Hindusutan Ki Kasam(1999)#177
Hindustan Ki Kasam(インドの誓い)/1999 01.11.13 ★★★
製作・監督:ヴィール・デーヴガン/音楽:スクヴィンダール・スィン/詞:アナン(=アーナンド)・バクシー/振付:ラージュー・カーン/美術:ビジョンダース・グプタ
出演:アミターブ・バッチャン、アジャイ・デーヴガン、マニーシャー・コイララ、スシュミター・セーン、ファリーダー・ジャラール、プレーム・チョープラー、シャクティ・カプール、カーダル・カーン、グルシャン・グローヴァル、カシュミラー・シャー、ナヴィン・ニスチョール
公開日:1999年7月23日(日本未公開)
STORY
冒険小説家アジャイ(アジャイ)は、ミス・ユニヴァースのプリヤー(スシュミター)と恋仲になり楽しい日々を送っていた。ところが彼の主人公が実在するパキスターン・エージェント、トゥヒードに酷似していたため、インド陸軍よりスパイとして逮捕され拷問を受ける。「夢を書き記しただけだ」と主張するアジャイは心理学者Dr.ダストール(カーダル)の催眠療法を受け、幼い頃、印パ戦争により生き別れた双子のラージャー(アジャイ)がパキスターン・エージェントとなっていたことが判明。その彼は、印パ親交を粉砕すべく訪印する首相の暗殺司令を受けていた・・・!
Revie-U
1997年前後、インド独立50周年記念を謳ったボリウッド映画が何本か作られた。経済解放による印僑生活への憧れと古き良きインド農村生活への思いを綴ったスバーシュ・ガイーの「Pardes(他国)」(1997)、そして印パ戦争を真っ向から取り上げたJ・P・ダッタの「Border」デザートフォース(1997)、分離主義問題を恋愛絡みで表現したマニ・ラトナムの「ディル・セ 心から」Dil Se..(1997)などが印象に残る。
本作も印パ分離独立50周年に照準を合わせた壮大なメッセージを持つ・・・のだが、諸々の事情により製作が遅れ1999年公開となったあたりからして底抜け超大作の素性が露呈している。
まずオープニングが、TV神話劇「マハーバーラタ」Mahabharataのタイトルバックを想わせる地球の俯瞰ショット(フルCGI)!
次に映し出されるのが、後光に輝くインド亜大陸の図形である。これには、しっかりパーキスターンと元東パーキスターンのバングラデシュも書き込まれている。インドの正式国家名はバーラトであるが、この古代インドの総称バーラトを強調する愛国者たちは、この図のように今もパーキスターン、バングラデシュを含めて「インド」と考えているという。まさにオープニング・タイトルバックでもヒンドゥー、仏教、イスラーム、キリスト教を取り込んだ構成になっていて、なんとなく凄い。
続いて、印パ国境ゲートで行われた分離独立50周年式典の映像となるのだが、これがまたセッティングされたオープン・セット撮影を思わせ驚かされる。「ディル・セ」でも、ニューデッリーでの式典予行練習の模様と本編撮影が区別出来ないほどであったが、サントーシュ・シヴァンのドキュメント・タッチとは別の意味で、式典に託つけて劇映画、それもマサーラー映画を撮影してしまうインド人のネゴシエーションぶりに脱帽してしまうのである。
プロローグ。揚げたてのサモサを食べようとする男に走ってきた子供がインド国旗を手渡す。男はアツアツのサモサに窮して、思わずインド国旗でサモサを包んでしまう・・・。
これを叱責し(そのくせ、サモサ包みの国旗を蹴り上げているのだが)、群衆の中で高らかに国家のありようを説くのが、ビッグBことアミターブ・バッチャン演ずる退役軍人カビラー。手榴弾を手で受け止めた片腕を失った英雄である。
この片腕は米「フォレスト・ガンプ/一期一会」よろしくデジタル処理で消されていて、着替えのシーンなどはっきりと肘から下が失われた姿が映し出される。同様に、独立を説くインド国民軍の英雄スバーシュ・チャンドラ・ボースを捉えたモノクロ記録映像にアミターブらが挿入され、握手さえする(ボースの後ろに、はためく日の丸も見える)。
ラストでは、印パ首相を前に滔々と友好を説く。底抜け級な本作にあって観客が暴動を起こさない程度に納得できるカビラー役には、やはり1億円払ってでもアミターブをキャスティングする以外には考えられない。
さて、真の主役はと言うと、やたらと二役物が多いアジャイ・デーヴガン。今回は双子という設定のためか、アジェイとラージューの差をほとんど演じ分けていないので観ている方はかなり混乱する。この兄弟は方や冒険小説家、方やスーパー・エージェント。さすが夢で繋がっていたせいか、いつの間にか小説家の方も空中スタントや飛行機を操縦出来るようになっている!
