Lafangey Parindey(2010)#159
ラファンギー・パリンデー
製作:アディティヤ・チョープラー/監督:プラデープ・サルカル/原案・脚本・台詞:ゴーピー・プトラン/撮影:N・ナタラージャー・スブラマニアン/作詞:スワナンド・hirhire/音楽:R・アーナンド/振付監督:ボスコー・カエサルinc./プロダクション・デザイン:E・ロドリゲス、マドゥー・シャルマー・クリアコーセー/背景音楽:スビン・バラポリア/アクション:シャーム・コォーシャル/フィギュア・スケート振付:サンドロ・グエッラ/編集:サンジーブ・ダッタ
出演:ニール・ニティン・ムケーシュ、ディピカー・パドゥコーン、ピユーシュ・ミシュラー、マニーシュ・チョーダリー、ナミット・ダース、ヴィラージ・アダーヴ、ヴィネイ・シャルマー、パローミ
特別出演:ケイ・ケイ・メノン
ゲスト出演:シアマク・ダヴァル、ジュヒー・チャーウラー、ジャーヴェード・ジャフリー
公開日:2010年8月20日(年間17位:日本未公開)
STORY
目隠しで闘う地下格闘技のギャンブル・ファイター、ワン・ショット・ナンドゥー(ニール)は、ある日、ウスマーン・バーイ(ピユーシュ・ミシュラー)から殺しに関わる仕事を命じられる。そして逃走中、クルマで撥ねたのが幼馴染みのピンキー(ディピカー)であった。彼女はTV「インディアン・タレント」出場に向けてスケーティング・ダンスに励んでおり、事故で失明しながらも練習を再開する・・・。

(c) Yash Raj Films, 2010.
Revie-U
*真相に触れています。
事故で盲目となった少女がフィギュア・スケーターの夢を追いかける米「アイスキャッスル」(1978)と、歌手志望の女性を事故で失明させたやくざな男が贖罪のために女性の夢に尽くすタミル「Thulladha Manamum Thullum」(1999:大本は、モーハンラール主演マラヤーラム「Ennishtam Ninnishtam」で、テルグ「Nuvvu Vasthavani」にもリメード)からインスパイア。
事故の場面は、荒くれ者のヴィジャイが喧嘩相手を追いかけ、カレッジで化学の実験中だったヒロインに酸の瓶を倒して…となっている。
もっとも単なるイタダキではなく、現代に見合った要素を多く取り込み、オリジナルと言えるまでに昇華されている。
ナンドゥーはムンバイーの下町で育ち、ムサルマーン(イスラーム教徒)の親分ウスマーン・バーイに仕込まれたファイター。目隠しで闘うことから掛け率を釣り上げている。
ある日、ウスマーン・バーイに呼び出され、ヒットマンであるアンナ(兄貴)の同行を命じられる。
クルマで待機するナンドゥーにヒジュラー(女装の男娼)が声をかけて金をせびる。20ルピー札(36円。物価換算で180円)で追い払おうとしたところで大粒の雨。
間もなく殺しを終えたアンナが駆け戻って来、銃火を避けながら逃走。が、少し走ったところで通行人を跳ね飛ばしてしまう!
いくらラファンギー(ゴロツキ)が主人公でも、これでは感情移入し難いというもの。
この仕事で命を落とすアンナ役が、特別出演のケイ・ケイ・メノン。
「Bhopal Express」(1999)、「Life in a…Metro」(2007)、「Mumbai Meri Jaan(ムンバイー、我が命)」(2008)、「Gulaal(色粉)」(2009)はじめ、味わい深い演技を見せる悲壮系の怪優だ。
本作では短い出演ながら、ナンドゥーに目をかける兄貴を好演。
さて、「ラジュー出世する」Raju Ban Gaya Gentleman(1992)でも見たようにボリウッド映画において雨は、恋のアイテムであり、天からの祝福。今どきのリアルな演出で、一見、これらの約束事を崩しているかのように思えるが、実はナンドゥーが撥ねた通行人こそ、同じ下町で暮らす幼馴染みのピンキーであり、天の配剤と思われる。雨が降り出す直前に現れたヒジュラーも、本来は両性具有者の神人とされ、呪術的な力を持つ。
ピンキーは、今、インド中が熱狂し、「Delhi-6」デリー6(2009)の中でもソーナム・カプールが出場しようとしていたコンテスト番組「Indian Idol」をもじった「Indian Talent」にローラー・スケーティングのフィギュアで出場するのが夢であり、失明してからも練習を続ける。それをサポートするのが「目隠し」ファイターのナンドゥー。やがてふたりに愛が芽生える訳だから、雨の導きと言えなくもない。

(c) Yash Raj Films, 2010.
