Lakshya(2004)#154
「Lakshya(標的)」★★★
ラクシュヤ
製作:リティーシュ・シドワーニー/監督:ファルハーン・アクタル/共同製作:ロニー・スクリューワーラー/製作代表:ゾーヤー・アクタル/原案・脚本・台詞・作詞:ジャーヴェード・アクタル/撮影:クリストファー・ポップ/音楽:シャンカル-エヘサーン-ローイ/振付:プラブデーヴァ、ヴァイバヴィー・メルチャント、ボスコー-カエサル/ヘアデザイン:アドゥナー・ババニー・アクタル/衣装:アルジュン・バシン/美術:スニール・バブー、ソーナール・サーワント、スザンヌ・マルワンジー/編集:アナン(=アーナンド)・スバヤー
出演:アミターブ・バッチャン、リティク・ローシャン、プリティー・ズィンター、オーム・プリー、シャラード・カプール、ラージ・ズトシー、スシャント・スィン、プラシャント・チアナニー、シャキール・カーン、ランヴィール・ショーレー、アジャイ・ジョーセー、アディティヤ・スリワスターワ、ボーマン・イラーニー、クシャール・パンジャービー、ナワーブ・シャー、サンジャイ・M・スィン、アビル・ゴースワーミー、パルミート・セティー
特別出演:アムリーシュ・プリー
公開日:2004年6月18日(年間4位/日本未公開)
Filmfare Awards:振付賞(プラブデーヴァ)/撮影賞
STORY
デリーのノンポリ学生カラン(リティク)は大学卒業後、なんとなく陸軍へ入隊。IMA(インド陸軍アカデミー)でしごかれ、兵隊としての意識が目覚めた矢先、カシミールのカールギル山頂をパキスタン軍が占領。カランも実戦に配備されることとなる。そして、奇しくもTVレポーターになった大学時代の恋人ロミー(プリティー)が戦場取材に訪れ再会するが・・・。
Revie-U
前年に公開された「LOC Kargil」(2003)同様、1999年に起こったカールギル戦争(日本では一般的に「カールギル紛争」と記されるが、英語ではKargil WarないしKargil Conflict)を題材に、新世紀における若者の恋愛事情を描いた「Dil Chahta Hai(心は望んでいる)」(2001)で監督デビューしたファルハーン・アクタルが挑んだ戦争大作。
監督2作目にしてこのような大予算映画や国防を描くとは驚きだが、脚本は彼の父ジャーヴェード・アクタルが担当している。
パキスターンと領有問題がこじれているジャンムー・カシミール(JK)州は、独立運動の激戦地であり火薬庫と言われる。
このJK州で最も最北西に位置し、1959年に起きた中印戦争による中国の実行地域から100km、パキスタンとの未確定国境の停戦ライン(LOC=Line of Control)に接するのが、カールギルである。
1999年5月、パキスタン軍の命を受けたイスラーム武装勢力がLOCを越えてカールギルを見下ろす山頂に陣取り、印パ二国間の軍事衝突へ発展。
インド陸軍は攻略を試みるも険しい岩肌を登りながらの戦闘は圧倒的に不利となり、続々と戦死者を出してゆく。カールギル戦争がインド版「二百三高地」と言われるのはこのためだ。
「LOC Kargil」にしても本作にしても、若き男達が果敢に銃火の中へと命を投げ出してゆく様が描かれている。これを浅墓な蛮勇と思うかは、実際に戦争の局面を持つ国民かそうでないか、に分かれるだろう。
本作での注目点をふたつばかり挙げると、「LOC Kargil」の監督J・P・ダッタが印パ戦争を題材にした「デザート・フォース」Border(1997)にしても敵側のパキスタン兵の描写をあえて削っているのに対し、本作のファルハーンはわずかながらとはいえパキスターン将校にも台詞を与えていること。
もうひとつは、少し前に制作された愛国防衛映画「Maa Tujhe Salaam(母なる神よ、汝に礼拝を)」(2002)では主演のサニー・デーオールが特攻する姿にハヌマーン神が重なられ、否が応でもヒンドゥーの観客に煽りをかけていたが、本作では努めて宗教色を控えている点だ。
