Kachche Dhaage(1999)#169
Kachche Dhaage(不完全な鎖)02.10.22 ★★★★★
カッチェー・ダーゲー
製作:クマール・S・タウラーニー、ラメーシュ・S・タウラーニー/監督・台詞:ミラン・ルトリア/ス原案・脚本:アンジュン・ラージャーバーリー/台詞:サンジャイ・チェル/撮影:ゴーパル・S・レッディー/詞:アナン・バクシー/音楽:ヌスラット・ファテ・アリー・ハーン/編曲:アマル・ハルディプル/背景音楽:スレンデル・ソーディー/アクション:ティヌー・ヴェルマ/振付:サロージ・カーン、ラージュー・カーン/美術:ビジョン・ダース・グプタ/編集:サンジャイ・ヴァルマ
出演:アジャイ・デーヴガン、サイーフ・アリー・カーン、マニーシャー・コイララ、ナムラター・シロードカル、サダーシヴ・アムラープルカル、ヴィニート・クマール、ゴーヴィンド・ナームデーウ、シュリヴァラーブ・ヴヤス、ラージェーシュ・ヴィヴェーク
特別出演:シムラン
STORY
父が危篤だと知ったムンバイーの裕福なビジネスマン、ダランジャイ(サイーフ)は、ラジャスターンを訪ね、異母兄弟アーフターブ(アジャイ)と引き合わされる。しかし、アーフターブが軍からの武器弾薬略奪を妨害したことから、盗賊組織によってダランジャイは要人暗殺を強要されて投獄。アーフターブと鎖でつながれた逃避行は如何に!?
Revie-U
冒頭。インド陸軍から武器を奪う盗賊を妨害し英雄的行動を見せるアジャイ・デーヴガンと、ヒロインのマニーシャー・コイララという組み合わせから、ほぼ同時期に製作された「Hindustan Ki Kasam(インドの誓い)」(2000)が思い出される。
が、本作の面白さは、異母兄弟のダランジャイがヒンドゥー、アーフターブがムサルマーン(イスラーム教徒)という設定で、ヒンドゥーのアジャイがムスリムのアーフターブを、ムスリムのサイーフ・アリー・カーンがヒンドゥーのダランジャイを演じていることだ。
もちろん、この異母兄弟は分離独立したインド/パーキスターンのメタファーとなっている。
ふたりは、父親の危篤を知らされて初めて顔を合わせが、ダランジャイとアーフターブは互いの存在を容易に受け入れようとはしない。
ムンバイーから駆けつけたダランジャイとアーフターブの出会いは極めて心証悪く、しかもそのアーフターブに父親が敬愛を示し、彼の腕の中で臨終を迎えてしまう。このことはダランジャイを苛立たせ、ヒンドゥー式の葬儀で荼毘に付す際、アーフターブを拒む仕打ちをする、と言ったようにアンジュン・ラージャーバーリーの脚本もよく出来ている。
第2幕が、手錠に繋がれての逃避行。
この「不完全な鎖」コンビ、例によって犬猿の仲である。アーフターブに関わったばっかりに、ダランジャイは殺人の濡れ衣を着せられ、要人爆殺まで強要される。ではアーフターブが疫病神かと言うと、さにあらず。やることなすことひと言多いダランジャイが、トラブルを生んでゆくのが可笑しい。
紆余曲折あって「完全な鎖」となる典型的なバディ・ムービーなのだが、ここで有機的に機能するのがダルガー(イスラーム廟)である。
ムスリムは寺院と訳されるマスジド(モスク)で神に対して祈るが、このダルガーはイスラーム聖者の墓所で、ヒンドゥーさえも御利益を求めて詣でるためか、しばしばボリウッド映画にも登場する。
このシーンで初めてダルガーを訪れたヒンドゥーのダランジャイが、アーフターブに倣ってイスラームの作法に従うのが興味深い。つまり、ムスリムのサイーフがヒンドゥーのアジャイを見様見真似するわけだ。
本作、もうひとつの魅力は、故ヌスラット・ファテ・アリー・ハーンの音楽にある。
ピーター・ゲイブリエルとのコラボレーションや「デッドマン・ウォーキング」(1995=米)のサントラなどの他、NFAKが「Kartoos(弾頭)」(1999)など、ボリウッド映画のフィルミーソングにも手を染めていることは、日本のワールド・ミュージック畑でもあまり知られていないのではないだろうか。
