Bride & Prejudice(2004)#067
「Bride & Prejudice」 06.06.30UP ★★★
Balle Balle! From Amritsar To L.A.
製作:ディーパック・ナーヤル/製作・監督・脚本:グリンデール・チャダ/脚本:ポール・マエダ・ベルゲス/原作:ジェーン・オースティン/撮影:サントーシュ・シヴァン/音楽:アヌー・マリク/英語版作詞:ファルハーン・アクタル、ゾーヤー・アクタル/ヒンディー版作詞:ジャーヴェード・アクタル/振付:サロージ・カーン/背景音楽:クレイグ・プルース/プロダクション・デザイン:ニック・エリース/編集:ジャスティン・クリーシュ
出演:アイシュワリヤー・ラーイ、マーティン・ヘンダーソン、ナディラー・バッバル、アヌパム・ケール、ナヴィーン・アンドリュース、ナムラター・シロードカル、ダニエル・ギリース、インディラー・ヴァルマー、ソーナーリー・クルカルニー、ニティン・ガナトラー、メグナー、ピーヤー・ラーイ・チョウドリー、アレクシーズ・ベルデール、マーシャー・メイソン
英国公開:2004年10月6日(1週目トップ1! 2週目4位→3週目7位→4週目10位/日本未公開)
STORY
アムリトサルに住むラーリター(アイシュワリヤー)は、パーティーで米国人の大富豪ダーシー(マーティン)に出会う。一方、彼を連れて来たロンドン在住のNRI大富豪バルラージ(ナヴィーン)は、彼女の姉ジャヤー(ナムラター)に一目惚れ。姉妹の父親バクシー(アヌパム)は、バルラージの招きに彼女たちだけでゴアに送り出すが、気位の高いラーリターはダーシーの偏見に立腹して……。
Revie-U
2003年に日本でも公開された「ベッカムに恋して」Bend It Like Beckham(2002=英米独)の監督グリンデール・チャダは、ケニヤ生まれの在外女性監督。ロンドンへ移り住み、BBCでのTVディレクターを経て映画監督になっただけあって、サッカー選手を夢見るインド系少女を通して、在英NRI一家(パンジャーブ出身のスィク)の誇りと挫折感がしっかり描き込まれている秀作であった。
さて、グリンデールがこの成功の後、アイシュワリヤー・ラーイを獲得して製作したのが本作。原作は「エマ」などで知られる英国女流作家ジェイン・オースティンの「高慢と偏見」(中野康司訳/ちくま文庫)を、18世紀末の英国から現代インド〜英国〜米国に置き換えての映画化となっている。
原題の「Pride」から「Bride」に変更されているのは、前年に米国でも現代版として「Pride and Prejudice」(2003=米)がリメイクされていたことからの配慮だろう。さらに翌年、「プライドと偏見」Pride & Prejudice(2005=英仏)として完全版が映画化され、「ベッカム〜」にてNRIの主人公パルミンデール・ナーグラーをチームに誘った金髪少女キーラ・ナイトレイがヒロイン、エリザベスを演じている。
ちなみに、TV「高慢と偏見」におけるコリン・ファース版ダーシーがヘレン・フィールディングの原作本「ブリジット・ジョーンズの日記」でマーク・ダーシーのモデルとなっていて、映画化の際にコリン自身がキャスティングされていた。
「ベッカム〜」は非ボリウッド・スタイルで制作されたが、本作では音楽監督にアヌー・マリク、英語版作詞に「Dil
Chahat Hai(心が望んでる)」(2001)の監督ファルハーン・アクタル(ヒンディー版は父親のジャーヴェード・アクタル)、コレオグラファーにサロージ・カーン、撮影に「ディル・セ 心から」Dil Se.. (1998)のサントーシュ・シヴァンという布陣で固め、キャストも引き続き父親役に「Main Aisa Hi Hoon(私だって普通です)」(2005)のアヌパム・ケール、姉役に「Tera Mera Saath Rahen(おまえと俺とは一蓮托生)」(2001)のナムラター・シロードカル、アイシュの親友に「Taxi No.9211」(2006)のソーナーリー・クルカルニーをボリウッドから調達。
これに「カーマ・スートラ」Kama Sutra:A Tale of Love(1996=英印)のコンビ、インディラー・ヴァルマーとナヴィーン・アンドリュースがNRI大富豪の兄妹役に加わる。このナヴィーン扮するバルラージ、パルティーの会場で「女は男を、男は女をみつけるんだ」と言うなり、バルコニーから身を乗り出すジャヤーを見初める。ダンサーたちに混じってダンスを見せるが、そこは非ボリウッド俳優だけに頑張っているという程度。インディラに至っては、今回は踊らず見ているだけ。
氣になるアイシュの相手役はというと、バイカーズ・アクション「トルク」(2004=米)で主人公を演じたマーティン・ヘンダーソン。高価なデザイナーズ・クルター姿が凛々しいだけでなく、瞳の色も同じアイスブルーとあって釣り合いの取れたカップルに見える。アイシュにベタ惚れの視線がありありなのであるが…。
そのアイシュワリヤー、さすがにミス・ワールドの冠に恥じない堂々たる英語を駆使して、マーティンをやりこめる。氣位の高さは本人そのまま??