この、ナンドゥー以上に不屈のファイターと言えるヒロイン、ピンキーを演ずるディピカー・パドゥコーンが実にいい。
下町育ちらしく氣丈で、ぞんざいな言い回しをバリバリ吐き、存在感ばっちり。
大した印象が残らなかった「Housefull(満員御礼)」(2010)と異なるのは、監督サジード・カーンの演出力不足だけでなく、自らをスポーツ・パーソンと言い切る体育会系だけあって、どうも可愛いだけのヒロインは苦手のようで「チャンドニー・チョーク・トゥ・チャイナ」CC2C(2009)など、芯に強さを持つキャラクターの方が光って見える。
監督はヴィッディヤー・バーランのデビュー作「Parineeta(既婚女性)」(2005)でベンガル文学の世界を描き、第2作はバナーラスの旧家の娘が家族を支えるためムンバイーの高級コールガールとなる「Laaga Chunari Mein Daag(ヴェールについた汚点)」(2007)を手がけたプラデープ・サルカル。脚本を兼ねた前作までは、いずれも女性の生き様にスポットを当てている。
本作で初めて出来合い企画を監督したことになるが、これも脚本を読んだ製作者アディティヤ・チョープラー(ヤシュ・ラージ・フィルムズの若頭で「DDLJ」の監督)の嗅覚からプラデープの名が上がったのだろう(条件として若者ウケする演出が提示されたであろうことが、これまでのタッチと異なり派手なバイカー・アクションなどの見せ場が加わっている点から推測できる)。

(c) Yash Raj Films, 2010.
主演は、ラージ・カプール監督・主演「Shree 420(詐欺師)」(1955)のメモラブル・ソング「mera juta japani(おいらの靴は日本製)」などで知られる名プレイバック・シンガー、ムケーシュの孫、ニール・ニティン・ムケーシュ。父は80年代から活躍した同じくプレイバック・シンガー。色白でほとんど白人然としているため、海外志向の強い現代インド人からすると高ポイントとなるのだろうが、日本人からするとなんのためにインド映画を観ているか解らない(苦笑)。
加えてモデル顔が災いして役者としては表情が乏しく、声の張りからしても子役に負けているのが難点だ。不敗を誇る地下格闘技のファイター役なのだから、「Kaminey(イカれた野郎)」(2009)のシャーヒド・カプール並みに筋肉を鍛えて欲しいところ。これでは「Housefull」で見せたリティーシュ・デーシュムークのパンツ一丁の方がボクサーらしく見える。
ちなみに、ラージ・カプールの末弟シャシ・カプールの次男カラン(母は英国人)もまったくの白人顔だったため、ジュヒー・チャーウラーとWデビューを果たすも80年代には時期尚早で姉サンジャナーと共々、芽が出ずに終わっている。
サポーティングは、ナンドゥーの運命を握る下町の親分ウスマーン・バーイに音楽・俳優として異彩を放つピユーシュ・ミシュラーを配置。コミカルだった「Tere Bin Laden(ビン・ラーディンなしでは)」(2010)とは違って、トリックスターを演じた「Gulaal」以上の凄みを見せる。
ピンキーの事故とアンナの死を捜査する警部セートナーに「Rocket Singh」(2009)のCEO役マニーシュ・チョードリー。
ピンキーとナンドゥーの幼馴染みチャディ役が「Wake Up Sid」(2009)の友人役ナミット・ダース。上映時間短縮化により人間関係の描写も省略される中、盲目となったピンキーを妹同然に世話をするのがよい。
