Koi…Mil Gaya(2003)#086
製作・原案・脚本・監督:ラーケーシュ・ローシャン/脚本:サチン・バーミック、ホーニー・イラーニー、ロビン・バット/台詞:ジャーヴェード・シディーク/撮影:サミール・アールヤー、ラヴィ・K・チャンドラン/作詞:デーヴ・コーリー、イブラヒム・アーシュク、サイード・ナスィール・ファラーズ/音楽・背景音楽:ラージェーシュ・ローシャン/美術:シャルミスター・ローイ/振付:ラージュー・カーン、ファラー・カーン、ガネーシュ・ヘーグデー/アクション:ティヌー・ヴェルマー/
VFX:マーク・コールべー&C・A・ムンマ/クリーチャー・デザイン:ジェームズ・コーマー/編集:サンジャイ・ヴェルマー
出演:リティク・ローシャン、プリティー・ズィンター、レーカー、プレーム・チョープラー、ラジーヴ・ヴェルマー、ビーナー、ムケーシュ・リシ、アンジャナー・ムンターズ、ラジャト・ベディ、アールヤマン・サプル、ジョニー・リーヴァル
特別出演:アーカーシュ・クラーナー、ラーケーシュ・ローシャン(ノンクレジット)
公開日:2003年8月8日(年間トップ1ヒット!/日本未公開)
Filmfare Awards 作品賞・監督賞・主演男優賞・批評家選主演男優賞・振付賞
Screen Awards 作品賞・監督賞・主演男優賞・批評家選主演男優賞・振付賞 ・特殊効果賞
National Film Awards 特殊効果賞
STORY
宇宙科学者のメーヘラー博士(ラーケーシュ)は、地球外生物との交信を果たすも第三種接近遭遇から運転を誤り、自動車事故で他界。同乗していた妻ソニア(レーカー)は生き残るも、身籠もっていた息子ローヒト(リティク)は脳にダメージを持って生まれ、成長後も知能は10歳児のままであった。ある日、ローヒトは父が製作した交信機を見つけ出し、地球外生物と交信してしまい…。
Revie-U *結末には触れていません。
ミレニアムに彗星の如くデビューしたスーパースター、リティク・ローシャン主演、父ラーケーシュ・ローシャン製作・監督の第2弾にして、ボリウッド・メジャー初の本格スペース・ファンタジー大作。2003年にリリース(劇場封切り)されるや、これまたメガヒット!
冒頭、インド映画定番のプロローグで主人公の生まれ落ちたバックボーンが語られる。
科学者メーヘラー博士を演じているスキンヘッドが、リティクの実父ラーケーシュ・ローシャン。ただし、早々に事故死してしまうため、画面上の<父子共演>はなし。
そして、ローヒトの母親役となるのが、かのレーカー。アイシュワリヤー・ラーイ・バッチャンでリメイク版が作られた名作「Umrao Jaan」踊り子(1981)で知られる80年代のトップ女優。その美貌は今でも衰えず、ボリウッドのリビング・オブ・レジェンドに数えられる。俳優時代のラーケーシュとは小粒映画「Khubusoorat(見目美しき)」(1980)で共演している。
さて、ひと通りローヒトの脳障害について説明シーンが為された後、近所の子供達とクリケットで遊ぶローヒトがジョニー・リーヴァルの家にボールを打ち込み、窓ガラスを割ってしまう。そして、もう1発。すると飛び出して来たジョニーが老けメイクになっていて、リティク本人がローヒトを演じる現代シーンとなる。
この一見、安易?な時間軸のスキップもボリウッドの<定番>で、あの「スラムドッグ$ミリオネア」でも主人公の兄弟が列車から転がり落ちたところで少年子役にスキップする、と正しくボリウッドを継承していた。
ローヒトをリティク本人が演じていることからも判るように、ローヒトは知能は据え置きながら身体は<青年>。しかし、彼を知らない人々は、子供に交じっていい若者が悪ふざけとしていると思ってしまう。
町にやって来て日が浅い、ヒロイン、ニーシャーもそのひとり。出会いのタイミングが悪く、ローヒトに怒り心頭。ロヒトの方は、彼女に謝るように母親に言われたことから、これを実行しようとするが、またも裏目に出てニーシャーの友人で性格の悪い元級友のボンクラ息子ラージにからまれ、スクーター(キック・スケーター)を壊されてしまう。
