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Guzaarish(2010)#197

2011.02.11
オススメ度 =陳腐 ★★=退屈 ★★★=平均点 ★★★★=面白い! ★★★★★=お気に入り!!

Guzaarish

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「Guzaarish(要望)」★★★★
グザーリシュ

製作・脚本・監督・音楽監督:サンジャイ・リーラー・バンサーリー/製作:ローニー・スクリューワーラー/脚本・台詞:バヴァニー・アイヤール/台詞・作詞:ビブー・プリー/撮影:サンディープ・チャッテルジー/作詞:トゥラーズ/背景音楽:トゥビー-パリク/衣装デザイン:サビヤサッチ/アクション:シャーム・コォーシャル/振付:ポニー・ヴェルマー、アシュレイ・ロボ、ロンギヌス/プロダクション・デザイン:アクロポリス、スミット・バス、スニグダー・バス、ラジニーシュ・ヘーダオー/編集:へーマル・コーターリー

出演:リティク・ローシャン、アイシュワリヤー・ラーイ・バッチャン、シェールナーズ・パテール、アディティヤ・ローイ・カプール、ナフィサー・アリー、モーニー・カングナー・ダッタ、スヘール・セート、アッシュ・チャンドレー、ラジート・カプール、マクランド・デーシュパーンディー

公開日:2010年11月19日(日本未公開)/109分
Screen Awardsベスト・ジョーリー(カップル)、背景音楽賞、助演女優賞(シェールナーズ・パテール)
Zee Cine Awards批評家選主演男優賞、批評家選主演女優賞、美術監督賞

Guzaarish

(C)UTV Motion Pictures, 2010.

STORY
天才的ダンサー兼マジシャンのイータン(リティク)は、14年前に起きた事故により四肢麻痺に陥り、首から下は自分で動かすことはできない。12年間、介護人ソフィア(アイシュ)に身の回りの世話を受けながら、レディオ・ズィンダギのRJとしてゴアの人々に勇氣と希望を与えてきた。だが、ある日、彼は友人である弁護士デヴィヤーニー(シェールナズ)に安楽死の申請を依頼する…。

Revie-U
ゴアを舞台に人生に翻弄される一家を<神>の視点から鮮やかに描いたKhamoshi(沈黙のミュージカル)」(1996)、マジック・ショーのステージ・セットが耽美を極めたドストエフスキー原作「白夜」の映画化Saawariya(愛しき人)」(2007)、絶対的な苦難を歩む主人公がインド版「奇跡の人」の「Black」(2005)、そしてヒロインがミモラ 心のままに」Hum Dil De Chuke Sanam(1999)とDevdas(デーヴダース)」(2002)のアイシュワリヤー・ラーイ・バッチャンとあって、ボリウッドで最も作家性の強い監督サンジャイ・リーラー・バンサーリー(SLB)の集大成と言える本作。

SLB作品初出演となるリティク・ローシャンの役どころは、四肢麻痺にある元マジシャンのイータン・マスカレーナス。その役名は「イユートネシア(安楽死)」に由来し(劇中、「イートネシア」と使われる)、ファミリー・ネームの「マスカレーナス」もゴアだけに「マスカレード(仮面劇)」を連想させ、四肢麻痺はひとつのメタファーであり、誰もが持ちうる「死」の問題を題材としている。

Guzaarish

(C)UTV Motion Pictures, 2010.

