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Khoobsurat(1999)#150

2010.12.27
オススメ度 =陳腐 ★★=退屈 ★★★=平均点 ★★★★=面白い! ★★★★★=お気に入り!!
Khoobsurat

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Khoobsurat(見目美しき) ★★★ 01.11.15
フーブスラト

製作:ラーホール(=ラーフル)・スガーンド/原案・脚本・台詞・監督:サンジャイ・チェル/撮影:マドゥー・アムバット/音楽:ジャティン-ラリット/詞:グルザール、サンジャイ・チェル/振付:ガネーシュ、アフムド・カーン/編集:アシーム・セナ/美術:チェル-パレーシュ/アクション:マヘンドラ・ヴェルマー/背景音楽:スリンデル・ソーディー

出演:サンジャイ・ダット、ウルミラー・マートンドカル、オーム・プーリー、ファリーダー・ジャラール、アンジャン・シュリワスターワ、アショーク・サラーフ、故ジャティン・カナキア、ヒマーニー・シヴプーリー、ヘーナー・クィレーシュ、スプリヤー・サチン、ヴィシャール・ソーランキー、ヴリティカー、J・D、デーニーシュ・ヒングー、サンジャイ・ゴーラディア、サーシャー

特別出演:パレーシュ・ラーワル、ラザック・カーン
ゲスト出演:ソフィア・ハークィー、ジョニー・リーヴァル

公開日:1999年11月26日(日本未公開)

STORY
ミッション系孤児院で育った詐欺師のサンジュー(サンジャイ)は、密輸組織のボス、ジョギヤー(パレーシュ)とトラブり、孤児の少女グディア(J・D)を人質に取られてしまう。詐欺師仲間ナトワール(ジョニー)のアイディアで、アメリカから富豪のチョウドリー家へ訪れる遠縁サンジューに成り済まし身代金の500万ルピーを為しめようとするサンジューだが、娘のシワニー(ウルミラー)はじめ家族みんなに慕われてしまい・・・。

Revie-U *結末に触れています。
詐欺師がアメリカからやって来た遠縁に成り済ますのは、ゴーヴィンダJoru Ka Ghulam(情熱の奴隷)(2000)でも見られたし、成り済ました詐欺師が善意溢れる家族に慕われて氣が引けてしまうのもゴーヴィンダサンジャイ・ダットJodi No.1(相棒No.1)(2001)でそのまま引き継がれていた。

本作の原型はラージェーシュ・カンナー主演、リシュケーシュ・ムカルジー監督の「Bawarchi(料理人)」(1972)だと言うが、その系譜は無論、ラージ・カプール「Shree 420(詐欺師)(1955)まで遡るだろう。

しかし、本作では誘拐絡みのプロットはむしろオマケのようなもので、サンジューとジョイント・ファミリーのチョウドリー一家の交流、シワニーとのロマンスに重きをなしていて、その意味ではHum Saate-Saate Hai(みんな一緒に)(1999)のファミリー路線に連なる。

監督のサンジャイ・チェルは、Rangeela(ギンギラ)(1995)、イエス・ボスYes Boss(1997)などに脚本・台詞で参加し、本作が監督デビュー作。

サンジューがチョウドリー家に乗り込むまでの第1幕は移動を駆使した撮影(マドゥー・アムバット)と素早いカッティングの編集(アシーム・シンハー)が冴え渡り、チョウドリー家の家族構成をラップ・テイストでジョニー・リーヴァルが語るシーンに、さりげなくスタッフ・クレディットが重なってゆくのが実にクール。

最近のボリウッド映画はハリウッドの流行をエスカレートする形で派手なCGによるタイトルバックが主流となっているが、花びらが散る中を舞う蝶の軌跡に添ってタイトルロゴが書き記され、ローマナイズされたアルファベットからデーヴァナーガリー(ヒンディー表記)、ペルシア・アラビアン(ウルドゥー表記)と変化するCGIは、タイトルソングの美しきメロディーも手伝って鮮烈な印象を与える。

