Hey Ram!(2000)#103
Hey Ram (神よ!)! 01.04.30 ★★★★
ヘーイ・ラーム!
製作・脚本・監督:カマル・ハッサン/音楽:イライヤラージャー/詞:サミール、スリヴィルプトゥル・アンダル、ジボナーンダ・ダース/美術:サブー・シリル
出演:カマル・ハッサン、シャー・ルク・カーン、ラーニー・ムカルジー、ナスィールッディン・シャー、アトゥール・クルカルニー、ヘーマー・マーリニー、オーム・プリー、ナースィル、ソォーラブ・シュクラー
Filmfare Awards:美術監督賞
STORY
1940年代。モヘンジョ・ダロ遺跡(現パーキスターン)で、考古学者のサケット・ラーム(カマル)は親友のアムジャード・カーン(シャー・ルク)たちと働いていた。しかし、カルカッタへ戻ったラームは、パキスターン独立を叫ぶムスリム過激派に襲われ妻アパルナー(ラーニー)を失う。暴動の夜、復讐市民となったラームはヒンドゥー原理主義者ラーム・アブーヤンカル(アトュール)に出合い、彼の怒りはパキスターンの分離独立を支持するガーンディー(ナスィールッディン)へとシフト。やがて、ガーンディー暗殺へと向かったラームは、親友のムスリム、アムジャードに再会する・・・。
Revie-U
近年、ムサルマーン(イスラーム教徒)とヒンドゥーの対立をテーマにしたニューウェーヴ作品は幾つもあるが、インド建国の父ガーンディー暗殺をテーマにするとはなんと大胆な!
主演・製作・脚本・監督・プレイバックに一人五役で挑むは、タミル語映画のトップスターでヒンディー語映画の世界でも名高いカマル・ハッサン。ボリウッドからはシャー・ルク・カーン&ラーニー・ムカルジーはじめ、往年のスター、ナスィールッディン・シャーがガーンディーを、マラーティー語演劇界の名優アトゥール・クルカルニーが主人公の写し鏡となるヒンドゥー原理主義者を、現代のシーンでムスリム・ヒンドゥー抗争を鎮圧する警官隊長に「Dil He Dil Mein(心は心に)」(2000)のナースィルなど多くの実力俳優が結集!
冒頭、まず驚かされるのが、モノトーンの画面に同録の映像。危篤状態の老人ラーム(SFXメイク)が現代から回想する構成。英国統治を色濃く残す高級クラシックカーが行き交い、タキシードで正装したパーティー会場など、くすんだルック(画作り)も手伝って再現された1940年代のシーンはまるでインドロケの英国映画を見るようで戸惑ってしまう。もっともすぐにパーティーでのミュージカルナンバルとなるのだが。
A・R・ラフマーンの師匠であるイライヤラージャーの音楽もどこか前衛的。亡き妻アパルナーを追想するラームがカルカッタを彷徨するシーンでのナンバル「janmon ki jwala thi tan」はとても57歳の作とは思えない瑞々しさと挑発を伴い秀逸(アーシャーとハリハランの輪唱が、失われた思いを見事にかき立て実にエモーショナル!)。
最愛の妻アパルナーを演じるラーニーは、唇を重ねるキス・シーンや官能的なベッド・シーンも辞さない女優ぶり(と言っても、シーツをまとっているだけだが)。ベンガル出身である彼女のハスキー・ヴォイスで朗読されるバンゴーリー(ベンガル語)の詩「akashe jyotsna」(ジボナーンダ・ダース作)も印象的。短い出演パートながら、映画の格をしっかり果たしている。
それにしても、ずんぐりむっくりの体形にオールバック&黒縁眼鏡と戦前のミュージカル俳優古川緑波を思わせながら、妻をレエプし惨殺したムスリム暴徒をワルサーP38片手に次々と復讐してゆくカマルは、ブロンソン演ずる「デス・ウィッシュ」シリーズの自警市民ポール・カージーを彷彿とさせる! しかも、アルコールで酔ったラームがアパルナーの死体や銃殺したムスリム、盲目の少女をフラッシュバックしたり、ヒンドゥー原理主義者のアジトでドイツの様々な拳銃を見せられるシーンにおいてヒンドゥーの聖なるシンボル卍*が回転しナチスの鉤十字となって炸裂するCGI、銃床付きモーゼル・ミリタリーを手にしたラームが力に酔い竜巻と同化するシーンなどドラッグムーヴィーと化す!!!
