Sholay(1975)#064
「Sholay 」炎 2001.03.14UP/01.09.23 Re ★★★★★
ショーレー
製作:G・P・シッピー/監督:ラーメーシュ・シッピー/脚本:サリーム-ジャーヴェード(サリーム・カーン&ジャーヴェード・アクタル)/撮影監督:ドゥワルカー・ディヴェーチャー/キャメラ:S・M・アーンワル/詞:アナン(アーナンド)・バクシー/音楽:R・D・バルマン/ダンス:P・L・ラージ/宣伝:ギーター・シッピー/美術:ラーム・イェデーカル/音響:S・Y・パタク/編集:M・S・シンディー
出演:ダルメンドラ、サンジーヴ・クマール、ヘーマー・マーリニー、アミターブ・バッチャン、ジャヤー・バードゥリー(現バッチャン)、アムジャード・カーン(新人)
助演:A・K・ハンガル、サティヤン・カップー、イフテーカル、リーラー・ミスラー、ヴィカス・アーナンド、マック・モーハン、ケーシュトー・ムカルジー、サチン、マスタル・アカンカル、ヴィジュー・コーテー、マジョール・アーナンド、ビハーリー・バグワーン・シンハー、アラヴィンド・ジョーシー、バヌマティー、ムスターク・メルチャント、マンサラーム、ママジー、ジェリー、ビルバール、ラージ、キショール、ハビブ、ラージャン・カプール、ダルシャン、マウラー、ケーダル、サイガル、D・ジョーティー、ラージェシュワリー、クリシュナー、ヴェーニー、ギリージャー、スレンデル、ラージェーシュ
ゲスト:アスラーニー、ギーター、ヘレン、ジャイラージ、ジャグディープ、ジャラール・アガー、オーム・シヴプーリー、シャラード・クマール
公開日:1975年8月15日(日本:劇場未公開/1988年:大インド映画祭、2010年:東京国際映画祭上映)
STORY
流れ者の泥棒ジャイ(アミターブ)とヴィール(ダルメンドラ)は、かつて護送中にダクー(盗賊)に襲われ命を助けた元警部のタークル・バルデーヴ・スィン(サンジーヴ)に雇われて、ある田舎の村をガッバル・スィン(アムジャド)率いるダクーから守ることを請け負う。が、ヴィールは馬車引き娘のバサンティ(ヘーマー)に、ジャイは未亡人ラーダー(ジャヤー)に恋してしまう・・・。
Revie-U *結末に触れています。
インド映画史上空前絶後の大ヒット作「炎」!!!! 8年間のロングランに加え、今もってインドのどこかで上映&放映されているという伝説の映画である。ストーリーはご覧の通り「荒野の七人」(1960=米)の戴きで、当時クレディットが4番目だったアミターブ・バッチャンが爆発的人氣を呼び、スーパースターの地位を決定づけた。マルチスター・システム(オール・スター・キャスト)の先駆けとなった作品だけに、サニー&ボビー・デーオール兄弟の父ダルメンドラ、アビシェークの母つまりバッチャン夫人のジャヤー・バードゥリー、ダルメンドラの愛人(当時。後年、結婚)にしてイーシャー・デーオルの母ヘーマー・マーリニー、往年の人気俳優サンジーヴ・クマールと一世代前のスターがズラリ共演!!!!
冒頭、無人の駅へ機関車が入って来るにつれクレーン・ダウンするファースト・ショットからして、傑作の臭いが漂う。R・D・バルマンのリリカルなメイン・テーマに乗って進むオープニング・タイトルバックで、列車から降りた警部が案内人に連れられて荒地、荒地の村を抜けて、岩山に囲まれたタークルの村へ辿り着く。ショールに身を包んだ元警部の初老メイクのタークルからジャイとヴィールという2人の男を探し出すよう頼まれる。「その男たちはいかなる者か?」と問われるや、ここでタークルの回想となり、インドの赤茶けた大地を走る列車をダコイトが襲う掴みのオープニング・アクションとなる。サボテン越しのアングルもあって、まさしくテイストは、チャパティ(カリー)・ウェスタン!!!!
