Dabangg(2010)#097「ダバング 大胆不敵」
ダバング
製作:アルバーズ・カーン、マライカー・アローラー・カーン、ディリン・メーヘター/脚本・監督:アビナーヴ・スィン・カシャップ/脚本:ディリープ・シュクラー/撮影:マヘーシュ・リマイー/作詞:ジャリース・シェルワーニー、ファリーズ・アンワール/招待楽曲・作詞:ラリット・パンディット「munni badnaam hui」/音楽:サジード-ワジード/振付:ラージュー・カーン、ムダッサル・カーン/ソング・ディレクター:ファラー・カーン、チンニー・プラカーシュ、ガネーシュ・アチャルヤー、ラディカー・ラーオ-ヴィネイ・サプル/背景音楽:サンディープ・シロードカル/プロダクション・デザイン:ワシーク・カーン/アクション:S・ヴィジャヤン/編集:プラナーヴ・V・ディワル
出演:サルマーン・カーン、ソーナークシー・スィナー、ヴィノード・カンナー、ディンプル・カパーディヤー、アルバーズ・カーン、オーム・プリー、アヌパム・ケール、ソーヌー・スード、ティヌー・アナン(アーナンド)、マヘーシュ・マンジュレーカル、ムルリー・シャルマー、
友情出演:マライカー・アローラー・カーン
特別出演:マヒー・ギル
「ダバング 大胆不敵」の邦題で、7月26日(土)より、シネマート新宿、シネマート心斎橋にてロードショー公開を記念してレビューを再アップ!
尚、劇場ロビーにてナマステ・ボリウッド・オリジナル・ムック・シリーズも販売されます。ぜひ、お買い求めになって、ボリウッド映画をより深く堪能してください。
STORY
ウッタル・プラデーシュ州の田舎町ラールガンジで名を馳せる<ロビンフット・パーンディー>こと警官のチュルブル(サルマーン)は銀行を襲った強盗を襲って強奪金を強奪する悪徳警官。<ロビンフット>とは名ばかりだが、おこぼれに与る取り巻き平警官からの信任は厚い。そんな彼がふとしたことから見かけた壺焼き屋の娘ラージョー(ソーナークシー)に恋して結婚を望む。チュルブルの継弟マッキー(アルバーズ)もまた村の娘と結婚したいがためにチュルブルが溜め込んだ金を盗み出し、愚連隊議員チェーディー(ソーヌー)の罠にはまり・・・。

(c) Shri Ashtavinayak Cine Visions, 2010
Revie-U(初回レビュー:2010年11月3日)
2010年9月にリリース(劇場封切り)され、ダントツNo.1メガヒットとなった本作。サルマーン・カーン主演作では90年代のインド映画史上最大ヒットとなった「Hum Aapke Hai Kaun…!(私はあなたの何?)」(1994)以来の快挙。
デシ(在外インド人)志向の強かったゼロ年代の揺り戻しとして’09年あたりからインドの農村を舞台にした作品が増え(世界同時不況とドバイ・バブル崩壊の影響から海外ロケ自粛のせいもある)、歌あり恋ありアクションありのマサーラー映画への回帰がヒットの要因とも言われるが、どうしてどうして紛うなき10年代の最先端映画としての重厚な仕上がりを見せる(上映時間も120分とコンパクト)。
確かにサングラスを襟元に挿したり、ベルトを使ったギミカルな振付、大仰なアクションなど、昨年トップ3ヒットとなった「Wanted」(2009)の南インド映画的テイストを引き継ぐコテコテさはある。
しかし、母役ディンプル・カパーディヤーや継父ヴィノード・カンナー等、往年のスターが見せる、その人生感が伝わる役作りからしてしっかりと映画魂に裏打ちされたA級作品であることが冒頭から伺える。
製作は、サルマーンの愚弟アルバーズ・カーン。兄の人氣に乗って俳優デビューしながらも役者としての技量の低さからこれまで足を引っ張り続けてきたその彼が脚本の売り込みからプロデュースを買って出、「アルバース・カーン・プロダクション」を設立。初のプロデュースがよほど嬉しかったのか、冒頭で父サリーム、母サルマー、第2母ヘレン、妻マライカーと息子アルハーンへ本作を捧げている(ちなみにマライカーも共同製作者に名を連ねる。カメラが映写機を兼ねるプロダクション・バナーは、ご愛敬)。