音楽は、現在のボリウッドでアヌー・マリックと双璧をなす「ラジュー出世する」Raju Ban Gaya Gentleman(1992)のジャティン-ラリット。山肌に響くようなクマール・サーヌーの甘いヴォーカルとメロディアスなナンバルは、ほのかに酔わせるような趣がある。

かと、思えば、主演のサンジャイが自慢のダミ声でプレイバック・シンガーにも挑戦。応援団風シャウトが聴ける掴みのナンバル「ghas khake」、ジャズィーなイントロに乗せるラップ・ソング「ae shivani」など楽しめること請け合い。ただ、後者はCDバージョンとは異なり、本編では女性ヴォーカルのシャーラーダーも含めてトーンが低くくなっている。

一方、家族紹介に次いで、シワニー(=シヴァニー)にスポットを当てた「main adhoori si」も心にしみる。ちょっとレトロがかったナンバルで、少女を想わせるアヌラーダーの可憐な歌声をバックにウルミラー・マートンドカルの点景がモンタージュされ静かなパッションを煽る。

第2幕から、ほとんどチョウドリー家の中で展開する。

ここで遠縁サンジュー・シャーストリーに成り済ましたサンジューは、ファミリービジネスをめぐってわだかまりのあった次男マヘーシュ(アショーク・サラーフ)と父ディナナート(アンジャン・スリワスターワ)を仲直りさせたり、生まれつき足の不自由な少年ラージュー(ヴィシャール)を歩かせようとしたり(彼には室内用の電動車イスをプレゼントしている)、とにかく家族の拠り所となる。

さてヒロイン、シワニーだが、少女漫画のサブヒロインよろしくメガネをかけた不美人という設定。

妻に先立たれた長男ディリープ(オーム・プーリー)がアルコール依存症に陥っているように、彼女もまた母を失った悲しみからすっかり奥手な性格の地味な文学少女となってしまい、これでは縁談もままならないと家族全員が心配している。本人も母のように美しい女性になりたい、と隠れて「スマートになる方法」とかいう本を読んでいたりするのだが。

そんなシワニーをサンジューが担ぎ上げてはテラスの手すりへ立たせ、「さあ、胸を張って自信を持って歩くんだ!」と励ます。はじめは怖がっていたシワニーも風を受けて歩く心地よさに目覚め、自信を取り戻し、それはアルコール依存症のディリープにも伝わる。もちろん、メガネを外した彼女は美しく、見合いを乗り切ったシワニーはかえってサンジューへの想いが増してゆく。

時より、一編の詩のようなシーンを見せられ、ドキリとさせられる。

サンジューを呼び寄せたシワニーが彼の手を取り、ふっと息を吹きかける。

「何だ?」

「フィーリング・・・」。

身代金のことなどほとんど忘れてかけていた終盤前、ジョギヤーの圧力を受け、サンジューはいよいよチョウドリー家から身代金の500万ルピーを盗み出さなければならなくなる。

すでに家族同様となっている彼はそれが重荷となって、真実を話そうとするのだが誰も取りあわない。そればかりか、マヘーシュと三男サティーシュ(ジャティン・カナキア)はアメリカでビジネスをしていることになっているサンジューに大金を渡して投資しようとさえする。

金の詰まったアタッシェを部屋へ持ち帰ったサンジューの前に、シワニーの幻影が表れる。良心の呵責に苦しむ彼が鏡を割ると、(心理学の書を持ち出すまでもなく分断された彼の心を表している)鏡の破片のひとつに人質となったグディアが映り、助けを求める。

寝静まった頃、サンジューは各部屋に忍び込んではチョウドリー家から出て行こうとする。その後をラージューが電動車イスで追うが、サンジューは気付かない。庭へ出ると車イスは走れず、思わずラージューは立ち上がってサンジューの名を呼ぶ!

