Tere Naam(2003)#104
「Tere Naam(君の名前)」 04.11.03 ★★★★★
製作:スニール・マンチャンダ、ムケーシュ・タルレジャ/監督:サティーシュ・コゥーシク/音楽:ヒメーシュ・リシャームミヤー、サジード-ワジード/作詞:サミール、ジャレース・シェルワーニー/撮影:S・シュリラーム/アクション:マヘンドラ・ヴェルマー/振付:ガネーシュ・アチャルヤー、チンニー・プラカーシュ、レーカー・プラカーシュ
出演:サルマーン・カーン、ブーミカー・チャーウラー、サチン・ケーダーカル、サルファーズ・カーン、ラヴィ・キシャン、アナン・デーサーイー、サヴィター・プラバーン
ゲスト出演:マヒマー・チョウドーリー
公開日:2003年8月15日(年間トップ13/日本未公開)
STORY
不良のラーデー(サルマーン)は、ヒンドゥー司祭の娘ニルジャーラー(ブーミカー)と知り合い、彼女に魅かれてゆく。しかし、彼は自身の中に巣喰う「闇」を持て余していた。その愛がニルジャーラに受け入れられたものの、彼は暴漢に襲われ頭蓋を割られてしまう・・・。
Revie-U *結末に触れています。
サルマーン・カーンの学生物とは珍しや。もっとも「Kuch Kuch Hota Hai」何かが起きてる(1998)を筆頭とする明るい学園物とは一線を画する。どこか猥雑で血腥いオープニングのキャンパス・シーンは、「Durga(ドゥルガー)」(2002)を思わせる。中途半端なロン毛のスケベ分けにサングラス&チェーン・スモークのサルマーンは、かなり厭世的な不良学生だ。
「働かざるものは、喰うべからず」と兄から叱責されるや、朝飯を返上して出かけるラーデー。やることと言えば授業に出るでもなく、駅のプラットホームにバイクを乗りつけ、通学途中の女学生を捕まえては敬礼で挨拶させたり、ノートを取り上げたり。その上、弁当を摘み喰いさえする。ラーデーは口に触れた指先を取り巻きボンクラ学生のシャツで拭こうとして猛然と嫌がられるが、なんとその女学生は水筒を差し出し、彼の指を濯がせるのだ(一旦清められた指先を拭うのは容認される)。
それもそのはず、彼女はヒンドゥー寺院に仕える司祭の娘で、毎朝寺院を洗い清めてから登校するのだ(お清めナンバル「man basiyaa」。アルカー・ヤーグニクの清らかな歌声も手伝って、ヒンドゥー規範に生きる清浄さを感じさせる)。
翌朝、女学生は言いつけを守ってラーデーに敬礼するが、その時、彼は路上暮らしの少女を愚弄した男どもを叩きのめしている最中であった! ラーデーの中には、不良性と正義感が混在していた。若き日のアミターブ・バッチャンから連なるインド映画の「怒れる若者」を引き継いでいる。
彼女の名は、ニルジャーラー。ヒンドゥー寺院を祀る司祭の娘で、ノートには栞代わりに孔雀の羽根を忍ばせている。寺院を家族と共に訪れたラーデーは、ニルジャーラーの歌う賛歌に心が洗われる。純粋な彼女の存在に、虞犯青年の彼も自然と涙目になってしまうほど。
ヒロイン、ニルジャーラーを演じるのは、テルグ映画界出身のブーミカー・チャーウラー。ソフィスティケートしたモデルまがいのボリウッド若手女優とは異なり、どこかおっとりとした風合いは懐深いインドを感じさせる。ラーデーと出会う時は言われた通り、いつも「グッド・モルニング・サー」と軍隊式敬礼するのがまた可愛い。
こっそり孔雀の羽根を取り出すラーデーの妄想ナンバー「tum se milna(君に逢いに)」(ロケはマナリ)でのふたりは、「Maine
Pyar Kiya(私は愛を知った)」(1989)のサルマーンとバギャーシュリーを思い出される。もっとも溌剌としたバギャーシュリーと違って、ブーミカーは少々ウェットな地味さだが。
このナンバル中、ニルジャーラーは、ラーデーのキテレツな髪形を疎ましく思ってハサミを持ち出したり、ラーデーがカフェで長い髪の女とお茶しているのをみつけ嫉妬を露にすれば実はロン毛の男だったと判って恥じらう。これをラーデーが妄想してる、というのが二重に可笑しい(しかも裸で孔雀の羽根と戯れているところを義姉にみつかって!)。
ラーデーは次第にニルジャーラーへ魅かれてゆくが、彼の不良性から彼女に誤解され、嫌われてしまう。だが、彼の内面の苦悩と義侠心を寺院に勤める修行者ラメーシュワールが見抜いていて、ニルジャーラーの誤解を解く。だが、ラーデーは自分の心を受け入れてもらえない焦りからニルジャーラをー「拉致」してしまうのだった!