終幕では、家族を捨てヴァーラーナスィーで沐浴しヒンドゥー原理に命を捧げたラームがガーンディーに接近。暗殺を準備し、まるで「ジャッカルの日」(1973=米)。警察の手入れで失った凶銃モーゼルを探すラームは、ムスリム街で再会したアムジャードの宗教・民族を越え死を通してまでも示された友情に初めてガーンディーの真意を理解する。
ここでガーンディーが別のヒンドゥー原理主義者に暗殺され、フィルムは色を失う。モノトーンの画面は単に現代と過去を区別するためだけでなく、ひとつのメタファーであったのだ! 現場に居合わせたラームが暗殺されたガーンディーのサンダルと眼鏡を拾い、半世紀後、ムスリム・ヒンドゥー間の暴動の最中に絶命する彼の遺品がガーンディーの子孫に返される時、再び世界は色彩を取り戻す。因みに、銀残しのように見えるモノトーンの画面は、カラーフィルムをコンピューター処理したもので、現代の暴動シーンでは街中に吹き荒れる爆炎、銃撃の閃光のみ赤く処理されている。
ジャケットを見る限り、シャー・ルクが出ずっぱりのように思えるが、一幕と三幕に登場するのみ。が、自身もムスリムである彼は堂々とガーンディー信奉者を演じテーマに厚みをもたらしている。タイトルのラームは主人公の名前であると共に、ムスリムが神の名を唱えるのと同様にヒンドゥーが神を呼ぶ時の名である。
*追記 2002.08.22
タイトルは、ガーンディー最後の言葉。
*追記 2010.11.09
>カマル・ハッサン
「ミセス・ダウト」を下敷きにした「Chachi 420(偽おばさん)」(1997)以降、精力的にヒンディー映画の全国市場進出を試みるが、ボリウッド映画そのものに融合することはなく、あくまで「南インドのスター」というポジションを保持しているようで、ボリウッド映画人製作の作品にキャスティングされるといったこともない。
ゼロ年代に入っては出演数を抑えていて自主企画に力を注いでいるのか、本作を含めて13本ほど。内、ヒンディー映画(としてのプロジェクト)が3本とあって、南インドのファンからすれば物足りないかと思う。
また自主企画では本作を含めてかなり入れ込んで撮影に臨んでいるものの、「Munna Bhai MBBS」(2003)のリメイク「Vasoolraja MBBS」(2004=タミル)などはかなりユルイ演技だったりする。
>シャー・ルク・カーン
南インド映画界のカマルが北インドを舞台に、しかもインド独立といった史実を扱ったスリラー・フィクションということもあり、担ぎ出されたのが、当時「KKHH」(1998)の成功からうなぎ登りのシャー・ルク。彼としては大々的な特別出演はこれが初めてとなり、プロローグとエピローグだけの登場ながら作品をしめる<美味しい>役どころ。パブリシティ面でも大きくフィーチャルされ、実質看板出演となる「Shakti(力)」(2003)や「Dulha Mil Gaya(婿をみつけた)」(2010)に先駆ける。
また、デビュー以来ヒンドゥーばかり演じて来た彼が初めてムサルマーン(イスラーム教徒)役を演じた記念すべき作品でもある。
*日本で「万字(卍)」というと左万字だが、ヒンドゥーやジャイナ教は右万字(卐)に※のような点を4つ加えて用い、吉兆の印とする。ナチスのハーケンクロイツは右万字を45度に傾けたもの。右万字/左万字の違い(回転の方向)は、万字の先を鎌の刃と考えると解りやすいが、オカルト系では「左回りは正、右回りは負の力でナチスは負の力を…」というような文章をしばしば見かける。