Chingaari(2006)#211
Chingaari(閃光) 06.04.01 ★★★☆
チンガーリー
製作:ヴィカース・サハーニー/製作・原案・脚本・台詞・監督:カルパナー・G・ラージュミー/原作:Dr.ブペン・ハザーリカー「Postman & Prostitute」/台詞:アショーク・サウェーニー/台詞翻訳・助監督:ヴィシャール・ヴェルマー/台詞翻訳・詩・手紙文:タンヴィール・ドゥルラーニー/台詞翻訳:イラー・アルン、スシュミター・セーン/撮影:ヴィシャール・スィナー/詞:サミール/音楽:アーデーシュ・スリワスターウ/振付:ガネーシュ・アチャルヤー/アクション:ヴィクー・ヴェルマー/美術:ニキル・S・コーヴァレー/編集:ザファール・スルターン
出演:スシュミター・セーン、ミトゥン・チャクラワルティー、アヌージュ・サーウェニー、イラー・アルン、アンジャン・スリワスワーワ、ラヴィ・ゴーサイン、スニール・スィン、ヴィカーシュ・スリワスターウ、スレーシュ・アッバース、カクウィンデール・スィン、シャンカル・サーチデーヴァ、ジュムマー・ミトラー、アニター・ネーハー、プリティー・ジョーシー、プリティー・プラカーシュ、アシカー・スールヤヴァーシー、ベビー・スウィニー・カーラー
公開日:2006年2月17日(日本未公開)

(c)Venus Record & Tapes, 2006.
STORY
田舎町の赤線で働くバサンティ(スシュミター)は、子持ちの娼婦。郵便配達夫として新しく村へやって来たチャンダン(アヌージュ)と恋に落ち、結婚することに。だが、タントラ密儀によって村を牛耳り、彼女に入れ込んでいた司祭ブヴァン(ミトゥン)の怒りを買って…。
Revie-U
「Main Hoon Na(私がいるから)」(2004)の女教師チャンドゥニーが実に愛らしかったスシュミター・セーンの主演作。
ゲスト出演した「Kisna」(2005)に続く娼妓物と聞いて、カタック・ベースのムジュラー・ナンバル「chilman uthegi nahin」が「Devdas」(2002)を意識したイスラーム美術とサロージ・カーンの振付により鮮烈だったことも手伝って、荘厳の衣装を纏った高級娼婦の彼女を思い描いていた。
が、これは北インドの村にある娼窟が舞台とする最底辺で生きる女の物語であった。
冒頭、登場するスシュミターは、娼婦同士のつかみ合いに野次を飛ばし、妙にはしゃいでいる。ちょっと彼女の実年齢を考えると引いてしまいそうになるが、これは長い髪を三つ編みのお下げにしているところから、扮するバサンティは、まだ十代の少女という設定なのだろう。すでに4〜5歳の娘がいるので、恐らく十代前半には売られた身であることが伺われる。

(c)Venus Record & Tapes, 2006.
そんな彼女と恋に落ちるのが、郵便配達夫のチャンダン。都会から僻地の郵便局へ派遣された青年で、自転車を押して村々をまわり、文盲の娼婦たちに届いた恋文を読んで聞かせるのだ。と、ここまでなら「山の郵便配達」(1999=中国)となって、心温まる文化映画で終わってしまう。だが、そうとはならない。
ふたりの運命を打ち砕くのが、この村の実権を握るヒンドゥー寺院の司祭ブヴァン・パンダ。マハーラージと崇められるこの男、夜な夜な村の男達を集めては、横たわった死体の上で捧げられた生娘相手にシャクティのタントラ密儀を執り行う。

(c)Venus Record & Tapes, 2006.
日本にも真言立川流として伝わったこの密儀は、マディヤ(酒)・マンサ(肉)・マツヤ(魚)・ムドラー(穀物)、そしてチャンダーリーの娘とのマイトゥナ(性交)を用いたパンチャタットヴァ(五摩法)の儀式として知られる。
足早に説明すれば、ここでの女性は女性原理シャクティの人格化とされ、男はシヴァとなって、性交の忘我により宇宙エネルギーとの融合を目指す。
無論、欲望をコントロールし、聖なる意識を持続することは難しく、実際に多くの聖者が魔道に落ちている。本作に登場する司祭ブヴァン・パンダも、儀式だけでは飽き足らず、村の赤線に出入りするなど、真理の追究を標榜するタントラ・ヨーガが所詮、男性優位社会の産物でしかないことを示唆している。

