Maine Gandhi Ko Nahin Mara(2005)#101
「Maine Gandhi Ko Nahin Mara」私はガンディーを殺していない」 06.09.16 ★★★★
マイネー・ガンディー・コー・ナヒーン・マーラー
製作:アヌパム・P・ケール/共同製作:Dr.ハルビンデール・ブラール、Dr.ヘルマン・カルステンス/監督・脚本:ジャフヌー・バルヤー/脚本:サンジャイ・チョウハーン/撮影:ラージ・A・チャクラワルティー/音楽:バッピー・ラーヒリー/美術:ニティーシュ・ローイ/音響:ラーケーシュ・ランジャン/編集:デーパ・バティア
出演:アヌパム・P・ケール、ウルミラー・マートンドカル、ボーマン・イラーニー、パルヴィン・ダッバース、ラジット・カプール、スディール・ジョーシー、ラーム・モーハン・シャルマー、ラージュー・ケール、アショーク・パンディット、ヴィシュワース・パーンダヤー、ディヴヤー・ジャグダーレー、アディ(新人)
特別出演:プレーム・チョープラー
謝意出演:ワヒーダー・レフマーン
公開日:2005年9月30日
ムンバイー国際映画祭国際批評家賞
アジアフォーカス福岡映画祭2006:コダック・ヴィジョンアワード観客賞
STORY
老齢のヒンディー語教授ウッタム(アヌパム)はアルツハイマーの症状を起こしたことから、娘トリシャー(ウルミラー)の婚約が流れてしまう。そればかりか、ウッタムはガーンディーを殺したのは自分ではない、と言い始め・・・。
Revie-U
スキャンダラスなタイトルから、例によってウルミラー・マートンドカルのサイコ・スリラーかと思ってしまうが、本作は主演のアヌパム・ケールが自ら製作したアート系作品。
アヌパムは一時、出演作を抑え「Om Jai Jagadish」(2002)の監督を手がけたが、荷が重かったと見えて今回は監督の下駄は預けている。
冒頭、朝から娘のトリシャーとローティーを練っているうちに「教授、今日は料理の授業ですか?」とオフの台詞が入り、うっかり忘れていたことが示される。授業に出てみれば、間違って化学クラスで教え始めてしまうのだが、このあたりまではコミカルな演技で名高いアヌパムが演じているだけに微笑ましいツカミ。
翌朝、ヒンディー語教授の子供がヒンディー語で話さないと嘆く朝食の席で、ウッタムは家政婦の名の呼び間違え、彼がアルツハイマーに陥っていることが示される。
2時間サイズの<短編>仕様で作られているせいか、脚本は贅肉を起こして練られており、日常を切り取った展開ながら畳みかけるように進み、観る者はドラマの核心へと急速に導かれるのだ。
それはトリシャーが恋人の両親と引き合わせ、いざ縁組みをしようという席で起こる。
来訪した彼の父親がエチケット上、許しを求めて煙草を吸い始めるのだが、テーブルに置かれた新聞の上に灰皿を置く。その新聞記事はガンディー(1869-1948)の没後から50年経っていることを伝えており、果たして、その写真の上にコーヒーカップが置かれ、ガーンディーの顔が隠される。このモンタージュは的確で力強く、本作のテーマを巧みに伝えている。
テンポのよい脚本は、さらに踏み込んで一氣にウッタムを爆発させ、「新聞のただの写真」と弁明する客に向かって、彼は「私にとって、これはただの写真ではないんだ!」と言い放つ。
トリシャーは父を精神科医に連れてゆくが、今度は「子供が父親を殺す」と書かれた新聞記事の見出しを見つけてウッタムは秘かに動揺し、その帰路から奇行が激しくなり、遂にはインタルミッション直前に「俺はガーンディー・ジーを殺していない」と言い出すに至る。
しかもトリシャーの恋人は彼女にひと言の相談もないまま転職し、消息を絶ち、やがて他の女と結婚したことが知れる。
主人が瓦礫のように崩れ落ちてゆく焦りから家族と長年仕えてきた家政婦との間にも亀裂が入り、一家は出口のない奈落へ落とされたような日々を過ごす。
アルツハイマー型痴呆には、認知障害が段階を追って進行する中で幻覚や幻視を伴うケースもあるというが、やがて、ウッタムの場合も枕元に亡き父親が現れ、彼を責め始める。これは記憶が幼少に退行しているためで、二人目の精神科医Dr.コータリーはスペシャリストのDr.ヴァルマーに診断を仰ぐ。
これを、かつての敵役から温厚な好々爺役にシフトして久しいプレーム・チョープラーが演じる。澄んだ瞳が経験豊かな精神科医に相応しい。
診断が進められるうちに、ウッタムの症状は幼い少年期に起こった他愛もない遊びが引き金となって彼が強く抱いた罪悪感に起因すると判り、Dr.コータリーはこのトラウマを取り除くことを提案するのだが、この先がなんとも「劇的」な治療法となっていて本作の醍醐味となる。
