Ahista Ahista(2006)#032
Ahista Ahista(ゆるやかに)/2006 06.10.05 ★★★★
アヒスター・アヒスター
製作:アンジュム・リズヴィ/監督:シュイーヴァム・ナーヤル/原案・脚本:イムティアズ・アリー/台詞:アリーフ・アリー/追加台詞:ラジーヴ・B・メノン/撮影:プラカーシュ・クッティー/作詞:イルシャド・カミル/音楽:ヒメーシュ・リシャームミヤー/振付:アシュレイ・ロボー、ラヴィ・ボタルジェー/背景音楽:アビシェーク・ラーイ/音響監督:ラーケーシュ・ランジャン/編集:プラヴィン・アングレー/美術:クナール・ランジャン、スミート・ミシュラー
出演:アブヘイ・デーオール、ソーハー・アリー・カーン、カーミニー・カンナー、ソフラブ・アルデシール、ムラード・アリー、シャキール・カーン、ナターシャー・スィナー、ブリジェンドラ・カーラー、サントーシュ・D、スクヴィンダール・スィン、サジーヴ・グプタ
特別出演:シャヤーン・マンシー
公開日:2006年8月18日(日本未公開)
STORY
デリーの婚姻登記所を根城にする立会屋アンクシュ(アブヘイ)は、駆け落ちしたものの夫となる男が姿を見せないメガー(ソーハー)のセワを焼くうちに彼女と恋に落ちる。しかし、ある晩、彼女の婚約者デーラージ(シャヤン)が現れ・・・。
Revie-U *結末に触れています。
インドにはいくつかの結婚のパターンがあるが、婚姻届だけを提出して済ます「書類婚」もある。
顕著な例では「ボンベイ」Bombay(1994)で、ヒンドゥーとムスリムという障壁からボンベイに駆け落ちしたアラヴィンドスワーミーとマニーシャー・コイララは、ヴィクトリア・ステーションで落ち合ったその足で役所へ行き、彼の同僚3名を立会人として婚姻届を出して夫婦となった。
スターダムにのし上がったアイシュワリヤー・ラーイと彼女を売り出したアニル・カプールが結ばれようとする「Taal(リズム)」(1999)のクライマックスも役所に婚姻届を出す直前であった。
本作も、そんな婚姻登記所が舞台となる。
冒頭、申請を済まし晴れて夫婦となったカップルに少女が花を売りに走り寄る。次に声を掛けるのが記念写真屋で、そして役所の前で客待ちしていた楽団が祝福の生演奏で盛り立てる。
それらが示された後、登場するのが本作の主人公アンクシュ。役所の入口で所在なげに人を待つカップルへ、200ルピーで立会人を請け負うと告げるのだ。
このアンクシュを演じるのが、アイーシャー・タキアとの共演作「Socha Na Tha(考えてなかった)」(2005)でデビューを果たしたアブヘイ・デーオール。
名前から察する通りデーオル一族で、「炎」Sholay(1975)で知られる大スター、ダルメンドラがチャーチャー(父の兄)、サニー・デーオールとボビー・デーオールがチャチェーラー・バーイ(父方の従兄弟)、ヘーマー・マーリニーがチャーチー(父方の伯継母)、イーシャー・デーオールと「Na Tum Jaano Na Hum(君も僕も知らずして)」(2002)のアハナー・デーオールがチャチェーラー・バヘン(父方の従姉妹)となる。
さて、そのアブヘイであるが、表情もよく、芝居もナチュラルで好感が持てる。キャリアが浅いため、声に弱さを感じるが、市井の人間を演ずるには相応しいキャラクターだろう(無論、本作では人間機関車ぶりも、鼻の下を伸ばしたプードル顔も出て来ない)。
なにより収穫であるのは、若かりし頃のダルメンドラをサニーやボビーより彷彿とさせるところだろう。もっとも、ずんぐりむっくりするかなり前の、「Majhli Didi」(1967)あたりの彼の甘いマスクを知らないと、アブヘイは単なる濃い目の好青年にしか見えないだろうけれど(苦笑)。