ラーリターは、<高慢で偏見に満ちている>ダーシーとことあるごとに衝突する。パーティーで彼女の申し出を断って早々に退散したのも実はピジャマー(ズボン)のヒモが解けてズリ落ちてしまうからで(そのために結婚式のパーティーにはスーツを着込んでくる)、このように彼女の方がダーシーに<偏見>を抱いていて時にかなり感じが悪かったりする。
姉妹ジャヤー役のナムラターは2005年2月にテルグ映画界のスター、マヘーシュ・バブーと結婚し、現在はボリウッドから引退状態にある。
アイシュとナムラターは「Albera(美しき気まぐれ)」(2001)に続く二度目の共演となっていて、姉妹としても相応しい配役。ただ、ミス・ユニヴァースの準決勝に留まりだった格の差なのか、両作ともセカンド・ヒロインに甘んじている。それでも本作では、時よりはっとする印象を見せており、スクリーンから遠ざかったことが惜しまれる。
「グリーン・デスティニー」(2000=米中)を終えたアン・リーは「中国系監督なら一度は武侠映画を撮るべきだ」と語っていたが、「インド系監督なら一度はマサーラーを」とばかり本作に臨んだグリンデール。それだけで浮かれてしまったのか、「ベッカム〜」でNRIの一家が頑なに守ろうとしていたインド人としての美徳をいとも簡単に置き去って、本作では両親からして嫁入り前の姉妹だけで遊興地へ送り出してしまうし、インド〜ロンドン〜LAと舞台が移りながらも出来の悪いマサーラー以上にラーリターとダーシーがやたらと再会。その上、いきなり彼と犬猿の仲であるジョニーが海から現れる始末!
主人公一家の本拠地を肝心のアムリトサルとしながら、スィクの歴史的な悲劇を物語に強く織りなそうとはせず、単にゴールデン・テンプルの観光だけに留めるなど宗教的な要素は弱く、NRIに嫁いだラーリターの親友チャンドラの結婚式に至って民族衣装を着飾りながらも<洋式>で執り行われる……。
V・S・ナイポールによれば、海外に渡ったNRIは少数派故に、よりインド人としてのアイデンティティーを強めていたそうだが、グリンデールも本国を舞台とすることで氣が弛んでしまったのだろうか。
原作が18世紀の英国農村を舞台設定としているためか、特にマサーラーらしいドラマは起きず、「ベッカム〜」から比べると退屈に映るのが否めない。
舞台がアムリトサル〜ゴア〜ロンドン〜L.A.と変化するものの、特に必要性は感じられず、ラーリターの親友チャンドラが米国在住のNRIと結婚してしまい、ロンドン経由でL.A.を訪ねたラーリターがダーシーと再会し彼の家族に出会うという流れは、資本の関係からであろうが、いささか風呂敷を広げ過ぎた印象。
インド国内で公開されたヒンディー版のタイトルが「Balle Balle! From Amritsar to L.A.」と、なんだか「ボンベイtoナゴヤ」(1997)の邦題みたいになっているが、L.A.→ロンドン→アムリトサルへと話が戻ってしまうので、あまり意味のないタイトルではある。
(結婚相手を探していたNRIのコーフリーとラーリターが衝突し、絶交同然で出て行ったものの、彼とラーリターの親友チャンドラが結婚することから一家でL.A.を訪ね、彼らの家に平然と厄介となるのがインド人らしくて微笑ましい)。
終盤、ロンドンでジョニーと夜通し過ごした妹ラーキー(ピヤ・ラーイ・チョウドリー)を探し歩くラーリターにダーシーが付き添い、男たちが国立映画劇場で乱闘となる。ここでリバイバル上映されているのは、マノージ・クマール主演・監督「Purab Aur Pachhim(東と西)」(1970)で、ロンドン在住のヒッピー娘サイラ・バーヌーが遊興の場に身を置き、プレーム・チョープラーに襲われかけたところに彼女を想う誠実なマノージが現れ、殴り合いとなるシーン。
プレーム演ずるOK(オームカール)はインド文化を欧米ヒッピーたちに切り売りしながら西洋風俗を享受している性悪男で、これが本作でもインド通バックパッカーのジョニーに重ね合わされている。
ただし、配役されたダニエル・ギリースが見るからに安手の男であるためにそのような印象を受けるが、演出面では彼に夢中の<恋に恋する>ラーキーが親に偽って彼の宿を訪ね、一晩帰らぬまま遊び歩いていたところ、彼女を探すラーリターに付いて来たダーシーとジョニーが昔から犬猿の仲であったために、たまたま彼が妹を連れて隠れようとしたところ、殴り合いになったに過ぎない(ラーリターが好意を寄せ、夢を抱く相手としてはダニエルは貧相でミス・キャストと言える)。
