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Raavan(2010)#090

2010.10.27
オススメ度 =陳腐 ★★=退屈 ★★★=平均点 ★★★★=面白い! ★★★★★=お気に入り!!

Raavan

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「Raavan」ラーヴァン ★★★★
製作・脚本・監督:マニ・ラトナム/製作:シャラーダー・トリローク/台詞:ヴィジャイ・クリシュナ・アチャルヤー/撮影:サントーシュ・シヴァン、V・マニカンダン/作詞:グルザール/音楽:A・R・ラフマーン/振付:ガネーシュ・アチャルヤー、ブリンダー、ショーバナー、アスタッド・デーブー/アクション:シャーム・コゥーシャル、ピーター・ヘイン/衣装:サビー・アサチ/プロダクション・デザイン:サミール・チャンダ/編集:スレーカル・プラサード

出演:アビシェーク・バッチャン、アイシュワリヤー・ラーイ・バッチャン、ゴーヴィンダ、ヴィクラム、ラヴィ・キシャン、ニキル・ディヴェディ、プリヤマニー

公開日:2010年6月18日(2010年10月東京国際映画祭上映)

STORY
新しく赴任したSP(警視)デーヴ(ヴィクラム)に叛旗を翻した盗賊ビーラー(アビシェーク)は、デーヴの妻ラーギニー(アイシュ)を誘拐。怒り心頭となるデーヴは森林警備員のサンジーヴァニー(ゴーヴィンダ)を案内に、ビーラーが棲むジャンガル奥深くへと捜索を進めるが・・・。

Revie-U *結末に触れています。
インド神話「ラーマヤナ」の白眉とも言えるシーター妃誘拐のエピソードを、「ボンベイ」Bombay(1994)、ディル・セ 心から」Dil Se…(1998)のマニ・ラトナム監督が映画化。それもヒンディー版とタミル版を同時に制作という入れ込みよう!
数年前、本企画と前後してマニ・ラトナムが同じくインド神話「マハーバーラタ」アミターブ・バッチャンはじめ、全インドの名だたるトップスターを集めて映画化するというアナウンスが流れたが、こちらはガセであったようだ。

Raavan

(c)Madras Takies,2010

配役は、羅刹(らせつ)ラーヴァナに相当するビーラーアビシェーク・バッチャン(写真左)、ラーマ王のSP(Superintendent of Police。英国式には警視、米国式では警察本部長)デーヴ・プラタップ・シャルマーにタミル映画界のヴィクラム
「ラーマヤナ」ではシーター妃奪回で大活躍する猿神ハヌマーンにあたるサンジーヴァニーゴーヴィンダという布陣。
そして、シーター妃となるヒロイン、ラーギニーにはヒンディー/タミル版ともに世界の至宝アイシュワリヤー・ラーイ・バッチャンをフィーチャル。

スタッフもヒンディー版作詞にグルザール、音楽監督にA・R・ラフマーン。撮影監督サントーシュ・シヴァンという<マニ・ラトナム組>に、同じくタミル映画界出身ながらMain Hoon Na(私がいるから)」(2004)、Om Shanti Om」オーム・シャンティ・オーム(2007)、「Billu」(2009)などの撮影監督V・マニカンダンを2本立てで起用。

急遽、東京国際映画祭上映が決まり、Sholay」炎(1975)と相まってバッチャンズ総結集となったばかりか、10月に入ってアナウンスされたNHKアジア・フィルム・フェスティバルではDelhi-6」デリー6(2009)上映も加わり、アビシェーク&ラフマーンの2作同時期上映となった。

東京国際映画祭では、世界の潮流に反してインド映画枠が冷遇されてきた感があるが、本作は300前後の席数で2回上映とやや向上。「Kabhi Alvida Naa Kehna」さよならは言わないで(2006)上映年には大不評であった一般上映内のプレス席確保は撤廃。別枠で設けられたプレス上映では108席中、ほぼ半数程度が埋まっていた。別枠上映となって予約がしやすくなり、他作品も満席がさほど多くないプレス上映の中ではまずまずの注目度と言えるだろう(10席程度のプレス席がガラガラだった頃からすれば上々?)。

