Gandhi My Father(2007)#102
「Gandhi my father」ガンジー、わが父」 07.12.25 ★★★★
製作:アニル・カプール/脚本・監督:フェーローズ・アッバース・カーン/撮影:デヴィッド・マクドナルド/音楽:ピユシュ・カノーシア/美術:ニティン・チャンドラカント・デーサーイー/SFXメイク:ペニー・スミス/衣装:スジャーター・シャルマー/編集:スレーカル・プラサード
出演:アクシャヱ・カンナー、ダルシャン・ジャリワーラー、シェーファリー・シャー、ブーミカー・チャーウラー、ラージ・ズトシー
公開日:2007年8月3日(封切週3位)
米アカデミー・ライブラリー脚本収蔵
アジア・パシフィック・スクリーン・アワード:最優秀脚本賞
第22回東京国際映画祭・最優秀女優賞(シェーファリー・シャー)
STORY
ある雨の晩、ボンベイの病院に衰弱した浮浪者が担ぎ込まれる。看護夫が父親の名を問い掛けると、男はガーンディーの名を挙げた。彼こそ、マハトマ(偉大な魂)と呼ばれ、数ヶ月前に暗殺された建国の父ガーンディー(ダルシャン)の、うだつの上がらない長男ハリラール(アクシャヱ)であった・・・。
Revie-U
やくざの兄貴にガーンディーの霊が助言してラジオの人生相談を行う「Lage Raho Munna Bhai(やってよ、ムンナー兄貴)」(2006)、消費文化を邁進する現代社会を批判しガーンディーを思い出せと問う「Maine Gandhi Ko Nahin Mara」私はガンディーを殺していない(2005)など、このところ作られたガーンディー映画が単に聖人のイメージに負っていたのとは異なり、本作では、彼の<影>である長男ハリラールの、父親の<光>に翻弄された人生を通して偉大なる魂マハトマと呼ばれた偉人ガーンディーの人としての姿が描かれている。
監督のフェーローズ・アッバース・カーンは、この物語を舞台劇「Mahatoma vs Gandhi」に仕立て上げ、自らハリラールを演じていた演劇人。
その彼が、映画化にあたってハリラール役に据えたのが、この数年、鳴かず飛ばずであったアクシャヱ(Akshaye)・カンナーだ。「Taal(リズム)」(1999)をはじめ、ヘゲモニーを傘に本当の挫折を知らないパワフルなキャラクターを好んで演じてきた印象が強い。
なにしろ、「大脱走」(1963=米)の翻案「Deewaar(壁)」(2004)では、印パ戦争の捕虜として長きに渡ってパーキスターン国内の軍事収容所に幽閉された父親役アミターブ・バッチャンやサンジャイ・ダットら名だたる大物スターが襤褸(らんる)の衣装を纏(まと)っているというのに、パーキスターンへ密入国し下町に潜伏して父親を救い出そうする息子役のアクシャヱが、ナヰキのブランドキャップを被っているという有り様!(それも自分のスタイリストを立てて!)。
そんな<スターぶり>が鼻に付くのか、出演作も低迷。もうひとりのアクシャイ(Akshay)が年間5〜6本出演するところを、2005年は0本。近年のヒットは、サブ・リードのインスペクター役「36 Chaina Town」(2006)が14位にランク・インしている程度。無論、「Salaam-E-Ishq(愛のサラーム)」(2007)もワン・オブ・ゼムに過ぎず、どこか忘れ去られた感は否めない……。
そのアクシャヱが演ずる、建国の糸を紡ぐ偉大な父親に近づこうともがきながらも、綻び、縺れ、絡まりゆく運命の愚息ハリラールが佳い。
彼自身、1970年代から活躍したトップスター、ヴィノード・カンナーを父に持ち、その威光を借りた2世スターに甘んじざるを得ない器を本人が最も自覚していたとも思える。それ故、ハリラールの屈折し、虚勢を張った、弱々しい日陰者の人生を自分のものとして「演じる」ことが出来たのではないか。
その成果は彼に繊細な芝居をもたらし、ひと足先に公開された「Naqaab(仮面)」(2007)でも演技に奥行きが加わったことが見て取れる。