サロージ・カーンを重用してありながら、群舞の見せ場がパーティー・ナンバル「punjabi wedding song」(balle balle)とダンディヤー(グジャラートの棒打ち盆踊り)・ナンバル「dola dola」の2曲と少ないのも珠に瑕。「Devdas」(2002)のようなアイシュによる華麗な舞いが堪能できないのが実に残念である。
末妹役がコブラ・ダンスとして客人の前で披露するのは、サロージ自身が振り付けした「Nagina(雌蛇)」(1986)のパロディー。演ずるメグナーが踊れないため、生ける蛇女と化したシュリーデヴィーとは比べるもなく、カットを割って誤魔化してある。
アヌー・マリクによるメロー・ナナンバル「take to me love」(tumse kahen ya hum na kahen)は心潤すものの、英語版ではプレイバックする女性シンガーたちが洋式歌唱のままであるため、姉妹たちがパジャマではしゃぐ「no life without wife」など、そこだけハリウッド製のミュージカルを見ているような錯覚に陥る。特にアムリトサルの下町での買い物ナンバル「a
marriage has come to town」(lo shaadi aayi)では、通行人のおばさんまで流暢な英語で歌いだして珍妙さの極みであろう。これを見る欧米人観客らにしてもパロディーにしか映らないのではないか。
では、ヒンディー版の方がしっくり来るかと言うと、さにあらず。もともと撮影が英語歌詞で為されているため、ヒンディー版の画面にはリップシンクロしておらず、見ていてひどく座りが悪かったりするのだ。
なお、ゴアでのグルーヴ・ナンバル「my lips are waiting」に米国人歌手アシャンティがフィーチャーされている。
その他のサポーティングは、ラーリターの母に「Meenaxi」(2004)のナディラー・バッバル(ラージ・バッバル夫人)。パーティーで浮かれて独唱しだすなど、父親役アムパムが霞むような超弩級の存在感を放つ! 「ベッカム〜」でも母シャヒーン・カーンが氣を吐いていたが、これはグリンデールの母親像?!
コミックリリーフとして嫁探しに来る米国NRIコーフリー役が用意されてあり、英国で顔の知られたTV俳優ニティン・チャンドラ・ガナトラーが配役されている。これはキャスティングにしてもNRIは海外ベースの俳優で、という方針によるため。
また、ダーシーの母親役に往年のハリウッド女優マーシャー・メイスンが顔を見せている。
「ベッカム〜」、「踊るマハラジャ★NYへ行く(V)」The Guru(2002=英米仏)、そして本作ともにインターナショナル・カップルが誕生する物語となっているのは、やはり資本(=マーケット)の力によるものだろう(もっとも、本作の場合はグリンデールのパートナーであるポール・マエダ・ベルゲスが日系米国人であることも大きい)。
後者2作はボリウッド・スタイルを模しているにしろ、キャスティングにしても欧米人受けする細工が施されている。
本作の英国ボックスオフィス・チャートは、なんと1週目トップ1であるが、同年にトップ10入りを果たした「Main Hoon Na(私がいるから)」(2004)が46スクリーンであったのに比べて、376スクリーンを奢られており、そのような意味からもこれらの外国資本による作品は、インド文化圏のために作られる<インド映画>とはマーケットが異なる似て非なる亜流といえよう。
グリンデールは、本作でインド物は氣が済んだのか、現在抱えているプロジェクトはどれも通常の「洋画」ばかり。このへんは、シェーカル・カプールを見習ってのことか。
なお、本作で脚本に名を連ねセカンド・ユニットも担当したポールが監督にまわり、グリンデールが脚本・製作で、引き続きアイシュを起用した「Mistress of Spices」(2005)がリリースされている。
撮影監督にサントーシュ・シヴァン、キャストにアヌパム・ケール、ニティン・チャンドラ・ガナトラーらが続投。サントーシュが監督した「マッリの種」The Trorrist(ビデオ化タイトル:テロリスト 少女戦士マッリ)(1999)のアイーシャー・ダルカルがこれに加わる。こちらはサンフランシスコが舞台となっている。
*追記 2010.09.30
アイシュワリヤーはその後も海外オファーが続き、2009年4月、米「ピンクパンサー2」が日本公開。米・仏・伊訛りの英語が飛び交う中で、アイシュが一番エレガントな英語を話している。もっとも「Dhoom:2」(2006)を観ているとネタバレになってしまうのがご愛敬。