タークルはジャイとヴィールを護送中で、二人は手錠を外せと要求。タークルは銃弾を放って鎖を撃ち切る。切り通しを走り抜ける列車にダコイトが飛び乗るなど、息もつかせぬアクションが展開するのだが、今回観返してみると、サニー・デーオールの「Gadar(暴動)」(2001)がクライマックスでそっくり復刻していたことに氣付く。
回想の終盤、タークルは胸を撃たれるが、ジャイとヴィールが彼を見捨てずに病院へ運んだことから、「ワルだが信用できる」と踏んだことが示される。
一方、ジャイとヴィールは負傷したタークルを病院へ運んだものの、医者のサイド・カーを盗み出して逃亡。ハーモニカを吹くヴィールをジャイが肩車でサイド・カーを走らせる(!)名シーン、「yeh dosti(これが友情)」のミュージカル・ナンバルとなる。1970年代らしいのびのびとした楽曲で、アンプラグドでカヴァーするとカッコイイと思う。画面いっぱいに友情を謳い上げるダルメンドラとアミターブの姿を見ていると、「なぜマニ・ラトナムはミュージカル抜きの映画を作りたがるのか? なぜ歌と踊りがふんだんにあるインド映画の手法を胸張れないのか?」と疑問に思ってしまう。
この後、彼らが貸しのあるスールマ・ボーパリー(ジャグディープ)と、ヒトラーを吉本級のコテコテにパロった刑務所所長(アスラーニー)らが絡まる投獄、脱獄、出所の短いエピソードがスピーディーに重なる。
出所したところをタークルが待ちかまえていて、ジャイとヴィールは彼の申し出に乗るのだが、村の最寄り駅で出迎えた馬車引き娘のバサンティに、さっそくヴィールが恋してしまう。
ダルメンドラは、息子のサニーより愛嬌があって、コミカルなラブ・ロマンスもよく似合う。既婚ながら、スクリーンの裏でもヘーマー・マーリニーと「名コンビ」であった。愛する二人がスクリーンでも息の合った掛け合いを見せるのは、大変微笑ましい。
ヘーマーの、おしゃべりが止まらない素朴で陽氣な田舎娘のキャラクターは、25年の時を経てムンバイーを舞台にした「One 2 Ka 4(1+2は4)」(2001)においてジュヒー・チャーウラー扮するギーターにも継承されている。
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タークルの屋敷に招かれたジャイとヴィールは、その晩のうちに金庫の金を戴いてトンズラを試みる。しかし、金庫を開けるのに苦労していると、タークルの義娘で未亡人のラーダーが金庫の鍵を投げて寄越す。こう堂々とされては敵わん、と二人は居残ることにするのだが、今度はジャイがラダに惚れてしまうのだった。
「アメリカの夜」(1973=仏・伊)式夕暮れ、母屋のランプを消して歩くラーダーが、離れから流れるジャイのハーモニカに耳を傾ける。この時、ラーダーの心には仄かな恋心が灯るのだ。
公開当時、アミターブとジャヤーはすでに結婚しており、劇中のヒーロー・ヒロイン2組が実生活でもカップルということになる。「怒れる若者」像でブレイクしたアミターブは、本作でもどこか醒めた部分があり、未亡人という立場からラーダーも素直に恋に走れない。このような恋愛関係は、ヤシュ・チョープラーが監督した「黒いダイヤ」Kaaka Patthar(1979)でも心に負債を持つ勇者とラーキー扮する女医の関係として踏襲されている。
ところで、盗賊からの防備と言っても実にのんびりしたもので、ジャイなど日長一日寝そべっているだけだ。このレイド・バックした感じが実に佳い。が、中盤「荒野の七人」よろしく、盗賊の手下3人が村に現れる。この時は、ジャイとヴィールの登場に渋々引き下がるわけだ。