さて、本レビューでは同時製作されたタミル版との比較に重きを置いてみたいと思うし、この考察抜きには作品の本質には触れられないであろうから。

上映時間139分とあって、開幕早々、ビーラー達による対警察の破壊工作とラーギニーに誘拐となるばかりか、早々に森の案内人サンジーヴァニーの登場となる。平均上映時間120〜140分が主流の現在、主人公にまつわる因縁話のプロローグに20分も費やすのは、昔の話。
第1幕の見せ場となるのが、誘拐されたラーギニーが盗賊ビーラーから<貞操>を守るため、滝の上から平然と身を投げるシーンだ。
現在のボリウッド水準からすると、合成と解ってしまうこの処理は褒められたものではない。特にアイシュは「Dhoom:2(騒乱2)」(2006)でリティク・ローシャンと共にブラジルの断崖からワイヤー・ワークによるダイヴ・スタントをこなした経験があるだけに余計に生温く感じてしまう。

もっとも不満なのは、この合成処理だけで、絶壁ギリギリでの演技や終日雨や水に濡れ続けるアイシュやアビシェークの役者魂には感嘆するし、南インドの自然を美しくとらえたサントーシュやマニカンダンの撮影も驚嘆に値する。

Raavan

(c)Madras Takies,2010

そして何よりアイシュワリヤーが実に佳い。美しく、氣高く、力強いヒロイン像はアイシュが最も得意とするところ。本作は、まさしく彼女の代表作に加わることだろう。
ビーラー役のアビシェークも佳い。
ただ、アイシュを誘拐しておいて凄んで見せても、ボリウッド・ファンからすれば「夫婦で何やってる〜」と思ってしまうのが玉に瑕。

神代の話を現代で描くべく、ラーマ王子(ヴィシュヌ神の化身)を警察=正義、羅刹ラーヴァナを反政府ゲリラ的な盗賊に置き換えているのは、同じ「ラーマヤナ」を題材にしたKhal Nayak(悪役)」(1993)に通ずる。その点では「Khal Nayak」のリメイクとも言えよう(タミル版の英語題は「Villain=悪役」になっている)。
その「Khal Nayak」との一番の違いは、神話で大活躍する猿神ハヌマーンを本作では採用していること。
森林警備隊という設定に加え、ゴーヴィンダという配役も上出来。ただ、ハヌマーンらしく身軽な動きを見せるのは登場シーンのみで、意外に活躍しないのは超人的な能力が発揮できない<現代>という足枷からか。

ラーマに相当する正義の立場、デーヴを演じるのは、タミル映画界のヴィクラム。凄まじい氣迫で妻ラーギニー捜索とビーラーへの追撃を見せる。
そのためもあって、ビーラーは誘拐後、<守り>の立場になってしまい、アビシェークの印象が今ひとつなのも、この脚本設定故とも考えられる。

もうひとつ、本作のウィーク・ポイントとなっているのが、クライマックスの吊り橋シーンだ。
デーヴとピーラーの死闘が空中高く行われるわけだが、これが昨年あたりから安易に使われる傾向にある広範囲をカヴァーしてのグリーンバック撮影の背景デジタル合成だ。
氣付かない人にはまったく氣にならないレベルだが、一度氣づいてしまうとやはり白けてしまうのは否めない。技術的には過渡期であるため、一概にグリーンバックを否定する訳ではないが。
これが数年前であれば、そこまでグリーンバックを取り入れることもなく、実際の渓谷をキャメラ・アングルで<嘘をついて>撮影されただろうから、その方がサントーシュのマジカルなルックにマッチした迫真に満ちた映像となったことが想像に難くない。

さて、ここで肝心のタミル版「Raavanan(ラーヴァナン)」(2010)との違いに触れてゆこう。
最も大きな違いはキャスティングと役名で、デーヴ=デーヴ・プラサード・スブラマニアムプリットヴィラージ、ビーラー=ヴィーライヤーヴィクラム、サンジーヴァニー=ギャナプラカーサムカールティクとなっている。
(役名的にはデーヴとラーギニーはシャルマー及びスブラマニアム姓からブラーミンの設定となっている)
サポーティングに、ヒンディー版がピーラーの弟マンガルにボージプーリー映画のスーパースター、ラヴィ・キシャン。デーヴの部下ヘーマント役に「My Name is Anthony Gonsalves」(2008)のニキル・ドゥィヴェディを登庸。
ビーラー=ヴィーライヤーの妹が両作ともマラヤーラム女優プリヤマニーである以外は、脇役もヒジュラー含めてまるごと変わっていて、ヴィーライヤーの弟はなぜかデブキャラになっている。

