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Raju Ban Gaya Gentleman(1992)#155

2011.01.01
オススメ度 =陳腐 ★★=退屈 ★★★=平均点 ★★★★=面白い! ★★★★★=お気に入り!!
Raju Ban Gaya Gentleman

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「ラジュー出世する」Raju Ban Gaya Gentleman ★★★★★
ラージュー・バン・ガヤー・ジェントルマン

製作:G・P・シッピー/共同製作:ヴィヴェーク・ヴァスワーニー/原案・脚本・監督:アズィーズ・ミルザー/原案・脚本:マノージ・ラールワーニー/台詞:故チャランダース・ショーク/撮影:ヴィノード・プラダーン/作詞:デーヴ・コーフリー、マヘンドラ・デルヴィ、ヴィヌー・マヘンドラ、マダンパル、マノージ・ダルパン/音楽:ジャティン-ラリット/美術:ゴータム・セーン/アクション:ラヴィ・デーワン/振付:P・L・ラージ、サロージ・カーン/編集:ジャーヴェード・サイード

出演:シャー・ルク・カーン、アムリター・スィン、ジュヒー・チャーウラー、ナヴィン・ニスチョール、アジート・ヴァチャニー、アンジャン・スリワスターワ、アムラート・パテール、サミール・チトレー、ラリット・ティワリ、ヴィヴェーク・ヴァスワーニー and ナーナー・パーテーカル

助演:ラージェンドラ・メーヘラー、イシャード・ハシュミー、ニーラージ・ヴォーラ、アムラー・ラージ、チャンドラモーハン・カンナー、シャウカト・ベイグ、ハリパール・スィン、J・J・ベーンデー、シラス・ダストール、シャーラード・バカーニー、アチュート・ポートダル、プレーム・ラーラー、ラヴィ・パトワルダン、ガガン・グプタ、ディンヤール・ティランダーズ、ヴィノード・ラウト、アルン・ベリー、D・S・バクタ、ラジャブ・ジャフリー、プラモード・ムトゥ、カイラーシュ・コゥーシク、ナーニク、ウメーシュ・ガドゲー

公開日:1992年(日本劇場公開1996年)

STORY
エンジニア(建築技師)になる夢を抱いてダージリンの片田舎から大都会ボンベイへとやって来たラージュー(シャー・ルク)は、下町の人々と交流するうちに美しい娘レーヌー(ジュヒー)と恋に落ちる。やがて、彼女の務めるゼネコンへと入社。ひょんなことから社長令嬢サプナー(アムリター・スィン)に氣に入られ、あれよあれよという間に出世コースへ。そんなラージューに敵意を抱いた専務と社長が手を組んで罠を仕掛け・・・。

Revie-U *結末に触れています。
若きシャー・ルク・カーンの「出世作」にして、20世紀末、日本で起きた「インド映画ブーム」の火付け役。日本でインド産娯楽映画としては、昭和29年に封切られたディリープ・クマール主演「アーン」Aan(1952)と「灼熱の決闘」Chandralekha(1948=タミル)以来、42年ぶりの劇場公開となった。

シャー・ルクは本作の1992年、リシ・カプール主演Deewana(恋狂い)」で銀幕デビュー。この年、出演作はナスィールディン・シャー共演Chamatkar(奇跡)」(1992)など4本を数えるが、単独ヒーロー物の本作はまさに「出世作」と言え、ボリウッドのトップスターを夢見て、デリーのTV界からボンベイへとやって来たシャー・ルクそのまま。

ヒマラヤの山並みに昇る朝日で始まるオープニング・タイトルバックに続き、寺院でボンベイ行きと立身出世を祈るスケッチ。ラージューが祈願を粘るあまり、参拝者の「渋滞」が出来ているのが可笑しい。
御利益あって無事卒業。ダージリンを発つラージューが仲間と浮かれ踊るナンバルdil hai mera deewana(心は浮かれ狂って)」(クマール・サーヌー)となる。
シャー・ルクのバックは現地で集めたエキストラ学生でラフに身体を揺らしているだけだが、氣の良い感じが伝わってくる。少数スタッフで乗り込んだロケ隊の早撮りぶりが小氣味よいカット割りから伺われ舌を巻くほど。

