混乱してゆくが、やがて彼女が独立50周年記念式典でテロを企んでいる分離主義ゲリラの一員だと知る・・・。
Revie-U *結末に触れています。
オープニング、ローカル駅でのシーン。夜風に震えるシャー・ルク・カーンがタバコを吸おうとして、マッチを探し、やたらと「マッチ、マッチ、マッチないか〜!」と叫ぶ。ここで、インドの映画館ではニヤニヤ笑いが起こったのではないか?
というのも、テロリストとの愛が非運を招く、チャンドラチュール・スィン、タッブー主演の「Maachis(マッチ)」(1996)という作品を思い出したからだ。タッブーがナショナル・アワードを受賞したこの作品は、カシュミールの分離主義ゲリラに夫が誘拐され新妻が奔走するマニ・ラトナムの「ロージャー」Roja(1992)がヒンディー語吹き替え版で北インドでもヒットしたことに触発され製作された。もっとも、大してヒットしなかったのですっかり忘れ去られている。
あまりにも「マッチ、マッチ」と繰り返されるので、男のテロリストとそのヒロインという構図を、本作では女のテロリストに男が恋して・・・と置き換え、マニ・ラトナムはリターン・マッチを臨んだのだろうか、などと思ってしまう。だとすると、なぜヒロインがテロリストなのか? という理由のひとつもそこにあるかもしれない。
(と、思ってみたが、「Maachis」は本作で詞を担当しているグルザールの脚本・監督作品なので単なるリスペクトであろう*。01.11.10追記)
映像に凝るマニ・ラトナムだけに、ハフロン駅でのマニーシャー・コイララの登場シーンがいい。闇に包まれた無人のプラットホームと思われたフレームに、黒いヴェールが風にはだけ、彼女の姿が不意に浮かび上がる。それは思い掛けない恋の始まりであり、謎めいた彼女のバックボーンを示している。彼女の求める「一杯のチャイを」という一言にも、彼女の過酷な日々の中に、甘く、熱く身を焦がすような愛が不足していることが読める(と、このようなことは、公開されて久しいので、すでにどこかで書かれているかと思うが・・・その時はあしからず)。
この後、東京国際映画祭や公開時にも話題となった渓谷を行く列車の上で踊るミュージカル・ナンバーとなる。
インド映画に不慣れな日本の観客には「なぜ、いきなり?!」と感じられるのだろう(と、毎回思う)が、これはアマルが想い描く恋の予感。だから、列車の上で踊る相手がマニーシャーでなく、サルマーン・カーンの義妹であるマライカー・アローラでもノープロブレム。アマルが甘く、ほろ苦い恋の想いに耽っていることは、ミュージカル・シーンに移る直前、彼がプラットホームの境で雨粒が落ちたチャイを独り飲むことからも伺える。
この「チャイヤ・チャイヤ 愛の影」chaiyya chaiyya という曲は、ドバイで行われたA・R・ラフマーンの野外コンサート(!)でもイントロから大いに盛り上がっていた。ミュージカル・シーンなしで映画を作りたがるマニ・ラトナムだが、その割にはミュージカル・シーン作りに定評があり、彼としては掴みのナンバーでインパクトを与え、観客の首根っこを掴んでおきたかったのだろう。
今となっては、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(2000=デンマーク)でビョークとダンサーたちが貨物列車の上で踊るミュージカル・ナンバー「I’ve seen it all」が思い浮かぶ(本作に比べると列車のスピードは限りなく遅い)。各国の映画祭にも出品され、英国でも小ヒットした本作をラース・フォン・トリアーも小耳に挟み、どこか念頭に置いていたのではないだろうか。
「ダンサー〜」ではDVカメラを100台用意しマルチ1発撮りしたそうだが、本作と比べてみると、ビョークがテンションをキープ出来ないという理由だけでなく、ミュージカル撮影のノウハウが積み重ねられていないからではないか、と思ってしまう(もちろん、狙いが違うので比べる意味はないが。ただ、振り返ってみると、「ダンサー〜」は感情移入しながら観た記憶はあるものの、ミュージカル・シーン及び本編シーンがさほど印象に残っていない・・・)。
マニ・ラトナムは、本作でヒンディー映画が初演出となる。インタビューでは「分離主義者の多くは北インドで活動しているため、リアリティからしてもヒンディーにした」と語っている。
しかし、本心はどうだろう?
