Karobaar(2000)#193
Karobaar(愛の取引) 06.02.10 ★★★
カーローバール
製作:ゴーヴァ/監督:ラーケーシュ・ローシャン/脚本:サチン・ボゥミック、ラヴィ・カプール/台詞:サーガル・サルハーディー/撮影:サミール・アールヤー・音楽:ラージェーシュ・ローシャン/作詞:ジャーヴェード・アクタル/振付:サロージ・カーン、チンニー・プラカーシュ、ラージュー・カーン/背景音楽:スリンデール・スィン・ソーディー/美術:R・ヴェルマン/編集:サンジャイ・ヴェルマー
出演:リシ・カプール、アニル・カプール、ジュヒー・チャーウラー、ティヌー・アナン(=アーナンド)、アシーフ・シャイク、ヒマーニー・シヴプリー、スレーシュ・チャトワル、アスラニー、スルバー・デーシュパーンディー、プリヤー・アローラー、ディニーシュ・ヒングー、ラーム・モーハン
ゲスト出演: ナヴィン・ニスチョール
公開日:2000年9月15日(日本未公開)
STORY
ラジーヴ(アニル)とシーマー(ジュヒー)の息子ローヒトが欧州帰りにヘロイン密輸容疑で逮捕されてしまう。しかも、裁判の担当地検がシーマーの前夫アマル(リシ)と判って・・・。
Revie-U *結末に触れています。
リティク・ローシャンの父親であるラーケーシュ・ローシャンがメガヒット「Kaho Naa…Pyaar Hai(言って…愛してるって)」(2000)に続いて放った本作。「The Business of Love」というサブタイトルがポイント。黄金のコインがまわり続けるCGIのオープニング・タイトルバックは、「Lagaan」ラガーン(2001)に先駆ける。
冒頭登場するアニル・カプールとジュヒー・チャーウラーは、ともに白髪メイク。またまた「Bulandi」(2000)同様、アニルが息子役も同時に演じるのかと邪推してしまうが、それは当たらずとも遠からずだった…。
スィナー(=シンハー。またはセナーに近い発音)夫妻の難儀が示された後、地検事務所に裁判の知らせが届く。ここで登場するのが、クレジットもトップ・ビリングのリシ・カプール。「酔いどれ天使」(1948=東宝)+「醜聞」(1950=松竹)の志村喬よろしく無精ヒゲと酒の飲み過ぎでヨレヨレ。このアマルはさっそく証拠隠蔽に動く。そして、裁判所へ向かうタクシーの中で、回想となる。
なんとこれが、中年太りのリシ本人が青年期をそのまま演じてしまうというもの! それに疑問すら抱かず、ジュヒー扮するヒロインのシーマーはアマルと恋に落ちてしまうのだ(ふたりのミュージカル・ナンバル「chahiye milne ka bahana」と「sonuna sonuna」の2曲あり)。
さて、ここで恋の宿敵となるラジーヴの登場。のっけから自家用ジェット機(!)で現れ、白人スチュワーデスといちゃつき合う、大富豪にして女っ垂らしという設定。ミス・インディアの授賞式でプレゼンターを務めた後、ラジーヴはブティックでドレスを品定めするシーマーを見初めてしまう。この時のアニルの品のない目つきから、どうしても「Chhupa Rustam(大勇者)」(2001)の愚弟サンジャイ・カプールを連想してやまない。
ちなみにリシは、ボリウッド生え抜きの映画一族であるカプール家出身で、かのラージ・カプールの次男。カリシュマーとカリーナーのチャーチャー(父方の伯父)にあたる。共演のアニルは、一部のインド映画本では名門カプール家とされているが、ラージ・カプールの血筋ではない。もっとも父も兄も法律内姉も弟もボリウッドワーラー(ボリウッド映画人)であるからして高等映画一族には変わりない。
運命の悪戯か、ラジーヴはアマルの旧友であった。
シーマーがアマルの「友人」と知ったラジーヴは自分の財力を見せびらかすためにその場で「ちょっと出かけよう」と、ふたりを伴って自家用ジェット機で南アフリカまでリゾートの旅へ(一部、ケニア・ロケ)。
ここでホテルのプールを使ったサービス・ショットとなり、ジュヒーは健康的な豊満ボディを披露。一方、アニルは海パンで肩毛(!)。リシはというと、さすがにタンクトップを着込んでお腹の脂肪を隠しているものの、記念写真を撮ろうとしたシーマーが一瞬、見劣りするアマルから水も滴るダンディなラジーヴに目が移ってしまう。