そのアルバーズが、継兄チュルブルをねたむ愚弟マッカンチャン(愛称のマッキーとは「ハエ」の意)に扮する。サルマーンは母思い、兄弟思いで知られるが、継弟マッキーをハエ扱いしていびる愛憎から後半じんとさせられる仕掛け(サングラスを拭いては兄にかけるのが実によい)。

(c) Shri Ashtavinayak Cine Visions, 2010
監督のアビナーヴ・カシャップは、ニュー・ストリームの旗手として知られる監督・脚本家アヌラーグ・カシャップの弟。それだけに単なる娯楽一辺倒のマサーラー映画を復興したい訳ではなかろう。ネオ・ウェスタンの米「デスペラード」を思わせるギター・サウンドを当てさせているのも、その宣言ともとれる。
結婚式シーンでバンドが「Dev.D」(2009)のナンバルを演奏しているのは兄への敬愛だが、兄弟の愛憎をテーマに脚本をしたためた理由を聞いてみたいところだ。
サルマーンはゼロ年代前半、トラブルメーカーとしての印象が強かったものの、星回りが変わったのか、ここに来て人氣再燃。ファラー・カーン司会「Tere Mere Beach Mein」やカラン・ジョハール司会「Life Kara De」、また彼自身のホスト番組「10 Ka Dum」&「Big Boss Season 4」など、近年のチャット・ショー出演で彼の包容力や母思い、家族思いが伝わったことも大きい。
このサルマーン扮するチュルブル、2歳で実父を亡くし、母が再婚。新しく養父となったパーンディー氏(ヴィノード・カンナー)とは折り合いが悪く、特に種違いのマッキーが占星術師に運勢を鑑てもらったのに自分はパーンディー氏から拒否された事から反発。自分のホロスコープ表を藁切り機で断裁してしまう。
近年の傾向である2時間枠のコンパクトな作品にしては珍しく主人公の生い立ちシーンがあるオーソドックスな作りと言えよう。しかし、これをなんでもトラウマに結びつけがちな昨今の日本文化的に「トラウマ」体験と解釈してしまうと読み間違ってしまう。
チュルブルは青年になっても養父と継弟とは反目し続けていても、それが心の傷となって制御不能な反抗心となっているのではなく、むしろ彼本来の、火のように「大胆不敵」な氣性を示すのが目的と言えよう。自分ではホロスコープを鑑定してもらえなかったが故に自分で運命を切り開こうと誓ったとも取れるが、その運命自体、ホロスコープから読み取れたはずだから。
(このエピソードで養父が「鑑定料」について言及したことから金を溜め込むようになった、という設定かもしれないが)

(c) Shri Ashtavinayak Cine Visions, 2010
そして、チュルブルは「ラールガンジのロビンフット」を僭称し、強盗を襲ってはその強奪金を巻き上げ、一部を部下の平警官に配る代わりに証拠を隠滅し、着服してしまう。無骨な性格で、女に惚れたならば相手の意志表示を待たず求婚し、父親から「娘を幸せにするか」と問われれば「いや、彼女を叩くし、苦しめる。ダウリーももらう」と答え、旧態依然とした田舎の「男らしさ」を讃えているかのように見えるが、サングラスを襟に差していることからもトリックスターのアンチ・ヒーローとしてそれらを揶揄(やゆ)していると思われる。
舞台となるウッタル・プラデーシュ州は経済成長が続くインドにあってビハール州と並ぶ立ち後れた地域。70年代終盤には「女盗賊プーラン」Bandit Queen(1994)のプーラン・デヴィが出没し、ゼロ年代の今日(こんにち)でも盗賊団がイタリアのマフィア並みに誘拐ビジネスを強行する。本来、彼らを取り締まるべきローカル・ポリスの素行もすこぶる悪く、「Raavan」ラーヴァン(2010)の台詞にもあったように「警察に連れて行かれる」=「難癖を付けられての暴行/レイプ」を意味する。
