Delhi-6(2009)#087
デリー・シックス
製作・脚本・監督:ラーケーシュ・オームプラカーシュ・メーヘラー/製作:ロニー・スクリューワーラー/脚本:カムレーシュ・パーンディー、プラスーン・ジョーシー/撮影:ビノード・プラダーン/音楽:A・R・ラフマーン/美術:サミール・チャンダ/VFXスーパーバイザー:サミール・フーン、クレイグ・A・ムンマ/アクション:アラン・アミン/編集:P・S・バーラティー
出演:アビシェーク・バッチャン、ソーナム・カプール、リシ・カプール、ワヒーダー・レヘマーン、オーム・プーリー、プレーム・チョープラー、アトゥール・クルカルニー、ディヴヤー・ダッタ、ヴィジャイ・ラーズ、スプリヤー・パータク、ラグヴィール・ヤーダウ、ダーヤーシャンカル・パーンディー
特別出演:アミターブ・バッチャン
公開日:2009年2月20日(2010年10月NHKアジア・フィルム・フェスティバル上映)
STORY
NY生まれのローシャン(アビシェーク)は、祖母アンナプルナー(ワヒーダー)に付き添ってデリーの下町チャンドゥニー・チョウクへと移り住む。折しも怪しげなカーラー・バンダル(黒猿男)が出没し世間を騒がせていた・・・。
Revie-U
ちょうど本サイトをオープンした2001年半ば、世界にニュース配信され、日本のスポーツ新聞でも報じられていたのが、デリーを震撼させた「モンキーマン事件」。超人的な飛躍能力を持つ男が夜な夜な住民に目撃され、町はパニック状態となっていた。
これを、2002年の独立闘士バガット・スィン伝記映画ブームと相次ぐインド空軍のミグ墜落事件から「Rang De Basanti(浅黄色に染めよ)」(2006)を監督したラーケーシュ・オームプラカーシュ・メーヘラーが映画化したのが本作。
舞台となるのは、同年のひと月前にリリース(劇場封切り)された「チャンドニー・チョーク・トゥ・チャイナ」Chandni Chowk To China(2009)と同じデリーの下町チャンドゥニー・チョウク。エンディングでアクシャイ・クマール自身がプレイバックするタイトルソング中、「デリー・チェー(6)」とある。ラール・キラー(レッド・フォート)の城下町で、東京で言えば、浅草にアメ横があるようなものか。
タイトルは、この地区の郵便番号で、チャンドゥニー・チョウクの別名。監督のラーケーシュらがシナリオ・ハンティングに歩いている時、街中で喧嘩に遭遇し「俺はデリー6の生まれだぞ!」と凄んでいるのを見てタイトルに付けたとか(劇中、タージ・マハルを訪ねたソーナムが露天商に言い捨てる場面あり)。
また、暇潰しにやる低レートでの賭け事も「デリー・チェー」と呼ばれる。
当初、タイトルはヒンディーをローマナイズした「Dilli6」とアナウンスされ、iTunesのデータベースでも「Dilli 6」と登録されているが、最終的に英語のスペルとなった。
もっとも、下町シーンは実際のD6でなく、旧市街の雰囲気をたたえるラジャスタン州ジャイプールから西へ40kmほど行ったサムバールで撮影。
ちなみに「家族の四季」Kabhi Kushi Kabhie Gham…(2001)でもカジョール扮するアンジェリーがチャンドゥニー・チョウク住まいという設定であったが、撮影自体はムンバイーのフィルムシティに造られたオープン・セットで行われたため、デリー市街では見えるはずのない緑の山が映っている。
NYからD6にやって来たローシャンと祖母アンナプルナーは、長らく空き家となっていた実家に落ち着くが、これがローシャンにとってパンドラの箱を開けることとなり、しばし在外インド人からの視点でインドが綴られる。
早々に観劇に出かけるのが、野外で催されるラーム・リーラー(ラームの神話劇)。
ちょうど今月、東京国際映画祭で上映されるアビシェーク・バッチャンとアイシュワリヤー・ラーイ・バッチャン主演「Raavan」ラーヴァン(2010)のモチーフである「ラーマヤナ」のシーター誘拐エピソードがこれ。
舞台裏に出没したカーラー・バンダルに、本来シーターを救出し英雄的に活躍するはずのハヌマーン(猿神)とその仲間の猿に扮した役者たちが大騒ぎするのが可笑しい。
また印象的なのが、アンナプルナーの心臓発作エピソード。インドと国外を結ぶビデオチャット中、アンナプルナーが卒倒し、ローシャンらが病院へ運ぼうとするが、通りの真ん中で聖なる牛がいて埒が明かない。様子を見に行ったローシャンが戻ると祖母がいなくなっている。なんとアンナプルナーは聖なる牛と聞いて、自分の発作などどこ吹く風とばかりすっかり回復していたのだった。
ストーリーが進むうちに、ローシャンはインドの現実から切り離された外界からやって来た一種の<異星人>、「デリーに落ちてきた男」として設定されているように思える。と言うのも、あれほどモバイル(携帯電話)好きなインドにあって、本作ではローシャンがiPhoneを手にするぐらいでまず見かけない。モンキーマン事件の渦中にあった2001年でもかなり普及していたはずなので、なんらかの演出的な意図からであろう。
ヒロイン、ビットゥを演じるのは「Saawariya(愛しき人)」(2007)に続く女優第2弾となるソーナム・カプール。本作リリースでは「CC2C」を破って2009年のオープニングNo.1の動員となり、父アニル・カプール出演「スラムドッグ$ミリオネア」のアカデミー賞受賞と共にカプール家の喜ばしき出来事となった。
