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Raincoat(2004)#164

2011.01.09
オススメ度 =陳腐 ★★=退屈 ★★★=平均点 ★★★★=面白い! ★★★★★=お気に入り!!

Raincoat

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「Raincoat」★★★★

イメージ(撮影):アビーク・ムカルジー/立案・監督・台詞・作詞:リトゥポルノ・ゴーシュ/詩:グルザール/音楽:デーバジョーティー・ミシュラー/音楽協力:サンジャイ・ダース、ラージャー・ナーラーヤーン・デーブ/テーマ・ヴォーカリスト:シュバー・ムドガル/美術:インドラニル・ゴーシュ/装飾:ビビ・ラーイ、サンディパン・マジュムダール/衣装:アンナー・スィン、ニーター・ルッラー、スシャンター・パウル/モンタージュ(編集):アルグヤカマル・ミトラ

出演:アジャイ・デーヴガン、アイシュワリヤー・ラーイ、アンヌー・カプール、モーウリー・ガングリー、プラディープ・アディカリ、カイラーシュ・コーッピカル、カメーシュワル・ミシュラー、ディリープ・パトラ
特別出演:スレーキャー・シクリ、サミール

公開日:2004年12月24日(日本未公開)
Zee Cine Awards:主演女優賞
カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭クリスタル・グローブ賞ノミネート

STORY
職を失ったマンヌー(アジャイ)はコルカタで働く友人たちを訪ね、無心して歩く。そしてもうひとつ、コルカタに出向いた訳には、かつての恋人ニールー(アイシュ)との再会があった。金持ちに嫁いだ彼女を訪ねてみると、鎧戸を閉めた暗い家屋にひとり。夫は日本へ出張中だという。マンヌーは羽振りがいいように振る舞って見せるが・・・。

Revie-U *結末に触れています。
結婚式を思わせる軽やかな女性たちの合唱がバックスコアとなって幕開け。
しかし、これはマンヌー(マノージの愛称)の淡く苦い思い出に過ぎない。
荷造りを終えたマンヌーが年老いた母を置いてコルカタへと向かう。

ーー朝が、朝が、訪れて今、揺り動かす
何故(なにゆえ) 村に戻ろうとするのか、マトゥーラの王よ

朝から沈鬱な歌曲へと変わり、コルカタへの氣の進まない旅が始まる。

Raincoat

(c) Shree Venkatesh Films, 2004

コルカタ(劇中ではカルカッタ)の親友アローク宅に滞在したマンヌーはレインコートを借りて、雨の中、同窓生を訪ねては金を借りて歩く。
そして午後、訪ねたのは、かつて愛し合ったニールー(フラッシュバックで晴れやかな過去が交差する)。ひっそりとした家の中に彼女がひとり。夫はロンドンや日本など海外出張で忙しいと言う。
マンヌーはひとえに見栄から、ひとえに彼女に心配をかけないようにと、成功しているように嘘をつく。

やがて雨の中、ニールーは買い物へと出かける。マンヌーのレインコートを借りて。
雨が止み、マンヌーが鎧戸を開けると通りすがりの男からトイレを借して欲しいと頼み込まれる。
実はその男はこの家の大家で、10ヶ月分溜まった家賃の取り立てに来たのだった。ニールーの結婚生活が荒んでいて不幸せであることを知ったマンヌーは、友人から借り集めたなけなしの支度金12000ルピー(2004年当時のレートで約3万円。物価換算で15〜30万円)をはたいて家賃を立てかける。

Raincoat

(c) Shree Venkatesh Films, 2004

友人宅に戻ると、ポケットにはニールーがそっと入れた彼女のチューリー(腕輪)と手紙をみつける。
レインコートのポケットにあったアロークが書いた借金用立ての「紹介状」から彼の困窮を知ったのだった。添えられた金のチューリーは、嫁入りの品。結婚後、万が一のために、また遺産の先渡しとして生家から嫁ぐ娘に贈られる。女性がこれを手放す時は退っ引きならない状況の他にない。
手紙はこう結ばれる。「あなたと結婚していれば、これはあなたの物だから」

妻が自慢の長い髪を売り懐中時計用の鎖を、夫が金の懐中時計を売って高価な櫛を、貧しき夫婦がクリスマスに贈り合う、O・ヘンリーの代表作「賢者の贈り物」をインドらしく翻案。
監督リトゥポルノ・ゴーシュはベンガル映画界で活動し、代表作「Dahan」クロスファイアー(1997=ベンガリー)がアジアフォーカス・福岡国際映画祭で上映され、日本でもアジア映画ファンに知られた存在。
本作ではボリウッドのトップスター、アジャイ・デーヴガンアイシュワリヤー・ラーイを主演に迎え、ヒンディー映画として制作。