ラジーヴの富豪ぶりは徹底していて、旅の記念に「小さな贈り物」として金のネックレスをシーマーにプレゼントする始末。これに庶民のアマルが「引けて」しまうのだが、かえってラジーヴの富豪を鼻にかけたアプローチがふたりを押しやって結婚に。
だが、シーマーの母が「娼妓」上がりだったことから、アマルは兄の家を追い出され孤立する。 ラジーヴの横恋慕はさらに続き、シーマーの誕生日に部屋一杯の花束を贈ったり(角川映画「汚れた英雄」でも同様のスケッチあり)、バス待ちしているシーマーを見かけるや、金色のリボンをつけた(!)乗用車をプレゼントしたりする(1リッタークラスの大衆車と言えど、日本円にして税込み1000万円ほどに相当)。
このエピソードは、やはり富豪の主人公アルジュン・ラームパールが庶民のアイシュワリヤー・ラーイに横恋慕する「Dil Ka Rishta(心のつながり)」(2003)でも引用されていた。
それにしても、回想が実に長い。
ラーケーシュの演出も古臭く思えてならないのだが、実は「Kasam(誓い)」(2001)同様、制作が滞りオクラ入りしていた作品。息子リティクのメガヒット・デビュー作「KNPH」の余勢に預かろうと急遽仕上げてリリースしたということらしい。なにしろアニルの髪形が80年代末から90年代前半にかけて流行った襟足の長いボリウッド・スタイルだったり、ちらりと登場するディニーシュ・ヒングーの頭に毛があったりするところから、90年代中盤の撮影だろうか。
話題のテコ入れとして「リティクがアシスタント・ディレクターとして参加している」と喧伝されたが、本人が登場しているわけでもないので効果は上がらず(そもそもノン・クレディット)、年間34位。リティクは「Karan Arjun」カランとアルジュン(1995)の現場にも参加していたという。
音楽も例によってラーケーシュの弟、ラージェーシュ・ローシャンの手によるもの。フィルミーソングのクラブ・ミュージック化が当たり前の今からするとアナログテイストな編曲が心地よく耳に響く。
ラジーヴからの嫌みなプレゼントを突き返したアマルは、帰り道にバスに轢かれて(!)重体となる。ここで医者から手術代として50万ルピーを要求され、シーマーはアマルの兄や自分の母に無心するも断られる(第一、庶民にそのような金が工面できるはずがない)。そこでシーマーは愛するアマルを救うため、恋敵であるラジーヴへ自分を「売り」に行くのだ。
「さあ、好きにしていいわ」と目を閉じ立ち尽くすシーマーに近づいたラジーヴは、5ラーク(50万ルピー=2000年1月のレートで126万円。物価換算で633〜1260万円)の小切手を差し出す。ここのアニルは邪(よこしま)な眼差しは微塵もなく、嫌みな振る舞いから一転、道義的人格者となるのは相手を立てるライバル出演の常道である。この時期、アニルは「Mann(想い)」(1999)、「Taal(リズム)」(1999)と引き立て役が続いている。
これでは、駆け落ちしたアーミル・カーンが重傷を負って、断絶した父親に手術代を無心したカリシュマーに激怒してしまう「Raja Hindustani(ラージャー・ヒンドゥースターニー)」(1996)と同じ展開ではないか、と思ってしまうのだが、この映画が本当に面白くなるのは、ここからである。
手術は、無事成功。手術代は、親戚が工面してくれたことにされる。仕事に復帰したアマルが担当する裁判が、なんとラジーヴの殺人容疑! 彼の邸宅でミス・インディアが暴行された上、殺害された事件が起き、元運転手がラジーヴと彼女の情事を目撃して写真に収めていたのだ。
これは、シーマーに袖にされた痛みから酒に溺れたラジーヴが彼女をシーマーに重ね合わせてコトに及んでしまったのだった(アリーシャ・チノイの吐息をフィーチャルした欲情ナンバル「moujo mein ay sanam」)。
そう言えば、アニルは「Zindagi Ek Juaa」(1992)のガレージ・ナンバル「dil to dil hai」でもマードゥリー・ディクシトに踊りながら言い寄られたところを写真に撮られている。意外に脇が甘く、女好きだったりする軽いキャラクターが「No Entry」(2005)でも違和感なく発揮されメガヒットにつながったわけか?