政治家も利権絡みの汚職に明け暮れるくらいならまだ可愛いもので、これまでも「Shool(槍)」(1999)のサヤージ・シンディーが演じた議員のように、グンダー(愚連隊)の親分自身が政治家の暴力装置では飽きたらず、自ら選挙に出馬し議員となっている。その傾向はインド全般に言え、殺人罪で起訴されている国会議員がごろごろいるほど(判決がなされるまでは立候補が可能)。
そのもっともたる地域がウッタル・プラデーシュ州とされ、この夏、隣のマディヤ・プラデーシュ州を舞台にインド神話「マハーバーラタ」を翻案にした政治一族の分裂劇「Raanjneeti(政祭)」(2010)がヒットし、本作公開までトップ1にあったこともあり、その政治風土を舞台にした娯楽バージョンが本作と言える。
アビナーヴが単なる娯楽大作を目指したのでないことは、ウッタル・プラデーシュ州が依然高い罹患率にあるポリオを取り上げ、ヒロインの兄に設定していることからも判る。

(c) Shri Ashtavinayak Cine Visions, 2010
本作、いや本年の収穫は、これがデビューとなるソーナークシー・スィナーだろう。70〜80年代のスターにしてボリウッド初の大臣経験者であるシャトルガン・スィナーの愛娘がその人。
父親がアル中という役どころとあって、前半は思い詰めた表情をしているが、「Rab Ne Bana De Jodi(神は夫婦を創り賜う)」(2008)のアヌシュカー・シャルマーと違ってむかつき顔でなく、笑みを漏らすシーンなど実に愛らしい。風格と氣品を兼ね備え、サルマーンとのスクリーン・ケミストリーも抜群。もともと舞踊をたしなんでいたわけではなさそうだが、艶やかな舞を見せる。
本作の後、テルグ映画「Kick」のリメイク、アルバーズの次回製作(「Dabangg 2」?)と、サルマーンとの3連続共演予定。サルマーンはカトリーナー・ケイフとブレイク・アップして久しいが、ソーナークシーとリンクすることになれば、ボリウッドのフィルミー・カースト的にも相応しい。なにしろ、ソーナークシーの父シャトルガンは、脚本家であったサルマーンの父サリームが「Deewaar(壁)」(1975)でアミターブ・バッチャンが演じたやくざな兄を当て書きした、と言われるのだから。
(追記2014.07.24 「Kick」のヒロインは、ソーナークシーからミス・スリランカのジャクリーヌ・フェルナンデスに変更され、2014年7月24日の本日、世界公開!)
ソーナークシー演じるラージョーは、間もなく27という年頃。インドの片田舎にあっては、ほとんど「行かず後家」だが、これは酩酊父の面倒を見るため。伝統に生きるインド女性だけに結婚式を挙げるまで、チュルブルの名を知らないのが可笑しい。
名前を知った後も「パーンディー・ジー(さん)」と呼ぶのは、妻は夫の名を呼んではならないというインドの風習によるものだろう(無論、都会ではこれが崩れている)。
さて、本作の見せ場であるアクションだが、テルグ映画界のアクション監督S・ヴィジャイヤンが「Wanted」に引き続き起用されている。
ワイヤーワーク+デジタル合成+CGIなどまずまず。屋根から屋根に飛ぶシーンなどはスタジオ内のグリーンバック撮影で、やや色調整に難のあるショットがあるものの、ワイヤーの消し具合などは、せっかくの実写滝落ちが合成のように見えてしまった「Raavan」のような違和感はない。ガラスのCGIはまだ不出来で、「マトリックス」で衝撃を与えたブレッド・ショット(実際はスチル・カメラを並べて撮影)を模した疑似ブレッドをやっているのは今更な氣もするが、この進歩具合からすると、あと1~2年でほとんど見分けが付かない合成処理に達すると思われる。
サポーティングは、母親役に「Being Cyrus」(2005)のディンプル・カパーディヤー。父親役にアクシャヱ・カンナーの父で、「Wanted」でも映画に深みを与えていたヴィノード・カンナーが本作では妻の連れ子に手を焼く継父役で複雑な心情を演じ切る。
敵対するゴロツキ政治家チェーディー・スィン役に「Dhoondte Reh Jaoge」(2009)のソーヌー・スード。クシティー(インド相撲)のトレーニング中に見せる筋肉はサルマーン以上?