確かにタミル映画として撮影した「ロージャー」や「ボンベイ」Bombay(1994)はヒンディー吹き替え版が北インドでもヒットしたが、タミル映画はやはり全国区ではない。彼が求めた世界観を描くには予算的にも全国区に打って出る必要があっただろうし、でなければシャー・ルクの起用にはならず、例によってアラヴィンド・スワーミーが主役でもよかったわけだ。
おそらく、この件に関しては、共同製作のシェーカル・カプールやラーム・ゴーパル・ヴァルマーからアドバイスがあったのだろう。シェーカルは「女盗賊プーラン」Bandit Queen(1994)で劇中舞台となったウッタル・プラーデシュ州のヒンディー方言で通してしまったが、ラーム・ゴーパルはテルグ映画界からヒンディー映画のボリウッドへ移って大成した人物だからだ。
先の言葉は、中央政府が推し進めたがるヒンディーの国語化に対しかつて暴動まで辞さなかったタミル圏をベースにするマニ・ラトナムのヒンディー映画進出に対する言い訳にも聞こえる。
シャー・ルクのキャスティングについては、マニーシャーにとって好都合であったろう。
アッサム州やラダックにおいて、ネパール出身の彼女はどのボリウッド女優よりしっくり来るキャスティングだが、冒頭の舞台となるアッサム州に隣接する西ベンガル州ダージリン地方のネパール系インド人が自治を主張、激しい抵抗運動の末、1992年にネパール語(ネパーリー)を公用語に加えることで一応の収まりを見せたゴルカ人民解放戦線(GNLF)の一件もあり、マニーシャーにとって分離主義テロリストを演じることはかなりの冒険であったはずだ。
なにしろ、当時、彼女の伯父はネパール首相再選を狙って奮闘の身(公開直前に再就任)。所属も、ガーンディー、ネルー、インディラらを掲げたインド会議派寄りのネパール会議派に属し、民主化後、初めての首相を務めたが、この民主化もインドの外圧があっての実現。その後も政権は安定せず、選挙の度に彼女が呼び戻されては票寄せパンダを負わされていた。一般のネパール人は反インド感情を持っており、インド側はその逆となる(実際、2000年末、ネパールでのリティク・ローシャン騒動の煽りを喰らって、彼女の出演した「Champion(チャンピオン)」がインド国内で右翼学生らによりボイコットされた)。
・・・と、いうような複雑かつ微妙な政治的立場にあり、その後もインド映画界に身を置かねばならないマニーシャーが、出演を決めるにあたって、ネパールでも人気のあるシャー・ルークが相手役なら、との条件を出したとも想像できる。彼の出演により娯楽映画という印象が多少強まるからだ。
さて、そのシャー・ルクであるが、演じるところはオール・インディア・レディオのレポーター兼ディレクター。分離主義ゲリラ基地の潜入レポートを物真似S.E.で煽って放送してしまう、例によってのC調ぶりを発揮している。
作家色の強いマニー・ラトナム作品だからと言ってもまったく異なるキャラクターであるわけではなく、むしろこのへんは当て込んだもの。「頭目(ビデオ化タイトル:ダラパティ 踊るゴッドファーザー)」Darapathi(1991)でもラジニーカーントの手ぬぐい芸が健在であったので、マニ・ラトナムはスターはスターらしく起用する一面もあるようだ(ただし、ラストで血まみれシャー・ルクが走っている車のボンネットへ転がるのはオーバー)。
それにしてもシャー・ルクは、毎度毎度のシャー・ルクらしさを見せながらも、本作に「DDLJ」(1995)や「イエス・ボス」Yes Boss (1997)など他の出演作をそのまま引き摺ったりせず、「国営全インド・ラジオ」のディレクター、アマルカント・ヴァルマーというキャラクターにしっかり見えるというのがさすがである。