サンジャイ・ダット、アジャイ・デーヴガン、スニール・シェッティー、サイーフ・アリー・カーン、アクシェヱ・カンナー、マノージ・バージパイ、アビシェーク・バッチャンなどマルチスター・キャストの大作「LOC」が真っ正面からカールギル戦争を取り上げたのに対し、本作はフラッシュバックでリティクの大学時代と陸軍アカデミー時代を綴って前半が「愛と青春の旅立ち」風、後半が戦争アクション。断崖をロック・クライミングで登り、山頂に陣取ったパキスタン軍の背後を突くクライマックスが冒険活劇風という構成。
(「LOC」は2005年10月に「レッド・マウンテン」という邦題で日本版DVDが発売。なんとこれが4時間の大作からミュージカル・シーンを剥ぎ取って2時間に圧縮した別映画! ラヴィーナー・タンダン、ラーニー・ムカルジー、カリーナー・カプール、イーシャー・デーオールなどのヒロインも一瞬顔が映るのみ。それ故、インドの兵隊がひたすら敵陣に突っ込んで行ってはただ撃たれて死んでゆく、だけの話に。これでは彼らが一体何を守り、何のために死んで行ったのか、まったく伝わらない)
カシミール問題は混迷を極め、近年は対パキスタンだけでなく内政的な問題もはらみ、複雑化する一方にある。
本年11月に、英ブッカー賞受賞の作家にしてカンヌ国際映画祭評議員経験者、活動家、女優でもあるアルンダティ・ローイ*(英語TV映画「In Which Annie Gives It Those Ones」には映画デビュー前のシャー・ルク・カーンも出演)が分離独立派の集会に出席し「歴史的にみて、カシミールはインドの一部ではなかった」と発言したとして現在、当局から煽動罪容疑でマークされており、煽動罪適用による終身刑を科す著名人への言論弾圧が横行と新たな懸念も生まれている。
富豪の息子でニート氣味なノンポリ学生から燃える闘志を抱く陸軍青年を演じ分けるのが、リティク・ローシャン。クライマックスのロック・クライミング・シーンが見物。
この時期、ハリウッド資本「Aditya」や「バグダッドの盗賊」などの企画がアナウンスされていたが、立ち消えとなってしまって残念。
また、カランの父を「3 Idiots」3バカに乾杯!(2009)、「Heyy Babyy」(2007)+「Housefull」(2010)のボーマン・イラーニーに配役。
カールギルで指揮を取る大佐役が、なんとアミターブ・バッチャン!(トレードマークの白髭は口髭だけに省略されているから「Khakee(制服)」(2004)の合間に出演したのだろう)
齢60を数えるアミターブは体調不良から2005年に空腸憩室穿孔手術を受けたが、その前からステージ・ショーで息を切らして時より腰を下ろしていただけに、標高3000m以上のロケ地入りは臨めず、もっぱら室内シーンのみ。と思ったら、しっかり現地入りしており、その役者魂に感嘆する他ない。
また、将軍役に故アムリーシュ・プリーが特別出演。惜しくも2005年に脳出血で他界となったが、本作では元氣な姿が見られるのが嬉しい。
さて、学生時代の恋人ロミー役が、プリティー・ズィンター。
リティクとは「Koi…Mil Gaya(誰か…みつけた)」(2003)に続く共演となるが、このふたり、同じくカシミールを舞台にした「アルターフ」Mission Kashmir(2000)では地方局レポーターとテロリストという組み合わせであった。本作では全国ネットのレポーターに出世した訳だが、どことなく疲れ顔が氣になる。
彼女扮するTVレポーターが現地を訪れるのは、このカールギル戦争がTVで初めて中継された直接対峙の戦争であるため。もっとも、兵士から猛反発を喰らい、彼女はすぐに戦闘地域から追い返されてしまう。
プリティーは、セミロングの学生時代にしろ、レポーター時代のショートカット(どことなくメグ・ライアンを彷彿)にしろ妙に浮いたヘアスタイル。実はこれ、ファルハーンの妻によるもので、しっかりオープニングで「ヘアデザイン:アドゥナー・ババニー・アクタル」とクレジットされていたりする。
大予算の戦争大作とは言うものの、アクタル家のホーム・プロダクト(自家製?)だけに、妹ゾーヤー(後に兄ファルハーン主演「Luck by Chance」で監督デビュー)も製作代表(エグゼクティヴ・プロデューサー。通常、名前だけのことが多い)とファースト・アシスタント・ディレクターを兼ね、父ジャーヴェードが脚本、さらに義母シャバナー・アーズミーへ冒頭の献辞が捧げられている。