アマルにとって、ラジーヴは宿敵である。彼を貶める絶好のチャンスとなる。
ラジーヴにはアリバイがあるものの、それを口にすることは出来ない事情があった。ここで彼の無実を晴らすため、証人台に登るのが、アマルの妻であるシーマーである。
実は、夫の手術代を無心するためラジーヴを訪ねたのが、事件の起きた夜であった。しかも、その晩は街で暴動が起きており(!)、小切手を手にしたものの、警官から外出禁止を言い渡されたシーマーは歩いて病院へ行くことが出来ない。そこでラジーヴに車で送ってもらったのだった。これを裏付ける警官の証言もなされ、ラジーヴは晴れて無罪となる。
だが、納得できないのはアマルの方だ。あれだけシーマーに入れ込んでいたラジーヴが金と引き換えに何もしないわけはない。現に、5ラーク・ルピーの札束をシーマーの母親の目の前に積んで彼女との結婚を「買い取ろう」とまでした輩だ。
ランカー島から戻った妃シーターの貞淑を疑い、妻を焼き殺したラーマ王同様に、アマルはシーマーを追い出す。彼女は間もなく路上に倒れ、子種を身ごもっていたことが判る。しかし、アマルはこれも「ラジーヴの子だ」と拒絶し続ける。
長い回想が終わって、ようやくタクシーが裁判所へたどり着く。
「Kuh Kuch Hota Hai」何かが起きてる(1998)や「家族の四季」Kabhie Kushi Kabhie Gham…(2001)のような前半がほとんど回想、という構成ではなく、いやはや全体の8割が回想!!! それ故、公開にあたって回想なしだった当初の脚本に苦肉の策で現代シーンに挟み込むことにしたのでは?などと思ってしまう。
さて、ラジーヴとシーマーの「息子」の裁判である。ここで熱弁を振るうリシは、さすが往年のボリウッド・スターの実力を感じさせる。しかし、中年太りのまま青年役を延々こなしてしまうのは、いかがなものか。「ボビー」Bobby(1973)の影響力故に許されるのだろうか? と思いを巡らせていると、リシ・カプール起用の理由がここになって示されるのだった。
なんと、「息子」として登場したローヒトは、リシ本人の若かりし頃の映像?!?ではないか!!! デジタル処理により同一フレームに収まったやや若きリシと老いたリシがなんとご対面。これには愕然とするアマル以上に驚かされてしまう。
真相はというと、アマルに捨てられたシーマーをラジーヴは引き取り、名前だけの結婚をしていたのだった。あくまで道義的なヒーロー像である。そして、ローヒトの事件も元運転手親子が仕組んだものと判明。アマルはシーマーを抱き寄せたばかりか、掟破りの二役である若かりし頃のリシともしっかり抱き合ってめでたし、めでたし。
サポーティングは、ラジーヴに怨みを抱く元運転手ラームラール役に、「Ghaath(殺人)」(2000)のティヌー・アナン(=アーナンド)。ねずみ男顔に相応しい下劣漢ぶりを見せる。その息子に「Karan Arjun」のアーシフ・シェイク。
アマルの兄に「Munna Bhai M.B.B.S.(医学博士ムンナー兄貴)」(2003)の人質男スレーシュ・チャトワル。その妻、「Hum Kisise Kum Nahin(僕らは誰にも負けない)」(2002)のヒマーニー・シヴプリーもこの時期だけにかなり高飛車である。
アマルの友人にしてラジーヴの部下チャンパックに「Lajja(恥)」(2001)のアスラニー。舞踊の師匠をしているシーマーの母役に「G.air(除け者)」(1999)のスラバー・デーシュパーンディー。ラジーヴとデキてしまうミス・インディア役にプリヤー・アローラー。
