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Salma(1985)#122

2010.11.27
オススメ度 =陳腐 ★★=退屈 ★★★=平均点 ★★★★=面白い! ★★★★★=お気に入り!!

SalmaSalma(サルマー) 06.11.15 ★★★★

製作・監督:ラーマナン・サーガル/脚本:グルシャン・ナンダ/脚本監修:パーニー・マズムダール、タビシュ・スルタンプリー/撮影監督:K・ヴァイクント/作詞:ハッサン・カマル/音楽:バッピー・ラーヒリー/振付:ヒーラーラール、ヴィジャイ-オスカル/美術:ラーム・イェデーカル/セット・デザイン:アグネス・フェルナンデス/スリル:A・マンソール/サルマの衣装:バーヌー・アタイヤー/普通の衣装:スマン/衣装デザイン:カーチンズ、ニュー・スタイル、マダヴ/ワードローブ:プラムード・R・アイヤール、マダン・M・ラトード/編集:スバーシュ・セーガル/音響:ナリンデール・スィン

出演:ラージ・バッバル、サルマー・アガー、ファルーク・シャイク、ショーマー・アナン、プラデープ・クマール、スジート・クマール、スシュマー・セート、イフテカル、チャンデール・シェーカル、マドゥー・マリーニー、ジュグヌー、ジャグディーシュ・ラージ、パロー、シャキール、ラージ・ラーニー、リリプット、シーマー、トゥントゥン、ヴィジャイ・カヴィシュ、スニール・ナーヤル、ダリープ・スッド

客演:プレーマー・ナラヤン

STORY *結末に触れています。
ナワーブの息子、アスラーム(ラージ・バッバル)は寝台列車で美しい女性と同室になる。後に、彼女が歌手のサルマー・バナラスィー(サルマー)だと知る。彼には富豪の婚約者ムンターズ(ショーマー)がいるものの、サルマーに惚れて……。

Revie-U
当サイトでは、ボリウッド映画をヒンディー語インド映画と定義して来たが、ヒンディーは大英帝国がインドを統治するにあたってウルドゥー語をベースに作り上げた<新しい言語>とされる。ボリウッド映画界ではウルドゥーを話す多くのムサルマーン(ムスリム/イスラーム教徒)が働き、ヒンディー話者(主にヒンドゥー)たちもペルシア的な風俗に浪漫を抱き、歌舞演劇、そして映画にもその影響が多く見られる。話言葉としてはほぼ同じ言語ながら使用する文字がまったく異なるという、まさにインド亜大陸に住むムサルマーンとヒンドゥーの関係が見て取れる。

本作は、ムサルマーン観客向けに作られたウルドゥー映画であるが、またヒンドゥー観客からも評価が高い1本だ。

ストーリーは、至って単純なメロドラマ。

ヒロインのサルマー・アガーは、カラチ出身のパーキスターン人。その名の通りなかなかの麗人で、ラーニー・ムカルジーを書き写したような高貴さを漂わせる。少女時代にロンドンへ移り、16歳でパーキスターン人と結婚。

しかし、間もなく離婚し、妹サビナと組んで当時流行していたABBAをウルドゥー/ヒンディーに吹き替えて歌ってみれば、これが大受け! 母親がリシ・カプールの従姉妹であったことから、彼とニートゥー・スィンの結婚式に招かれたところを映画監督B・R・チョープラーヤシュ・チョープラーの兄)の目に留まり、「Nikaah(結婚)(1982)のヒロインに抜擢されたそうだ。続いて「Disco Dancer」(1982)でブレイク中であったミトゥン・チャクラワルティー「Kasam Paida Karne Wale Ki」(1984)で共演、本作の後はパーキスターンとインドを往復して両国の映画に何本か主演していた。

見どころは、女カッワールの歌合戦だろう!

カッワーリーはイスラーム神秘主義教団チシュティー派の宗教歌であるが、これが市井では楽団ごとに分かれての歌合戦なども行われて親しまれている。本作では、これがガーイカー(女性歌手)と女楽団同士で対決というのが振るっている。

さて、サルマーはというと対抗馬の策略で咽を痛められるものの、そこはヒロインだけに見事、歌い負かす。無論、プレイバックはサルマ自身。そのハスキーな歌声は力強く、胸に響く。

後半、身分の低いサルマーとの恋を知ったアスラームの父親ナワーブが彼に銃弾を撃ち込み、手術中、サルマがダルガー(イスラーム聖者廟)で回復を祈るナンバルも心に染み入る。