氣になるタミル版との相違だが、なんとこれが驚くことに、ストーリーボード(絵コンテ。つまりはアングルやカットつなぎ)がほぼ全く同じなのだ。アニメで言えば、キャラクター・デザインを変えて背景画も同じままで再撮影したようなもの。
どう考えても狙いで撮ったと思われるキャメラ・アングルをも忠実に再現している仕事ぶりには、感嘆する他ない。

それでも幾つかのパートに違いが見られる。
捜索中、ラーギニーが拉致されていた場所を発見したデーヴの回想シーンで、ベッドでいちゃついているアイシュの衣装がヒンディー版では胸元も露わなロングキャミソール?なのに対し、タミル版ではブルーの刺繍が鮮やかな白のクルターに変わって肌の露出が抑えられていること。
ビーラーが妹の恋人と初めて対面するシーンがなぜか、ヒンディー版とタミル版ではシンメトリーでアングルを変えていること(先のベッド・シーンもアングルが異なる)。
デーヴの野営テントに忍び込んだビーラーが訪れた証拠に彼の顔写真に泥を指先になする付けティカ(額の印)として押そうするのに対して、タミル版のヴィーライヤーは写真の脇に<捺印>的に押していること。

さらには、先に見たいちゃつき加減の露出度にも関係が考えられそうな、警察内で陵辱された妹がその被害をビーラーに語るシーンでも、ヒンディー版ではビーラーの弟マンガルらがその場にいるのに対して、タミル版ではその話を聞くのはヴィーライヤーだけに限られているという点。
反面(これはナマステ・ボリウッド24号「ボリウッドvsインド映画」で考察した「Ghajini」のタミル版/ヒンディー版で暴力描写が同じ監督作品でもタミル版に比べヒンディー版では<自粛>されていたように)、残酷描写ではビーラーによって復讐された妹の婿がタミル版では切り取られた腕を彼自身が手に持っている様子がはっきり画面に映っていること。
また、警察内での監禁暴行を示すカットで、ヒンディー版ではただ単に花嫁姿の妹が地面に座らされている状況ショットであるのに対して、タミル版では警官が服を脱ぎ出す芝居が付け加えられている点が異なる。

先に見た完璧なまでに同じストーリーボードを用いてヒンディー/タミル版を撮影している試みからすると、この違いは単なる<違い>とはとても思えない。
(この違いの中で、大きく興を削ぐのが、ビーラーとラーギニーの中に特殊な関係が託されるシーンでヒンディー版で流れる、CD未収録のイラー・アルン歌う「heer raanjha」が報われない恋人の例えとはいえ、ウェットな南インド的世界にあって北インドのパンジャービー叙情詩「ヒールとラーンジャー」ではあまりに唐突であり、違和感を覚えてしまう)

Raavan

(c)Madras Takies,2010

アビシェーク扮するビーラーとヴィクラム演ずるヴィーライヤー(写真左)の芝居はほぼ等しく演出されているので、果たしてどちらが基本バージョンなのか、これまた氣になるところ。アビーとアイシュがセットで配役されていることとゴーヴィンダの割り振りからするとヒンディー版を基本として撮影されたように思える。
戦闘シーンなどは、ヒンディー/タミルの両キャストが待機していて、すぐさま両テイクを撮影したような場面もあるが、もっと手の掛かるダンス・シーンなどは振付を担当したガネーシュ・アチャルヤーの登場シーンを見ても自前の衣装が色違いになっていることからして別日に撮影されたように思える。

ガネーシュ・アチャルヤーは、小錦を彷彿とさせるその巨体なキャラクターから観客ウケし、しばしばダンス場面でも姿を見せているが、本作のヒンディー版ではわりと長目、観客にわりと馴染みのないタミル版ではその編集の切り具合からして、監督側の要請というよりは、自分で出たがって提案しているように見受けられる(苦笑)。

