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Munna Bhai M.B.B.S(2003)#137

2010.12.15
オススメ度 =陳腐 ★★=退屈 ★★★=平均点 ★★★★=面白い! ★★★★★=お気に入り!!
Munna Bhai MBBS

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Munna Bhai M.B.B.S. 06.02.03 ★★★★★
ムンナー・バーイ M.B.B.S.

製作・脚本:ヴィドゥー・ヴィノード・チョープラー/原作・脚本・監督・編集:ラージクマール・ヒラーニー /脚本:ラージャン・ジョセフ/脚本・台詞・作詞:アッバース・タイヤワーラー/撮影:ビノード・プラダーン/振付:ガネーシュ・アチャルヤー、ボスコー/美術:ニティン・デーサーイー/作詞:ラーハト・インドーリ/音楽:アヌー・マリック

出演:サンジャイ・ダット、グレーシー・スィン、アルシャド・ワールシー、スニール・ダット、ロヒニー・ハッタンガディー、ボーマン・イラーニー、ククーシュ・デーブー、ジミー・シェルギル、ネーハー・ドゥベィー

公開日:2003年11月19日(年間トップ4!/日本未公開)

Filmfare Awards:脚本賞、台詞賞、最優秀道化役賞(サンジャイ・ダット)、批評家選作品賞。
Screen Awards:最優秀道化賞(ボーマン・イラーニー)、新人監督賞。
Zee Cine Awards:新人監督賞、最優秀道化賞(アルシャード・ワールシー)、撮影賞、台詞賞。

STORY
ムンバイーで慈善医院を開業しているムンナー(サンジャイ)を両親が訪ねて来る。父親シャルマー(スニール・ダット)は散歩中に再会した旧友Dr.アスターナー(ボーマン)の娘チンキー(グレーシー)との見合いをアレンジ。が、実はムンナーは誘拐監禁を得意とする「ソーシャルワーカー」。見合いの席でこの嘘が暴れ、厳格なシャルマーは勘当同然に立ち去ってしまう。やくざな身上ながら両親を慕うムンナーは一念発起し、医学士の資格(MBBS)を取るため医大へ替え玉入学するが・・・。

Revie-U *結末に触れています。
ムンナーというと、Tezaab(酸)(1988)のアニル・カプールRangeela(ギンギラ)(1995)のダフ屋アーミル・カーンを思い浮かべたものだ。これが、今ではサンジャイ・ダットの当たり役となった。

サンジャイはHum Kisise Kum Nahin(俺たちは誰にも負けない)」(2002)でもアンダーワールドのドン、ムンナー・バーイを演じていたので、はじめはスピン・オフ物かと思ったものだが、サンジャイと役名以外はまったくの別物。

ムンナー・バーイ(坊や+兄貴)という役名を主人公につけたのは、ムンバイー+「MBBS」の語呂に合わせたのだろう。その点、本作の評判を受けて、すぐさま正式にリメイクされたチランジーヴィー主演のテルグ版「Shankar Dada M.B.B.S.」(2004)や、カマール・ハッサン主演のタミル版「Vasoolraja M.B.B.S.」(2004)は、今ひとつ(どちらも各映画界のトップスター主演作。チランジーヴィーは90年代半ば、アミターブ・バッチャンを抜いてギャラがインドNo.1になったテルグのメガスター)。

冒頭、拳銃を持ったチンピラに追われた男がタクシーワーラーに助けを求める。ふたりはタクシーを乗り捨て下町の民家に逃げ込む。男が警察を呼ぼうすると、派手なシャツに着替えたタクシーワーラーがそれを制す。間もなくドアが激しく開き、拳銃を握りしめたチンピラも飛び込んで来る。そこは拉致監禁を生業とするグンダー(愚連隊)の一家、ムンナー・バーイの根城だったのだ。

焦げ付いた借金を取り立てるよう金貸しから依頼されていたムンナーだが、これが金貸しの思い違いと判るや、「女房に電話して、金を持ってくるように言え」と今度は金貸しに凄む。

ここで電報が届く。ムンナーの両親が田舎からやって来るという! この知らせは近隣へ伝えられ、皆慌ててセット作りに奔走! 傑作なのは、なにやら象ほどもあるボロシートがめくられると、なんと救急車が!! ここでムンナーがムンバイーの下町で医院を開業していることになっているのが示される。プロットをひと目で観客に解らせる実に映画的視覚効果だ。