その「スラムドッグ$〜」が2000年にスタートし国民を熱狂させたクイズTV番組「Kaun Banega Crorepati(誰がなるのか大金持ち)」からインスパイアされたように、ビットゥが心奪われているのが、アイドル発掘番組「Indian Idol」。ただし、ファースト・シーズンは2004年なので、iPhone含めて実在のモンキーマン事件とは時間軸は合わない(ボリウッド映画ではよくあることだが)。
よくも悪くもゼロ年代のインドは、テリウッド(TV)に熱狂した時代と言える。
彼女がオーディション用のビデオで踊るのが、父アニルが「Salaam-E-Ishq(愛のサラーム)」(2007)で若い娘に翻弄される誘惑ナンバルとしてカバーされていた「babuji」。大本は若きワヒーダーの出演作「Aur-Paar」表か裏か(1954)におけるムジュラー・ナンバル「babuji dheere chalna」(ギーター・ダット)。ワヒーダーはグル・ダットの<永遠のヒロイン>として知られるが、恋仲にあったグルが自殺したことからその後、グルに触れられることは好まないとされている。それでもここで引用されているのは、ワヒーダー自ら踊るナンバルではないからか。
作品の見どころは、やはりローシャンが寝ぼけて見る<白昼夢>ナンバル「dil gira dafatan」だろう。
チャンドゥニー・チョウクとタイムズ・スクエアを融合させたこのVFXは、「スター・ウォーズ エピソード3」、「ターミネーター3」などを手がけたサミール・フーンと、「インディペンデンス・デイ」、「GODZILLA」、「Koi Mil Gaya(誰か…みつけた)」(2003)&「Krrish」(2006)、「かいじゅうたちのいるところ」のクレイグ・A・ムンマによる仕事。
通りをまるごと覆う勢いのグリーンバック撮影でのデジタル合成で、まるで「ねじ式」を思わせるシュールな夢のヴィジュアル化に成功している。この技術発展から2010年公開の作品では船上・屋上シーンなどをやたらグリーンバックで済ます傾向にあり、空氣感を捉えていない安易な演出が氾濫する弊害というか過渡期にある。
そして、本作の価値を一段と高めているのが、音楽監督A・R・ラフマーンの獲得だ。2009年はオファーの狭間で担当作が少ないが、本作はアカデミー賞受賞「スラムドッグ$〜」、「Yuvvraaj」(2008)と同時期にレコーディングされ、テイストが似通っているのが嬉しいところ。
なお、2009年に手がけた米国コメディ「カップルズ・リトリート」が未公開・レンタル中(セルなし)。ただし、どうしてラフマーンがオファーを受けたのか、不明な内容ではある。
サポーティングは、ヒンドゥーの祖母アンナプルナーにグル・ダット作品のヒロインで知られるワヒーダー・レヘマーン。
そのアンナプルナーに密かに想いを寄せていたムサルマーン(イスラーム教徒)のアリー役に「Karz(借り)」(1980)など70〜80年代のトップ・スターにして、ランビール・カプールの父リシ・カプール。
ヒンドゥー実力者シャルマー役に、オーム・プリー。
ビットゥの祖父にプレーム・チョープラー。
氣の弱い祭祀カーストに「Rang De Basanti」の右翼学生役アトゥール・クルカルニー。
不浄な存在な割に男どもから色目を使われる掃除カースト役にディヴヤー・ダッタ。
不埒な警官役にヴィジャイ・ラーズ。
ラーム・リーラーのナレーター役に、ラグヴィール・ヤーダウ。その甲高い口上は、プレイバックのカイラーシュ・ケールと区別が付かないほど。
わずかに離れたイスラーム教のジャーマー・マスジッドに、ヒンドゥーのガウリー・シャンカル寺院、ジャイナ教のラール・ジャイン寺院、スィクのグルドワーラー・スィス・ガンジ・サーヒブ、キリスト教の教会まで軒を連ねるチャンドゥニー・チョウクを舞台に選んだだけあって、コミュナル(宗教間。実際は政治的)な対立をテーマに盛り込んでいるが、せっかくの「モンキーマン」がギミックに留まっているのが残念。
と言うのも、「モンキーマン」は日本の「口裂け女」と同じ都市伝説で、生活様式が大きく変わる高度経済成長における集団ヒステリーと考えられるからだ。実際、「モンキーマン」の目撃例は、同じデリーでも旧市街で多く報告され、その後は地方での「ベアーマン」などへ変化している。
テクノロジーの急激な変化と浸透から、それまで伸びやかに成り立っていた心的空間が慄然と整理されゆく<都市化>(あるいはアナログに対してのデジタル化とでも言おうか)への悲鳴とも言え、劇中登場するラーム・リーラーやiPhone、ビデオ・チャット、「Indian Idol」症候群、タイムズ・スクエアなどの要素は「インドの変化」という点ではぎりぎりクロスオーバーしているものの、ラーケーシュの思惑はここにはなかったようだ。
今月はTIFFの「Raavan」上映と重なって、「アビシェーク月間」または「A・R・ラフマーン月間」と言えそう。世界の潮流と異なり、日本におけるインド映画への関心は一般的に低いままであるが、この2作は日本人観客にとって<革新的>なインド映画に映るのではないだろうか。
確かにハイクオリティの秀作ではあるが、現在のボリウッドからすれば決して<飛び抜けた超革新作>とまでは言い難く、旧弊とした日本のインド映画観とのギャップ自体が「Delhi-6」そのもののようにも思える。
なにはともあれ、今回の上映で日本のボリウッド・ファンからソーナムの注目度がアップしているのは喜ばしいことである。
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