この、アマルがラジオ・ディレクターであるという設定だが、テレビが普及していないだけではなく、ラジオであればクルーが不要で、彼が自由に彼女を追える、ということもあるだろう(もっとも、後にシャー・ルクが自ら製作した「Phir Bhi Dil Hai Hindustani(それでも心はインド人)」(2000)では、単独突撃TVレポーターを演じている)。
アマルの仕事ぶりからすると国営ラジオ局と言えどもかなりアバウトな印象を受けるが、オール・インディア・レディオはのどかなNHK的存在ではなく、必ずしも庶民の生の声を伝えるわけではない政府機関であることに留意しておきたい。DJのシーンなどアマルの自由な振る舞いは、財閥寄りの報道に対する一種のアイロニーを検閲でかわす役割を含んでいるのではないだろうか(ちなみに最近まで民間放送は認可されず、インド、ネパール、ブータンなどかなりの山間部でも受信出来るサテライトTVは、香港ベースで発信されている)。
取材中、アマルは彼女を見かけ、バスのステップに掴まって彼女が住む農村まで押しかけて口説きにかかる。 ここで、戒厳令下を逃避行する恋のイメージで綴ったミュージカル・ナンバー「心から」dil se re となる。撮影のサントーシュ・シヴァンは逆光、半逆光、ハイスピード、特殊効果(爆炎)を駆使し、映像の詩人と呼ぶべき仕事ぶりを見せ、「チャイヤ・チャイヤ」以上に印象的だ。
本作の撮影で触発されたのか、たまたまなのか、サントーシュは同年、自爆テロを命じられた女テロリストが農村に暮す人々と触れ合ううちに癒されてゆく「テロリスト」The Terrorist(1998)というタミル映画を製作・共同脚本・撮影・監督している。シャー・ルク・プロデュースによる話題作「Asoka(アショーカ)」(2001)でも監督を任されおり、そちらも楽しみである。
振付は「Dil To Pagal Hai(心狂おしく)」(1987)のファラー・カーンによるもので、先のふたつのナンバーの他、標高3500m以上(!)のラダックで撮影された「七色の影」satrangi re(いささか前衛舞踏的でいただけないところあり)、南インドの水辺でシャー・ルクとプリティーが踊る「燃える心」jiya jale(「頭目」と同じロケ地?*追記参照)などどれも工夫が凝らしてある。
マニ・ラトナムは、いわゆるマサーラー的な映画作りとは一線を画する試みを持ち、ラーム・ゴーパルらニューウェーヴ派と共通項が見られるが、ミュージカル・シーンに関して彼らは空想飛びはしないというルールを課していた時期もあり、その違いが興味深い。
インターミッション前、まさに辺境のラダックが舞台となる。この地は、もともとティベット文化圏で、カシミールをめぐってパーキスターンとの停戦ラインがあるかと思えば、中国の実効支配地区も迫り、対中共政府のティベット人ゲリラも潜伏する、長らく外国人旅行者には入域が許されなかった場所である。
ここで、しつこく付き纏うアマルにメグナが突然、悶絶し始め、なんとアゴが外れてしまう!(その前の、激高したアマルが無理矢理キスしてしまうシーンでも異変の予兆が見られる)
「開いた口が塞がらない」という表現があるが、テロリストに成らざる得なかった彼女のトラウマが体内の奥底から抜け出そうとするにしては、少々オーバーに思える。しかし、後半の回想で、彼女の村がゲリラに襲われ、姉も彼女もレエプされ(画面では暗示に留まっている)、この時、恐怖のあまりアゴが外れたのだった、と明かされる。
時に人間は、思いも寄らない残虐な行為を平然と犯すものだ。国連人権委員会に提出された報告では、タリバーン兵士が北部同盟との戦闘において大量虐殺の際、遺体の皮膚を剥がしていたと言うし、本多勝一著「検証カンボジア大虐殺」によると、ポル=ポト政権下のカンボジアでは(生前か死後か判らぬが)内臓が引き出され(兵士が肝臓を焼いて食べた)、人体のある器官に棒が突っ込まれたまま放置された女性の遺体が一体や二体ではなかった・・・。
画面には出せないそのような残虐行為があることを、メグナのアゴが外れるシーンは例えているのだろう。