さて、その父親と母親がヴィクトリア・ターミナルスに到着する。ターバンを誇らしげに巻いたシュリー・ハリ・プラサード・シャルマーを演じるのは、50〜80年代前半にかけての大物スターにしてサンジャイの実父であるスニール・ダット。映画出演は16年ぶりとも10年ぶりとも言われる。どのくらい大物スターであったかというと、アミターブ・バッチャン全盛期に彼の主演作「Shaan(威光)」(1980)」へ特別出演した際、主人公が霞むほどの大型アクション・シーンが存分に用意されていたほど!

アンダーワールドの連中からマシンガンと大量の弾薬を購入したかどで服役したサンジャイが完全復活した後、しばらくして飛行機墜落事故が報じられたスニールだが、こうして元氣な姿がスクリーンで見られるのは実に喜ばしい(まだ残っていた肩の痛みを押して撮影に臨んだという。2005年5月、惜しくも心臓発作で他界。親子共演を果たした本作のヒット及び受賞後だったのがなによりである)。

晴れ晴れしいお上りさん姿だけに、さっそくスリに狙われるものの、眼光鋭いシャルマーはスリの腕を押さえ込む。まわりの乗客たちが男を警察に突き出そうとするが、それには及ばず、と人々を礼を述べるのだが、この時、数あるヒンディー映画の中でも非常に珍しい台詞「ダンニャバード」を聞くことができる。たいていは、英語のタンキューか、ウルドゥー語彙のシュクリアが使われるが、ここでヒンディーで「ありがとう」と言わせることで、シャルマーが厳格なヒンドゥー名士であることを示している。

このスリが人々から殴られ血を流したので、「自分の息子が医者をしているから」と両親はムンナーの医院へ連れて来てしまう。この医院にはシャルマーの名が冠せられており、ムンナーが父母のことをどれだけ慕い、また両親が息子のことを誇りに思っているか判ろうというものだ。

この後、スリがムンナーのことに氣づくやすぐさま手術室へ押し込められたり、「1ラーク払うから、夫の命を助けて!」と先の誘拐身代金を持って夫人が駆け込んで来たり(つまりは医は算術をギャグに)、仕込みの入院患者がシャルマーから「どんな病気か?」と尋ねられるや返答に窮して突如心臓発作を演じてみたり、と短いスケッチが矢継ぎ早に折り重ねられ、開幕早々から一流の脚本であることが伺われる。

翌朝、散歩に出かけたシャルマーは、公園で「笑い療法」を行う旧友Dr.アスターナーと再会する。彼の家に招かれたシャルマーは、アスターナーのひとり娘チンキーが成長して女医になっていることを知り、さっそく見合いをアレンジし始める。

これに困ったのは、当のムンナーだ。両親が長居したり、縁談が仕組まれたりすると、自分の嘘がバレてしまう。そこで幼な馴染みであるチンキーに電話して、「自分はファイナンシャーを助けているソーシャルワーカーで医者じゃないんだ」と内情を告白し、なんとか縁談をぶち壊すよう頼む。

一方、アスターナーはお手伝いさんからムンナーの正体を知らされ、見合いの席で彼が医者ではないことを暴くのだ。事実を知ったシャルマーは、自らの誇りの印であったターバンさえ被らず、さっさと帰郷してしまう。落胆するムンナーだが、父親の名を冠した医院の看板が外されるのが忍びなく、医学士の資格(MBBS)を取るため医大へ入学するのであった。

ここでも、早々にムンナーの正体をバラしてしまう脚本術に感心してしまう。

本作の脚本がさらに秀でているのは、ここでムンナーが心根を入れ替えたわけではなくて、あくまでやくざな兄貴そのままのキャラクターであることだ。試験も脅迫による替え玉だったり、解剖の授業で自分専用に「死体」が欲しいとなると、すぐさまモバイル(携帯電話)を取り出し、弟分のサーキットに仕事を命じたりする。

