Badal(2000)#183
Badal(雲)01.11.20 ★★★★
バーダル
製作:サリーム/原案・監督:ラージ・カンワル/脚本:ロビン・バット、スターヌ・グプタ/台詞:サントーシュ・サロージ/撮影:ハルミート・スィン/音楽:アヌー・マリック/詞:サミール/背景音楽:アーデーシュ・スリワスターワ/振付:サロージ・カーン、チンニー・プラカーシュ、レーカー・プラカーシュ/アクション:ビクー・ヴェルマー、パップー・B・ヴェルマー/美術:R・ヴェルマン
出演:ボビー・デーオール、ラーニー・ムカルジー、アムリーシュ・プリー、アーシーシュ・ヴィダヤールティー、アーシュトーシュ・ラーナー、ジョニー・リーヴァル、クルブーシャン・カルバンダー、アローク・ナート、スマン・ランガーナタン、ハリーシュ・パテール
公開日:2000年2月11日(年間トップ6ヒット!)
STORY
警察に追われた盗賊マンタヴィール(アーシーシュ)を父親(アローク)が助けたことから、残虐警官ジャイスィン(アーシュトーシュ)に村を焼き払われ、父母妹を殺された過去を持つラージ(ボビー)。逃げ延びたマンタヴィールに育てられ、ジャイスィンに復讐を誓うテロリストへ成長していた。ラージは、彼の別荘があるスンダルナガルへ「バーダル」という名前で潜伏。ふとしたことから警官ランジート・スィン(アムリーシュ)に氣に入られ、息子同然に暮すようになる。バーダルに一目惚れしたラーニー(ラーニー)に付き纏われ平和な日々が流れるある日、町へ潜入していたマンタヴィールが警察に逮捕されて・・・!
Revie-U *結末に触れています。
同年7月公開の「Bichhoo(サソリ)」(2000)に先駆けたボビー・デーオール&ラーニー・ムカルジー主演作。今回のボビーは、テロリスト。それも、警官に一家を殺され復讐を誓ったテロリスト役である。
冒頭のみ登場の、いかにも人好きするアローク・ナート演じる父親は、パンチャーヤットという村議会の長サルパンチ。追われたダコイト(盗賊/義賊)のマンタヴィールを逃し、意見したことから警官ジャイスィンの怒りを買う。村は焼き払われ、村人全員が警官隊により皆殺しにされてしまうのだ。
悪名高きインドの警官像からすると、あながちあり得ないことでもないプロローグである。それにしても、かつてここまで非道な警官を悪役に据えた映画があっただろうか。その上、現代シーンでは長官にまでなっているのだ。
タイトル開けの15年後、ハリヤーナー州ファリダバード。資金稼ぎに宝石店を襲ったラージたちのアジトが警官隊によって包囲される。ここで指揮を取るのが、今や長官にまで出世したジャイスィンだ。到着早々、「ファイア」の一言で下町の一画にあるアジトへ一斉射撃させ、自ら拳銃でラージの仲間を射殺してゆく。終いにはロケットランチャーの砲撃でアジト一帯を全焼させてしまう!
村を焼き払う→アジトをロケットランチャーで全焼・・・と、一氣に駆けまくる第1幕の掴みは息を呑むほど。
アジトを奇襲される直前、ラージは通りで遊びに興じる少年たちを見やっている。両親どころか幼い妹までジャイスィンに射殺された彼にとって、普通の少年たちのように意氣揚々と遊ぶことなどなかっただろう感傷が短いエピソードの中にしっかり織り込まれていて感心してしまう。
これは、「Baazigar(賭ける男)」(1993)、「Ajnabee(見知らぬ隣人)」(2001)などの脚本家ロビン・バットの腕前か?