つまり、法廷劇で定評のある実際の舞台俳優やジュニア・アーティストを雇って疑似裁判を行い、ガーンディーを殺したと思い込んでいるウッタムに無罪を言い渡すことで彼の罪悪感を取り払おうというのだ。
この舞台俳優として、登場するのが「Yun Hota Toh Kya Hota(もし起きれば、何が起きるか)」(2006)のボーマン・イラーニー。本領発揮とばかりの「ワキール」役姿も堂々たるもので、大仰な芝居も本作では邪魔にならない。
先のガーンディー写真の一件からも察することが出来るように、本作はアルツハイマー症をメタファーに選びつつ、核家族化から伝統的な美徳が失われ、消費社会へと驀進する現代インドへの警鐘となっている。徘徊するウッタムがガーンディー像の下にうずくまっているのは象徴的なショットと言えよう。
ガーンディーはインド独立にあたって、スワデーシー(外国製品のボイコットと国産愛用主義)を推進し、アンタッチャブルの解放にも尽力した「聖者」として世界的に知られる人物だ。
監督のジャフヌー・バルアはアッサム州出身で、70年代に英語による短編映画をいくつか発表した後、アッサミー映画を手がけ、「Halodhia Choraye Baodhan Khai」(1987=アッサミー)でロカルノ国際映画祭銀獅子賞、ナショナル・アワード金蓮賞を、「Hkhagoroloi Bohu Door」(1995=アッサミー)でスウィス・フライブルグ国際映画祭観客賞を受賞。ヒンディー映画には中篇「Tora」(2004)で進出している。
サポーティングは、トリシャーの兄に「Ghulam(奴隷)」(1998)でアーミル・カーンの兄を演じていたラジット・カプール。アメリカに住むNRIということで出番は少ない。
弟カランに扮しているのは、新人のアディー。ウルミラーの弟として通用する顔立ちがいい。現代的な風潮で育ったカランの、老いた父親を背負い込む重みに苦悩する様を好演している。
Dr.コータリーには、「モンスーン・ウェディング」Monsoon Wedding(2001=印米仏伊独)の花婿役パルヴィン・ダッバース。
恋人役アーシシュのヴィシュワース・パーンダヤーは、本作のエグゼクティヴ・プロデューサーも務める。
家政婦ナンダー役に「ミモラ」Hum Dil De Chuke Sanam(1999)でアジャイ・デーヴガンの妹役ディヴヤー・ジャグダーレー。
そして、ウッタムの幼なじみにアヌパム自身の弟ラージュー・ケールが配役されている。
トリシャーが勤める学校の校長ミセス・カンナーは、往年の名女優ワヒーダー・レフマーン。永らく銀幕から離れていたが、グルダット映画祭のために来日した際、語っていたようにアヌパムの監督作「OJJ」を経て本作で復帰。その後、「Rang De Basanti(浅黄色に染めよ)」(2006)にも出演し、女優として再活動し始めているのが喜ばしい。
スタッフィングで感嘆するのは、音楽のバッピー・ラーヒリーであろう。
「Disco Dancer」(1982)でのファンキーな<ディスコ>ナンバル「I am disco dancer」を放ち、「Ghayal(傷ついた者)」(1990)では「ブラックレイン」(1989=米)+「ランバダ」の融合を果たし、ハイテンションなバッピー・サウンドの作者とは思えない沈欝なメロディーを提供。本作をより印象深いものに仕立て上げている。
クナール・ガンジャワーラーを起用したプロモーション・ソングが作られたが、本編では未使用。
日増しに痴呆が進むウッタムを優しく包み込むようなライティングを施している撮影監督のラージ・A・チャクラワルティーや美術のニティーシュ・ローイの仕事ぶりもよい。デスク前の壁に小さな額入り写真が埋め尽くされているのは、失われつつあるウッタムの記憶の宝庫を見るようだ。
彼が愛用する蚊帳掛け付きのアンティーク調ベッドは、マニーシャー・コイララがやはり製作した「Paisa Vasool」(2004)の中でも彼女のベッドとして使われていた物とよく似ているが別物であった。
氣になるのは、妄想を抱くようになったウッタムをセワするためとは言え、トリシャーが同調してその場を収めようとすること。通常、このような行為は患者の症状を進行させるものとされるし、Dr.コータリーがトリシャーの上司からの紹介とは言え、精神科医という立場からすると一家の内情に介入し過ぎていることだろう(もっとも、現実に縛られていたら映画にならないが)。
ところで、近年になって明かされたガーンディーの実像を知る者にとって、本作はいささか脆弱なテーマに思える。
というのも、アヒンサー(非暴力)や不可触民を解放した聖者として世界的に知られてきたガーンディーであるが、その実像は世間に流布しているイメージとはいくらか異なるからだ。