ヒンディー/タミル版の相違核心に迫る前に、今一度、「ラーマヤナ」を現代化するにあたっての細部を見てみよう。
「神々には殺されない」という特権を勝ち取った羅刹ラーヴァナを抹殺するべく、ヴィシュヌ神がとった作戦は<人間に化身すること>。そして、ラーマ王子として生まれる。
この特権に建前上、神々をも縛られているのは、<現代>と違ってダルマ(法)が生きていた神代であるから。現代は、このダルマが通用しない末法の世<カリユガ>にあたる。

それ故、本作ではビーラーを悪魔と例えながら、中盤に明かされる彼がラーギニー誘拐に至った経緯話では、むしろ正義たるべき警察の方が悪行を働いている。
この話を聞いたラーギニーの<受け芝居>となる次の場面では流れる川に崩れ落ちた神像が舞台装置となっていて物語設定が<カリユガ>であることを示し、模範的なヒンドゥー妻のラーギニーが夫デーヴ(神)を崇めれば崇めるほど、カリユガの逆性が強調される仕掛けになっている。
(神話自体を考えてみると、「神々には殺されない」が「人間(などという弱い生き物)に殺されるはずもない」と前提しているラーヴァナの隙を突いて、神であるヴィシュヌが人間に生まれ変わるのは姑息な手段に思えなくもない)

反面、ビーラーが復讐のために誘拐したラーギニーを殺さなかった、その理由として彼女が死を恐れなかったこと、即ち「怯えない相手を殺せるか」とビーラーの口から語られる。これは「神々には殺されない」特権が、一度口から出た決定を(いかなる理由があっても)尊重する神話時代の<潔さ>から来ており、善が無法を働き、悪とされるビーラーが<ダルマ>に則っていることを示している。

実は、この今に伝わる「ラーマヤナ」は世界のあちこちで見られる征服者側からの神話として成り立っており、ラーヴァナの棲むランカー島は今のスリランカとされ、西方からやって来たアーリア人に侵攻され南インドに押しやられたドラヴィダ人の神話的記憶とされる。
政府側からは<盗賊>とされるビーラーだが、裏を返せば、住民側からすれば英雄となり、マニ・ラトナムが南インド出身ということからも当然、ビーラー=ドラヴィダ(南インド)警察=アーリア(北インド)という図式になる。

であるからにして、「ディル・セ」ではAIR(オール・インディア・レディオ)シャー・ルク・カーンと民族ゲリラのテロリスト、マニーシャー・コイララとの恋を通して政府VS独立派を題材にしたマニ・ラトナムからすると、神話劇をモチーフにアーリアvsドラヴィダという観点から南インドのドラヴィダ主義にエールを送る政治的な作品とも見て取ることが出来る。
だが、それではあまりにもあからさまで挑戦的過ぎるメタファーとも思えるが。

Raavan

(c)Madras Talkies,2010

なぜマニ・ラトナムは、今回の物語をヒンディー/タミル版と同時製作し、なおかつ地域バージョンがある神話をテーマにしながら、2バージョンを全く同じストーリーボードで再構築しようとしたのか。
考えられる唯一の理由は、<カリユガ>という時代の持つ、正義が裏を返せば悪となることであろうか。

マニ・ラトナムは、南インド映画界でキャリアをスタートさせ(そのデビュー作は、ヒンディー映画でブレイク前のアニル・カプール主演)、タミル映画「Roja」(1992)のヒンディー吹き替え版で全国的な認知を受け、ヒンディー映画の人氣女優マニーシャーをヒロインに迎えた「ボンベイ」Bombay(1994)、シャー・ルクを主演に担ぎ出し初のヒンディー映画となった「ディル・セ」(1998)で北インド市場=全国区で評価を固めつつ、タミル映画を平行して作りながらも、アジャイ・デーヴガン、アビシェーク、ヴィヴェーク・オベローイラーニー・ムカルジーカリーナー・カプールイーシャー・デーオールというボリウッド・トップスター共演「Yuva(若さ)」(2004)、アビシェーク&アイシュ「Guru」(2007)と2作ヒンディー映画が続き、結局、ボリウッドが向かうところか、と思わせたものであった。

