Bas Itna Sa Khwab Hai…(2001)#143
Bas Itna Sa Khwab Hai…(夢はほんのこれだけ…) ★★☆ 01.08.09
バス・イトナー・サー・クァーブ・ヘェ
製作:マドゥー・ラーメーシュ・ベーヘル/製作・脚本・監督:ゴールディー・ベーヘル/脚本:ティグマンシュー・ドゥリア、マヌー・チョープラー、シュリシュティ・ベーヘル/撮影:サミール・アールヤー/作詞:モナ・アリー、ニダー・ファーズリー、デーヴ・コーフリー、シャーム・ラージ/音楽:アーデーシュ・スリワスターワ/振付:ガネーシュ・アチャルヤー、アフメド・カーン/美術:サブー・シリル/アクション:ヴィクー・ヴェルマー/編集:サンジャイ・サンクラー
出演:アビシェーク・バッチャン、ジャッキー・シュロフ、ラーニー・ムカルジー、スシュミター・セーン、シャラート・サクセーナ、スミター・ジャイカル、ヒマーニー・シヴプーリー、グルシャン・グローヴァル、スチットラー・ピラーイ、アナン・デーサーイー
海外ロケ:ニュージーランド
公開日:2001年8月22日(日本未公開)
STORY
大学入試に受かったスーラージ(アビシェーク)は地元バーナーラスの人々に祝福され、ムンバイーへとやって来、たちまちキャンパスのアイドル、プージャー(ラーニー)と恋に落ちる。一方、スーラージが目標とするメディア王ナーヴェード・アリー(ジャッキー)がペーパーテストと運動能力で高い得点を得た学生にスカラシップを与えると発表! スーラージはリムジンに乗るナヴェードにスカラシップ獲得を宣言するが、陸上競技テストの当日、乱闘に巻き込まれてしまう。
スカラシップを逃したものの、乱闘の最中、襲われた潜入捜査中の警官を助けたことが報道され一挙、時の人となったスーラージのもとへ、ナーヴェードの助手ラーラー(スシュミター)がメディアのトップ・リポーターとなる契約話を持って現れ・・・。
Revie-U*結末に触れています。
アレレレレ?! 一旗揚げようと片田舎からムンバイー(ボンベイ)にやって来た青年が、都会の娘と恋に落ちつつ、サクセスしてゆくものの、生き馬の目を抜く都会の欲望に翻弄された果て、野心を捨てる・・・そう、これはシャー・ルク・カーン主演「ラジュー出世する」Raju Ban Gaya Gentleman(1992)のアビシェーク・バッチャン版、あるいは21世紀版なのである。というより、そのオリジナルはラージ・カプール監督・主演の名作「Shree 420(詐欺師)」(1955)。劇中、タクシー・ドライバーのバイトをするスーラージがショーウィンドーで見かけた高価なスポーツ・シューズを買うシーンでも判る。
もちろん、青緑色の寮のバルコニーにたたずむヒロインは「ラジュー〜」に対応しているが、21世紀版らしくスーラージの「出世」ぶりもバブリーにパワーアップ!
しかしながら、見終わった後に「ラジュー〜」のような心癒される幸福感は少ない。
アビシェークは、イメージ・トレーニングを頼りに出世を望む青年スーラージを力強く演じている。
冒頭、TVインタビューを受けるメディア王を観想するシーンでは、群衆が埋まったスタジアムをリクルート・スーツを着込んだ青年たちが一斉に短距離走をスタート。流れる雲はCGエフェクト、満場の観客もデジタル合成、次々と競争ランナーが消え去り、ゴールテープの向こうにはソファで寛ぐジャッキー・シュロフの姿・・・。非常に判りやすい、「インドらしからぬ」まるでバブル期のスタミナドリンクCFみたいな映像だが、IT革命が大ブレイクする現代インドでは著名大学の入試倍率は数十倍ではきかない難関なのである。
監督のゴールディー・ベーへル(=ベール)は脚本も自ら書き、母親マドゥー・ベーフルと共同プロデュースで監督デビュー。経済開放の1990年代に学生時代を過ごしたニューカマーだ。それだけに古典的なプロットを今風にアレンジ、スシュミター・セーンの魅惑的なダンス・シーンでは「マトリックス」(それとも「チャーリーズ・エンジェル」か?!)を意識したストップ&ゴー・モーションを多用!