「Bichhoo」よろしく機転を利かして警官隊の包囲を脱したラージは、育ての親マンタヴィールを訪ねる。もちろん、二人はジャイスィンへ復讐を誓った同志でもある。管轄内に居ては歯が立たないと知ったマンタヴィールは資金の入ったバッグを持たせ、ラージをジャイスィンの別荘があるスンダルナガルへと先乗りさせる。
この時、長距離バスで同席しては、ラージにひと目惚れしてしまうのが、ヒロインのラーニー。演じるラーニー本人は「アイム・ラーニー」と言っているけれど、人によっては単にラニ、ラニーとも呼ぶ。
ラーニー演じるラーニーは、彼女のどの映画よりも活発なキャラクターで積極的にアタックしまくる。しかし、アクション重視のストーリーが緻密に練り上げられている分、後半がヒロイン不在になりがちなのだが、そこはインド映画。ふたりが愛を讚えるミュージカル・ナンバル「lai garna」&「jugni jugni」の2曲を用意してある。
スンダルナガルは、ヒマーチャル・プラーデシュ州シムラーより更に奥まった高地の丘陵にある風光明媚な避暑地。その名の通り美しい町に、極悪非道なジャイスィンの別荘があるというのも皮肉な設定だ。
さて町に着いたラージは、ガレージ屋のシャンカル(ハリーシュ・パテール)を訪ねる。と、通りで物取りがあり、パトロール中の警官ランジートが引ったくりを追う。店先にいたラージがそれとなく足を引っかけたので逃げた男は取り押さえられるが、なんとランジートは子供を育てる金がなくてバッグを盗んだという男に自分の財布から金を渡し放す。先に見た、平然と村を焼き払ったジャイスィンとは大違いである。インドの警官にもいろいろあるのだ、と思った頃、ラージがそれとなく足を出したことをちゃんと見抜いていたランジートが彼に歩み寄り礼を言う。
この時、ラージが名乗る名前がバーダル(雲)である。なんだか掴みどころのない、雲助のような名前だ。ちなみに、ボビーは冒頭のみ髭だらけで登場し、スンダルナガルへ向かう際にさっぱりと剃り落としている。
どうしたわけかランジートはバーダルを氣に入ってしまい、自分の家へと招き入れる。家には妻シムラン(ニーナ・クルカルニー)と、結婚式を控えた女子大生のプリティー(マユリー・カングー)、まだ幼い妹マンシー(「Kuch Kuch Hota Hai」の子役サーナー・サイード)がいる。マンシー以外は、バーダルのことをどうも胡散臭く思っている。
翌日、バーダルはバイクで大学までプリティーを送ることになるが、キャンパスには下衆な男子学生たちが屯していて彼女へ野次を飛ばす。バーダルはキレそうになるものの、プリティーが制してこの場は収まる。しかし、その夜。バーダルは男子寮に忍び込み、先の学生どもを半殺しにするのだ!
スンダルナガルへ向かうバスの中でラーニーに出会った時も乗客の男どもが彼女をからかったために、バスのガラスをぶち破って道路脇へ4連発(!!!!)で殴り飛ばされたものだ。幼い頃、警官に両親を殺されたラージは、正しいことが歪められることに激しい怒りを覚えるのだろう。
この件はプリティーにも知れ、姉妹から慕われるようになったバーダルは、大学で行われる女子ローラースケート大会の応援に呼ばれる(!)。
果たして決勝に残るのはプリティーとラーニー。始終、寡黙どころか陰氣な表情で怒りを噛み殺しているバーダルにとって、(脚本上)どちらも応援するわけにはいかない。しかも勝負は甲乙付け難い。殺された妹とダブるマンシーに頼まれ、バダルはラーニーの足下へコインを秘かに放る。
コインぐらいで転ぶわけがないのだが、これでラーニーは体勢が崩れ勝利はプリティーのものとなる。しかし、ラーニーは倒れかけたところをバーダルに支えてもらえたのだから、ローラースケート大会のトロフィーなどより嬉しいはずだ。
マサーラー映画であるからしてロマンスめいたシーンもあれば、本筋とは特に関係ないコミック・リリーフも登場する。ジョニー・リーヴァル扮するスィク教徒のハネムーンがそれ。今回は美人でスマートな新妻(ウパサナー・スィン)を連れた凸凹コンビ。