このへんの唐突な狂氣は、監督サティーシュ・コゥシクの前々作「Mujhe Kucch Kehna Hai(私に何か言わせて)」(2001)で主人公のトゥシャール・カプールが恋したカリーナー・カプールに血で書いた恋文を送るなどでも見られた。
サティーシュはコメディ役者として知られるが、監督作品も多く、年間トップ7入りした「Hum Aapke Dil Mein Rehte Hai(私はあなたの心の中に)」(1999)以降、年1作のペースで監督業もこなしている。そういえば、「Humara Dil Aapke Paas Hai(私の心はあなたのもの)」(2000)もヒロインのアイシュワリアー・ラーイが司祭の娘で苦難の道を歩むというものだった。
ただ、重いテーマを扱ったかに見えて、後半、NRI娘のソーナーリー・ベンドレーがセカンド・ヒロインとしてかき回すラヴ・コメになってしまう「ねじれ」た構成で観る者を戸惑わせ、続く「MKKH」と典型的なマサーラー・タッチだったのに対して、本作は学園ダンス・ナンバルがあるものの、全体的にシリアスなテイストで描かれている。特に、聖なるタージマハルを俗なる鉄道高架下に据えたオープニング・カットなど、映画の本題が見て取れるかのようだ(舞台設定はアーグラーだが、キャンパス・シーンはじめ市街ロケはハイダラーバードないしムンバイーなど)。
撮影は、2001年か。ラーデーが映画館に殴り込むシーンで、サティーシュの出演作「Kyo Kii…Main Jhuth Nahin Bolta(なぜなら・・・私はウソは申しません!)」(2001)が上映されているのはご愛嬌。
さて、彼女を「拉致」したラーデーだが、その内面を吐き出し切るや、遂に聖女であるニルジャーラーに受け入れられ、歓びの舞い上がりナンバル「oodhni」(ロケはジョードプルのバール・サマンド古城)へ。しかし、物語は意外な展開に進む。なんと、ラーデーは派手な喧嘩に巻き込まれ、脳天をかち割られてしまうのだ!
CTスキャンにかけられるが、彼の意識は正常に戻る当てもなく、果ては「収容所」と呼ぶ以外に形容しようのない場所へ送られてしまう! 家族の想いも虚しく、植物人間となったままなのか。いや、ニルジャーラーの純粋な愛から湧き上がるマントラが、暗い収容所の床に横たわったラーデーの意識を呼び起こすのであった!
だが、それゆえニルジャーラーが恋していることを知った父親からラーメーシュワルと結婚させられることになる。彼女は一目ラーデーに逢わんと(彼女のよき理解者でもある)ラーメーシュワルを伴って「収容所」を訪ねるが、意識を取り戻したラーデーは脱走を試みて屋根から落下し、脚にひどい怪我を負ってまたも床に伏していたのだった。目覚めたラーデーは立ち去るニルジャーラーの後ろ姿を見て、彼女の名を叫ぶが、収容者たちの起こす騒音にかき消されてしまう! 嗚呼、まさしく「君の名は」に等しきすれ違ひ!
収容所から戻ったニルジャーラーはラーデーの兄から彼が二度と正常に戻らないことを告げられ、遂に挙式が執り行われることになる。ラーデーは彼女に逢いたい一心で再び脱走するが、ひたすら歩き通して彼女の家にたどり着いた翌朝、すでに中庭の聖なる火(結婚の儀であるアグニ神)が消された後だった。なおも奥の部屋へ進むラーデーが見たものは、花嫁衣装のまま白い布にくるまれて横たわるニルジャーラーの死に顔だった!