NFAKは1997年秋に亡くなっているため、音楽の発注はそれ以前に為されたらしい。アナン(=アーナンド)・バクシーの詞の中にタイトル「Kachche Dhaage」が散らばっていて、画ともリンクしており、尚更エモーションを高める。
重要な働きをするダルガーでのカワーリー(=カッワーリー/カウワーリー)・ナンバー「is shane karam ka」はNFAK自身によるライヴ・レコーディング(「Tum Ek Gorakh Dhandha Ho」収録の「is karam ka karoon shukrkaise」か?)。プレイバックを受ける蓬髪の楽師がジェームズ・ブラウンを彷彿させ、まさに恍惚への誘いと言えよう。
アマル・ハルディプルの手によりポップにアレンジされたラヴリー・ナンバル「ek jawani teri ek」では、父の死と異母兄弟の出現に苛つくダランジャイをラーギニー役のナムラターが愛くるしく誘う。抑揚を抑えたアルカー・ヤーグニクのプレイバックも手伝って、いつになくナムラターが悩ましく見える。キレたダランジャイがラーギニーを追い出そうとしたところで終わるかに見えて、一転、クマール・サーヌーによる「返し」が入る構成もぐっと来る。
その他のナンバーも粒ぞろい。これだけラター・マンゲーシュカルをフィーチャルした作品は近年少なく、NFAKへの敬意がここにも表れている。
サポーティングは、アフターブらを追うラジャスターン駐屯所の所長に「Phir Bhi Dil Hai Hindustani(それでも心はインド人)」(2000)のゴーヴィンド・ナームデーウ。その部下で、事件の鍵を握るバクターに「Shool(槍)」(1999)のヴィニート・クマール。
要人暗殺事件の捜査に派遣されたCBIエージェント・ジャレージャオに、「Tumko Na Bhool Paayenge」(2002)のサダーシヴ・アムラープールカル。美人の部下と頓馬な部下を引き連れ、ワルサーP38を手にしたスーツ姿がちょっとカッコイイ(笑)。
武器盗賊のボス、ルーラには「Lagaan」ラガーン(2001)の変人グラン役、ラージェーシュ・ヴィヴェーク。本作でも、堂々の怪人ぶりを発揮。
飯屋のオヤヂが、ケタケタ笑いの芸人サンジャイ・ガラーディア。ただし、今回はアテレコなので今一つケタケタ笑いに切れがないのが残念。
ロクサーナの父親に、「Abhay(アブヘイ)」(2001)のシュリヴァラーブ・ヴヤスがチラリ出演などなど。
また、飯屋ナンバル「khali dil nahin」の楽師役に「DDLJ」(1995)のフィアンセ、パルミート・セッティー。ゲスト・ダンサーは、「Anari No,1(世間知らずNo.1)」(1999)のシムラン。タミル映画界のヒロイン女優だけに、ハイテンションのダンスで悩殺!
監督ミラン・ルトリアは手腕も上々で、アジャイとの続投「Chori Chori(こっそりと)」(2002)がリリースされたばかり。台詞は「Khoobsurat(見目美しき)」(1999)のサンジャイ・チェル。
アクションは、「Maa Tujhe Salaam(母なる女神よ、汝に礼拝を)」(2002)のティヌー・ヴェルマ。アジャイ、サイーフ共に吹き替えなしで疾走する貨車の連結を切り離すなど手に汗握るアクションが見物だ。
スレンデル・ソーディーのスコア、「Kaho Naa…Pyaar Hai(言って…愛してるって)」(2000)のサンジャイ・ヴァルマによる編集もよい。
印パ分離独立50周年を意識して作られた作品の中でも質が高く、アクション、ラヴ・ロマンス、ユーモア、そして心理ドラマ、とバランスよく出来上がった秀作と言えよう。