ここでも脚本作りに感心するのが、彼らがハネムーンの観光中だと言うこと。だから、町のあちこちに何度も出て来ても、さほど違和感がない。
この2人、通りだろうと名所だろうとすぐに大喧嘩を始める。泊まっているホテルでもどえらい大騒ぎを始めてしまう。そして、隣の部屋に泊まっているのが手下を雇い入れてやって来たマンタヴィールである。この一人がジョニー・リーヴァルを殴ったため、通報を受けたランジートたちが駆けつけて銃撃戦となる。マンタヴィールは逮捕、ジョニー・リーヴァルを殴った男だけ逃げ延び、後の手下は全員射殺される。
バーダルはホテルの部屋まで資金の入ったバッグを届けることになっていたのだが、出かけるところをプリティーの結婚セレモニーに借り出されて難を逃れたわけだ。
マンタヴィールが捕まったため、家に戻ったバーダルは氣が氣ではない。そこで、彼が夜食の弁当を持ってゆこうと申し出る。巧い理由だ。
こういう時の弁当は、しばしば複数に振る舞われる。さっきまで拷問していた部下のサハーブ・スィンも食べるし、拷問を受けていたマンタヴィールにも一皿出される。それをバーダルが運んでゆく。父親を殺された彼にとってマンタヴィールは育ての父であるが、と同時にランジートの一家に<家族>の温かみを感じ始めている。
実は、ランジートがバーダルを妙に氣に入ったのには訳があった。早くに死んだ息子のバブルーが無事に育っていれば、ちょうどバーダルくらいの年頃なのだった。続く酒場のシーンで、バーダルはランジートの息子と間違われ、これが明かされる。世代を越えた男のつきあいの中で、こういう関係は時によいものだ。バーダルという奇妙な名前は、バブルーに掛けられていたのだろう。
翌日。食事を運んだ際、型取ってあった留置場の鍵作りにバーダルが精を出している。寮へ忍び込んだ一件があるので、これはすぐに乗り込むぞと、思っていると、ラーニーがやって来て、ジャイスィンがマンタヴィールを別荘へ運んだと知らせる。このはぐらしも巧い。
別荘の回りは見物人が集まっていて、拷問による悲鳴が聞こえる。容疑者を拷問のために自宅へ運ばせるところにもジャイ・スィンの残虐的なキャラクターがよく表れている。
マンタヴィールは天井のシャンデリアから、しかも片足に吊るされ拷問を受けていて、ジャイスィンはその片足を石割りハンマーで叩きつぶそうとさえする。思わずランジートが止めに入るのだが、逆に権威を振り翳されてどうにもすることが出来ない。
このシーンは、本作の白眉でもある。かつて極悪非道なキャラクターと言えば、アムリーシュ・プリーの得意とするもので、少し前ならアーシーシュ・ヴィダヤールティーがそれを追随していた。しかし、アムリーシュは「DDLJ」(1995)以降、愛情深い父親役も増え、本作では逆の立場を演じている。拷問にあえぐアーシーシュも人気が出て来て、今では彼を当て込んだ脚本さえ書かれるほどだ。まるで敵役の新旧交替劇を見るようなものなのだが、ふたりの存在感に比べると、目玉がぎょろっとしてるだけのアーシュトーシュ・ラーナーはまだまだ道は遠い。
その夜、ジャイスィンが別荘へダンサーを招いてのミュージカル・ナンバル「yaar mere taara mere」となる。この踊り子は、「Mujhe Meri Biwi Se Bachaao(私を妻から救って!)」(2001)で美人局のサブヒロインを演じていたスマン・ランガーナタン。お色氣たっぷりの衣装替え6回に、別荘へ忍び込んだバーダルがマンタヴィールを奪回する様がカットバックされる。
ナンバル直前、食事に帰ったランジートがジャイスィンの非道ぶりに居ても立っても居られず、別荘へ乗り込もうとするシーンがあるのだが、予想としてはランジートがジャイスィンに撃たれバーダルの怒り爆発になるのでないか? と思っていると、ジャイスィンはバダルがマンタヴィールを救い出したところで到着。彼を追う立場となる。確かにこの方が葛藤が増す。
ここで、逃げ切れないと観念したマンタヴィールがバーダルの拳銃を握って自分の胸へと当てる。「Vaastav(現実)」(1999)、「Fiza(フィザ)」(2000)でもそうであったが、インドでは近しい人に命を射止めてもらうのがよいとされるのだろうか。