前半のヒロインを演ずるは、スシュミター・セーン。本人と同じミス・ユニヴァースという役どころで、実際のミス・ユニヴァース1994コンテスト受賞瞬間のお宝映像も見ることが出来る。彼女は受賞後、ただちに本作の出演オファーがあったようだが、製作が遅れたため同じくミス・ユニヴァースを演じた「Dastak(戸をたたく音)」(1996)でデビューとなった。演技もそつなく、とにかくゴージャスなフェロモンを大放出している! ただダブル・ヒロイン・システムのため、後半の出番がほとんどないのが残念だ。
後半のヒロインは、マニーシャー・コイララ。パーキスターン・エージェントと知らずにラージュー(トゥヒード)の恋人となる儚いダンサーを演じている。豪華なバスルームでの入浴シーンなどサービスたっぷりな反面、大して活かされない悲劇のヒロインに終わっているが、これは演出の問題だろう。
サポーティングは、陸軍長官にプレーム・チョープラー、その部下のスィーク兵にシャクティ・カプール。このメンツからして陸軍のドジぶりが期待出来る。なにしろ、シャクティが入手する問題の小説本が、プールサイドで見事なボディラインを披露するカシュミラー・シャーの愛読書なのだ。
アミターブ、プレームの同僚にして、アジャイの亡き父親役となるのが、「ラージュー出世する」Raju Ban Gaya Gentleman(1992)の悪徳社長、ナヴィン・ニスチョール。回想シーンのミュージカル・ナンバル「jalwa jalwa」のみ登場であるが、1970〜80年代に君臨したスーパーヒーローのアミターブ、悪役の代名詞として名を馳せた怪優プレーム、レーカーとダブル・デビューを飾ったナヴィンの3人揃ったミュージカルは感慨もひとしおである。
敵役はスティーブン・セガールの友人グルシャン・グローヴァル、母親役に定番ファリーダー・ジャラールをキャスティング。
印象的なのが、ゲスト扱いのカーダル・カーン。催眠療法家Dr.ダストールというキャラクターはなかなかヒットで、彼の底深いバス声に誘導されれば誰でも前世を思い出してしまいそうである。
スクヴィンダール・スィンの音楽は、LAロケの「love love」、お祭りを祝う軍人&村人ミュージカル・ナンバル「jalwa jalwa」などどれもノリノリでよろしい。ニューイヤー・パーティー・ナンバー「tere dil ke paas」では、御年66歳(当時)とはとても思えぬアーシャー・ボースレーのシャウトぶり、サスペンスがかった画コンテと見事に対応したアレンジがワンダフル。
そして、見せ場はやはりアクション! 掴みが007シリーズそのままのスカイダイビング・アクション、催眠術におけるビッグ・リグ・トレーラーv.s.ヘリコプターの激突爆炎、クライマックスの小型機&ヘリ・スタントなどスケール過剰のアクションは、ハリウッドのスタント・クルーを動員して米国ロケで敢行! しかし、急降下するアジェイがデジタル合成だったりと、底抜け感は拭い去れない。
そのVFXであるが、それとは判るものの、ヘリコプター越しの爆炎シーンでのマスク処理やCGIアニメーション、記録映像への合成などクオリティは上出来。ただ、スシューを乗せたアジェイのバイクが空を飛んだりするなど笑えないギャグ・シーンに多用されているのが難。
製作・監督は、アジャイの父親であるヴィール・デーヴガン。スタントマンからファイト・マスター(アクション監督)となっただけあり、独特の娯楽色を持つ。平たく言えば、インドのハル・ニーダムと言うところか。
そのヴィール、なんとエンディング・カットでキャメラの横に立って登場してしまうだけあって、本作に壮大なメッセージを込めている。オープニング・タイトルでは、「A DREAM BY VEERU DEVGAN」とクレディットしているほどだ。
まさにすべてがヴィールの夢、という感じの本作。残念ながら、興行的にはコケてしまった。
*追記 2001,11,17
クラブで歌うマニーシャーをよそにパーキスターン・エージェントのアジャイが立ち去ってしまう。すると、ステージ上で石のように硬直したマニーシャーから白いドレスを着たマニーシャーがオーバーラップで抜け出し、追おうとする。アクション監督上がりのヴィールにしては詩的なイメージだと思っていたら、これはラージ・カプール監督・主演の「Shree 420(詐欺師)」(1955)からの引用であった。