シーマーの勤め先代表に「Jaani Dushman(命敵:奇譚篇)」(2002)のディニーシュ・ヒングー。アマルの上司に「Jung(闘い)」(2000)のナヴィン・ニスチョールが配役されている。
南ア旅行中の仮面群舞ナンバル「duniya mein sabse」の美術は「Khal Nayak(悪役)」(1994)に通ずるものがあるが、リシの二役が要になっていることから、ボリウッドでデジタル合成による二役物が流行った1997年あたりに撮影されたと思われる。ラーケーシュのフィルモグラフィからすると「コイラ」Koyla(1997)から2000年の「KNPH」まで間があるし、ロバート・レッドフォード&デミ・ムーア主演「幸福の条件」(1993=米)を下敷きにしていることからも「King Uncle」(1993)以前とは考えにくい。
ちなみに 「Dil Ka Rishta」も本作を下敷きにしたようで、主人公のアルジュンが同じく南アフリカでビジネスをしている設定になっている。
興業成績は、33位「Ghaath」に続く客入り。プリティー・ズィンターが未婚の母を演じた「Kya Kehna(なんと言っても!)」(2000)より動員しているというのには恐れ入る。これもリシのスターヴァリューであろうか(20位後半以下は五十歩百歩であるのだけれど)。
*追記 2011,02,07
>プリヤー・アローラー
プリヤー名義でクレジットされているミス・インディア役は、なんと「Taare Zameen Par(地上の星たち)」(2007)の母親役ティスカー・チョープラー。
アニルを邸宅のプールから艶めかしく誘惑する水着ナンバルが「moujo mein ay sanam」。酔ったアニルの妄想シーンでもあるので、彼女と入れ替わり立ち替わりでもちろんジュヒーも水着で登場。
>リシ本人が青年期をそのまま演じて
リシとジュヒーが出会うスケッチでは、停電してリシがヒューズを取り替えるというもの。これもヴィッディヤー・バーランがヒロインを演じたリメイク版「Parineeta(既婚女性)」(2005)でサンジャイ・ダットの初登場シーンに先駆ける。
>兄の家を追い出され
追い出されたふたりが暮らすのが、家具もないビルの最上階。と、ここでもヴィヴェーク・オベローイ N ラーニー・ムカルジー主演「Saathiya(伴侶)」(2002)を先駆ける。これの原版はマニ・ラトナム監督作「Alaipayuthey(さざ波)」(2000=タミル)でリリース(封切り)年こそ同じだが、本作が遅れて公開されたことを考えると、こちらの方が<早い>ことになる。
>自分を「売り」に行く
窮地に陥り、妻が夫と仲違いした親友に出向くのと、敵対した親友が弁護士で裁判で不利に仕掛けるのでは?と思わせるのは、アミターブ・バッチャンとシャトルガン・スィナー(「Dabangg」ソーナークシー・スィナーの父)主演「Dostana(友情)」(1980)に通じる。
監督ラーケーシュ・ローシャン、脚本がサチン・ボゥミックとラヴィ・カプールという組み合わせは「Karan Arjun」カランとアルジュン(1995)や「コイラ」Koyla(1997)という快作があるにも関わらず、本作は不作となった。
サチン・ボゥミックはその後も「Koi…Mil Gaya(誰か…みつけた)」(2003)や「Krrish」(2006)などにも参加。
ちなみにリティクのデビュー作「Kaho Naa…Pyaar Hai」(2000)は、1998年にクランク・インしている。