そこは運命の悪戯。全快したアスラームは、サルマが友人の歌手仲間イクバールと出来てしまったと思い込み、父親からアレンジされたムンターズとの結婚に同意してしまう。

式の当日、祝いの歌舞披露のために招かれたサルマーが毒を呷りながら畳みかけるようにアスラームへの永遠の愛を歌い踊り切るや、その場に倒れ、来客の見守る中、息絶えた彼女を抱きかかえては結婚式に飾られた花壇に寝かせ、アスラームが傾いたその首を正す様が実に物悲しい…。

アスラームを演じるは、Jaani Dushman(命の敵:奇譚篇)(2002)のラージ・バッバル。80年代を通して多数の映画に出演。本作のように主演作も数多いが、90年代に入るとB級映画に欠かせない怪しげな存在となった。近年では、「Bunty Aur Babli(バンティとバーブリー)」(2005)でアビシェーク・バッチャンの父親役が記憶に新しい。

アスラームの友人イクバール役が「踊り子」Umarao Jaan(1980)でナワーブ・スルターンを演じたファルーク・シャイク。もっとも、「踊り子」同様に印象は薄い。

ムンターズ役のショーマー・アナン「たとえ明日が来なくても」Kal Ho Naa Ho(2003)で、本作でアスラームの母親を演じているスシュマー・セートと一緒に醜いバジャンを歌っていた、あの人。この頃は、わりと艶っぽく、後年の面影を見てとるのは難しい。

アスラームの父親ナワーブ・バカル・アリーに扮するは、「Taj Mahal」(1963)、「Noor Jehan」(1968)などのプラデープ・クマール

また、ムジュラー・シーンに「踊り子」のプレーマー・ナラヤンが踊り子役でゲスト出演。

その他、往年の脇役イフテカルトゥントゥンなどが端役で登場。

カッワーリー、ムジュラー、ガザルと綴られるイスラーム音楽の数々は、まさに数珠玉のよう。作曲は、奇才バッピー・ラーヒリー! 400本以上の映画にフィルミーソングを提供し、なんと、この年だけでも手がけた作品は33本に達する。フィルミーナンバルは、どれも秀逸。

また、サルマーの瀟洒な衣装は、Lagaan」ラガーン(2001)のバーヌー・アタイヤーの手によるもの。ラージ・バッバルらの衣装にはDon(1978)でアミターブ・バッチャンの身を包んでいたカーチンスなどが使用されている。

ゴロツキどもが歌っているのは、DDLJ(1995)でもシャー・ルク・カーンが歌っていた、シャシ・カプールムンターズ主演「Chor Machaye Shor」(1974)のパーティー・ナンバル「le jayenge」

アスラームの愛車はジープながら優雅な天幕トップなのがオシャレ!

原版はパーキスターンの悲恋話らしく、ヒンドゥー文化に押しまくられているボリウッドにあって、イスラーム様式が堪能できるのが嬉しい。

アダーブ。

*追記 2010.11.27
>カッワーリー、ムジュラー、ガザル
ヌスラット・ファテー・アリー・ハーンが来日し、ワールド・ミュージック界隈で持て囃されたあたりでは「カッワーリー」とカタカナイズされていたが、現在では「カウワーリー」との表記が学術的に推奨されている。もっとも「Hum Kisise Kum Nahin(誰にも負けない)」(1977)のリシ・カプールOm Shanti Om」オーム・シャンティ・オーム(2007)のシャー・ルク・カーンなどは劇中「カワリー」と<>にアクセントを置いて発音している。また、カワリーの歌い手はカワール(カッワール/カウワール)と呼ばれる。

ムジュラーは、宮廷でなく(下々の)郭で芸妓が踊るカタックを示したが、カタックと限らずとも場末の酒場で踊り子(映画ではアイテム・ガール)が酔った男どもを前に踊るダンス。一般的には下卑た意味合いを持つ。

ガザルは、ウルドゥー詩を唄い、「恋歌/哀歌」などと紹介されるメロディアスな歌謡。パンカジ・ウダースジャギート・スィンなどの歌手が自らハルモニウムを弾きながら歌う場面がしばしば見られる。日本での演歌(の一部)にあたるとも言えるが、単に通俗的な歌謡ではなく、スーフィー的な意味合いも込められているものもある。また、映画用書かれたナンバルは「フィルミー・ガザル」と称される。

カワーリー、ムジュラー、ガザルは、イスラームのムガル文化を色濃く残した3点セットとしてボリウッド映画に継承されている。

>サルマー・アガー
その後も90年代半ばまで女優として活躍。かのレーカーとはひと味違った妖艶さを持ち、そのハスキーでありながら透明感を持つ歌声が魅力。自身の出演作で既存のプレイバック・シンガーが当てられることもある一方、自身の出演作でない作品でも「プレイバック・シンガー」として起用されている。

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