同じ政党ながら、チェーディーに命を狙われる善良な政治家にアヌパム・ケール。いつものひょうきんな芝居は一切なし、というのもよい。
秀逸なのはラージョーの父役、それもパンツ一丁で徘徊酩酊するマヘーシュ・マンジュレーカルだろう。サルマーンとは「Wanted」に続く共演だが、コワモテ汚職警官から一転、アル中のボケ親父を好演。娘に結婚話が持ち上がるや、彼女の幸せを祈って「今すぐ酒をやめる」と誓っては入水自殺するのが痛ましい。
そして、チェーディーに媚びを売る警官のオーム・プリーも、これまたすっとぼけたタヌキオヤジぶりが絶品。

(c) Shri Ashtavinayak Cine Visions, 2010
マッキーの恋人に「Dev.D」のマヒー・ギルが特別出演。その父に憎まれ専門役者ティヌー・アナン(アーナンド)。
子持ちアイテム・ガール、ムンニーとして、アルバーズの妻マライカー・アローラー・カーンが出演。子持ちとは思えぬスリムなくびれを披露し、ステップも軽く踊る様は、元祖キャバレー・クイーンのヘレンを第2母と仰ぐサルマーン兄弟のバービー(兄弟の嫁)に相応しい。
そのアイテムソング中に登場する老人は「What’s Your Raashee?(君の星座は何?)」(2009)で射手座・バーウナーの祖父役ホーニー・チャヤー。
映画ネタでは、ちなみにサイーフそっくりさんの左腕に書かれたデーヴァナーガリーは「カリーナー」、右腕がこのアイテムガール「ムンニー」。
ゴロツキのデブ男がモバイル(携帯電話)の着メロにしているのは、もちろんサルマーン主演「Wanted」の「jalwa」。本作の音楽監督であるワジードがプレイバックしている。
サジード-ワジードに発注したフィルミーソングは、ゼロ年代後半に進化し過ぎとなったクラブ系低音爆発でなく、ややノスタルジックなサウンド。
ゼロ年代から早くも進化していると言えるのは、コリオグラファー(振付師)を「ソング・ディレクター」としてクレジットしていること。
その中でもアイテム・ソングに、「DDLJ」(1995)などで知られ「Fanaa(入滅)」(2006)でコンビを解消した音楽監督デュオ、ジャティン-ラリットのラリット・パンディットとソング・ディレクターにファラー・カーンをフィーチャル。

(c) Shri Ashtavinayak Cine Visions, 2010
ダンス・シーンでのサルマーンは例によって微妙にバックダンサーとずれてはいる。しかし、「Raavan」のテルグ版でのヴィクラムのようにバックダンサーとぴったり合い過ぎてしまうとかえって群舞に埋没してしまうが、この微妙にずれてることにより主役が浮き上がって見えるのは<3D効果>と言えようか。
恋に浮かれたサルマーンが通りでひとり踊り出し、通りがかりの人々が嘲笑するも、間もなく彼らも一緒に踊り出す。
日本では「すぐに踊り出す」となにかと拒否反応が示されるインド映画のミュージカル・シーンだが、これを見ると現代日本人は他人とのコミュニケーションを恐れているようにも思える。
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