通常、インド国内の各言語間でのリメイクを見ると、やはりご当地的に味付け直しが見られるし、ファン・サービスのためにも地元スターの持ち味を活かして仕立て直すのが筋というもの。まして、北と南では観客の嗜好差は大きく、先に示した「Ghajini」ではタミル版で存分に描かれた暴力+残虐描写がヒンディー版では大幅に自粛され、ロマンティックな風合いを強めてリメードされたほどである。

それらの市場差を超えて、より撮影が困難な完全同期とも言えるヒンディー/タミル版を作るにあたって、最も大きな特色は、ヒンディー版「Raavan」で善なるデーヴ(神)を演じていたヴィクラムを、タミル版「Raavanan」において羅刹にあたるヴィーライヤー役に据えている点であろう。
もちろん、これは<カリユガ>的に解釈すれば、ヴィクラムはヒンディー版では<悪役>を、地元タミル版では<反逆のヒーロー>を演じたことになる。
現代の世界を見れば解る通り、この視点を変えれば、正義が悪に、悪とされる者が本当は善なる魂を持っている(可能性もある)、ということを示したかったのではないか(実際、ヴィクラム本人が入れていてタミル版ヴィーライヤーの時は露出させている左腕の刺青が、ヒンディー版デーヴを演じる時もシャツの裾から少し覗き見え、神の陰に羅刹の本性が垣間見えていることとなる)。
と、まあ、より手間がかかる撮影に見合うかどうか定かではないが、作家が作品にこめる野望として考えられるのは、このようなところであろう。

さて、「ラーマヤナ」のシーター妃話となれば、氣になるのが、奪回後の扱いだ。
英雄奇譚の後日談として、長らく敵(つまりは男)のところに囲われていたシーターが不貞を働いたのではないかと(一応、神話ではまわりから懸念が持ち上がり、ということになっている)ラーマは妻にこれを問いただし、不貞というより、つまりは夫からの信頼を失ったシーターは身の潔白するため、火の中に飛び込むという悲劇となる。

これは神話としてはいささか見苦しい(聞き苦しい)筋運びのため、後々付け加えられたエピソードとされる。マードゥリー・ディクシトが劇中劇で演じたLajja(恥)」(2001)のように、どのようにアレンジが施されるか、特に映画化の場合は注目される。

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(c)Madras Talkies,2010

本作では、氣高さ故に惹かれたビーラーが、夫を愛し続けるラーギニーの心に打たれ、そっと彼女を解放する。しかし、デーヴは猜疑心からラーギニーを問い詰め、誇り高き彼女は夫に失望し、ひとりビーラーの元へと戻る。
その理由は、誘拐されている間にストックホルム症候群や不貞の愛が芽生えていたからではなく、夫デーヴが猜疑心を抱くきっかけとなったビーラーの言葉を問うために彼を訪ねたのだった。
だが、ビーラーの口から出たのは、神と崇めた夫からの言葉とは違い、やましいものは微塵もなかった。夫にうち捨てられたも同然のラーギニーは、ここで初めてビーラーの中に<氣高さ>を見る。
そして<カリユガ>だけに、善なるはずのデーヴが妻ラーギニーに罠を仕掛け、ビーラーの在りかをつかむために放った芝居であった。完全方位されたビーラーは銃弾を浴び、谷底へと落ちる。
ラーギニーの叫び、「メーレー・ビーラー!(私のビーラー)」がその耳に届いたかどうかは解らない。

ヒンディー/タミル版でより大きな違いと言えば、やはりアビシェークとアイシュが演じているかどうか、であろう。
ヒンディー版は、確かに実生活でも夫婦であり、仲睦まじいふたりからして、単体ショットは実に佳いのに、ツー・ショットので芝居となると、その対立構造がリアルに感じられなくなってしまう嫌いがあった。
しかし、これがタミル版ともなると(ボリウッドを見慣れたせいもあるが)アイシュとヴィクラムの間にスクリーン・ケミストリーはまったく感じられず、その野性的な側面はヴィクラム演じるヴィーライヤーの方が勝っているものの、本作のロマンティックな側面ともなると全く効果が上がらず、思い返してみるとヒンディー版の方に軍配を上げてしまう。

