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Dev.D(2009)#071

2010.10.03
オススメ度 =陳腐 ★★=退屈 ★★★=平均点 ★★★★=面白い! ★★★★★=お気に入り!!

Dev.D

「Dev.D」デーヴ・D ★★★☆

製作:ロニー・スクリューワーラー/脚本・監督:アヌラーグ・カシャップ/コンセプト:アブヘイ・デーオール/脚本:ヴィクラムアディティヤー・モトワン/撮影:ラジーヴ・ラヴィ/作詞:アミターブ・バターチャルヤー、シーリー/音楽:アミット・トリヴェディ/振付:マンシー・アガルワール、ザ・トワイライト・プレイヤーズ(「pardesi」、「saali khushi」)/衣装:スブラー・グプター/アクション:パルヴェーズ・カーン/プロダクション・デザイン:スカンター・パニグラヒー/美術:ヘレン・ジョーンズ/編集:アールティー・バジャージ

出演:アブヘイ・デーオール、マヒエー・ギル(新人)、カルキー・コーチャリン(新人)

助演:ザ・トワイライト・プレイヤーズ(シンバッド・パグラー、アモー<トゥー・スウィート>、ジミー<ザ・クイッフ>)、パラーク・マダン(新人)、クルディープ・スィン、グルキルタン、サンジャイ・クマール、アシーム・シャルマー、サトワント・コォール、シーナー・ガマト、ヘレン・ジョーンズ、ビヌー・ディロン、ナワーズッディン&ニティン・U・チャインプーリー、ディブイェンドゥー・バッターチャルヤー、

公開日:2009年2月6日(2010年3月、大阪アジアン映画祭上映)

STORY
パンジャーブで大工場を営む家系の次男坊デーヴ(アブヘイ)は、幼馴染みのパロー(マヒエー)と結婚するつもりで遊学先のロンドンから帰国。しかし、パローが嫁いだことからデリーに移り、酒浸りの放蕩生活を送る。やがて、援助交際がバレて家族を失ったレニー(カルキー)の娼窟に入り浸り…。

Revie-U
失恋した酒飲みを「デーヴダース」と例えるくらい、ある種、北インドの深層心理に浸透している名文学「Devdas」。何度となく映画化され、シャー・ルク・カーンアイシュワリヤー・ラーイマードゥリー・ディクシトというボリウッド・トップスターを揃えた至極の決定版というべきサンジャイ・リーラー・バンサーリーDevdas(2002)が世に出た後も再生産が試みられ、本作「Dev.D」(2009)は、その現代版となる。

冒頭でこれまで通りの過去シークエンス(デーヴとパローの幼馴染みという関係はその実、妹萌え)を描いて「Devdas」の物語であることを示しつつ、すかさずロンドン遊学中のデーヴがモバイル(携帯電話)で通話中、村に残ったパローに自慰をさせる。デーヴが帰国を決めるのも、指示してメールで送らせた彼女の裸体画像に欲情してのこと。
「Devdasの現代版」を期待した観客にカウンター・パンチを喰らわし、同時に「現代版のDevdas」を期待する観客に応えてみせるのだ。果ては、失意で酒に溺れるデーヴダースを癒す第2のヒロイン、踊り子チャンドラムキーの設定が援助交際上がりの女学生娼婦という<現代>ぶりが用意されている。

デーヴ役アブヘイ・デーオールはあくまで氣怠く、パロー役マヒエー・ギルは十人並み、チャンド(月=美人の意であるはずが)に扮するフランス系カルキー・コーチャリンなどはもう…。女神そのものと言えるアイシュ、マードゥリーの美しさとは天と地。そう、これは地面に這いつくばって生きる小人の物語なのだ。
劇中、主人公たちが完成されたバンサーリー版「Devdas」をTVモニター画面で見るシーンが何度も登場することからもそれが伺われる。無論、あの華麗で荘厳な群舞ミュージカルなど用意されていない。