(c)Venus Record & Tapes, 2006.
さて、この旺盛な性欲を撒き散らすタントラ司祭を演じるのは、ローカル映画界に君臨するミトゥン・チャクラワルティー!
国立映画研究所卒業後、「Disco Dancer」(1982)でスターに躍り出て、アミターブ・バッチャンやレーカーなどとも多数共演。その後、ホテル経営に進出した高級避暑地ウーティーを牙城に、「Aaag Hi Aag(火には火を)」(1999)などのB級C級アクション・マサーラーを怒濤の勢い(1997年には少なく見積もって年間8本!)で主演作をリリース!
ここへ来てサルマーン・カーン主演「Lucky」(2005)、アルジュン・ラームパール&ジョン・エイブラハム+アミーシャー・パテールをフィーチャールした「Elaan(宣戦布告)」(2005)などにもリスペクト・オファーされるなど、言わばソニー千葉と小林旭を足して2で割ったような存在で、御歳59歳ながら老いて尚、屈強な身体を晒してスシュミター相手に絶倫なところを見せつける。眼光鋭きタントラ司祭を演じられるスターは、そうそういないだろう。
反面、郵便配達役のアヌージュ・サーウェニーは棒術も難なくこなすものの、華がなく印象が極めて薄いのが難点。
監督のカルパナー・ラージュミーはグル・ダットの姪で、「Rudaali」ルダリ – 悲しむもの-(1993)が日本でもアジア太平洋映画祭で上映されている。
インド女性の人権向上を目指して製作されたラヴィーナー・タンダン主演「Daman(制裁)」(2001)はDV夫を刺し殺した妻の実話映画で国立映画公社と保健省が出資し、モチーフとなった事件が起きたアッサム州では免税で公開され、見事ラヴィーナーがNational Film Awardsを受賞。
しかしながら、カルパナーの演出には冴えがなく、ラヴィーナーの受賞にしても審議をめぐって審査員が辞める騒ぎがあったり、とあまり褒められた出来ではなかった。
そんな思いは「Daman」で音楽を提供したDr.ブーペン・ハザーリカも抱いたのか?、クライマックスを増強して本作の原作「Postman & Prostitute」を執筆した模様。この人はアッサム出身の音楽家で、10歳にしてアッサミー映画のフィルミーソングを吹き込み、「Chameli Memsaab」(1976=アッサミー)でNational Film Awards 音楽監督賞を受賞。その後、監督業にも進出している。
今回、カルパナーの演出は、かなり向上している。

(c)Venus Record & Tapes, 2006.
出色なのは、バサンティが娘を叱りつけるシーン。宵の口、娼館の玄関先にしゃがみ込んだ娘が鏡を覗き込んで紅をつけている。誰も彼女に構うことなく、足早に動き回っている。この時、キャメラはフルショットの画からゆっくりと横移動し、幼女へと近寄ってゆきながら、女としての本能が誰しも備わっていることを雄弁に語るのだ。残酷なことに、その前のエピソードで母親の商売がなんたるものであるか覗き見てしまったのを見せられているだけに胸を締めつける。
そして、充分にショットが語り終えた頃、バサンティが駆けつけては鏡を叩き落として叱りつけるのだ。 この後、泣き疲れて眠り落ちた愛娘を抱きながら、バサンティは呼び込みの口上を子守歌代わりに語り続ける。それは傷だらけの自分自身をあやそうとするかのように。
(ただ、この長い芝居も肝心のミキシングが今ひとつで、台詞と画の空気感が分離してアフレコが浮き上がってしまっているのが残念)