事情を知ったニーシャーは、ローヒトに自転車を贈り、ふたりは打ち解け合う。やがて、納屋に眠っていた交信機を操作し、地球外生命とコンタクト。スペースシップに乗り遅れた異星人ジャードゥーを匿ううち、ローヒトにスーパーパワーが授けられ…という展開。
さて、肝心の「SF」シーンであるが、薄々お判りのように「未知との遭遇」や「E.T.」、遠近法で彼方へ消えゆくオープニング・タイトルバックが「スター・ウォーズ」風と定番SF映画をそっくり継承。それでもマザーシップの着陸現場などは映画的スケールからすれば、1年早い「Retuner リターナー」の上をゆく。
それもそのはず、VFXに「インデペンデンス・デイ」、「GODZILLA ゴジラ」、「かいじゅうたちのいるところ」のマーク・コールべー&C・A・ムンマ、スペース・シップとクリーチャー・デザインに「愛しのアクアマリン(未)」のジェームズ・コーマーを起用、オーストラリアのVFX工房がこれを請け負っている。
そのクリーチャー・デザインはモチーフがタイトルに合わせて「鯉」…かどうかは置いておいて(被り物としては「REX 恐竜物語」程度)、注目すべきはジャードゥー(魔法)と名付けられたエイリアンの手が、リティクの6本指と同じく<親指が2本>にデザインされていることだ。
かの伝説の写真家ロバート・キャパも6本指を持って生まれたものの、西洋社会では<異端視>されるからと母親の願いで幼いうちに手術で人工的に5本指とされたが、そこはインド。常人と異なることは神の顕れとされ、むしろ尊ばれる。リティクの家族は神が授けた6本指を損なうことなく彼を育てあげ、デビュー時もこれが知れ渡り、彼の6本指が憧れの対象となったほど。
ただ、父ラーケーシュが監督したデビュー作「Kaho Naa…Pyaar Hai(言って…愛してるって)」(2000)においては時期尚早として画面上では右手のアップを避け、左手で代行していた。
それがいよいよ本作で<解禁>となったわけだが、それもファースト・ナンバル「in panchhiyon」において、母親役にフィーチャルされた<ボリウッド伝説の女神>レーカーからその右手に愛おしい口づけの祝福を得ている。
そして、ジャードゥーとローヒトが出会うシーンで、ローヒトが右手を差し出し、ジャードゥーがこれに応えて握手する。つまり、なぜローヒトは異星人と同類、神の使者ということが暗に示されている訳だ。これなど世界中のどんな俳優にも真似できない、リティクならでは設定と言えるだろう。
後半は、ひとり残されたジャードゥーを宇宙に返すという、どこかで見たようなストーリー。これに加えて、ジャードゥーから授かったローヒトがスーパーパワーを得ていきなり筋肉ムキムキと、実に楽しませてくれる。リティクはデビュー作「KNPH」でもWロールを演じていたが、本作でも子供っぽいローヒトとヒーローとなったローヒトと一粒で2度美味しい。
それにしてもリティクの演技力は卓越している。
デビュー作ではそのダンス・テクやサルマーン・カーンを凌駕する逆三角形ボディが話題となったが、どうしてどうして単に美顔であるとか、脚が長いとかいうことでスターなのではなく、確かな演技力という裏打ちあってのこと、ということがよく解る(Filmfare Awardsでは主演男優賞と批評家選主演男優賞をWで受賞)。単に2色でローヒトの成長を演じ分けるのでなく、その成長段階がこれまた絶妙。
ヒロインとなるプリティー・ズィンターは、この年、「たとえ明日が来なくても」Kal Ho Naa Ho(2003)、「The Hero」(2003)と出演作が軒並みメガヒット(悪女を演じた「Armaan」以外)。さすがに、どのシーンも彼女の旬を感じさせる輝き様。脳障害を持つローヒトとのボーイフレンド/ガールフレンドぶりも嫌みに見えないのは、彼女のネアカなキャラクター故だろう。
そして、本作に深みをもたらしているのが、母親役のレーカー。ローヒトをからかい彼のスクーターを壊した後、カフェで談笑する元級友のラージらに流暢な英語で猛然と抗議する見せ場は、「Bulandi」(2000)で今どきのバカ嫁を英語で叱責した場面の復刻。続く「うちの息子はアブノーマルだけど、あなた達がノーマルなら、息子がアブノーマルで私は幸せよ」と言い放つヒンディー台詞も胸を打つ。