ボリウッド(ヒンディー映画)はインド映画界の代表的映画産業であるが、タミル、テルグといった南インド映画などよりベンガリー(ベンガル語)映画界と融和性が高い。
かの文豪タゴールやサタジット・レイを擁したベンガル地方は文学的な色合いも濃いことから、南インド映画に出演する場合はどこか「営業」的なイメージが強いが(ヒンディー圏での「輸入」DVD/VCD版は大抵本人の声でなくアテレコになる)、ベンガリー映画だと「文芸映画出演」という箔がつく(DVDはヒンディー/ベンガリーのマルチ仕様)。
この時期、アイシュがリトゥポルノの前作「Chokher Bali」(2003)、アビシェーク・バッチャン「Antarmahal(後宮)」(2005)のベンガリー映画に出演。

Raincoat

(c) Shree Venkatesh Films, 2004

何より印象深いのは、ニールーに扮するアイシュワリヤー・ラーイだ。
現在のシーンではあえて疲れた、不細工な表情をしてみせる一方で、そのたどたどしい台詞まわしが不運な人生を歩みながらも心が澄んでいる様を感じさせ、愛おしさを増す。彼女の声がこれほどまでに心地よいとは。

眼鏡で役作りをするアジャイ・デーヴガンの不器用だが心根の優しい様は、アイシュと共演したミモラ 心のままに」Hum Dil De Chuke Sanam(1999)で演じたダンラージを思い出させる。

Housefull(2010)でもそうだが、難儀している友人を受け入れる情愛が実に南アジアらしい。
アローク夫妻も家族同然に振る舞い、親身になって世話を焼く。マンヌーが「頼みがある」と言えば「頼み? 友だちだろ?」とむしろ改まって言い出されたことを問いただすほど。
マンヌーがバスルームでむせび泣く場面で見える聖紐からブラーミン(ブラフマン)階級と解る。清浄を求められるが故に戒律に縛られ、生活が苦しい場合もしばしば見られる。
アロークが寄宿学校時代の同級生宛の「紹介状」を書けば、困窮しているにも関わらず「友人同士で紹介状は要らない」と答える。誠実なキャラクターに見えて、ニールーに再会した時に「嘘」をついてしまうのはブラーミン故の高貴さからもあろう。

失業中の親友を温かく迎えるアロークは卒業後15年経ってそれなりに成功しており、子供はまだないが大きめのフラットに住み、もちろん雇い人も抱えている。その職業がシリアル(連続ドラマ)を制作するプロデューサー。
ベンガリー映画は概ね文芸調の作品でも、そこは映画好きな人々のこと。コンコナー・セーン・シャルマーと母アパルナー・セーン共演でかつての恋人が映画スター、ミトゥン・チャクラワルティーという「Titli(ティトリー)」(2002)や、古い邸宅を守る女主人キロン・ケールがロケに来た監督と疑似恋愛を妄想する「Bariwali(女主人)」(1999)など、映画絡みの設定も多く、シリアスな演出=リアリティーでないのがインド映画。

ニールーの結婚が間近な過去シーンで流れるラター・マンゲーシュカルがプレイバックする「Chandni(チャンドゥニー)」(1989)の「meri haathon mein nau nau(私の腕手に9つのチューリーが)」家族の四季」K3Gでも引用)は結婚の準備での余興ナンバル。本作がリリース(封切り)された2004年と卒業後15年の年月もしっかり符合している。

サポーティングは、親友アローク役にマイナー俳優サミール・ダルマディカル
その妻シーラー役がTV女優のモゥーリー・ガングリー。兄嫁同然にマンヌーへ世話を焼くのが佳い。
クセのある大家役アンヌー・カプールは、サンジャイ・ダット主演、デーヴィッド・ダワン監督作Hum Kisise Kum Nahin(俺たちは誰にも負けない)」(2002)のムンナー・モバイル役などで脳味噌置いてけコメディも難なくこなす。本作では中盤登場し物語を締める。アンヌーはTVホストとしても活躍しているが、これくらい役者の層が厚いのはさすが映画王国の強み。

「テーマ・ヴォーカリスト」とクレジットされているシュバー・ムドガルは、イラーハーバード(=アハラバード)出身の古典声楽家。その深みのある歌声は脳裏に焼き付き、本作のオープニング・ソング「mathura nagarpati」は心に澱み魂を揺さぶる。
中盤、流れる詩はディル・セ 心から」Dil Se..(1998)や「スラムドッグ$ミリオネア」の歌詞を手がけた文学家/作詞家/脚本家/監督グルザールによる自作の朗読。

リトゥポルノの演出は映像的であると同時に演劇的に場面を紡ぎ、詩的に暗示する。かなりハイブローと言えるが、それだけに見応えがある。
12月24日公開というのも心憎い。

また、映像作家ミーサク・カーズミーが本作からインスパイアを得て短編「Through Her Eyes」(2007)を制作している。

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