手下どもがアジトへ戻りようやく、盗賊の首領ガッバル・スィンの登場となる。寝そべっているだけでも怖いアムジャード・カーンは本作がデビューとなるが、後世に語り継がれる一大悪役となった。彼の台詞を集めたカセットテープが発売され、これも大人氣を博したほどで、同じくG・P・シッピー製作の「ラジュー出世する」Raju Ban Gaya Gentleman(1992)でもボンベイの下町シーンでいきなり、この台詞を吐く「ボス」が登場し、初めて接した日本人観客の意表を突いたものだ。
ゴーヴィンダ主演「Joru Ka Ghulam(情熱の奴隷)」(2000)でも、彼らを追うドジなドラッグ・ディーラーのボス、アーシーシュ・ヴィダヤールティーがガッバル・スィンを敬愛している。
アムジャード扮するガッバル・スィンは、不始末をした手下も容赦なく殺してしまう(ルシアン・ルーレットは、78年の「ディアハンター」より早い!)。
「荒野の七人」を下敷きにした全体のトーンに比べると、狂氣を孕んだガッバル・スィンのキャラクターは、マカロニ(スパゲッティ)・ウェスタンの傑作「夕陽のガンマン」(1971=米)の山賊インディオ(ジャン・マリア・ボロンテ)を意識したもので、当時では革新的な悪役像であったに違いない。しかし、思うにアムジャードが人々の記憶に焼き付いたのは、これ見よがしな残忍さにあるのではなく、彼が見せる悲痛な表情が痛々しさを通り越して異様に思え脳裏にこびりつくほどだったからだろう。
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盗賊の手下を追い返したタークルの村は、ホーリー(春の祭)に浮かれ、ミュージカル・ナンバル「holi ke din(ホーリーの日)」となる。喜びの頂点で、ガッバル自らの奇襲を仕掛ける。この適度な緩→動→緩の連続が、3時間20分の長さを感じさせない構成となっている。
この奇襲でジャイとヴィールは窮地に陥り、その間、タークルは突っ立って見ているだけで何ら手を貸そうとはしない。ガッバルを追い返した二人は、タークルの態度に腹を立て、村の防衛から手を引くと言い出す。そして、タークルは自分とガッバルの戦いについて語り、回想となる。
一度は追い詰められ逮捕されたガッバルはタークルに復讐を宣言。早々と刑務所を脱走し、タークルが町に戻る直前に彼の家族を皆殺しにする。このシーンはインド映画史上例を見ない虐殺シーンだったとのことで、今観ても渇いた空氣に満ちたモンタージュが印象的だ。殺戮の後、ブランコがひたすら揺れるS.E.がガッバルの狂氣を表し、彼は幼い少年まで撃ち殺してしまう。
タークルが村に戻ってみると、ただ一人外出していたために助かったラーダーが喪服のサーリーを着ている。それを見たタークルは両手の荷物をドサッと落とし、これが運命の暗示となるた。怒りに任せてガッバルのアジトへ乗り込んだタークルは逆に捕まり、なんと両腕を斬り落とされてしまう! 長刀が振り落とされる瞬間、回想を語るタークルへと画面は戻り、風にショールが吹きはらわれる。両袖が空を舞うモンタージュは、血しぶきが飛ぶよりインパクトがある。
ジャイとヴィールは金で動くことをやめ、酒宴に興じるガッバルのアジトに忍び寄り弾薬を仕掛ける。ゲスト・ダンサーのヘレンが踊るミュージカル・ナンバル「mehbooba mehbooba(愛される人よ)」となる。この曲はビートが効いて、まさにロックだ。ところで酒宴に乗じて弾薬を仕掛けてまわるシーンは、ラーケーシュ・ローシャンの「カランとアルジュン」Karan Arjun(1994)でもそっくりコピーされている。
バサンティが手下ども拉致され、クライマックスへと突入するが、馬車と手下どものホース・チェイスも迫力満点だ。アジトへ単身乗り込んだヴィールは、タークル同様に捕まってしまう。炎天下、バサンティが愛する男を少しでも生き永らえそうと灼熱の大地で踊るのが痛々しい。ラーケーシュはよほど本作が好きなのか、「コイラ」Koyla(1997)でもマードゥリー・ディクシトに同様のシーンを用意している。本作では、更に盗賊たちがバサンティの足下に酒瓶を投げ、彼女はガラス片に血を流しながらも踊り続ける。エモーションは「ダイハード」(1998=米)より遥かに上だ。
