Abhay(2001)#128
Abhay(アブヘイ) 02.09.16 ★★★★★
製作:カライプリ・S・ターヌー/監督:スレーシュ・クリシュナ/脚本:カマル・ハッサン/台詞:アミターブ・スリワスターワ/撮影:S・ティッルー/詞・詩:ジャーヴェード・アクタル/音楽:シャンカル-エヘサーン-ローイ/背景音楽:マヘーシュ/振付:タールン・クマール、ゴーウタム&コーキラー/アクション:ヴィクラム・ダルマ/美術:サミル・チャンダ/編集:MU・カーシー・ヴィシュワナータン
出演:パドマシュリー・カマル・ハッサン、ラヴィーナー・タンダン、ナヴィン・ニスチョール、ヴィクラム・ゴーカレー、リアズ・カーン、アヌー・ハッサン、スミター・ジャイカル、シュリヴァラーブ・ヴヤス、ミリンド・グナージ、キトゥ・ギドワーニー
特別出演:マニーシャー・コイララ
公開日:2001年11月16日(日本未公開)
STORY
陸軍特殊部隊のヴィジャイ少佐(カマル)は、ニュース・キャスターのテージャスウィニー(ラヴィーナー)と「デキちゃった結婚」となる。ところが、長年施設に入れられている双子の弟アブヘイ(カマル)が怒り狂って脱走し・・・・。
Revie-U
インドにはあらゆるタイプのスターがいるが、カマル・ハッサンは自己のイメージを打ち壊してあらゆる役柄に(あるいはタブーに)挑戦してゆくタイプに思える。
同じタミル語映画界のスーパースターでも、イメージを固定することで神格化されているラジニーカーントとは対照的だ(ちなみにカマルは、スーパースターでなく、インド政府より授与されたパドマシュリーの称号付きでクレジットされている)。
そのカマルが「Hey Ram!(神よ!)」(2000)に続いて製作/監督したサイコ・スリラーが本作・・・とボリウッドでも思われている。
が、今回のカマルは脚色のみ。「原作」自体はカマルが1983年に「Tail Weekly」紙に連載した小説「Daayam」で、本作のタミル語版タイトルは「Aaalavandhaan」。
そして、本作でカマルが監督までタッチしなかったのは、なまじっかな一人二役双子映画ではないからだ。
一人二役の映画は昔からインド映画の定番ジャンルであったが、デジタル合成が導入されると更に盛んになったようだ。近作をざっと見渡したところでも他人の空似ではシャー・ルク・カーンの「Duplicate(瓜二つ)」(1998)、アジャイ・デーヴガンの「Yeh Raaste Hain Pyaar Ke(愛の道標)」(2001)。
双子物では同じくアジャイの「Hindustan Ki Kasam(インドの誓い)」(2000)、アクシャイ・クマールの「Khiladi 420(偽闘士)」(2000)などがあり、いずれもキャラクターが善悪に分けられている。
カマルもすでに20本近く一人二役をやっているというが、本作のアブヘイとヴィジャイはケタ違いの双子だ。
はじめに登場するヴィジャイは、ナショナル・セキュリティ・ガードの少佐。テロリストに占拠された別荘へ人質奪回に向かうオープニング・エピソードは、雪に閉ざされたカシュミールとあって「Pukar(叫び)」(2000)を彷彿とさせるが、本作の方がリアルなテイスト。釘打機で人質の手を打ち付けた犯人をプラスチック爆弾で爆殺し、ヴィジャイ(勝利)という名に相応しい(過剰な)英雄的行動を見せる。軍人らしいボックスカットと口髭の役作りだ。
一方、アブヘイは少年期から精神病院の施設(ほとんど刑務所に等しい)に収容されたサイコ・キラー。全裸ではいつくばっていたところを例の拘束服を着せられ、結婚を告げに来たヴィジャイとテージャスウィニーとの面会に現れるのが登場シーン(ヴィジャイたちが面会室に入ると、格子の隙間から入り込んだ猿がいて、アブヘイの不吉さを暗に印象づけている)。
スキンヘッドのアブヘイは、強いて言えばハンニバル・レクターと化した「裸の大将」! 面会室のコンクリートを噛り取るや、破片を吐き出して看護人(ほとんど刑務官に等しい)やヴィジャイを攻撃。似たような体形の仲間と脱獄して、その首を切断し、自分を死んだことに見せかける。
クライマックスでは、「Mr.インディア」Mr.India(1987)モガンボのスピンオフ??「Oh Darling Yeh Hai India(オー・ダーリン、これぞインディア)」(1995)の悪の首領ことアムリーシュ・プーリーよろしく全身に(スキンヘッド含む)蛇のタトゥーを施し、「ターミネーター」(1984=米)を軽く凌駕する不死身の追跡魔ぶり!!