街道沿いを埋め尽くす見物人は、ダージリンに多いティベット系。それだけにエベレスト初登頂で知られるシェルパ、テンジン・ノルゲイにちなんだ「テンジン・ロック」の上でも踊ってみせる。
もちろん、ダージリン名物のトイ・トレインも登場。特に列車と青いジープが併走するのは、ラージェーシュ・カンナートゥインクル・カンナーの父で、アクシャイ・クマールの義父)とシャルミラー・タゴールサイーフ・アリー・カーンの母)主演による名作「Aradhana(崇拝)」(1969)におけるmere sapno ki rani(夢のお姫様)」が重ね合わさる。
このメモラブル・ナンバルは、Rab Ne Bana Di Jodi(神は夫婦を創り賜う)」(2008)のフィルミー敬愛ナンバルphir milenge chalte chalte中、高原を行く汽車に乗ったプリティー・ズィンターの原版でもある。

さて、生き馬の目を抜く大都会ボンベイに着いたラージューが知人を頼って下町アーザード・ナガル(自由横丁)を訪ねるも消息不明。
この時、ホテル(=食堂)の店主たちと訪ねる下町の事情通グル・ダーダー(兄貴)が語りかけている額縁写真は、インドで最も愛される映画Sholay」炎(1975)の国民的悪役ガッバル・スィンを演じたアムジャード・カーンと、これまた伝説的悪役俳優プレーム・チョープラー
すっかりガッバル・スィンになり切ったグル・ダーダーが言う「キトネー・アードーミー・ティー?(野郎は何人だ?)」も「Sholay」の名台詞のひとつ。映画の中では2人(つまりはアミターブ・バッチャンダルメンドラ)だが、ここでは5人来たから話が違う、というギャグ。本作の劇場公開時、開幕早々、意味不明な映画ネタで戸惑った人も多かったはず(苦笑)。

そうこうして、グル・ダーダーが相談に乗っている最中、「夜10時過ぎに騒いで迷惑よ」と、二階の回廊から彼らにバケツの水を浴びせるのがヒロインとなるレーヌー。
ずぶ濡れになったラージューが口から水を噴き出すインサート・カットが可笑しい。
このスケッチの前に、ご丁寧にグル・ダーダーが通りでキャランボード(テーブル・ビリヤード)に興じている連中に「早く終いにしないと空から雨が降るぞ」と言っていたのがこれ。
一見、感じの悪い出会いだが、ボリウッド的には「恋の芽生えで雨(天からの祝福)が降る」変形バージョン。これを心得ていると、ぐっと楽しみ度がアップする仕掛け。

行く当てのないラージューは、シヴァ寺院へ。そこで出会うのが、辻説法師のジャイ。
強盗の振りをしてラージューを試し、都会で生き抜く肝があるとみるや、自分の出前食を分け与え、目をかける。
演ずるは、サラーム・ボンベイ!」Salaam Bombay!(1988)のヒモ役で知られた怪優ナーナー・パーテーカルTaxi No.9211(2006)でも鬼氣迫る芝居を見せていた。
ちなみに本日が誕生日(1951年1月1日生まれ)。

連日、仕事探しに歩き廻るラージューの靴底に穴が空き、これが縁で何かと衝突していたレーヌーと心が通じ合う。
この「靴」から思い出されるのが、本作の原版であるラージ・カプールカリーナー・カプールの祖父)主演・監督Shree 420(詐欺師)」(1955)のオープニング・ナンバルmera joota hai japani(おいらの靴は日本製)」を思い出す。本作同様、「Shree 420」を原版としたBas Itna Sa Khwab Hai…(夢はほんのこれだけ…)」(2001)にも「靴」ネタが用意されている。

ここで本作の最も魅力あふれる下町ナンバルsardi khansi na maleria huakya hua)」へと至る。
ついこの間まで犬猿の仲に見えたラージューとレーヌーが仲睦まじく歩いて帰り、これをラフィーク・チャーチャー(伯父。一般的に親しい年長者への呼びかけ)の茶屋に集まった下町の面々にジャイが得意の口上で活弁調に愛の寸劇を描写してゆく様が滅法面白い。

これが盛り上がって、ジャイがダフリー(ダフ。シンバルなしの大型タンバリン)を取り出し(というか、かけ声と共に落下してくる)、一氣に下町の住民が集うダンスへと雪崩込む。
プレイバックはナーナーがヴィノード・ラトール、シャー・ルクがクマール・サーヌー、そしてジュヒーが可憐なアルカー・ヤーグニク
畳みかけるタブラーのリズムに乗って、恋のマラリア=ラヴェリアにかかったラージューを皆で持て囃す様が実に微笑ましく、ヒロイン、レーヌーを演ずるジュヒー・チャーウラーのなんとも愛らしいことよ。
トップ・コレオグラファーのサロージ・カーンは、サビに合わせて二階の回廊で見ていたレーヌーが思わず階段を駆け下りるショットなど、楽曲、キャメラワーク、演出が三位一体を織りなす機知に富んだ振付を見せる。