(c)Venus Record & Tapes, 2006.
こう書くと、「演技派に転向したがったスシューだが、やはり芝居は今ひとつ」という印象を与えるかもしれない。ここまでならオファーのあったラヴィーナーやビパーシャー・バス(プリティー・ズィンターはちょっと違うと思うが)、さらには「Raincoat」(2004)で貧乏暮らしに落ちぶれた人妻を演じたアイシュワリヤー・ラーイでも情感を揺り動かす程度には演じることはできるだろう。だが、スシュミターの本領が発揮されるのは、第3幕に入ってから。
郵便配達夫との結婚を妨害しようとした上、娼館を訪れた司祭が娘の名前を口にするや、それまで弱者であったバサンティが遂に逆ギレする。その場は大人しく退散した司祭だが、郵便配達を殺害。翌朝、彼女の元に花婿が贈ろうとしたシンドゥールが届けられる。バサンティは床にこぼれた真紅のシンドゥールに語りかけ、それを額へと塗り付ける。今は亡き恋人と結ばれた歓びと深い悲しみが綯い交ぜとなって笑い泣き、次第に感極まって、遂にカーリーが憑依! ドーラックを打ち鳴らしながら村人を引き連れ復讐へと向かうのだ!! 長い黒髪を振り乱し、三叉戟で突き殺しては舌を突き出して歓喜するスシュミターは、まさしくカーリーそのもの!!!

(c)Venus Record & Tapes, 2006.
サポーティングは、赤線の女将にプレイバックシンガーのイラー・アルーン。単なる遣り手婆でなく、バサンティはじめ娼婦たちを親身になって面倒をみるのが佳い。
カルパナーが助監督を務めたシャーム・ベネガル監督作「Mandi(女の市場)」(1983)、アニル・カプール N シュリーデヴィー主演のヤシュ・チョープラー監督作「Lamhe(ひととき)」(1991)、「七人の侍」の翻案「China Gate」(1998)などに女優として出演する一方で、作詞家として「Mandi」、「Grahan(日蝕)」(2001)などに提供。プレイバック・シンガーとして、サンジャイ・ダット主演「Khal Nayak(悪役)」(1994)のヒット・ナンバル「choli ke peechhe(チョーリーの裏には)」では、ニーナー・グプタのパートをプレイバック。今回は、スシュー同様、英語原作の台詞を自分でヒンディーに直している。
若人の恋を見守る郵便局長アンジャン・スリワスターワと、おかまちっくな靴屋チントゥー役のラヴィ・ゴーサイも印象に残る。
ちなみに、バサンティがチャンダンら村人たちと踊る「ramaiya vasta vayiah」は、ラージ・カプール主演「Shree 420(詐欺師)」(1955)の古典フィルミーソング。金持ちに出世してしまったラージをよそに下町の人々が和気藹々と踊り、心のよりどころとなる場面に使われていたナンバル。
厳しい現実に置かれたインド女性の問題提議をライフワークとするアルパナー・ラージュミーであるが、今回、タントラ・ヨーガを取り上げたのはどこまでその思想性を考慮してのことだろうか。
インド人は、この世をマーヤー(幻)と見ると言われるが、タントラ思想の特色は「今いる現実世界から目をそらさずに生きていると信じるところにある」という。また、「人は自分を倒す相手と利用して起き上がらねばならない」、「われわれをがんじがらめにしている人間の本性的な側面そのものが、実は解脱への踏み石になりうる」とも説かれる。
果たして、バサンティはブヴァン殺しを通して、自分と愛娘の人生を建て直したのだった。
(参考文献:「タントラ 東洋の知恵」アミット・ムケルジー著/松長有慶訳/新潮選書)
*追記 2011,02,25
>カルパナー・ラズミー
次回プロジェクトには、ディピカー・パドゥコーンを念頭に置いているとのこと。ただ、ディピカーのスケジュールが空かず、最低1年は延期される模様。
>イラー・アルン
歌手として「Raavan」ラーヴァン(2010)に参加。女優としては「ぼくの国、パパの国」East is East(1999=英)の続編「West is West」(2010=英)に出演。10年後に一家でパキスタンへ旅する内容。オーム・プリー、ジミー・ミストリー他、オリジナル・キャストを揃え、前作の直後にそのまま撮影したようなタッチが佳い。
ただし、日本でのミニシアター系失速から劇場公開はまだ未定。

(c)Venus Record & Tapes, 2006.