このハリラールであるが、ガーンディーの聖人イメージとは裏腹に、酒に溺れ、父親が外国製品をボイコットするスワデーシー(国産品運動)を推進している最中に英国製の布地を買い集めては投機を仕掛けて失敗、果てはクリスチャンへの転向やイスラームへの改宗、ヒンドゥーへの再改宗など、これが偉人の息子か、と思うほどの敗北人生である(次男マニラールもイスラーム教徒と結婚しようとして反対され、ヒンドゥー娘との結婚を強制的にアレンジされたが、本作では長男に絞って描かれている)。
こうした偉人の知られざる一面にスポットを当てる時、ともすればスキャンダラスな作りになりがちであるが、フェーローズ監督はガーンディーを人好きのする人物として温かくみつめていて好感がもてる。
この演出プランは、中編枠(136分)の中で展開が散漫にならないよう、ガーンディーの功績として大いに語られる例の「塩の行進」や、当時はアンタッチャブルと呼ばれた不可触民を神の子ハリジャンと呼びつつカーストの枠組みには賛成し、ダリット(抑圧された者。彼ら自身がハリジャンの代わりに用いる)の代表であるアンべードーカルを得意の断食でねじ伏せた逸話や、近年暴露された<ブラフマーチャルヤー(禁欲主義)>の実態などを大幅にカットしているためもあるだろう。政敵となったジンナーはおろかネルーも登場しないのだ。
(反面、彼の自伝にはひと言も言及されていない南アフリカの黒人を処罰するシーンがある)
ただ、ガーンディーの人となりは、人好きはするが、人の真意を真に理解しいていたとは思えず、周囲もかなり振り回されていたことが暗に示されている。
例えば、「トルストイ農場」と名付けた南アフリカの農場アシュラムでのシーンがそれだ。すでに南アにおける<インド人の地位向上>を掲げた運動を始めていたガーンディーは独自の論説を取る新聞を発行していたが、その印刷所に、彼の理解者である英国人パートナーのヘンリーが「荼毘に付された」との記事についてクレームにやって来る。ガーンディーは、彼が書いた「埋葬された」という表現を勝手に変えてしまったのだった。
それは単に類語へと書き直しただけでなく、「遺体が焼かれる」ということはクリスチャンにとって地獄の煉獄で焼かれる意味へとなるのだ。だが、ガーンディーはそのクレームに対して、いともあっさり「ヒンドゥーでは遺体が荼毘に付され、死は単なる(肉体の)死に過ぎない」と返し、自分の過ちとクリスチャンへの配慮は意に介さない(例のインド人的弁証法とも言えるが)。
しかしながら、彼自身が労働者と共に印刷所で汗水垂らして働いており、用件を伝えて自転車で帰ろうとするヘンリーにも「君もたまには一緒に印刷してみたら」と声をかえたりする。
このようにガーンディーは人好きはするが、自分の物差しでしか物事を見ることが出来ない人物であった、と受け取ることが出来よう。
なにしろ、ガーンディーは留学を望むハリラールの願いを知りながら、彼の支援者から得た奨学金で留学させるのは、結局は中途で国に帰ってしまう甥のチャンガラールである(彼は後に資金横領を起こして避難を浴びる)。
ガーンディーは、妻カストゥールバにそのことを攻め立てられても取りあわず、父親に倣って弁護士をめざすものの何度も司法試験に落ちているハリラールからおぼつかない家計の援助を無心されるもきっぱりと拒否してしまう。
とどのつまり、ガーンディーは秀才過ぎて、ハリラールは自分の息子として不足であったのだ。なにしろ、ロンドンに渡ったガーンディーは、「着いたときにはこれといった教育も受けておらず、一般教養もなかったのに、ラテン語も含めて全試験に合格し、1981年にインナーテンプルでロンドン弁護士会の一員となっ」ているほどだから(「ガンジーの実像」ロベール・ドリエージュ著/今枝由郎訳/白水舎・文庫クセジュ)。