なにしろ、ヴィジャイたちの乗用車を飛び乗ったトラックで激突! ヴィジャイのサブマシンガンが火を吹きトラックが玉砕すれば、今度はバイクを奪って突っ込む!! さらに体当たりして奪ったベンツのサンルーフに身を乗り出し、手には鉄パイプ、足でハンドルを操作してスピンターンまで決めてしまう!!
しかも、ドラッグを服用し、極度の幻覚(しばしばカートゥーンに)を得ているから始末に終えない。その名の通り「恐れるもの無し!」と、まさにインド映画史上最狂のアンチ・ヒーローと言えよう!!!!
このヴィジャイとアブヘイのマッチングがほとんど判らないのだから舌を巻くほかない。
スキンヘッドのアブヘイに対し、ヴィジャイがヅラであれば話は早い(「Yaadein(思い出の数々)」では、地がスキンヘッドのアムリーシュが刈り上げのヅラを着用している)。
撮影の手順から言えば、まず地毛のヴィジャイのすべてのシーンを撮影してからスキンヘッドのアブヘイのシーンに臨むというものだが、先に撮影するヴィジャイのシーンはすべて「完全なOKテイク」でなければならなず、一旦、カマルがスキンヘッドになってしまったら撮影は後戻りはできない。すべてのシーンの照明設計を数十日以上後に「完全に再現」しなければならない、と非常に難易度の高い撮影だ(天才的なスクリプターなしでは不可能!)。
ただ、ヴィジャイがボックス・カット(ひらたく言えば、極端な角刈り)がポイントになっていて、アブヘイが帽子を深々と被ることでミュージカル会場や分離独立記念日の軍事パレードといった再撮影が出来ない大掛かりなシーンを1スケジュールで可能にしている。
このため、ハリウッドからVFXコンサルタントやスーパーバイザーが招聘され、撮影にはコンピュータ制御のモーション・コントロール・カメラが多用されている。
さすがに、アブヘイとヴィジャイの死闘が続くクライマックスではアブヘイがフードを被っていたり、ヴィジャイが防弾用にヘルメットを被ったりするなどで対処、肉弾戦のシーンが演じられるビルの屋上がセットで撮影されている(言うまでもなく、照明を同一にするためだ)。もちろん、ストーリーボード・アーティストも雇われている。
「T2」(1991=米)のラストでジェームズ・キャメロンが取った人を喰った手法、つまりリンダ・ハミルトンの吹き替えが本物の双子の姉(!!)だったように、カマルも本当の双子だと言われれば、そのまま信じてしまっただろう。
さらに見事なのは、ヴィジャイとアブヘイを巧みに演じ分けたカマルの演技力だ。
ヴィジャイの動きはまさに軍人そのもので、ガンさばきも実にリアル。タイトルロールのアブヘイがインパクトあるだけにそちらへ目が行きがちだが、キャラクターの強弱と撮影のタイムラグを考え抜いてヴィジャイに扮しているカマルに驚愕せざる得ない(その上、自らプレイバックも。これがなかなかの美声!)。
さて、気になるストーリーの方だが、後半、アブヘイにつけ狙われ身の危険を感じたヴィジャイは、テージャと共にリゾート地ウーティーへ。
これは一見、新婚旅行を兼ねているように見えて、実は少年期を過ごした、今は朽ち果てている「別荘」を訪れるのが目的であった。
ここでヴィジャイは、子供の頃吸っていたビリー(安物の巻き煙草。日本名「ビディ」)を隠していた幅木からアブヘイの日記を発見する。ある時期にふたりは寄宿学校へ入れられたのだが、アブヘイだけ病気を理由に家に戻ったのだった。その日記には、ヴィジャイすら知らない、義母を殺害したアブヘイの狂氣への歩みが綴られていた・・・。
第2幕後半で長々と回想シーンにて真相が明かされるという、全体にブットンデル本作としては意外にもオーソドックスなシナリオ作法である(この構成は「Raaz(神秘)」も同じ)。