育ての親マンタヴィールを失ったバーダルは、親しみを覚え始めていたランジートと対立することにもなる。
先にジョニー・リーヴァルを殴って逃げた手下の男をみつけて接触したラージは、家へ戻ったところを逆にその連中に狙われる。逃げた男は、ジャイスィンの右腕アズガール(シャーバーズ・カーン)と通じていたのだ。
結婚式の準備にいそしむランジート家での銃撃戦となり、バーダルはシムランを助けるものの、ランジートから嫌疑を掛けられ柱に縛りつけられる。シムランははじめこそ信用していなかったが、あるきっかけから氣を置かずにバーダルを息子同様に扱いだしていた。マンタヴィールが捕まった時にバーダルがわずかに遅れたのも、彼女によってプリティーの嫁入りセレモニーで仕事に出ているランジートの代役をさせられていたからであった。
ランジートは署に連絡を入れつつ、二人で写っている写真のバーダルにマジックで髭を描き込んでゆく。その画に、バーダルがシムランたちに過去のいきさつを告げる画がモンタージュされる。果たして髭だらけのバーダルは手配中のテロリストと一致するが、その時は後の祭り。訳を知ったシムランが息子同様のバーダルを逃がした後であった。
怒りの頂点に達したバーダルは、爆弾を仕掛けまくりジャイスィンの別荘を爆破!! この別荘、田舎の小学校ぐらいの大きさがあるのだが、実はオープンセットでしっかり炎上!! またも炎の海となる!!! そして、プリティーを人質にとったジャイスィンらが現れ、哀れバーダルは捕まってしまう。
この時、彼女に拳銃を突きつけているのは、ランジートの部下サハーブ・スィン。演じるヴィシュワジート・プラダーンは、ボビー主演「Gupt(秘密)」(1999)、「Phir Bhi Dil Hai Hindustani(それでも心はインド人)」(2000)のハンパな敵役なので、どうもアヤシイと踏んでいたら、この通りである。
ジャイスィンの右腕アズガールは早々に殺されていたので、彼の持ち駒はなくなっただろうと思っていたが、ここでもはぐらかしに引っ掛かってしまった。
ランジートの部下にはもう一人、マンゲーラーム(ムスターク・カーン)がいて、彼はランジートとジャイスィンがぶつかりあった際、顔をしかめていたが、サハーブの方はむしろ権力を行使するジャイスィンの姿に興奮していたのだった。
しかし、なぜジャイスィンがプリティーを人質にとる必要があったのか?
実はジャイスィンは非暴力主義の政治家サティヤプラカーシュと対立していて、その暗殺をバーダルに強要しようという腹なのだ。
暴力による恐怖主義と非暴力主義との構図は明確にあって、スンダルナガルの署内でジャイスィンとランジートが対峙した時も、横移動したキャメラが壁に掛けられたガーンディーの写真を二人の間にちょうど収まるフレーミングでとらえて唸らさせられたものだ。
いよいよクライマックスである。
独立記念日式典会場へバーダルが護送されて来る。彼は地下水道を通って、スピーチ中のサティヤプラカーシュを暗殺しなければならない。地下水道へ下ろされたバーダルが無線でプリティーとの会話を要求すると彼女がジャイシンの車のトランクに押し込められていることが示されたり、ジャイスィンがステージ前のマンホールを見やるカットが入ったり、サハーブを殴り倒したバダルが地上へ出ようとするとマンホールの上でランジートが警備していたり、とディティールもなかなか凝っている。
暗殺をボイコットしたバーダルは、駐められた車の燃料パイプを破壊して地下水道へガソリンを流し込み、それに火を放つ。この爆炎シーンが凄い! 群衆エキストラ凡そ1000人越しにキャノン・バースティング・テクニックで次々と車やバスが高さ数十メートルも吹っ飛び上がる!! 「ザ・ロック」(1996=米)でシスコ名物のケーブルカーが住宅街の交差点で吹き飛ばされたのと同様のテクニックである。