ちなみに、ゲリラに襲われる少女時代のメグナに扮しているのは、「Khamoshi(沈黙のミュージカル)」(1996)でもマニーシャーの少女時代を演じていたプリィヤ・パルレーカル。あまりにもマニーシャーを想わせる可憐な美少女なので、続いてキャスティングされている。
ひたすら追っていたメグナがラダックの砂に夢と消えると、後半、アマルはあっさりとプリティーとの結婚に同意してしまう。それでいながら、目の前にメグナが現れると駆け落ちしよう、とさえ言う。この辺もインド人としては割合普通の感覚だと思える。
この国家を撹乱するようなテロリストと主人公の結婚が同時進行するというのも、さすがインド映画。
「ボンベイ」でムスリムとヒンドゥーの共存を異宗教婚の主人公たちに例えていたマニ・ラトナムであるから、本作もキャラクターにテーマが託されているはずだ。とすれば、当然メグナは分離主義、プリティーとの結婚は制度としての国家を臭わせるし、アマルは「インドはひとつ」と唱える(それもかなり楽観主義の)ナショナリズムだろうか。そう考えると、前半、お構いなしでひたすらメグナを口説きまくっていたアマルというキャラクターが見えてくる(彼の勤め先は、政府系「全インド・ラジオ」である)。
マニー・ラトナムがあえてインドと言うものを捉え直そうとしているのは、ロケ地からも伺える。
ウェットな森林山間部のあるアッサム、乾燥した沙漠がひたすら続くラダック、人工物を持つデッリー、燦然と陽光が輝く南インドと多様なインドの風景に展開するし、人々も普段のヒンディー語映画では見られぬ顔が映し出される。他には、シャー・ルクの出演作では「ラジュー出世する」Raju
Ban Gaya Gentleman(1992)の冒頭、ダージリン・ロケでのティベッタンやネパール系の顔、やはりアッサム州でロケされた「Daman」(2001)の地元ダンサーぐらいしか記憶がない。
ティベッタンがぞろぞろと見られるラダックなど「これがインド? インドは広過ぎて、ひとつには括れないのだから分離した方がいいのでは?」という声が聞こえそうだが、インド人から言わせると「この多様性こそインド」という返事が返ってくるに違いない(もっとも、分離独立を果たした元インド人であるパーキスターン人に言わせれば別だろう)。
ラストは、自爆テロに向かうメグナとアマルが爆発炎上してしまうというもの。
ヒロインがテロリストであるのは、1991年に起きたタミル・イーラム解放の虎(LTTE)によるラジーヴ・ガーンディー元首相爆殺事件を下敷きにしているため。身体に爆弾を巻き付けたヒロインを抱擁する主人公には、分離主義の問題を抱えながらも歩んでいかねばならないインドの姿が見て取れる。と同時にこの爆炎は、インドをはじめタイなどでも抗議の方法としても焼身自殺が多いこと、ヒンドゥーの因習である夫の死に際して妻も一緒に焼け死ぬというサティーも意味されていることだろう。
ここで重要に思えて来るのが、音楽を担当するA・R・ラフマーンがスーフィズムをベースに作曲したことだ。マニ・ラトナムは音楽を発注する際、シナリオは渡さず、口頭でミュージカル・シーンのイメージを伝えただけだと言う。そのためか、音楽はよりポップだったり、陶酔的だったりしながら、映画の核からどこか微妙に浮いている。
これは、ヒンドゥーとムスリムの共存という重いテーマに対して力み過ぎていた「ボンベイ」の反省があったのだろう(本作ではどうであった知らないが、日本では「ボンベイ」はごく一部を除き、インターミッションなく上映されたため、余計にヘヴィな印象を与えた)。本作では微妙に音楽が浮くことにより、観客をテーマにどっぷり浸さない効果を上げている。