近年、興隆するニュー・ストリーム映画の旗手とされる監督アヌラーグ・カシャップの狙いは、美しい天の物語「Devdas」を現代の地上に再構成すること。舞台も、あのウエットで文学的土壌を持つベンガル~カルカッタから燦然と陽が注ぐパンジャーブ~デリーへと変更。「純愛」は、単にねじれた無い物ねだりに過ぎず、そして、アル中映画から不快感で試す前衛的なドラッグ・ムーヴィーへと変身する。

だが、悪戯にアメリカン・ニューシネマを氣取っているわけではない。
「死にきれないデーヴダース」は、もはやDev(神)ではなく、人間はそもそもヘタレ、とするアヌラーグの人生観を表している。退廃的な作品に見せかけながらも人間嫌いに陥らず、生きることを選び、人と関わっていこうとするところが、やはり人好きするインド人らしい。

それにしても、あふれんばかりの色彩に満ちたパンジャーブの風土を得た効果は鮮烈だ。生命の躍動感を明確に伝え、パローも旺盛な性欲を見せるばかりか、これまでのパロー像からは想像も出来ない感情を吐き出すキャラクターとなっている。

またチャンドラムキーに相当するレニーも相当な改変が為されている。アングロインディアン(英国系インド人)の娘という設定で、女子高生時代から町を歩けば男どもに声をかけられ、援助交際がTVスキャンダルとなり、父親が拳銃自殺。母親からも見放され、デリーの娼窟へと落ちる(それでいてカレッジにはしっかり通う)。

レニーはTezaab(酸)」(1988)はじめ、マードゥリーのファンで何度となく「Devdas」をTVなどで見たことから、源氏名を「チャンドラムキー」と名乗るのだった。
そして酒とドラッグ(コカイン)に酔ったデーヴが彼女の元へ運び込まれ、やがて入り浸りとなる。

アヌラーグはこれまでのボリウッド・スタイル、つまり着飾った女優の群舞やアイテム・ナンバルを廃して、スーツを着込んだザ・トワイライト・プレイヤーズなど男性パフォーマーだけを取り上げた他、ストーンしたデーヴを描く前衛的なショットなどから、その演出は一見、観客を拒絶するかのようだ。
それでもボリウッド中枢で脚本仕事を続けるアヌラーグだけに、まったくの退廃かつ厭世的な作品とは言い難い。むしろ、回を重ねて観るごとにボリウッドの基本路線が透けて見えてくる。

ずっとパローを熱望してやまず、それでいてパーティーで知り合った女を抱こうとするデーヴは、結婚指輪を用意しながらも求婚せず、縁談が持ち上がったパローの前で為す術もない。デリーに移って娼窟通いを繰り返しながらも結局はドラッグに溺れてしまう精神的に弱いデーヴに対して、パローやレニーは現実に適応して、力強く生きてゆく。特に落ちぶれたデーヴをパローが訪ねるシーンで見かねて掃除を始める様は、まさに「主婦」。

デーヴは、これまでのデーヴダースとは異なり、父と激しく対立した訳でもなく、それなりに家族や地域の愛を受けながら生きてきていながらも、そのまわりの愛に氣がつかない愚鈍でセルフィッシュな男として描かれている。
想いを寄せ始め、あれこれと世話を焼くレニーにも平然と「パローを永遠に愛してる」と言ってのける。それは「Devdas」で描かれた純愛や献身でもなんでもなく、「パローを愛してる」という自分の想いだけに逃げ込んだ、ないものねだりの、未成熟なキャラクターだ。パローが嫁いでからは女漁りをしているようでいて性交シーンが描かれないことからも、彼が他者とコミュニケートせずに逃避していることが見てとれる(実際には、それぞれの娼婦やレニーとも肉体交流しているはずだが…)。
そういう点では、ニート青年を描いたランビール・カプール主演「Wake Up!  Sid」(2009)、不完全な人間が自分を受け入れるために悪戦苦闘するシャー・ルク主演「Kabhi Alvida Naa Kehna」さよならは言わないで(2006)とコンセプトは同じと言えよう。