この下町、ムサルマーン(イスラーム教徒)のラフィークとアブドゥール、クリスチャンのジョセフ・アンクル、ヒンドゥーのジャイなど氣の置けない暮らしぶりを見せ、まさにアーザード・ナガル(解放区)
ヒンドゥーとムサルマーンが激しく対立するきっかけとなったアーヨーディヤーバーブリー・マスジド(モスク)事件が起こるのは、本作公開の翌月、1992年12月6日のことである。

ラージューはレーヌーの父親が紹介をした図書館の給料日、600ルピーを手に浮かれまくってカー・ディーラーへとレーヌーを連れてゆく。
そこで「今は買えないけど、いつかきっと買いに来る」とカー・セールスマンに告げる。この他愛もないスケッチが、出世したラージューの心情を映し出す伏線となる。

この、人生で初めてクルマを売るカー・セールスマン役が、ヴィヴェーク・ヴァスワーニー。端役俳優の一方で本作の共同製作を買って出たり、ヒングリッシュ「Everybody Says I’m Fine!」(2001)を製作したりしている。
義理難いシャー・ルクは「Billu」(2009)よろしくトップスターになってからもデビュー当時の恩を忘れず、ヴィヴェークのプロデュース作「Dulha Mil Gaya(花婿をみつけた)」(2010)のカメオ出演を快諾。ところが、<主演>のファルディーン・カーンが話にならず、シャー・ルクの客寄せ出演場面がみるみる増えて、ほとんど出突っ張りに。それでも映画の出来は底抜け級…。

やがて、ラージューはレーヌーの務めるゼネコンにアシスタント・エンジニアとして入社。
このインタビュー(面接)場面での見せる口八丁手八丁ぶりが、シャー・ルクの持ち味となり、現在(!)もロングラン・ヒットが続くDDLJ(1995)で活かされることとなる。

さっそく下町の連中はタイトル・ナンバルraju ban gaya gentlemanで就職の決まったラージューを祝う。
ここでもサロージの振付は、ジュヒーらに花火を両手に持たせた(火傷必至?)群舞で印象深い振付を披露。
曲の途中でジャイがブルブル・タラング(インド版大正琴/インディアン・バンジョー)を爪弾くのは、ムサルマーンの食堂店主にちなんだカワリー(=カッワーリー/カウワーリー)・スタイルのサービス。

とは言うものの、ラージューは最初の会議で女性上司が提案した複合商業都市「ドリームランド」プロジェクトを一笑し、調子に乗って「誰もスイミングプールやディスコなんて望んでいませんよ。ミドル・クラスが必要としているは学校や病院、清潔な水なんです」と一席ぶち上げてしまう。
これが後になって、社長令嬢の提案だったと知り、真っ青になる訳だ。

時はインド政府が「ヒンドゥー的経済成長」と揶揄された行き詰まりの社会主義路線から自由経済へドラスティックに方向転換した1991年の翌年である。まだインドがITで世界経済へ乗り出し、同時不況を物ともせず、年8%の経済成長を驀進するとは誰も思っていない。
これが90年代終盤ともなると庶民の目線は忘れ去られ、ボリウッド・メジャー作品のほとんどが豪邸住まいの主人公ばかりとなるのだが…。

ところが、サプナーはラージューの提案を受け入れたばかりか、彼を重用し、次第に心を寄せてゆくのだった。
扮するは、アムリター・スィン。セカンド・ヒロインながらジュヒーより先にクレジットされているのはBetaab(燃える恋)」(1983)でデビューしたキャリア順のため。シャー・ルクとはこの年、Dil Aashna Hai(心は愛している)」(1992)でも共演。
ちょうど本作の前年1991年10月に俳優デビュー前のサイーフ・アリー・カーンと結婚し(サイーフは本作と同じ1992年にデビュー)。ゼロ年代前半に離婚した後、Shootout at Lokhandwala(2007)で愚連隊の母を好演している。