その一方で、ムンナーは恋の悩みから自殺を図った青年を勇氣づけたり、30年間床掃除を続けていながら誰にも顧みられなかった老掃除人に感謝したり、12年前に植物人間となり今は授業の教材にされている「アナン・バーイ」を連れ出すなど、ひとりひとりを生きた人間として接する。やくざの兄貴故に型破りながら人心へストレートに訴えかけ、システマティックに陥った医療の現場を打ち砕いてゆくわけだ。

そして、ムンナーにはひとつ、神業とも言える奇跡の奥の手があった。「ジャドゥ・ケー・チャッピー(魔法のハグ)である。ムンナーがMBBS所得に奮闘するのも、両親の立ち去り際、愛する母(役名は女神パールヴァティー)からJKCをもらえなかったからなのだが、ムンナーはこれを先に見たガミガミ怒りを撒き散らす掃除人にしてみせる。すると、彼の不満や怒りは消え去ってしまうばかりか、この素晴らしき魔法は人から人へと伝わり、果ては童貞を守って清らかに生きてきたあげく末期ガンとなった青年が病室の騒ぎを咎めに来たアスターナーをハグするに至る!

もうひとつ、本作のよく出来た点は、見合い話が持ち上がった徒名のチンキーと本名のスマンが別人として機能していることだろう。これはムンナーの早合点なのだが、そのために同じ大学病院で顔を合わせるスマンにムンナーが想いを抱いてゆくだけでなく、ムンナーが巻き起こす「奇跡」の数々を通して、彼の人間性を知らされ、やがてスマンもムンナーに心を寄せてゆくのである。

ヒロイン、チンキーを演じるのは、ラガーン」Lagaan(2001)のグレーシー・スィンプリティー・ズィンターが悪女を演じた「Armaan」(2002)に続く女医役となる。1級作品として国際的な評価を得た「Lagaan」であったが、やはりボリウッド女優としては平凡な顔立ちであるせいか、その後に出演依頼が殺到したわけでもなかったようで地味なキャリアを歩んでいる。しかし、コメディセンスも感じられ、本作でのチンキー役はなかなかに愛らしい。これがソーナーリー・ベンドレー(テルグ版のヒロインであるが)やゴージャスなスシュミター・セーンあたりだったら、恋愛物の比重が高まってしまって主題をまとめることが難しかっただろう。

グレーシーは、「Lagaan」の時も役作りに往年の人氣女優ヴィジャヤンティマーラーを念頭に置いたそうだが、本作でもコミカルな表情が彼女に似ていることに氣づく。

アルターフ」Mission Kashmir(2000)の製作陣とサンジャイ主演、そしてムンナー・バーイという役名からして、「アルターフ」撮影時から企画が進行していたかに思えるが、意外にも脚本に当て書きされていたのは、シャー・ルク・カーンだったという。

「たとえ明日が来なくても」Kal Ho Naa Ho(2003)でもそうだったが、当時、背中の痛みを抱えていたシャー・ルクは結局降板を申し出、その後、新人のヴィヴェーク・オベローイの名が上がった。しかし、完成された本作を見ると、ヴィヴェークでは荷が重かったであろうし、またシャー・ルクでは彼の存在力からして感動作になることは想像に難くないものの、「ギャングスター」サンジャイが愛を説くことで、そしてスニールとの親子共演という線も含めて骨太で説得力のある作品に仕上がったのだと思える。

ちなみに、シャー・ルクはかなりアイディアを提供していたそうで、彼の降板が決まると、プロデュースしたV・V・チョープラーはそれを買い取ったとか。

注目は、サーキット役のアルシャード・ワールシーだろう! サンジャイの相棒というと、Vaastav(現実)(1999)でコンビを組んだマラーティー演劇界のアル・パチーノと異名を取る(つまりは、背が低い?)サンジャイ・ナルヴェーカルが思い出されるが、Mujhe Meri Biwi Se Bachchao(私を妻から救って!)(2001)でチープな誘拐犯を演じていたアルシャドがこれを熱演。バタフライ・ナイフを器用に振りかざし、22金のネックレス等で着飾り、モバイルのひと声「サーキット、エク・カーム・カロ(ひと仕事しろや)」ですぐさま行動に移る様が、いかにも南アジアのチンピラらしい。特に「死体を用意しろ!」の無理難題にも、フォトジェニックな貧民ばかり探し求めるリッチな極東ツーリスト(日本人や中国人を想定)をだまくらかして叩きのめすくだりが爆笑を誘う。