若い後妻との歪んだ愛情に溺れる父親に厳しく育てられながら、何故アブヘイだけが幻覚に目覚めて行ったのか?? かつての韓国映画が潜在的に南北分断をテーマにしていたように(ちなみに、本作のスポンサーは、インド進出を果たしている韓国の自動車メーカー、現代モータース)、ヴィジャイとアブヘイという双子がメタファーとして意味するところは南北インド、つまりアーリア的なるものとドラヴィダ的なるものを意味するのか?? はたまた、単に西洋化した現代インドの風潮と伝統的インドの行く末を示唆しているのか?? さらに一歩踏み込んで、ドラッグ・ムーヴィー「Hey
Ram!」のバージョン・アップとも言える本作を書き下し、「アブヘイは、まさにインド人」と言い切るカマルの内面を考察してゆくことは大変興味深いのだが、キリがないのでこのへんで終えておく。
(ちなみに、少年アブヘイにタトゥーを施すシャーマンというかイカレた先住民は、プトゥクリからしてニルギリ山中に住むトダ族と思われる。観光化されている彼らは撮影に起用し易かったのだろう)
ヒロイン、テージャスウィニーに扮するは、このところ「女優」としてのキャリアを伸ばしつつあるラヴィーナー・タンダン。DV夫に復讐する「Daman」(2000)、ストリップティーズ・ダンサー役の「Aks(憎しみ)」(2001)などヒンドゥー規範からするとキワモノ的作品の出演が続く。本作の役どころも、婚前交渉により妊娠しているニュースキャスター、とキワドイ。
アブヘイの幻覚シーンでは、キャット・ウーマンまがいのブラック・レザー・スタイルで激しい殺陣やナイフ投げ、休暇シーンでは実銃のサブマシンガンもぶっ放して果敢なところを見せる。が、全体に印象が薄いのは、テージャのキャラクター自体が脚本で単に怯える妊婦に留まっているためだ。
そんなラヴィーナーを軽く喰って女優魂を見せつけるのが、ミュージカル女優シャルミリー役のマニーシャー・コイララ(特別出演ながら、タイトル・ビリングもヒロインのラヴィーナーと同格の2番目)。
なにしろ、ドラッグ好きのワガママ女優という設定で、アブヘイとエクスタシーやスノー(ヘロイン)をキメながら、幻覚を見たアブヘイに惨殺された上、火だるまとなる! おまけにPシーンまであっては、なまじっかのボリウッド・スターでは尻込みするであろう役。オファーを受けた時、「何故、私なの?」とマニーシャーも言ったという(カマルによれば、脚本段階のイメージはスシュミター・セーン。それが役の「モデル」なのか、単に「イメージ・キャスト」なのかは不明・・・)。
マニーシャーとカマルは、「インドの仕置き人」Hindustani(1997)でも共演済みで、はじめアブヘイの幻覚シーンにてミュージカルの看板から抜け出してのパントマイム、雨の中でのミュージカル、そして先のホテルでのドラッグ・タイムまでカマルとは息の合ったところを見せる。
しかしながら、「Cats」風のタイトなミュージカル衣装は極度にランバー化した彼女の下半身が目立って仕方なく、「これは着ぐるみ」と信じたいほどなのが玉に瑕。
サポーティングには、テージャスウィニーの両親に、「Jung(闘い)」(2000)のナヴィン・ニスチョールと「Na Tum Jaano Na Hum」(2002)のスミター・ジャイカル。
アブヘイとヴィジャイの叔父役、「ミモラ 心のままに」Hum Dil De Chuke Sanam(1999)のヴィクラム・ゴーカレーは、食道癌のため声帯を手術した設定で、第一幕早々の登場で物語の不吉な展開を予感させる。そして、脱獄したアブヘイが姿を見せるとショック死!