この危機を忍び寄ったジャイが応酬し、ヴィールとバサンティは救出される。ジャイは逃げる途中で背中を撃たれ死期を悟り、ヴィールたちを逃がして独り盗賊の追手を食い止める。ヴィールや村の連中が駆けつけた時、すでに彼は息絶えている。
ラーダーの運命は儚く、愛した男が2度も死んでしまう。その悲しみを知りつつ、タークルは両腕がないために抱いてやることも出来ないのだ。
愛し合うヴィールとバサンティの2人を逃がすため、ジャイがいかさまコインを使ったことがわかる。ヴィールは怒り爆発でガッバルのアジトへ乗り込む。見せ場としては2段階(実は3段階)になっていて、早々とジャイ=アミターブが死んでしまうのは(今にしては)意外に思える。もっとも、当時の大スターはダルメンドラで、アミターブはまだ若手だった。元祖「七人の侍」(1954=東宝)の菊千代同様壮絶な死を迎えるキャラクターであったからこそ、人々の胸に刻まれ、アミターブはインド映画界の頂点に立つスーパースターの地位を得たのだ。
ガッバルを仕留めるのは、タークルであるし、あらねばならない。親友を殺されたヴィールはタークルの要求に渋々取り押さえたガッバルから離れる。果たして両腕のないタークルがどうカタを付けるか? なんとタークルは特注の鉄靴でガッバルを蹴り殺すのだ! 復讐を果たしたタークルが、彼のショールを掛けに寄ったヴィールに思わず男泣きするのが胸を打つ。
製作のG・P・シッピーはボリウッドの名プロデューサーで、監督のラーメーシュ・シッピーはその息子。マカロニの大家セルジオ・レオーネに加え、ペキンパ・スタイルのハイスピード・モンタージュを導入するなど、冴えた演出を見せる。岩山に囲まれた荒地(カルナータカ州ラーマナガラ)のロケ・セットも考えぬ抜かれて配置されており、村人たちの生活もしっかり再現されているのが興味深い。
脚本のサリーム-ジャーヴェードは、サリーム・カーンとジャーヴェード・アクタルの連名。ジャーヴェードはコンビ解消後、作詞の分野でも活躍し、息子ファルハーンの監督デビュー作「Dil Chata Hai(心が望んでる)」(2001)をプロデュースしたばかり。リリカルなメイン・テーマから多様なフィルミー・ソングを提供した故R・D・バルマンは、アーシャー・ボースレーの後夫で、プレイバックも担当している。もちろん、作詞のアナン(アーナンド)・バクシーも未だ現役の大御所だ。
本作は、70ミリ・フィルムで公開され、前売りが6年間途切れずに売れ続けたという(ロングランとしては8年)。収益(興収か配収かは不明)は3億5000万ルピー(当時の邦貨にして105億円!)。当時、入場料が4ルピーだったから、単純計算すると8750万人動員したことになる。これだけ驚異的なヒットになるのは「インドは娯楽が少ないから」と片付けられそうだが、改めに観直してみると、単に「荒野の七人」をコピーするだけでなく、インドの観客に合わせて用心棒を2人に減らし対応するロマンスを重視したこと。また当時は劇中に登場するダクーが各地に出没して社会問題となっていて、後年映画化された「女盗賊プーラン」Bandit Queen(1994)のプーラン・デヴィが司法取引に応じて投降したのが1983年と、リアルタイムで世相を賑わせていたホットな題材を映画化した要因が挙げられる。
初公開以降、本作が現在まで作られたおよそ2万本のインド映画に多大なる影響を与えたことは疑いない。先に挙げた他、アミターブ久々のヒットとなった「Mohabbatein(愛)」(2000)でも同様のオープニング・カットから始まるのは、メガヒットした本作にあやかってのことと思われる。