これが評価されて、Zee Cine Awards最優秀道化賞を受賞(Filmfare Awardsではノミネートに留まる)。翌年「Hulchul」(2005)でもノミネート、アイシュワリヤー・ラーイ主演「Umrao Jaan」リメイク版にもキャスティングされるなど、日の目を浴びて嬉しく思う。

Dr.アスターナーに扮するのは、Main Hoon Na(私がいるから)(2004)の校長役のボーマン・イラーニー。ほとんどアミターブと同じ身長を持つボーマンは、本作でブレイク。最新作「Home Delivery」(2005)まで出ずっぱりで、メジャー・マサーラーには欠かせない名バイプレーヤーとなった。

もっともKuch Kuch Hota Hai」何かが起きてる(1998)で校長を演じたアヌパム・ケールのような泣き所も用意されたコメディ・リリーフにまでなるのは、まだ少し先のようだ。本作では、シャルマーの友人という年齢に合わせるため、頭を丸めて役柄に望み、Screen Awards 最優秀道化賞を受賞。

シャルマーとの再会シーンで彼が実践している「笑い療法」はインドでわりと行われているのか、ジョニー・リーヴァルFiza(フィザ)(2000)の中でもギャグにしていた。

童貞胃ガン青年ザヒール役に、Mohabbatein(幾つもの愛)(2000)のジミー・シェルギル。端正な顔立ちながら華に欠けるところが、実直な役柄にマッチ。

チンキーの替え玉としてクラブに登場するのが、Gadar(暴動)(2001)でアミーシャー・パテールの母親役を演じていたリレッティー・ドゥベイの娘ネーハー・ドゥベイー

ムンナーに脅されて代役で試験を受けるDr.ルスタム役は、Jankaar Beats(ジャンカル・ビーツ)(2003)の失言弁護士ククーシュ・デーブー。ムンナーの試験に自分で代役していながら、「How I do know,sir?」と素っとぼけるのが実に可笑しい。

他に役者名未解読ながら、ムンナーらとボードゲームに興じるパッパーや掃除夫マクスード、ムンナーと同室になるスワミー、そして一際印象の強いアナン・バーイも忘れ難い。

音楽監督は「Main Hoon Na」のアヌー・マリック

自殺未遂の青年に語りかける芝居仕立てナンバル「apun jaise tapori」中、ジャズィーなフレーズから転じてムンナーが愛の悲調を伝えるリリカルなメロディーラインは、「ゴッドファーザー愛のテーマ」をなんとなくアレンジしたもの。この曲はAashiq(愛人)(2001)でもサンジーヴ・ダルシャンがディスコ演歌調に借用していた。

プレイバックは、ヴィノード・ラトール。野太い声色がサンジャイにマッチしていて違和感なし。

「ラーニー(クイーン)を狙うぜ!」とムンナーが飛ばしたボードゲームのコマが足下に転がり、スマンがはじらうときめきナンバー「chann chann」は、Devdas(デーヴダース)(2002)でアイシュワリヤー・ラーイのプレイバックを受け持っていたスレーヤー・ゴーサルをフィーチャル。なにかとヴィジュアル向きではないプレイバックシンガーが多い中で、スレーヤーは清涼感漂う美声に相応しいインド的な美顔の持ち主。

また、母性愛のテーマとして、「Mission:Kashmir」でもソーナーリー・クルカルニー扮する母親が亡き息子を回想する「so ja chanda」のスコア(シャンカル-エヘサーン-ローイ作曲)が使用されている。

ブリーフ一枚で踊らされる新入生イジメのシーンに流れるのは、サンジャイが主演した「レザボア・ドッグス」(1992=米)の勝手にリメイク「Kaante」トゲ(2002)からスニディー・チョハーンが歌う「ishq samudar」アナン・ラージ・アナン作曲)と「Devdas」の名曲「dola le dola」イスマイェル・ダルバール作曲)。なんと、こちらはサロージ・カーンがFilmfare Awardsを受賞した振付と同じ!!

テルグ、タミル版がリメイクされただけでなく、続編が製作中! タイトルは「Munna Bhai MBA」でなくて(笑)、「Munna Bhai Meets Mahatma Gandhi」(相変わらずMが多い)。今度はムンナー・バーイがガーンディー並みに非暴力を説く?? ん、それではアイシュに一目惚れして暴力が振るえなくなった「アナライズ・ミー」(1999=米)のリメイク「Hum Kisise〜」のムンナー・バーイそのまま?!