アブヘイが収容されていた施設の精神科医ドクター・スリニワーサ・ラーオに、「Sarfarosh(命知らず)」(1999)でパキスターン情報部員役を演じていたシュリヴァラーブ・ヴヤス。この人、陰険な人相のため嫌みな役回りが多い(特にパキスターン人役)が、今回はアブヘイの幻覚にも度々登城して「ほう、カートゥーンの幻覚、面白いね!」などとカウンセリングしたり、なにかと愛嬌があった。
回想シーンの第3幕で登場するヴィジャイとアブヘイの父親サントーシュ役は、「ヴィラサット 愛と宿命の決断」Virasat(1997)、「Devdas」(2002)のミリンド・グナージ。
若き継母ジェンティには、当初タッブーという話も出たそうだが、アート映画出身のキトゥ・ギドワーニーがキャスティングされている。タッブーではやはりタッブーという先入観を抱きがちなので、この場合、マイナー女優だが「Dance Of The Wind(ダンス・オブ・ザ・ウインド)」(1997)にてナント映画祭主演女優賞獲得した実力のあるキトゥで正解と言える。カマラもタッブーになっていれば、脚本を変える必要があったと語っている。
そして、 オープニングで釘打機を打たれるテロリスト役は、「Lagaan(地税)」(2001)の密告者ラカー役ヤシュパール・シャルマー。
監督のスレーシュ・クリシュナは、タミル映画界出身のようで、近年はテルグ映画やマラヤーラム映画にも手を染めている。
また、「マトリックス」(1999=米)、「M:I-2」(2000=米)のノウ・ハウを身に付けた編集助手ジョン・リーがマネージング・ディレクターとして参加。本作を観たラーケーシュ・ローシャンがさっそく次作に起用するとか。
サイコ・キラー、ドラッグ、日本ではすっかり容認された感があるもののインドではまだまだんだタブー視される<デキちゃった結婚>などなどキワモノ的な題材に加え、結婚式もホテルのクラブを借切った単なるパーティーだけの地味婚と、明らかにインド人観客の嗜好とは違う本作。
予想通り苦戦の興業に終わったが、ボンベイ第1週が54%と意外に高い数字を示し、観客意識の変化が感じられる(2001年は洋画テイストの「Dil
Chahta hai(心が望んでる)」がトップ5ヒットであった)。
系譜としては「ドーベルマン」(1997=仏)、「ピンクフロイド/ザ・ウォール」(1982=英)、「羊たちの沈黙」(1991=米)などで、かのアイヴォリッツ国際ファンタスティック映画祭あたりがあれば、大喝采を受けたことだろう(58回ヴェニス国際映画祭などに出品されたらしいが、確認できず)。
異なるエンディングとキャスティングを持つタミル語版も検討されたそうだが、ただでさえ複雑な撮影なのでやめたとのこと。もし製作されていれば、トマス・ハリスの原作「ハンニバル」を向こうに回してアブヘイとテージャスウィニーが結ばれたのだろうか???
*追記 2010,12,05
>Abhay
人によっては「アバイ」と発音されたりするが、本作や「Pyaar Impossible!(愛はインポッシブル!)」(2010)の劇中では「アブヘイ」と発音。
>吹き替えが本物の双子
ボリウッドでこれが可能なのは、アムリター・ラーオ?
>パドマーシュリー
毎年数十人に授与される文化勲章で「パドマーシュリー」は四等勲。カマルは1990年にオーム・プーリーなどと共に授章。
全般にインド人は肩書き好きだが、特に南インド映画ではスーパースターやメガスターなどと付けてクレジットするのが好まれて(張り合って?)いる。ボリウッドでは献辞の場合に「シュリー・アミターブ・バッチャン」などの例が見られるが、そのアミターブにしても自らの出演作でそのようにクレジットしたりはしない。
カマルの最新作「Dasavathaaram(10の化身)」(2008=タミル)では「Dr.Kamal Hassan」とクレジットされている。
さて、本作を今話題の人物で日本版「Abhey(エビヘイ)」としてアブなくリメイクして欲しいところ。TVアナウンサーとデキ婚した代々続くエリート警官に狂氣の双子・海老平がいた!というストーリー。未明の六本木を舞台にスキンヘッド&ステテコ姿の海老平が血まみれで暴れまくり、ヒルズ周辺が火の海と化す。途中で海老平に絡むドラッグまみれの人氣歌手役に某元有名歌手がサプライズ出演!…と、なかなか面白そう(苦笑)。