脚本を手がけたジャーヴェード・アクタルは、国民映画「Sholay」炎(1975)、「Don」(1978)などサルマーン・カーンの父サリームとコンビ(サリーム-ジャーヴェード)を組んでアミターブ主演のヒット作を連打した元脚本家。現在は作詞の大家として知られる。
本作はアメリカ映画の現代的なテイストを狙ったせいか、往年のマサーラー映画で見せた唸らせる荒技は見られない分、映画的感動は少ない。今どきの若者らしいノンポリと兵士としてのストイズムを描こうとしたせいか、リティクとプリティーの恋愛描写が淡泊で物足りないせいか。
リティクが拘束服を着せられてに踊る、大人社会に締めつけられた若者の思いを表したナンバル「main aisa kyun hoon」は、「Wanted」(2009)の監督プラブデーヴァによるもの。アクロバティックかつアヴァンギャルド(あるいは単にMTV風?)な振付がFilmfare Awards 振付賞を受賞。
「Dil Chahta Hai」の背景音楽がそうであったように、本作でもリティクとプリティーの再会ナンバル「kitni baatein」(ハリハラン×サーダナー・サルガム)とインストルメンタル「separation」が70年代の某名作洋画のサビを「引用」しているのは表敬か。
それにしても戦火から数年後、まだ印パ緊張のムードが残る時期に現地付近へ乗り込み、インド陸軍全面協力の下に制作してしまうとは、さすがボリウッド。実にフットワークが軽く、撮影もハリウッドからドイツ人撮影監督のクリストファー・ポップ(米独羅「ミッドナイト・トレイン」2009未V)を招き、これがFilmfare Awards 撮影賞を受賞。
また、セカンド・ユニット監督に豪「マッドマックス」等のスタント、米「ピッチブラック」やピーター・ジャクソン版「キングコング」等のスタント・コーディネートを手がけたクリス・アンダーソンを起用。緊迫した戦闘シーンを構築している。
カールギル戦争の数年前から印パ両国は核実験で対抗しており、後に核戦争へ突入する一歩手前まで緊張が進んでいたことが報じられた。もし、数ヶ月戦闘しが続いた後に核が使用されていれば、「1999年7の月、空から恐怖の大王が…」というノストラダムスの大予言が的中したことになる。
印パ緊張に伴い年間4位に食い込んだ本作。ここ数年、パキスタンを悪役に仕立て嫌パ心情を煽る作品のヒットが続いたのに対し、1位「Veer Zaara(ヴィールとザーラー)」(ヒロインはプリティー)、2位「Main Hoon Na(私がいるから)」とシャー・ルク・カーン主演作2本が印パ共存を謳い、一転、和平ムードにつながったのは喜ばしい限り。
映画で見るラダックの風景はまさしく絵のように美しく、望むべくは紛争が早く解決し、住民が安心して暮らせるようになることだろう。
*付記。アルンダティ・ローイは1999年、カールギル戦争が起きる直前、政府が強行に進めるダム問題と印パ核実験を激しく問うエッセイ本「わたしの愛したインド(原題「The Cost of Living)」(日本版は2000年発行。片岡夏実訳/築地書館)を執筆。
この本では「周知のようにカシミールは紛争にどっぷりつかっている地域であり、パキスタン人が大はしゃぎでそれを煽っていることは疑いもない。しかし、煽るためにはまず火がなければならないことには間違いあるまい。火種がぱちぱちと爆ぜ、いつでも燃え出そうとしていることに間違いあるまい。インドという国に、カシミール問題への手出しを完全にやめるような誠意のかけらでもあるだろうか?」と書いている。インドという地にはヒンドゥー以前から「アーディーバーシ(先住民)」がいた、というのが彼女の主観のようだ。
ちなみに「Peepli Live」(2010)のラグヴィール・ヤーダウが出世作「Massey Sahib(マッシー旦那)」(1985)で惚れる先住民の娘役を女優時代のアルンダティが演じている。