ラフマーンは、マニ・ラトナムの提示したわずかなイメージを頼りに、全身全霊を神に捧げ、インスピレーションを得るというよりは、インスピレーションそのものになることにより音楽を現した。問題は、神への直接的なアプローチ、究極的な愛の献身を目指すこのイスラーム神秘主義が、ズバリ、本作の自爆テロ、更には対米同時多発テロを行い、世界を震撼とさせたイスラーム原理主義のテロリズムにオーバーラップすることだ。
もちろん、本作がテロを容認、支持するものではないが、それらの陰にもまた、人々の生活が織りなされていることは感じておきたい。
プリティー・ズィンターは、本作でデビュー。彼女は元々、シェーカル・カプール作品のためにキープされていたのだが、製作の遅れなどの事情で本作でデビューすることになったそうだ。
主役の3人以外、頻繁に見かける顔はないが、アマルの祖母役で達者な首振りダンスを見せるのは、「ミモラ」HDDCS(1999)でアイシュワリヤー・ラーイの祖母を演じていたゾーフラー・サイガル。
アッサム州の支局員のラグヴィール・ヤーダウは、アーミル・カーン製作の大作「Lagaan」ラガーン(2001)にも出演。B級スリラー「Tarkieb(方法)」(2000)では、偽の盲人を安っぽく演じている。
また、編集には、他のボリウッド作品では「Mohabbatein(愛)」(2000)あたりから使われ出したデジタル・ノンリニア・システムのAVIDが先駆けて導入されている。
インド国内の興行的には、年間トップ9と健闘した「ボンベイ」を下回り、12位に留まる。シャー・ルク、マニーシャーそれぞれの出演作の中でもヒット作とは言い難い。むしろ海外での評価の方が高かく、国内収益の約75%を英国で稼いだ(もちろん、海外収益は入場料の差を踏まえると国内の方が動員している)。
05.10.05 追記
列車ナンバー「chaiyya chaiyya」で、Film Fare Awardsの作詞賞(グルザール)、振付賞(ファラー・カーン)が受賞。A.R.ラフマーンが音楽監督賞、スクヴィンダール・シンが男性プレイバックシンガー賞をFilm
Fare Awards、Screen Videocon Awardsそれぞれダブル受賞している。
05.12.05 追記
列車上ミュージカルは、「Coolie(苦力)」(1983)の中でアミターブ・バッチャンと若きラーティー・アグニホートリーのふたりが踊る情熱ナンバー「accident hogaya(アクシデントしちゃったのヨ)」でも見られる。こちらは、平原を単調に進む蒲鉾屋根の貨車に平らな屋根を大道具でこしらえて踊り易くしてある。
*追記 06.11.03
NHKアジア・フィルム・フェスティバルにて上映された監督作品「ナヴァラサ」Navarasa(2005/タミール、英語、ヒンディー)のティーチ・インに来日した、本作の撮影監督サントーシュ・シヴァン氏に行った弊紙「ナマステ・ボリウッド」のインタビューによれば、「jiya jale」のロケ地は彼の出身地であるケララで撮影し、タミールナードゥ内だけの「頭目」とは異なるとのこと。
なお、「ナヴァラサ」は2007年3月に渋谷ユーロスペースにてモーニング&レイトショー公開される。
*追記 07.05.10
本作に詞を提供したグルザールは、もともと脚本家としてキャリアをスタートし、監督作も多数手がけている。マニ・ラトナム「Roja」(1992)の後に「Maachis」(1996)を発表したばかりか、本作と同じ自爆テロを扱った監督作「Hu Tu Tu」(1999)が本作の5ヶ月後に公開され、タッブーにFilm Fare Awards主演女優賞をもたらせている。
この他、本作の撮影を担当したサントーシュ・シヴァンも、女テロリストを主題に「マッリの種」The Terrorist(1998)を製作。関わったフィルムメーカーに、いろいろと創造をかきたてる撮影現場であったのだろうか。
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