ロケはヒマラヤの間近、北インドのウッタラーカンド州ナォニータールとビムタール、ミュージカル・シーンの借景ロケがカナダで行われている。シーンのマッチングだけでなく、雄大かつ清々しい景色がローヒト達の心情を映し出す借景ロケの好例となっている。
ローヒトの友人たちスーパー・シックスのひとりが常に、結び目を団子状にしてた頭巾姿なのはスィクの子だから。スィクの男子は生まれてからずっと髪を切らずに頭に束ね、その上からターバンを巻くが子供やスポーツ選手はこの団子バージョン。この子が節を付けてしゃべるのは、台詞をマントラ風にしてのこと。
ローヒトの愛飲するボーンビータは、タイアップ・メーカーの粉末ドリンクでインド版<ミロ>。この時期、日本のボリウッドファンでも珍重された(笑)。
サポーティングは、ローヒトとライバルになるボンクラどら息子ラージに、ラジャト・ベディ。リティク以上の長身(190cm?)でそこそこ引き締まった身体ながら、見るからに胡散臭く、芝居の寒さもルックスも原田大二郎といった感じ。
似たような底抜け悪役だったムケーシュ・リシは、逆にこれが持ち味となり、本作ではローヒトに好意を持つ、正しき警官役に昇格。
ラージの父で地元の行政長官サクセーナ役に、往年の悪役プレーム・チョープラー。
ローヒトの隣に住む警官役に、この時期、欠かせぬコミック・リリーフのジョニー・リーヴァル。
そして、ロヒトを見守る校長役に、「Baazigar(賭ける男)」(1993)、「Duplicate」(1998)などの脚本も手がけるアーカーシュ・クラーナーが出演。
音楽監督にリティクの伯父ラージェーシュ・ローシャン。牧歌的なナンバルが多い中で、ローヒトがダンス・コンテストに出場する「it’s magic」がソー・ナイス。ただし、しめっぽいタイトルバックはスペーシーなオープニングにはそぐわないが。
振付監督のファラー・カーンは、「idhar chala mein udhar chala」でFilmfare Awards とScreen Awards で振付賞をW受賞。
ファラーの監督第1作「Main Hoon Na(私がいるから)」(2004)がアナウンスされた当初、シャー・ルク・カーンの弟役にリティクの名が上がっていたが、「ラーケーシュが役の小ささにこれを蹴って」「ファラーと絶交した」との報道が流れた。これはリティクのデビュー当時、ブレイクぶりがあまりに凄まじかったため、メディアが「リティク/シャー・ルク戦争」と煽った流れ。実際には「MHN」にはリティクの義弟ザイード・カーンがキャスティングされ、勇敢なシャー・ルクに対比する効果(つまりは冴えない?)を上げていたし、本作でも振付に起用されており、まったくのデマだったことが判る。
監督のラーケーシュは元俳優だけあって繊細な演出とは言い難いが、脚本構成が秀逸な本作はこれまでのフィルモグラフィの中でも出色な仕上がりとなっている。これもスーパースターとなったリティクをさらに盛り上げようとする全スタッフの想いにもより、アミターブ・バッチャンの映画がそうであったように、スーパースターともなるとそのエナジーがまわりにも伝播し、技量以上の物を引き出す。これがスーパースターの<ジャードゥー>と言えるだろう。
本作のメガヒットを受けて、続編「Krrish」(2006)がスーパーヒーロー物としてスープ・アップ。さらにサーガ第3弾「Krrish 2」が現在製作中。シリーズの魅力は単にエイリアンから授かったスーパーパワーにあるのでなく、それさえを実は民衆に愛され続けているクリシュナ神によるもの、というインド的な見立て方にあり、交信に使われるオームはヒンドゥーで宇宙の「創造・保持・破壊」を為すマントラで、インド人には我が意を得たりと言ったところだろう。
ストーリーからして児童映画的要素が強いものの、シリーズを楽しむためにもぜひ押さえておきたい一作だ。