まず、ガーンディーが不可触民をハリジャン(神の子)と呼んだのは、ムスリム勢が分離独立を詠唱する中、大量の脱ヒンドゥー改宗者を出さないためからであり、彼らをアウト・カーストからイン・カーストに昇格させることにより、アウト・カーストの存在を<公的に>打ち消そうとするだけで、ガーンディー本人は差別の温床であるカーストそのものは否定していない。
(それゆえ、不可触民からの支持はまったく得られていない。また南アフリカ滞在期にインド人の差別撤回を非暴力闘争によって果たしたが、彼の目には先住アフリカ人の境遇はまったく見えなかったようで「自伝」では一切触れられていないという)。
そればかりか、不可触民出自のリーダー、アンべードカルが不可触民の別途選挙を提案してロンドン会議に臨んだ時、ガーンディーはこれを撤回させるために「死に至る断食」を決行、事実上の政治的脅迫をし掛けている。
これらの行為をも辞さない彼に対して、アンベードカルは「マハトマは束の間の幻影のように、人を迷わすが、実際には何も変えはしないということを歴史は証明するでしょう」と言い、彼をマハートマーと呼んだタゴールでさえ、「ガーンディーは非暴力を説きながら、暴力の種を蒔いた」と、後に彼の政治的暴威の批判者となっているほどであるから、その実像と虚像の落差はいかほどか判ろうというもの。
また、ガーンディーの「功績」の中で最も大きな弊害は、スワデーシーだろう。
国産品を愛用するのはどの国にとっても良策であるが、それを推し進めるあまり、外国製品や海外資本をボイコットしたために、国内の競争力が落ちて、長らく発展せず、この鈍重な経済は「ヒンドゥー的経済成長」と揶揄された。
彼はどのような公的な場でもインド古来の服装であるカッダルをまとって現れたが、彼の所属政党・国民会議派でも洋服を着る者は悪で、手織りのカッダルを着込めば彼の味方とみなされ、多くの心ある先進的な政治家がスポイルされてしまい、これは国家的損失と言うに余りある(立候補者は自分で一定の量を糸を紡がなければその資格を得られない、という非現実的な提案までしている)。
この慣習は現在でも引き継がれ、ボリウッド映画を見ても政治家は必ずインド服を着込み、アンバサダーに乗っている。「Janwar」(1965)でもテニスプレイヤーのシャンミー・カプールがインド服を着込んで現れた親友に開口一番言うのは「愛国者になったのか?」であった。
希代のカリスマを持ったガーンディーはインド独立を導き、その勲功は讚えて余りあるが、実に扱いにくい人物だったらしく、彼の死後は祟り神の如く、どのオフィスにもガンディーの写真が掲げられ、また彼の「ガーンディー主義」を標榜する悪徳政治家が跋扈し続けて来たのも現実である。
これらの視点からすると、本作はいささか意図するところが安直に見えてしまう嫌いがあり、ジョン・エイブラハムがガーンディー信奉者を演じ、1938年が時代設定となっている「Water」(2005)と見比べてみると興味深いだろう。
なお、アジア・フォーカス福岡映画祭2006にて上映。
参考資料:
「ガンジーの実像」(ロベール・ドリエージュ著/今枝由郎訳/白水社)
「アンベードカルの生涯」(ダナンジャイ・キール著/山際素男訳/光文社新書)
*追記 2006.09.18
不可触民出身のDr.アンベードカル(1891-1956)は、インド憲法の起草委員長を務めたことでも知られる。伝記映画として、マニ・ラトナム作品「頭目」Thalapayhi(ビデオ化:ダラパティ 踊るゴッドファーザー)(1991=タミル)でラジニーカントの兄貴分を演じたマラヤーラム映画界のトップスター、マンムーティー主演で「Dr.Babasaheb Ambedkar」(2000)が製作されている。トレードマークの口髭を落として役作りに臨んだかいあって、マンムーティーはナショナル・アワード銀蓮賞主演男優賞を獲得。
*追記 2006.09.24
本作は、第16回アジアフォーカス・福岡映画祭にて今年創設されたばかりのコダック・ヴィジョンアワード観客賞を受賞。副賞のコダック・ネガフィルム3万フィート6時間分を来日したジャフヌー・バルヤー監督が受け取った。
*追記 2010.11.07
>アヌパム・ケール
その後も俳優学校を設立して、研究生をデビューさせた高校生の出産「Tere Sang(君と共に)」(2009)を製作・特別出演している。
>ウルミラー・マートンドカル
次第に出演作が減っているウルミラー、「Karz(借り)」(1980)のリメイク「Karzzzz」(2008)などに出演。
>ボーマン・イラーニー
ますます精力的に活躍しており、「3 Idiots」3バカに乾杯!(2009)の校長など好調。撮影が始まった「DON」Don(2006)の続編「Don 2」(2011)にも名前が残っているため、どのように登場するかが期待。