サンジャイ、アルシャード、グレーシー、ボーマンもそっくり続投するのが嬉しい。次作ではサーキットの息子ショート・サーキットも活躍か?

本作は、撮影のビノード・プラダーン、美術のニティン・デーサーイーはじめ「Mission:Kashmir」の製作陣が集結。「M:K」の監督V・V・チョープラが製作にまわり、編集だったラージクマール・ヒラーニーが初メガホンを取る。

ロビン・ウイリアムス主演「パッチ・アダムス」(1998=米)からインスパイアしたとのことで、多少、その背景が見え隠れするものの、実話ベースであること、上映時間が「短い」ことが足枷となって、単にエピソードを足早に羅列しただけで各キャラクターが活かされていなかった「パッチ〜」を完全に凌駕している。サンジャイ主演では新作「Zinda(生存)(2005)が「オールドボーイ」(2003=韓)のフルコピーであることからすると本作は完全なオリジナル作品といえよう。

自殺未遂の少年を勇氣づけたムンナーは、危篤に陥ったルスタムの父パップーをボードゲームで復活させ、ルスタムから神と讚えられる。末期ガンのザヒールがこれを真に受けてしまうのだが、彼の運命を変えることは出来ず、無力を思い知ったムンナーは査問会の席で自らのチーティングを明かし、医者になることを断念するに至る。

各エピソードを巧みに織り上げたV・V・Cとヒラーニーによる共同脚本は、どこを切っても金太郎飴なくらい計算し尽くされ、まったく隙がない。

では、ヒラーニーの演出はというと、これまた緻密な仕事ぶりを見せる。

再三に渡って取り上げるが、サーキットが「死体」を用意するシーンは出色の出来だ。東洋人ツーリストに声をかけるサーキットへ弟分が買い物袋を見せる。「バッグを持って来い」と言ったのは死体袋のことなので、ここでひと笑い。一刻も早く「貧しいインド」を見たがるこの男に身長を尋ね、言葉巧みに救急車(!)の中へ招き入れようとする。そこへ頭の上に編み篭と棍棒を載せた近所の女がフレーム・イン、ひょいと棍棒を取り上げたサーキットが救急車の中へ消え、ドアが閉まるや頭をぶち割る鈍いSEが入る。そして、一斉に鳩が飛び立つカットへと立板に水の如く続くのだ。

アスターナーが見合いの席でムンナーの素性を暴くシーンも地味ながら、長年、編集に携わったヒラーニーがフレーミングとキャメラワークを知り尽くていることを示している。

シャルマーがアスターナーの追求に「バス!(充分だ!)」と分け入り、母親とムンナーが奥に立ったフォー・ショットとなる。ここでシャルマーがムンナーに問い質すと、シャルマー親子のドラマとなるべく、アスターナーがそっとフレーム・アウトする。無論、これはボーマン自身の芝居によるものでなく、ヒラーニーの指示であることは、その後にキャメラが母親を軸にしたスリー・ショットにズーム・インすることでも判る。

どこからが脚本に書かれた効果で、どこからが監督による演出なのか、線引きが難しいことからも、巧みに練り上げられた作品であることがわかろうというもの。やはり監督自身が脚本を書けなくてはならない、というよい見本であろう。

もちろん、編集の面でも、まわりのジュニア・アーティスト(エキストラ俳優)たちのリアクションを折り込んだモンタージュが冴え渡っている。

加えて、本作を鮮やかに仕立て上げているのが、アッバース・タイヤワーラーの手による台詞。名前は武骨だが、作詞家としても活動。本作でも「M bola to」「apun jaise tapori」のナンバルを手がける他、Asoka(アショーカ王)(2001)、「Main Hoon Na」、「Salaam Namaste」(2005)などにも提供している。

ダイアローグ・ライターとしては、巧みに韻を踏んだ台詞作りを得意とする。冒頭の、両親が医院を訪れるシーンでスリが手術室に押し込まれるや効果音が入り、母親の問いにサーキットが「ドゥライ(殴りつけてる)」と答えてしまう。すぐさま「シライ(縫いつけてる)」とムンナーが訂正。さらに、ムンナーから「死体を用意しろ」と命じられたサーキットが、洗濯夫にカメラを向ける東洋人をみつけるや「インポート・ボディ・チャレゲ・ナ(舶来品でもいいスか?)」と口にする発想には舌を巻く。

(この解剖のシーンで、ヒラーニーは本物の死体を使いたがったそうだが、さすがのインドでもそれは叶わなかったようだ。後半、ムンナーを助けるべく教授連が行うチーティング補習シーンも、この解剖室が使われている!)

