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Calcutta Mail(2003)#178

2011.01.23
オススメ度 =陳腐 ★★=退屈 ★★★=平均点 ★★★★=面白い! ★★★★★=お気に入り!!
Calcutta Mail

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「Calcutta Mail」★★★★
製作:アルー・アラヴィンド&ムケーシュ・ウデーシ/原作:グナシェーカル(「Choodalani Vundi」)/脚本・監督:スディール・ミシュラー/脚本・台詞:ソォーラブ・シュクラー/脚本:ルチー・ナーラーヤーン/撮影:ラヴィ・K・チャンドラン、S・クマール/作詞:ジャーヴェード・アクタル、メヘブーブ・コートワル/音楽:ヴィジュー・シャー、アナン(=アーナンド)・ラージ・アナン/背景音楽:インデールジート&パリクシト・シャルマー/美術:パドマシュリー・トーター・ターラニー/アクション:アッバース・アリー・ムガル/振付:サロージ・カーン/編集:故レーヌー・サルージャー、シリーシュ・クンデール

出演:アニル・カプール、ラーニー・ムカルジー、マニーシャー・コイララ、サティーシュ・コゥーシーク、サヤージ・シンディー、ソォーラブ・シュクラー、デーヴェン・ヴェルマー、ガネーシュ・ヤーダウ、シヴァジー・サッタム、タルン・シュクラー、ターラー・メーヘター、ティクー・タルサニア、アトゥール・パルチュレー

公開日:2003年(日本未公開)

公開日:2003年9月5日(年間50位/日本未公開)

STORY
カルカッタにやって来たアヴィナーシュ(アニル)は、長屋に部屋を借りるが前の住人ブルブルー(ラーニー)が居座ったまま。自分は荷物だけ部屋に置き、扉の前で寝起きしする。そして、カルカッタの街を捜索。アヴィナーシュの追跡を知った暴力者ラカン(サヤージ)らは逆襲を仕掛けるが・・・。

Revie-U
冒頭、映し出されるのは、ヘレンが踊る「mera naam chin chin chu(私の名前はチン・チン・チュー)」が名高い「Howrah Bridge」(1958)のハウラー橋でなく、横浜ベイブリッジと同じ近代的なスタイルを持つ斜張橋のヴィダヤサガル・セートゥー。第2フーグリー橋とも呼ばれ、ハウラー橋の下流に架かっている。
アニル・カプール演ずるアヴィナーシュは、鉄道でハウラー橋のたもとに位置するハウラー駅へとたどり着く。そして今度はタクシーに乗り、ハウラー橋を越えてコルカタ(旧カルカッタ)市街へ入ったかと思うとぐるっと遠回りする形で再びヴィダヤサガル・セートゥーを渡る(タクシーのメーター稼ぎか?)。

位置的にはかなりいい加減であるが、作品テイストはシリアスで引き込まれる。
すなわち、早朝、ハウラー駅に降り立ったアヴィナーシュが公衆電話の受話器を取り上げたところで、ポケットを探り始める。やがて思い出したようにある酒場へと電話をかける。叩き起こされた店主(ソォーラブ・シュクラー)に男の名を告げる。店主は不審に思い「そんな男はいない」と答え、不吉なバックスコアがかぶさり、本作の向かうところが暗に示されるのだ。

膨大な量を誇るインド神話「マハーバーラタ」「ラーマヤナ」に親しんで来たインド人は物語と云えば、本筋の因果の、それまた先の因果まで語られねば氣が済まないところがあり、ひと昔のインド映画でプロローグからメインタイトルが出るまでに20分もかかるのが珍しくなかったが、本作では映画の序盤で主人公が誰を何故探しているのか、なぜ追われる側は逆に主人公を付け狙うのか、が伏せられているため、これが緊迫感となる仕掛け。

このアニルがコルカタにたどり着き、とある下町のチャウル(長屋)に部屋を取る。と、そこに家賃を滞納したまま居座っているのが、ラーニー・ムカルジー。涙を武器に(ミルチーを目に当てて!)ペテンをかけるブルブルーというのが役名。詐欺師役「Bunty Aur Babli(バンティとバブリー)」(2005)を彷彿とさせ、道化ナンバル「yeh saaheb ajeeb hain」など、なかなかにユニーク!