このように父子の溝は埋めがたく、遂にハリラールは自分の無能を認め、<ガーンディー>からの離別を決意する。監督のフェーローズは、このシーンに大叙事詩「マハーバーラタ」の公演を予告して練り歩く演劇団を登場させ、インドの大衆に馴染みが深い、闘いに悩むアルジュナに対しクリシュナが決起を促す有名な一節と重ね合わせている。
ガンディーを演じるダルシャン・ジャリワーラーは、グジャラーティー/ヒンディー/英語劇で活躍してきた舞台俳優で、「Aankhen(盲点)」(2001)で映画監督へ転身した「Namastey London」(2007)のヴィーパル・シャーとも演劇時代に組んだこともある。映画でのキャリアは、本作で本格的にスタート。
にわかに売れ始めており、本年はこの他に「Honeymoon Travels Pvt.Ltd.」(2007)のバス運転手役でチラリ、「Aap
Kaa Surroor」(2007)ではヒメーシュ・リシャームミヤー扮するトップシンガーを貶める敵役で出演。
いずれも本作での偉人ガーンディー像とは似ても似つかない役作りだ。スキンヘッドの「AKS」にしても全く印象が違うのは、菜食主義者のガーンディーに見えるようヨーガを実践し、また、ガーンディー耳がSFXメイクのため。
演技面では飄々とガーンディーを演じ、大義の前にスポイルされた我が子の痛みを真に理解することない姿が炙り出される。
母親カストゥールバであるが、実際には英語も話せず文盲の、服従する妻であったそうだが、本作ではやや異なり、時にガーンディーに意見しさえする。
愚息を想う母の姿としては、今一歩狂信的な一面を描き起こしてもよさそうなものだが、それでは<実話>から外れてしまうのだろう。
彼女に扮するシェーファリー・シャーは、東京国際映画祭で最優秀女優賞(賞金は5000ドル)を獲得。「Rangeela(ギンギラ)」(1995)で運転手とデキて降板してしまう女優役からスタートし、「サティヤ」Satya(1998)で演じたマノージ・バージパイの妻役でFilmfare Awards批評家選主演女優賞を受賞。「Waqt(時)」(2005)でもアミターブ・バッチャンの妻役として、助演女優賞にノミネートされた演技派。
夫との絆が薄れゆき焦燥する妻役のヒングリッシュ「15 Park Avenue」(2005)からアート色が強くなり、本作の後、出演した「The Last Laer」(2007)もトロント国際映画祭にて好評であった。
一方、ハリラールの妻グラーブを演ずるブーミカー・チャーウラーがこれまた愛らしい。不運の中で母として、妻として生き抜いた様が、梵林デビュー作「Tere Naam(君の名は)」(2003)での聖女のイメージに重ね合わさる。
米アトランティック・シティで催されたBollywood Awards 2005では、まるっきりやる氣のないステージ・パフォーマンスであったが、特別に華がある女優ではないため、こういう映画で着実なキャリアを重ねてゆくのがよいだろう。
サポーティングでは、南アフリカの法律事務所で働く英国人秘書役のイラニト・サピローが、インド人上司に翻弄されながらも温かい仕事ぶりを見せ印象に残る。
また、 ガーンディー暗殺が告げられるシーンで、ラジオのニュースを聞くなり、早々に店を閉めてしまう茶屋の店主役で「36
China Town」(2006)のラージ・ズトシーがちらりと登場。監督とのインタビューによれば、このシーンが最も氣に入っているとのことであった。
さて、本作の魅力はなんと言ってもフィルムメーカーの映画に対する真摯な思い入れがひしひしと伝わってくることだろう。
美術のニティン・チャンドラカント・デーサーイーは、「Devdas」(2002)、「Munna Bhai MBBS」(2003)やFilmfare Awardsステージ・デザインで知られるが、今回は美術監督の範疇を超え、作品全体を統括するプロダクション・デザインを担当。細部までアイデアを巡らせたセット作りは感嘆に値する(次回作は、アイシュワリヤー・ラーイ×リティク・ローシャン共演の歴史超大作「Jodhaa Akbar(ジョーダーとアクバル)」2008)。