ヒンドゥーの掟に従い、唯一愛する者をラーデーと定めたニルジャーラーは、愛に殉死したのだった。ラーデーは、この時悟る。もう俗世で生きる価値はない、と。引き止める友人や兄を後に、自ら収容所の護送車に乗り込むのであった・・・。
近年のボリウッド映画としては「Pyaar Tune Kya Kiya…」(2001)以上に救いのない結末。タミル映画「Sethu」のリメイクというのも頷ける(ゴーヴィンダ版「春琴抄」の「Pyaar Diwana Hota Hai(恋に狂って)」(2002)もタミル映画であった)。
このへんもあって、テルグ映画界出身のブーミカーが起用されたのだろうか。彼女はその後もヒンディー作品に出演。再びサルマーンと共演した「Dil Ne Jise Apna Kahaa」(2004)がこの9月にリリース(封切り)されたばかり。
一方、サルマーンは例によって筋肉を見せびらかす一面もあるが、自らの内面に苦悩する青年を好演。サードゥーが治療を行うアーシュラムに入れられてからは、顔面には生々しい傷痕の特殊メイク、散切り頭、首と手足に鎖をつながれ、襤褸(らんる)を纏い、林檎の食べ方さえ思い出せず、これには兄弟ならずとも涙してしまう。これがボリウッド・スターか、というほどの汚れ役だ。それだけに、ニルジャーラーへの一途な想いが炙り出される。
サポーティングは、ラーデーの兄役に、脳天が若ハゲしてしまったサチン・ケーデーカル。友人アスラーム役にサルファーズ・カーン。ニルジャーラーの理解者ラーメーシュワル役にラヴィ・キシャン。ラーデーの再起不能を告げるドクター役にアナン・デーサーイー。
そして、学園ポップ・ナンバル「o janna」に、ゲスト・ダンサーとしてマヒマー・チョウドーリーがヘソ出しルックで登場。
また、ラーデーの脳天をかち割る町のゴロツキ役で、アクション監督のマヘンドラ・ヴェルマーが姿を見せている。
サミール、ジャレース・シェルワーニー(「lagan lagi」)による作詞、ヒメーシュ・、サジード-ワジード(「lagan
lagi」)による軽快かつメロディアスなフィルミーソングは、どれも秀逸! ブーミカの初々しさも手伝って、甘いミュージカル・ナンバーが一服の清涼剤となっている。
「タミル映画のリメイクはコケる」というボリウッドでのジンクスを破り、この「暗さ」ながらまずまずのヒットとなったのは、フィルミーソングの出来の良さと、やはりインド人のカルマ観に強く訴えたためだろう。
*追記 2005.10.12
ブーミカ・チャーウラーもボリウッド・メジャーデビュー前にアルターフ・ラージャーのPV「jab se door
lage ho」に出演。恋人と結ばれ、一児をもうけるがあえなく病死。長じてバレエ・ダンサーになり、トロフィーを持ち帰る娘の少女時代も演じる二役。
*追記 2006.03.13
お清めナンバー「man basiyaa」は、スバーシュ・ガイー監督作「Kisna」(2005)の英語ナンバー「my wish come ture」にてメロディーがアレンジに引用されている。
年代からすると天下のA・R・ラフマーンが引用したことになるが、ヒメーシュ・リシャームミヤーが以前にラフマーンが書いた曲を借用していて、ラフマーン自身は自分の曲を再利用したのか? 真相は不明。
また、本作はカンナダ映画でもプラカーシュ・ラワがリメイクしているという。あるいは、テルグ映画「Sethu」のオリジナルか?
*追記 2010.11.10
本作のフィルミーソング音源をそのまま流用したパキスタン映画「Tere Naam part 2」は、続編でなく「No.2(ドー・ナンバル=二流品、偽物)」の意味。主演のシカンダル・サーナムはこれが当たって「Munna Bhai MBBS part 2」、「Ghajini part 2」などパロディ・シリーズが続々製作され、「パキスタンのチャウ・シンチー」と呼べそう。