レニー役カルキー・コーチャリンは、両親がインドに移り住んだフランス系(さっそくアヌラーグがリンク中)。本作でデビューし、CMやオファーも続々と。アヌラーグの新作「The Girl In Yellow Boots」(2011)では原案も担当している。
その岸田今日子を思い起こさせる個性的な顔立ちは、登場早々のすっぴんも手伝ってボリウッドの女神たちに慣れた感覚では拒否反応も抱かないわけではないが、キャラクターに馴染む(慣れる?)に従ってチャーミングにも思えてくるから不思議。これはメイクだけでなく、デーヴを受け入れて(即ち客を取らなくなって)から、レニーが明るい表情を見せる演出にもある。

パロー役マヒエー・ギルは、本作でFilmfare Awards批評家選主演女優賞を獲得。<十人並み>の容貌と先に書いたが、あくまでアイシュやマードゥリーと比べての話。目元もぱっちりとし、どことなくタッブーに覇氣を加えたような容貌。その後はなんと、アヌラーグの弟アビナーヴ・カシャップの監督第1作にして本年ぶっちぎりのメガヒットとなったサルマーン・カーン主演「Dabangg(大胆不敵)」(2010)に出演(ただし、ヒロインではなく)。艶やかさがもう少し欲しいところだが、市井の人々を描く小粒映画では需要を伸ばしそう。

デーヴを演じたアブヘイは、Sholay」炎(19975)のダルメンドラが伯父にあたる。従兄弟のサニーボビー・デーオールとはキャラクターが異なり、ヒーロー路線でなく、ダウナー系の<悩める若者>を好演し続け、独自の立ち位置を確立。
昨年、東京国際映画祭で上映された「Road,Movie」ロード、ムービー(2010)は公開2週目から出足が伸びたものの、結局、フロップ。
しかしながら、アニル・カプール製作「Aisha」(2010)、マードゥリー復帰作「Mother」ゾーヤー・アクタルの監督第3弾「Zindagi Na Milegi Dobara」チャンドニー・チョーク・トゥ・チャイナ」CC2C(2009)に続くニキル・アドヴァニー監督のワーナー・ローカル・プロダクト作品「Basra」などオファーが絶えず、ボリウッドのニュー・ヒーローとなるか、目が離せない。

さて、本作からブレイクした注目株と言えば、音楽監督のアミット・トリヴェディだろう。TV「Indian Idol」出身のポップ・シンガー、アビジート・スワントのアルバム「Junoon(狂氣)」を手がけ、テロを題材にした小粒スリラー映画の秀作「Aamir(指揮官)」(2008)で映画音楽に進出。本作でFilmfare Awardsの登竜門的R・D・バルマン賞背景音楽賞、そしてNational Film Awards音楽監督賞を受賞。
同じコンセプトの「Wake Up! Sid」(2009)はじめ、「Striker」(2010)、「Udaan」(2010)、「Aisha」など新鋭的な作品に起用されている。

もっとも、「mahi mennu nahi karna」や、ちょっとなまったヴォーカルのパーティー楽団ナンバル「emosanal attyachaar」、自身でプレイバックを務める「duniya ye duniya badi gol」など尖ったサウンドを提供しつつ、シルパー・ラーオを起用した本家「dola re dola」への表敬ソング「dhol yaara dhol」「ranjhana」などは旧来のメロディアスで奥行きのあるフィルミーを追想させる。

米ニューシネマの傑作「バニシング・ポイント」をバブルどっぷり期にそのままリメイクしたところで無意味であるように、これをわきまえ、「現代のDevdas」として捉え直してあるところが、やはり確信犯アヌラーグらしい。日本のボリウッド・ファンからすれば期待するものが一切裏切られていることこそ、インドの今というわけだ。

ちなみに、終盤、「酒に酔ったままBMWを運転していたデーヴが路上に寝ていた7人の人間を轢き殺してしまい裁判にかけられる。それでも平然と」旅をし、登場人物どころか、アヌラーグらまでもが必要のないエピソードを持ち込み、救いのドラマを作っているところからも「ボリウッドらしさ」が伺われる(苦笑)。

Dev.D

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