映画は、ソフィアが毎朝行うイータンの介護シーンから始まる。あの逆三角形の肉体を誇るリティクがチン・コントロール(ストロー式ジョイスティック)の電動車椅子で移動する主人公に扮する。
イータンは<レディオ・ズィンダギ(人生)>のRJ(レディオ・ジョッキー)としてゴアの人々に生きる希望を与えて来た。
14年前に起きたマジック中の<事故>で四肢麻痺となったものの、7歳のクリスマスに初めて行ったマジックが母の前でコインの雨を降らせたことではなく落ち込む母の顔を笑顔に変えたという、生きる喜びが彼のマジックの根底にある。

冒頭、鼻に止まったハエを追い払おうとする彼が見せた笑顔はすべてを受け入れた笑みに見えたが、それはハエひとつどうすることも出来ない自分への嘲りであり、安楽死の申請に至る。
つまり、自分の命を絶つことも自分では出来ないのだった(舌を噛み切るということは出来るだろうが)。

これはSLBが追い続けて来たひとつのテーマでもある。
監督デビュー作「Khamoshi」で、ちっぽけな人間は人生の運命を自分ではどうすることも出来ない様が神の視点から描かれたかのように思えたものだった。しかし、娘であるマニーシャー・コイララの生命が回復した時、父親ナーナー・パーテーカルが神に感謝した場面が用意されていた「Khamoshi」とは異なり、本作では同じゴアを舞台に多くのクリスチャンを登場させながらもそのような場面はない。むしろ、安楽死申請についてリスナーとの公開討論で、尼僧が電話先で賛美歌を歌うなど、人心とのかけ離れた様が描かれるくらいだ。

そんなイータンの下に、弟子入り希望の若いマジシャン、オマールが転がり込んでくる(師匠と弟子ということでも「ミモラ」に通ずる)。
だが、彼にはイータンの考えを変えるほどの<マジック>はなく、まわりが彼の安楽死をいかに受け入れてゆくか、という展開となる。

リティクは肉体を制約された役柄だが、過去シーンで見せるマジックのステージ・ショーでは、優雅に舞うダンスを披露。Kites(2010)に続き、甘い地声での歌唱も心地よい。
ただ、「Dhoom:2(騒乱2)」(2006)以来3作となるアイシュとの共演ながら歴史大作「Jodhaa Akbar(ジョーダーとアクバル)」(2008)同様、アイシュとのダンス・ナンバルがないのが残念(キス・シーンもフェイクなのは起訴されぬため?)。

Guzaarish

(C)UTV Motion Pictures, 2010.

そのアイシュは格別に麗しく、本作の見応えあるものに高めているのも彼女の魅力あってこそ。いわゆるボリウッド・ダンスではないが、タンゴを踊る場面も魅惑的だ。
とは言え、シーンによっては三十路後半とあって、時の流れを感じさせるショットもあり、それがそのまま本作のテーマである人間の力では変えられない大きな力を映し出しているかのように思える。

サポーティングは、イータンを理解し安楽死申請をサポートする女弁護士デヴィヤーニー役に「Black」で三重苦ラーニー・ムカルジーの母親役を演じたシェールナーズ・パテール。本作でScreen Awards 助演女優賞を受賞。

イータンの母親にミス・インディア1976ナフィサー・アリー。下院議員であり、CFSI(インド子供映画協会)の議長も務める。ダルメンドラと老いらくの恋を演じた「Life in a…Metro(大都会)」(2007)で内面から透き通って伝わる美しさに感嘆させられたが、本作でもリティクの母親役に相応しいチャームを見せる。

イータンの元恋人でアシスタントだったエステラ役が、トップモデルのモーニー・カングナー・ダッタ

判事役に「Devdas」でアイシュが演じたパローを娶る初老の富豪役ヴィジャイ・クリシュナは、Peepli Live(2010)でも高官役でちらりと登場。

検事役にGhulam(奴隷)」(1998)でアーミル・カーンの兄役を演じたラジット・カプールシャーム・ベネガル監督の英語映画「The Making of the Mahatma」(1996)でガーンディーに扮しNational Film Awards主演男優賞を受賞し、Maine Gandhi Ko Nahin Mara」私はガンディーを殺していない(2005)でも長男役で顔を見せている。

また、ソフィアのDV夫にJungle(2000)、Paisa Vasool(現金をつかめ)」(2004)のマクランド・デーシュパーンディーを配役。

Guzaarish

(c)UTV Motion Pictures, 2010.