長丁場のヒンディー映画公開が無理ならば、日本映画界でも是非リメイクして欲しいところである(すると、主演は定番役所広司?!)。

*追記 2006,03,10
テルグ映画、タミル映画に続き、カンナダ映画でも「Uppi Dadaa MBBS」(2006)という題でリメイクされ、本年リリース。監督は、D・ラージェンドラ・バブー。主役のウッピー・ダーダーはウペンドラ、サーキット役はグルダットという人。ヒロイン・チンヌーにはタミルやマラヤーラム映画に出演している美人女優のウマ。ウペンドラはやかましく、音楽の出来は今ひとつだが、全体には良好らしい。

*追記 2010,12,15
>タミル版「Vasoolraja M.B.B.S」
ヴィドゥー・ヴィノード・チョープラーラージクマール・ヒラーニーが原作者としてクレジットされている正式リメイク。主演はタミル映画界のスーパースターでHey Ram!(神よ!)」(2000)やAbhay(アブヘイ)」(2001)、Mumbai Express(2005)でヒンディー映画=全国区への乗り込みを試みて
いるカマル・ハッサン。しかし、これが安手のコテコテ映画となっていて、カマルも自主企画で見せる入れ込みようはどこ吹く風で、ユルく流した芝居で済ませた印象。「3 Idiots」(2009)も南インド映画界でリメイクされるが、観客嗜好からすると別物になりそう。

>続編「Munna Bhai Meets Mahatma Gandhi」
タイトル「Lage Raho Munna Bhai(やってよ、ムンナー兄貴)」(2006)に変更。ムンナーやサーキットの関係は同じだが、必ずも本作のストーリーそのままの続編でなく、「男はつらいよ」的なシリーズ化と言える。
そのためかグレーシー・スィンは外され、本作でアスターナー役であったボーマン・イラーニーは別キャラのラッキー・スィンを演じ、女優陣もヴィッディヤー・バーランディヤー・ミルザーと美人度をアップしてヒット狙いの配役に転じている。
シリーズ3作目として「Munna Bhai Chale Amerika(ムンナー兄貴、アメリカに行く)」がアナウンスされていたが、サンジャイ・ダットの服役などでペンディングとなり、ラージクマール・ヒラーニーは「3 Idiots」を監督。

>グレーシー・スィン
インド映画初の米アカデミー賞外国語映画賞ノミネート「ラガーン」、年間トップ4の本作とヒット作のヒロインを獲得しながら、すっかり人氣に火がつかなかったグレーシー。やはり平凡な顔立ちがゼロ年代のバブリーな氣分にマッチしなかっただけでなく、どこか棘のある表情が不人氣の理由であろう。近年はパンジャービー、マラヤーラム、ベンガリー、オーリヤー、テルグなどリージョナル(地方)映画を渡り歩いているのが現状。
久々のヒンディー映画「Dekh Bhai Dekh(ねえ、兄さん)」(2009)も欲深い悪女役の後味の悪いブラック・コメディーであった。同じ悪女映画でも、「Lage Raho〜」でヒロインに抜擢されたヴィッディヤーが演じた「Ishqiya(欲情)」(2010)が好評であったのとは大違い。シリーズのヒロイン女優でこうも命運が分かれるとは…。

*追記 2010,12,19
医学生向けの「標本」として使われる植物人間アナン(=アーナンド)・バーイ役は、ヤティン・カルイェーカル。長らく端役俳優として歩んだ後、「Iqbal」(2005)でシュレーヤス・タルパデーの父親役に昇格。本作での髪と髭が伸びきったメイクから「人間らしく」髪を切り落とし髭を剃る変貌が印象深かったのか、米資本の英語映画「The Hangman」(2005)でも冒頭の死刑囚役で起用されている。

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