そのダルメンドラ効果を相乗させるのが、ヒロインのソーハー・アリー・カーン。ご存知サイーフ・アリー・カーンの妹であるが、母親は往年の大女優シャルミラー・タゴール。60年代にダルメンドラとシャルミラーは「Mere Hamdam Mere Dost」(1968)、「Yakeen(頼)」(1969)、「Satyakam」(1969)などで共演しており、まさに「Mughal-E-Azam」(1960)のカラー版よりもリアルに現代へ蘇った若かりしふたりを見るようで喜ばしい。
チャメリ(ジャスミン)の花飾りに純白の衣装に身を包んだソーハーは実に可憐で、茶髪に飲酒が当たり前となった昨今のボリウッド・ヒロインからすると眩いほどの清楚さを漂わせ、シャルミラーから譲り受けた高貴な眼差しも観る者を惹きつけることだろう。
母シャルミラーは、「An Evening in Paris」(1967)における悩殺ダンス・ナンバル「zubi zubi」など今日でこそ標準の露出度も辞さない時期もあったが、
70年代は文芸映画にも出演。地味な役も多くこなしている。
ソーハーは、この点どうだろうか。
ついでに言えば、インド女優として致命的なリズム感のなさであろう。本年前半のメガヒットとなった「Rang
De Basanti(浅黄色に染めよ)」(2006)では、はしゃぐ場面でのあまりの間の悪さに大いに興醒めさせられてしまったが、本作のコレオグラファーは賢明にもミュージカルはあってもダンスは一切振付していない(これはアブヘイも同じ)。
登場シーンにおけるメガーの衣装は、花嫁の初々しさを漂わせる一方で、インドにおいて白は寡婦が着用する不吉な色とされる。案の定、婚約者は夕方になっても姿を見せず、立会人として声をかけたアンクシュが彼女に頼まれ、故郷の彼の実家に電話を掛けるものの、男は不在であった。
書類婚祝福関係で生計を立てる仲間と共同生活しているアンクシュには未婚の若い女性を匿ってやれるだけの器量がなく、メガーはミッション系看護院に滞在することになる。生き馬の目を抜くデリーだけに?、介護を手伝うにも関わらず、1ヶ月のデポジットが1万ルピーもかかる。
これを聞いたアンクシュが、友人ズルフィ(シャキール・カーン)を通して犬猿の仲である彼の母親(「たとえ明日が来なくても」Kal Ho Naa Ho」のド音痴姉妹、カーミニー・カンナー)から借り出して肩代わりするが、すぐに露呈。金策に困ったアンクシュは、銀行の新規勧誘のセールスマンに商売変えをする。立会屋として書類にサインするだけで200ルピー稼げるわけだが、当然商売敵もいるわけで(ただし、本作では特に登場しない)、銀行口座を開設させて500ルピーのコミッションを頂くというのはおいしいのだろう。
監督のシュイーヴァム・ナーイルは本作がデビューとなる。小氣味よく綴られるオープニング・タイトルバックからしてセンスの良さを感じさせるし、実際、細やかな演出を施している。
例えば、チャイ屋で寛ごうとしたアンクシュが先のメガーを見るなり、チャイ売りの少年に言付けして小グラスのチャイをテーブルに残し、先客を逃すまいと彼女に歩み寄る。それでいて、悪名高きインドの物売りよろしく執拗に売り込むわけではなく、「よければ、チャイ屋にいるから呼んでください」と爽やかに引き下がる。ゴーヴィンダやシャー・ルク・カーンのように押しが強いわけではないが、庶民らしくこまめに鼻を効かし、商機とあらばすかさず行動に移す。
宿屋から追い出され、途方に暮れる中、出会ったばかりのアンクシュはメガーを引き連れ、ダルガー(イスラーム聖者廟)を詣で祈りを捧げる。この短い描写からも彼の誠実さが見てとれる。