このチャウルの大家が脇役俳優のティクー・タルサニア、その太鼓持ちが同じくずんぐりむっくりのアトゥール・パルチュレーの掛け合い漫才が入るなど、ゼロ年代の初頭の撮影とあって柔らかい部分はかなりマサラー的(コルカタ名物の路面電車からオーストリア/スイスの路面電車に妄想飛びが懐かしい!)。

主演はアニル・カプールWelcome(2007)のライトな芝居と異なり、ハードボイルドでクールなアニルを見るのは久々。名作「Parinda(鳥)」(1989)をふと思い出すタッチで、National Film Awards受賞作Pukar叫び)」(2000)に肉薄する氣迫を見せる。
アニルは口髭のみのスタイルで、実に精悍。しかし、初製作「Badhaai Ho Badhaai」(2002)のフロップ以降、主演作はどれも芳しくなく、アニルはMusafir(旅人)」(2004)でイメージチェンジをはかるも泥沼の低迷期へと至る。

後半の回想で登場するセカンド・ヒロインが、マニーシャ・コイララ(アテレコだが、かなり本人似)。「少しばかりメイクが濃いようだが、まだまだ美貌は衰えず、ダイエットに成功したようでジーンズ姿も凛々しい。ただ、年功序列クレジットが慣例であるボリウッドにおいてラーニーに続くビリングとは、スターヴァリューの低下が如実に示されていて心痛む。

その回想とは、列車の中でラカンらに追われたマニーシャー扮するサンジャナーを助けたアヴィナーシュは、そのまま山間部に隠れ住む。ところがビハール州の大物政治家であるサンジャナーの父、スジャン・スィン(サティーシュ・コゥーシーク)が孫の存在を知り、ラカンらと共に襲撃をかけたのだった。

原作(story)としてクレジットされているグナシェーカルは、前世紀のインド映画ブームの最中、キネカ大森でひっそりと公開されたチランジーヴィー主演のテルグ映画「バブーをさがせ!」Choodalani Vundi(1998=テルグ)の監督。この時期には珍しい正式リメイク(苦笑)で、父親役をWanted(2009)のプラカーシュ・ラージが演じている。

本作の監督スディール・ミシュラーは、俳優や脚本、裏方を経て監督に昇格。社会派路線で、「スラムドッグ$ミリオネア」の舞台となったスラム「Dharavi」(1992)などを手がける。本作公開年に「Hazaaron Khawaishein Aisi(幾千の願い)」カリーナー・カプールが下町の街娼に扮し高評価を得た小品「Chameri」など3作が公開。いずれも演出タッチが異なり、その中で本作が最も早く撮影されたものと思われるが、劇中の台詞が「コルカタ」となっていることから公式に改称された2001年の撮影だろう。

サポーティングは、台詞も兼ねる「スラムドッグ$ミリオネア」の太っちょ警官ソォーラブ・シュクラー、ブルブルーの祖父にデーヴェン・ヴァルマー、サンジャナーの父にこの時期シリアスな芝居に傾倒していたサティーシュ・コゥーシク、アヴィナーシュに温情をかける伯父役にTaxi No.9211(2006)のシワジー・サタム、アヴィナーシュの友人役に「Welcome」のスネーハル、ラカンの友人ながら常識を持ち合わせ彼のぶちキレに氣を揉むガネーシュ・ヤーダウでなどクセのある名俳優が次々と顔を見せるのが嬉しい。
特にボリウッド最凶の敵役サヤージ・シンディーは、なんとワルツを踊っての登場。例によってのキレまくり様はShool(槍)」(1999)やDaman(制裁)」(2000)以上。
このシリアスなテイストに、ラーニーのラブコメ的ややオーバー・アクティングが映画に幅をもたらし、居心地のよさを感じさせる。

編集は故レーヌー・サルージャーの仕事を、Jaan-E-Mann(愛しき人よ)」(2006)の監督シリーシュ・クンデールが引き継いでいる。
前半のチャウル・シーンでフィルミーの懐メロ・ソングが薄く流れているのがよい。酒場の演奏場面で「mera naam chin chin chu」はもちろん、捜索場面ではMain Hoon Na(私がいるから)」(2004)でも使われた「Jawani Deewani(若さの情熱)」(1972)のメモラブル・ナンバル「jaan-e-jaan」が流れている。

ゼロ年代前半に南インド映画のリメイクで成功したのは「Saathiya(伴侶)」(2002)、Tere Naam(君の名前)」(2003)など数本で、リメイク自体、安易な作品という印象であった。
ボリウッドを本拠地に置いたプリヤダルシャンもマラヤーラム映画時代の復刻リメイクもまったく別物というスタンスで衣装直しし、リメイクの安易な姿勢を覆し年間トップ1のメガヒットとなった「Ghajini」(2008)は、南インド・テイストを相当に自粛している。
以後、リメイクにあたってはストーリーと女優のみで南インド色が強い男優と音楽は封印される傾向にある。

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