音楽監督は新人のR・アーナンド。オープニングのタイトル・ソング「lafangey parindey」のロック・チューンから、「man lafanga」の氣怠いラテン・ナンバルまで幅広くこなす。雨季の匂いが漂う「nain parindey」におけるシルパー・ラーオのほのかに甘い歌声が心地いい。
スケーティング・ダンスの振付は、イタリア人の名フィギュア・スケーター、サンドロ・グエッラを招聘。さすがのディピカーもローラー・スケーティングは生まれて初めてだったそうだが、見事なフォームを披露。下町の鉄火娘から華麗に舞うディピカーまで見られるのが嬉しい。
ゼロ年代に入って経済成長によるデシ(海外生活)志向の波に乗って急成長したヤシュ・ラージ・フィルムズ(YRF)だが、さすがにトップ・ブランドだけあって機を見るに敏。「スラムドッグ$ミリオネア」以降、国内のリアルな暮らしに根ざした傾向を受け、さっそくロワー・クラス物にシフト? これほどまでに描き込んだのはヤシュ・チョープラー監督「Kaala Patthar」黒いダイヤ(1979)以来となる。
YRFと言えば明るい恋愛映画のイメージがあったが、2010年はシャーヒド主演「Badmaa$h Company(悪党商会)」といい本作「Lafangey Parindey(無頼の鳥)」といい、まるで東映の野郎映画に成り下がったかと思うほど(ストーリーからすれば、古い日活映画にありそうだが)。

(c) Yash Raj Films, 2010.
季節の移り変わりをガネーシュ・チャトルティー(8月~9月)、ダンディヤー・ラーズ(9月〜10月)、ディワリ(10月〜11月)などの祭りで綴り、これまたゼロ年代に入って激減したヒンドゥー儀礼的な描写を大復活させているのが喜ばしい。
しかも、これらが祝われる下町広場は、本作のために造営したオープン・セットというから驚きだ。生活感あふれる飾り込みと年季の入ったウェザリング(汚し)から、その他の下町実景と区別が付かないばかりか、マスジド(モスク)もしっかり配置するなどヒンドゥー/ムサルマーンが打ちとけて暮らしている様が描き込まれている。
クライマックスは、話の運びから言ってTV「Indian Talent」の決勝戦。ジャッジとしてゲスト出演するのが、本人の歌声も見事なジュヒー・チャーウラー、近年はコメディ役者としてばかり重宝がられているが90年代はボリウッドで1、2を争うブレイク・ダンサーであったジャーヴェード・ジャフリー、そしてシャーヒドが通っていたダンス・カンパニーの主宰にして、YRFで「Dil To Pagal Hai(心狂おしく)」(1997)、「Bunty Aur Babli(バンティとバブリー)」(2005)、「Dhoom:2(騒乱2)」(2006)などの振付を担当した天才的ダンサー、シアマク・ダヴァルがゲスト出演。
もっとも、この決勝演舞。アディティヤ・チョープラーが監督した「Rab Ne Bana Di Jodi(神は夫婦を創り賜う)」(2008)の同様場面からすると、決定的にエモーショナルが足りない。
そればかりか、このクライマックスを境にこれまでのハードな緊張感はどこ吹く風で、ピンキーのひき逃げ事故とアンナ事件の真相、生死を賭けた闘いであるはずの地下格闘技と決勝大会がダイナミックにリンクすることもなくソフトにまとめられてしまうのだ。
これは、「Parineeta」にしても「Laaga Chunari〜」にしても同様の展開であったので、とりあえずはハッピーエンドに収めたい、とするプラデープ・サルカルの持ち味と思いたい。
*追記。広いインドのこと、実際の盲人が製作・脚本・主演したアクション映画が「Shadow」(2009)。製作年度からすると、本作のインスパイア元?!