これを受けてマジカルな映像を作り出しているのが、伝説のレゲエ映画「ハーダー・ゼイ・カム」(1972=ジャマイカ)を手懸けた英国人撮影監督デヴィッド・マクドナルド。計算し尽くされたレンブラント・ライトを多用し、そのルックはまさしく重厚な絵画を見るよう。特にオープン・セット「トルストイ農場」で働く農夫たちが丘を行くショットは、ミレーそのまま。
塗り立てた機関車を走らせるモブ・シーンは説得力に満ち、インドを代表する偉人の伝記映画に相応しい予算を惜しむことなく投入した<プロデューサー>アニル・カプールの心意氣には感心する他ない。
スターとしてはここ数年、迷いが生じたかのようにトレードマークの口髭を落とし、イメージチェンジを図ろうともがいている姿が痛々しいほどであったアニルだが、本作の印米同時公開早々、米アカデミー・ライブラリーに脚本が収蔵される吉報が届いた他、地味なアート系作品にあって封切週にトップ3にランク・イン。
さらにこの秋、愛娘ソーナム・カプールがサンジャイ・リーラー・バンサーリーの新作「Saawariya(愛しき人)」(2007)にてリシ・カプールの息子ランビール・カプールとWデビューを果たすなど、苦節が実った年となったことが実に喜ばしい。
仮想レイヤーのように、互いの想いが一致することなく終わった父と子。暗殺者の手によって命を落としたその数ヶ月後、浮浪者として末路を閉じたハリラール。
この合わせ鏡の人生は、孤独の縁で狂氣を燃え立たせ、没後に作品によって名を成したゴッホと、人並みの幸福を享受しながら兄を支え続け、兄の死後に一転、精神を破綻させた弟テオを思い出させる。
東京国際映画祭の試写は午前中ながら、日本でも名高い偉人に因んだ映画とあって、<インド映画>にしては試写室が埋め尽くされるほど高い関心を集め、終盤、涙ぐむ姿がよく見られた。
また、映画祭当日は、連れ立って現れた在日NRI(在外インド人)のご婦人達がエンディングのガヤトリー・マントラに合わせて口ずさむ自然さが耳に残り、本作の価値を示しているかのようであった。
なお、偉人ガーンディーの軌跡について想いを馳せるのであれば、アジアフォーカス・福岡国際映画祭2007で上映された「とらわれの水」Water(2005)も観るとよいだろう。
*追記2010.11.08
>シェーファリー・シャー
なんと夫は、「Aankhen」(2001)の監督にして「Singh is Kingg」(2008)のプロデューサー、ヴィープル・シャー。本作の監督フェーローズとは演劇時代からの親交があり、それ故に白羽の矢が立った模様。
>ダルシャン・ジャリワーラー
その後、「What’s Your Raashee?(君の星座は何?」(2009)の伯父役で好演。
>フェーローズ・アッバース・カーン
東京国際映画祭の来日時にインタビューしたところ、舞台版「Mahatma vs Gandhi」ではガーンディー役をボーマン・イラーニーが演じていたそうだ。映画化にあたって彼を配役しなかったのは、小さな空間で多くを観客の想像力に委ねる演劇とは異なり、映画はより具体的なイメージが要求されるため、とのことであった。
彼自身はその後、映画作りには手を染めていないが、「スラムドッグ$ミリオネア」に登場するアミターブ・バッチャンは彼がダブル(代役)を務めた、という話も。
>アニル・カプール
重厚な本作を第1弾として製作会社アニル・カプール・フィルム・カンパニーを設立したアニルだが、最新プロデュース作は愛娘主演「Aisha」(2010)と、おバカ系ぶっ飛びコメディ「No Problem」(2010)」。それでいて米TV「24」出演、さらに「Mission:Impossible – Ghost Protocol」(2011)にフィーチャルされるところがさすが。特に「M:I 4」は日本全土のスクリーンで公開されることが確実(?)とあって大いに楽しみ。