サプナーとのパーティー・ナンバルtu mere saath saath(君は私と一緒に)」は、軽やかなメロディー・ラインが経済開放の夜明けを感じさせる。むっつりしていることの多いアムリターもこのナンバル中とデリー郊外のダーバー(街道沿いにある半露天の食堂)場面では魅力をふりまく。

いつしかラージューはサプナーとのハイソな付き合いに浮かれるあまりレーヌーとは疎遠になり、ラージューの出世ぶりを煙たがる重役のマルホートラ親子と娘の恋愛に懸念を抱く社長チャブリアーが仕掛けた汚職の罠にはめられてしまうのだった。

ラージューが事件に巻き込まれる前振りで、元上司のサクセーナがそれとなく賄賂の話を持ち出した折り、これをラージューが一蹴するのは、原版の「Shree 420」で主人公のラージが村の正直者コンテスト優勝者という変形。
しかし、都会の毒に染まっては転落し、すべてを失うのだ。

サポーティングは、下町の兄貴グル・ダーダーが「サラーム・ボンベイ!」のサーカス親方、Soldier(1998)のインディアン・レストラン・オーナー、アムリット・パテール
下町の食堂で働くアブドゥール役にKhiladi 420(偽闘士)」(2000)の監督で、「Yeh Teraa Ghar Yeh Meraa Ghar(君の家、僕の家)」(2001)よりプリヤダルシャンの台詞を手がける道化役者でもあるマルチタレント、ニーラージ・ヴォーラ
日和見主義のサクセーナ役が、憎まれ小物役専門役者でWhat’s Your Raashee?(君の星座は何?)」(2009)で主人公の父親を演じていたアンジャン・スリワスターワ

サプナーの父、ラールキシャン・チャブリアー役のナヴィン・ニスチョールは、かのレーカーとWデビューし、スーパーブレイク前のアミターブ・バッチャンと伍する若手スターとされるも大成せず。後年は、伝説のトップスターという確信犯的配役のヒングリッシュ「Bollywood Calling」(2001)、小粒映画の秀作Khosla Ka Ghosla!(コースラーの巣)」(2006)などが記憶に残る。

音楽監督はDDLJ(1995)、Kuch Kuch Hota Hai」何かが起きてる(1998)のジャティン-ラリット。めくるめくサウンドは粒揃いで、聴く度に郷愁を誘われる。
サプナーから贈られた邸宅でラージューとレーヌーが愛し合う濃厚セクシー・ナンバル「kehti hai dil ki lagi(心がざわめくと言って)」(アルカー・ヤーグニク×クマール・サーヌー)は、サルマーン・カーンをスターに押し出したMaine Pyar Kiya(私は愛を知った)」(1989)の熱愛ナンバル「mere rang mein(僕色に染まれ)」(なぜかイントロとサビは80年代の某ヒット洋画調)を継承。男がゴールドのドレスをプレゼントして着せる、転じて「黄金の裸体」となり「着せる=脱がせる」のメタファー。
本作では振付がエスカレートしていて、愛撫寸止めでセンサー(検閲)ギリギリ。しかもジュヒーは実にグラマラスとあって、かえってストレートなベッド・シーンより数倍エロティック(これを見ると「性描写規制は表現の自由に反する」などというのが如何に戯言か判ろうというもの)。
もっとも、日本公開時は観客は固唾を呑むどころか、異文化とのギャップから劇場中が爆笑の渦となってしまったのだが(苦笑)。

ついでながら、プロジェクトを任されたラージューが礼を言う場面でサプナーが「シュクリアー(ありがとう)を言うのは他人行儀。親しい間柄では要らないわ」という台詞も、「MPK」の名台詞「マダム、(友達なら)ノー・ソーリー、ノー・タンキュー」の変形。

立身出世の夢を抱いたラージューが夢破れるのは(サプナーの名は夢の意)、彼が祈っていたシヴァ神の計らい。再生への破壊をもたらすシヴァは、偏狭な自我を打ち砕き、心を解き放った後、真の幸福をもたらす。
ラストの法廷で無罪を勝ち取った(決め手となった証言はサプナーによる)ラージューが最後に手にするのは、最愛のレーヌー。
その場面で雨が降っているのは、もちろん「天からの祝福」である。

*追記 2011,01,03
本作の監督アズィーズ・ミルザーシャーヒド・カプール N ヴィッディヤー・バーラン主演で作ったKismat Konnection(運命のコネクション)」(2008)は、本作を下敷きにしている。

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