身体が不自由な子供が登場するだけで、すでに見え透いてしまう昨今であるが、本作が心をゆさぶるのは、この後である。

シワニーはじめ起きて来た家族の皆々はラージューが歩けたことを歓び、深夜に黒づくめの服で家を出ようとしているサンジューを誰ひとり怪しまず、むしろ彼のお陰でラージューが立ち上がれたように歓び合う。チョウドリー家の人々が歓び、彼を信頼するほど、サンジューは後ろめたく思うのだ。

だが、仮面は剥がされる。

すり替わられた本人のサンジュー・シャーストリーが現れ、すべてを暴露するのだ。そして、サンジューはさきほどまで慕ってやまなかったチョウドリー家の人々から罵声を浴びせられ、殴られ、蹴り倒される。「盗んだ金はどこだ! そのバッグの中か?」と。

ここでまた脚本に感心するのは、バッグの中身をぶちまけるのが家人ではなく、定番通り乗り込んで来たジョギヤーであることだ。バッグの中身は、現金ならぬピンキーのバービー人形や家族の写真、「バガヴァッド・ギーター」などチョウドリー家の思い出となる品ばかり。彼らと別れ難く思ったサンジューは、それぞれの部屋を回って記念品を頂戴していたわけだ(実は、寝ている彼らの足へ触れて礼をするシーンがある)。

オチはと言うと、ジョギヤーがあっさり捕まり、チョウドリー家の人々は彼を許し、サンジューがシワニーへ愛を告げる・・・といういつものパターン。それが、また佳い。

詐欺師というよこしまな職業に身を置かねばならない主人公が、善意溢れる人々と交流し真人間になってゆく物語はインド映画に数多い。遠縁とは言え、身も知らぬ他人が家族内に入り込んで別れ難くなるほど結びつくストーリーも、基本的には寛容で人を受け入れられるインドの家族形態があるからこそ成り立つプロットであろう。

本作の見どころは、やはりウルミラーである。まさに見目美しきクーブスラティ。前半のメガネをかけ、髪を編んだ文学少女ぶりも愛らしい。

サンジャイは1999年の出演作が7本とあって、Vaastav(現実)(1999)の10月に続いての翌月公開。マサーラー・ノワールで復活したサンジューだが、本作のようにコメディや心温まるファミリー物さえ難なくこなす姿に感嘆してしまう。

サポーティングは、チョウドリー家の祖父ディナナートに「ラジュー出世する」の小賢しい上司、アンジャン・スリワスターワ。祖母スダーに老け役のファリーダー・ジャラール。長男ディリープに、Dulhun Hum Le Jayenge(花嫁は僕が連れてゆく)」(2000)のオーム・プーリー。次男マヘーシュにカランとアルジュンKaran Arjun (1995)のアショーク・サラーフ、三男サティーシュには公開寸前に他界し一部撮影時の生音が使われているジャティン・カナキア、その妻ラトナーにスプリヤー・サーチン、娘ベラにヘーナー・クィレーシュ、幼女ピンキーにヴリティカー、足の悪いラージューにヴィシャール・ソーランキー

ジョギヤー役のパレーシュ・ラーワルは、のっけから揚々と久々の敵役を演じる。その部下、ラザック・カーンは、なんとパレーシュと並ぶ特別出演になっている。

ゲスト出演のジョニー・リーヴァルは、Kuch Kuch Hota Hai」何かが起きてる(1998)の替え唄を歌いながらの登場。

その他、来客にデーニーシュ・ヒングー、らしからぬブティックの店員役にケタケタ笑いのサンジャイ・ゴーラディア、サンジューが連れ歩くバブー・バイーにブルドッグのサーシャーが扮している。

*追記 2005,11,09
掴みのナンバル「ghas khake」に登場するゲスト・ダンサーがソフィア・ハークィー。後半、一瞬だけ登場する組合リーダーとしてChalte Chalte(ゆきゆきて)」(2003)でシャー・ルク・カーンの父親を演じていたハイデール・アリーが顔を見せているが、意外と感じ悪い。

*追記 2010,12,27
とにかく、ジャティン-ラリットの手によるのどかなフィルミー・ナンバルが懐かしい。他愛もないストーリーながら、古き良きインド映画という風合いが実に佳い。
ギャングスターからロマンティック・コメディーまで氣負うことなくこなしてしまうサンジャイ・ダットは、さすがボリウッド・スター。
ウルミラー・マートーンドカルは、この後、サイコ女優と化してしまっただけに、可憐なヒロインとして輝くこの時期が忘れがたい。

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