*この先、確信に触れてゆきます。
本作のルックや美術セット、魅惑的なアイシュ、リティクの「いい人」感など楽しめる部分はあるものの、これまでのSLB作品からするとややユルく思われる。
配役もまた、必ずしもベストとは言い難い。
主治医役スヘール・セートは、コンサルタント会社のCEOであり、TVなどでもホストを務める。表情など悪くないが、リティクらプロの俳優がシンクロ(同時録音)撮影している中で彼だけダビング(声は本人のアフレコ)の部分があるためどうしても違和感が残る。
また、イータンに弟子入りするオマール役アディティヤ・ローイ・カプールも初々しくはあるが、リティクやアイシュに絡むには影が薄く、エピソード的にもどこか物足りない(キャスティングの理由は、やはり彼の長兄がUTVのCEOであるから?)。

<事故>の鍵を握るイータンの親友役など、登場ショットからしてSLBのイメージはサルマーン・カーンにあったかのように受け取れる。が、役柄からしてサルマーンが受けることはなかったであろう。

Guzaarish

(c)UTV Motion Pictures, 2010.

と、同時にアイシュが扮したソフィア役もその役作りからして、もっと樽のような大女(スター・システムのボリウッドでなくハリウッドであれば、例えばキャッシー・ベイツ)、イータンにしても親友の息子が20歳以上の設定であるからして、リティクの実年齢より10歳は上、キャラクターとしてももっと毒のある複雑な心情がにじみ出る肉付けが必要であったように思える。
テーマからして「セント・オブ・ウーマン/夢の香り」のアル・パチーノが思い出され、リティクにはやや荷が重かったような(やはりアミターブ・バッチャン?)。

こうして見ると、脚本にも不備があるにように思える。
イータンを慕う人々が集ってのホーム・パーティーで永年仕えてくれた家政婦たちに彼が感謝の言葉をかけるにしてもそれまでわずかにしか登場していないし、ソフィアのDV夫が不意に現れたかと思うと次の場面では離婚が成立したとしてイータンがプロポーズ至るもいかにも幕間スケッチ風。
イータンがマジシャンとしてのすべてを伝授したはずのオマールも晴れの舞台などなく、ただ刷り上がったポスターを見せるだけに留まるなどサイド・ストーリーとしての醍醐味にも欠ける。
Zee Cine Awards 美術監督賞を受賞したイータンの邸宅内(中庭含む)のセットも見事な反面、前作「Saawariya」がフロップしたことから制作も制限を受け急がされたのではないか。

なにより大鉈を振るったようなデビュー作「Khamoshi」からすると話の結び方も、彼の持ち味であった鋭い切り口に欠けるように思える(四肢麻痺で身体を動かせない彼の人生が亡き母の亡骸と並べられているショットなど卓越なイメージもあるが)。
脚本上のエンディング・シーンもまるまる削除されていることから、かなり迷いもあったようだ(上映時間を今風に2時間枠に抑えたことも大きいだろう)。
人生は美しく、それを<マジック>に託したい氣持ちは解るが、肝心のマジック・シーンがデジタルによるものなので、映画としてのアプローチに疑問が生じてしまうのだ。

Guzaarish

(c)UTV Motion Pictures, 2010.

イータンは14年間の苦痛に疲れ果て、安楽死を臨むが、結局のところ、主人公の想いは冒頭から変わることがない。せっかく友人に囲まれ、最愛のソフィアを妻と迎えたにも関わらず、にだ。
このへんがSLB作品として物足りなく思えてしまう。
その一方で、本作が重くのしかかるのは四肢麻痺にある主人公が、ネットに向かえば(24時間以内に希望の商品が届く!)ほとんど不自由なく生活が送れる環境が整い、それでいて多くが孤独を抱える現代人の姿に重なるからだろう。

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