善と悪を演じ分けたヴィクラムは確かに芸達者で、筋骨・アクション共にアビシェークの上を行く。ダンス・シーンも快活であるが、逆にバック・ダンサーとステップ差がなくなり、群舞の中ともなると埋没してしまうのだが。

タミル版でデーヴに配役されたプリットヴィラージは、キャスト中、一番の若手とあってか、存在感も薄く、その点でもタミル版の印象が弱く感じられたように思える。
ハヌマーンに相当するカールティクも、窮地にあっても動ずることなく和睦を持ちかけるゴーヴィンダのしたたかな様からすると、Filmfare Awards Southを何度も受賞している割には精彩がない。
もっともこれはタミル版をテルグ吹き替えで観たせいもあるだろう(このテルグ吹き替え版では、アイシュの声も単なるヒロイン声で、本作ヒンディー版で彼女自身が見せた圧力のある声にはほど遠い)。

なお、東京国際映画祭上映での日本語字幕では、エンディング曲の歌詞を優先させたためか、アイシュが叫ぶ最後の台詞に字幕がなかったのが残念である(テルグ吹き替え版では、単に「ビーラー!」)。

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*追記 2010.10.30

ヒンディー版DVDを改めて確認してみると、タミル版の相違点についていくつか思い違いがあったので、まずは修正を。

>残酷描写ではビーラーによって復讐された妹の婿がタミル版では切り取られた腕を彼自身が手に持っている様子がはっきり画面に映っていること。

これは単に手首の持ち方の違いにもよりそうだが、タミル版ではデーヴが腕の切断面を握りつける強調カットが挿入されている。

>警察内での監禁暴行を示すカットで、ヒンディー版ではただ単に花嫁姿の妹が地面に座らされている状況ショットであるのに対して、タミル版では警官が服を脱ぎ出す芝居

正確にはヒンディー版では警官がボタンに手をかけるところまでの短いカットであるのに対し、タミル版では完全に制服の上着を脱ぐまでの長めのカットと、4〜5名で花嫁を取り囲むカットがインサートされている。

>ラーギニーの叫び、「メーレー・ビーラー!(私のビーラー)」が

これはタミル版と同様に、単に「ビーラー」であった。
(なお、字幕で反映されていないのは、やはり歌詞をとるかどうか協議の上だったそう。近年、日本の若い観客は画面に描かれない演出意図や台詞で説明されないことは「ないもの」と認識してしまう傾向から、もしソフト化される時はこの台詞の字幕追加も検討されるようだ)

さらにDVD収録のメイキングで確認してみると、

*ラーギニー誘拐シーンの撮影で、アイシュの乗る小舟とビーラーの船がニアミス、あわや実際に撃沈しそうな事態に!

*クライマックスの吊り橋シーンも実際にワイヤーワークで吊っての撮影が行われていた。4種類の吊り橋が作成され、メインショット用には高さ2000フィート(600m!)の渓谷に設営されたとのこと。
ラストのアビシェーク落下シーンも実際にワイヤーワークによる落下だが、グリーンバック合成にしか見えないのは、惜しい限り。
一方、ラーギニーの滝落ちはワイヤーワーク実写(ダブル=吹き替えスタント?)の他、スタジオ内でアイシュ自身のブルーバック撮影が行われていた。

メイキングにおけるマニ・ラトナムはじめ、グルザール、A・R・ラフマーンのインタビューが大変興味深い。収穫は、ヒンディー版で果敢なデーヴを、タミル版でワイルドなヴィーライヤーを演じたヴィクラム本人が案外シャイでマイルドだと判ったこと??

収録のメイキングは、本編を制作したマドラス・トーキーのオフィシャル版ながら、インタビュー中にヒンディー/タミル版の違いを語る口述こそあれど、両者を比較する映像はなく、あくまで「ヒンディー版のメイキング」として制作されていることも興味深い。これは彼らがヒンディー/タミルのマーケットが完全に別物という認識からだろう。

尚、撮影はケーララ州のチャラクディ、タミル・ナードゥ州のウーティー山中、滝の場面は同じくタミル・ナードゥ州のホゲナッカル村、吊り橋の決闘はWhat’s Your Raashee?(君の星座は何?)」(2009)の前世ナンバルを撮影地に程近いマハラーシュトラ州マルシェージ・ガートで行われた。

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