またデビュー作「Refugee(難民)」(2000)であまりにダンスが酷かったアビシェークを群像ダンス&編集で「アレレ、踊れるようになったじゃん!」と思わせる巧みな工夫を施している。
もっとも今風にするあまり、「ラジュー〜」で野心を抱くシャー・ルク・カーンを暖かく見守ったジュヒー・チャーウラーや下町の面々の愛情が希薄となってしまっているのが残念だ。「ラジュー」では主人公を導いたトリックスター、ジャイ(ナーナー・パーテーカル)がいたが、本作では不在。代わりに欲望の世界へと誘うメディア王にとって替わっている。
サテライトを使ったメディア・ファシズム(裏では政界とつながり、また過激派を扇動する)を推し進めるナヴェードに対して、スーラージは突っ立ったまま、というのも寂しい。ラスト近くようやくナヴェードが計画を語るビデオを国民に配布して対抗するのだが、サテライトのマスに対して海賊版(?)ビデオ工場やCATV、口コミで対抗するというのがインド的。
「ラジュー〜」と異なり、夢破れたスーラージがプージャーと共にバナーラス(ヴァーラーナスィー)へ戻るエンディングは、経済開放による西洋化が進むライフスタイルに対してインドの初心を忘れないようにというメッセージなのだろうが、その割には全面ハイテック&MTV感覚な演出である(スーラージの初仕事は貧困に苦しむ村を取材し、飢餓を訴えるというのものだが、裸の子供をスタジオに連れ出してのコメンテーターぶり。放送は大成功、スタジオに明かりが灯るとまわりにはディナー・テーブルが・・・)。
ヒロイン、ラーニー・ムカルジーは相変わらず愛らしいが、後半、単に待つだけの女という設定がもったいない。
反面、「ラジュー〜」でシャー・ルクを誘惑する社長令嬢サプナー(アムリター・スィン)に対応するスシュミターは、かなりのインパクト! スーツ姿の彼女も堂々としたもので、誘惑のダンス・シーンもまた魅力的。ただし、プラトニックな関係に留まるのは、ゴールディーの照れか・・・。
ジャッキーは前半の善良な側面と後半の欲望の素顔を見事に演じ分け、例によって惚れ惚れさせてくれる。ラストでは単に腰砕けとなるだけ(「カル」のハン・ソッキュ?!)。
もっとも興行的には、ムンバイーの第1週が51%、他都市で30〜40%台と大苦戦。「ラジュー〜」がシャー・ルクを押し上げたような、アビシェークの名実ともに大出世とはならなかった。
*追記 2010,12,22
アーデーシュ・スリワスターワの手によるアップテンポなナンバル「kya fua(どうした?)」(シャーン/アルカー・ヤーグニク)が心地よかったりする。
これも「ラジュー出世する」のストリート・ナンバル「kya hua(loveria hua)」(クマール・サーヌー/ジョリー・ムカルジー/サーダナー・サルガム)に対応?
>ゴールディー・ベーヘル
先進的なイメージを持ちながらも監督としてキャリアを進めず、ボリウッド・バブリーのゼロ年代後半に再びアビシェーク主演で本格ファンタジー「Drona(ドローナー)」(2008)を発表。インド神話世界をベースに「ハリー・ポッター」に匹敵する優れた幻想物語を構築…と見えたのは序盤だけ。中盤にさしかかったあたりから、あれよあれよという間に演出の冴えが失われ、ペースも失速。本作同様、フロップに終わった。
とは言え、実生活ではソーナーリー・ベンドレーを仕留めたのだから、ノー・プロブレム!
>貧困に苦しむ村を取材
今にして思えば、ゴールディーに先見の明があったとも思えるのが、昨今のテリーウッド(インドTV界)の暴走ぶりが、すでに本作で描かれている点。 アーミル・カーン製作「Peepli Live」(2010)よりひと昔早い。