会場はパニックとなり、ジャイスィンはサティヤプラカーシュを抱え込むように車へ乗り込む。ここで、これが彼が仕組んだ暗殺劇だと告げられる。だが、バーダルが車に飛び乗ってはサティヤプラカーシュを引き摺り出す。
この先は、ハリウッド・アクションの忌むべき風習となったダブル・クライマックスとなるのだが、本作の勢いは疲れを知らない。断崖沿いに立つ遺跡(これもオープン・セット)へ車が突っ込み、トランクからプリティーを救出。バーダルがジャイスィンを殴りまくっているところへ、ランジートら関係者全員が集まり、怒りあまったバーダルがジャイスィンを射殺して復讐を果たす。
ランジートはバーダルに手錠を掛けなければならないが、すべてのわだかまりが解け、サティヤプラカーシュの証言もあることだろうから、いずれバーダルの正義が証明されると信じている、そんな輝かしい表情を見せる。
監督のラージ・カンワルは、「Daag – The Fire(燃焼)」(1999)でサンジャイ・ダットを復活させたヒットメーカーである。活劇映画の名手ラージクマール・サントーシーの下で培っただけあり、スケールあふれるアクションを得意とする。その演出はシャープと言うより太っ腹が売りで、東映の男臭いアクションのノリに近い。ジャイスィンの乗る車を追って、九十九折りの峠道をバーダルが直線に突っ切って走るシーンなど出色の出来である。
本作の見どころは、まあ、書ききれないほどあるが、やはり正義感に忠実な警官ランジート・スィンに扮したアムリーシュであろう。バーダルと入ったクラブでのほろ酔い加減や、嫁入り前のパーティー・ミュージカル「na milo kahin pyar」で意外にも軽やかなステップを披露するなど、アムリーシュ・ファンは必見である。
興行的には、前々年「Soldier」(1998)に続く、ボビー・デーオールのヒット作となった。
*追記 2006,04,21
スマン・ランガーナタンを招いてのセクシー・ナンバル「yaar mere taara mere」中、ボビーが敵側の屋敷に忍び込むのがカットバックされるのは、ボビーの父親ダルメンドラ主演「Yaadon Ki Baarat(思い出の花婿行列)」(1973)のステージ・ナンバル「lekar hum deewana dil」に対応。
この映画、シャー・ルク・カーン主演「Swades(祖国)」(2004)の野外映画会に用いられ、アーミル・カーンの愛らしい子役姿を見ることが出来る。ヒロイン、ズィーナト・アマンがフォークギターで奏でるロマンティック・ナンバル「chura liya」で名高いが、実はアクション仕立てでもあった。
*追記 2007,08,11
つづら折りを行くクルマを追って、急勾配をショートカットで駆け降り、先回りするのはグルザール監督作「Maachis(マッチ)」(1996)でチャンドラチュール・スィンがすでに行っている。
「Main Hoon Na(私がいるから)」(2004)でもサイクルリキシャーに乗ったシャー・ルクによる同様なアクション・シーンが用意されているが、このへんは「コマンドー」(1985=米)の流れか。
もっとも、「つづら折りを行くクルマを追って、急勾配をショートカットで駆け降り、先回りする」というエピソードに関して言えば、「Aradhana(崇拝)」(1969)で、シャルミラー・タゴールの氣を引こうと、ラージェーシュ・カンナーとスジート・クマールがわざと忘れ物をしてクルマを走らせるものの、物陰にいた使用人のアシート・セーンがショートカットで先回りして忘れ物を手渡してしまう、というのがある…。
*追記 2011,01,28
一見粗っぽいBグレードなアクション映画に思えて、インド映画らしい家族の絆が描き込まれた佳作。
かつての悪役から情愛深い父親役にシフトした故アムリーシュ・プリーが実によい。
また、残虐な暴力主義者ジャイスィンに扮したアーシュトーシュ・ラーナーも円熟した演技者となり、キロン・ケールの連れ子シカンダル・ケール出演「Summer 2007」(2008)でもインタルミッション(休憩)明けから登場し、それまでの陳腐な作品をぐっと引き締めていたのはさすが。