ボリウッド映画はえてして主人公の職業的背景がすっぽりと抜け落ちていることが多々あるが、本作で見るようにその仕事ぶりや行動様式から登場人物のキャラクターをよく伝え得ることができるのだ。
このへんは、脚本のイムティアズ・アリーの功績もあるだろう。彼は、「Black Friday」(2004)に出演する一方、フィルムメーカーとしてアブヘイのデビュー作「Socha Na Tha」(2005)で脚本・監督・編集にも進出。本作では、後半に歯がゆいねじれを用意してみせる。
アンクシュは面会した際、メガーが日記を読むのをヒントに、かつて立ち会った夫婦の下を訪ね、次々と新規顧客を獲得し、瞬く間に地区管理人のポストにまで昇進。
はじめは「君に恋したりしない」と言っていたアンクシュだが、自分を変えるきっかけとなったメガーを愛しく想いはじめ、また彼女も献身的に支えようとする彼に心を寄せてゆく。
アンクシュの独白ナンバル「ahista ahista」明けのある晩、神父からも彼女との交際を容認され、浮かれて寝ぐらへと戻ったアンクシュを待っていたのが、メガーの婚約者デーラージ。
演ずるのは、「Jankar Beats」(2003)でウブなバンドマンを好演していたシャヤーン・マンシー。今回は特別出演扱いとなっていて、無精髭も手伝ってワイルドな雰囲気さえ漂わす。
彼女を捨てた婚約者が、はっとするようなイケメンだけに分が悪いと思ったのか、アンクシュは彼に電話をしたことはないと嘘をつく。そればかりか、執拗に彼女を探し続けるデーラージに遂には偽造の検死記録を手渡し、彼を暗に追い返そうさえする。
これはひとえに、駆け落ちまでしようとしたメガーに対する氣後れであろう。このヒーローにあるまじき行為が、アンクシュから幸運を取り逃し、同時に映画のエモーションを失速させてしまう。
メガーは自分を捨てたと思っていたデーラージが実はデリーへ向かう列車でRDX爆弾を仕掛けたテロリストと間違われ、警察に囚われていたことを知るや、今までアンクシュに抱いていた信頼も希望も揺らいでゆく。
メガーとの婚姻届けを出そうとした朝、登記所の前で独りたたずむのはアンクシュであった。やがて、現れても「どうしていいか、わからいの」と言う彼女からそっと身を引いてしまうのだ(もうひと押しだったのに!)。
場面は変わって、デーラージとメガーが婚姻届を提出する。
この時、立会人としてサインするのがアンクシュであった。デーラージは彼に礼を言いに歩み寄るが、アンクシュはひとこと「200ルピー」と答える。
その名から連想するように、実にun-khushi(幸運)な男である。おそらく彼は生涯立会屋として幸薄く終わるであろうし、デーラージとメガーにしてもその結婚生活にやがて重く暗雲が立ちこめることであろう。
「Pyaar Diwana Hota Hai(恋に狂って)」(2002)や「Kyon Ki…(なぜならば…)」(2005)のような、南インド産映画のリメイク物のように思える、やるせないエンディングであった。
デリーの下町をふんだんに使ったロケーションが旅情を誘う他、フィルムスターのポスターなどを用意した登記所周辺の美術も目を楽しませてくれる。
ラーケーシュ・ランジャンによるオリジナル・スコアは心地よく、ヒメーシュ・リシャームミヤーのフィルミー・ナンバルも効果的。ただし、野太い彼の声を何曲も聴かされるとやや単調に思えてならないが。
途中、朝方の会話シーンで「コイラ」Koyla(1997)から滝壷ナンバル「tanhai tanhai」のイントロが薄く流れるのは何故?
*追記 2010.10.25
原作は「Saawariya(愛しき人)」(2007)と同様、ドストエフスキーの「白夜」。