25周年として記念式典が行われ、トリビュート・リミックス・アルバム「Sholay 2000」もリリースされた。G・P・シッピーは現在、続編を企画しているらしく、当然主役はアビシェークとデーオール兄弟となるだろう。
なお、日本では、1988年の大インド映画祭で上映された。
*追記 2005,09,19
ロック・チューン「mehbooba mehbooba」は、Filmfare Awards 男性プレイバックシンガー部門にR・D・バルマンが、作詞部門にアナン・バクシーがノミネートされた。2005年夏に発売された、クロノス・カルテット&アーシャー・ボースレーのRDBカバー・アルバム「You’ve Stolen My Heart」にもインストで収録されている。
なお、アナン・バクシーは惜しくも2002年に他界。
劇中、終始寡黙な寡婦ラーダーを演じるジャヤーが、回想シーンとなると妙にはしゃいでいるのは、「Bichhoo(サソリ)」(2000)におけるラーニー・ムカルジー同様、無邪氣な少女時代を演じているため。
*追記 2006,02,12
ラーム・ゴーパル・ヴァルマーがリメイク企画中の「Sholay」が、ここへ来てアミターブの術後休養等の問題を受け、キャスティングが見直しされた。
当初の予想通り、ジャイにアビシェークの名が再浮上し、ヴィールにはダルメンドラの次男、ボビー・デーオールの名が挙がっている。やはり、バッチャン家とデーオール家の2世が揃って出演しなければ意味がない。
もっとも、スクリーン上のカップルがそのまま実生活で結ばれてしまっているため、ジャヤー・バッチャンやヘーマー・マーリニーの2世(イーシャー・デーオール)と組ませるわけにもいかず、ラーダー役にはヴィッディヤー・バーランとカトリーナー・ケイフ、バサンティにはラーニー・ムカルジーの名が挙がっている。ラーダー役には、「Parineeta」(2005)でしっとりとした演技を見せたヴィッディヤーに期待したいところだ。
氣になるガッバル・スィン役はアミターブ自身が配役されていたが、ラーム・ゴーパルの盟友とも言えるマノージ・バージパイで再アナウンスされている。アミターブ自身、奇跡のカムバック以降、「Aks(憎しみ)」(2000)はじめネガティヴ・ロールを楽しんでおり、ガッバル・スィン役に多いに乗り氣であった。次回出演作を多数抱えていたアミターブだけに、休養期間の影響はボリウッドを直撃し、撮影延期や配役変更を強いられる作品はかなりに上る模様。
主要キャストは、現段階でまだ交渉中とのこと。その他、ラーム・ゴーパルとヨリを戻したウルミラー・マートンドカルがゲスト・ダンサー(ヘレンによるナンバル「mehbooba mehbooba」に相当?)として、タークル役には「Company(カンパニー)」(2002)でマラヤーラム映画界から招かれたモーハンラールを、その他スニール・シェッティー、ラージパル・ヤーダウのキャスティングが伝えられている。
映画マニアで知られるラーム・ゴーパルがメガホンを取るものの、実録路線に傾倒していることもあって、伸び伸びとしたあのテイストが失われることが懸念される。50th Filmfare Awardsにて50年間のベスト1作品に選ばれ、今もインドの人々に深く愛される作品だけに、オリジナルを損なうことなく、アナザー・ストーリーとしてうまくまとめて欲しいところである。
*追記 2007,08,03
ラーム・ゴーパル・ヴァルマーのリメイク版は、全インド人からのブーイングを受け、「RGV Ki Sholay(ラーム・ゴーパル・ヴァルマーの炎)」とタイトル及び役名を修正していたが、裁判所命令でタイトルを「RGV Ki Aag(火)」に変更することとなった。
なお、インドでのリリース(封切日)は8月31日の予定。こちらも、オリジナル公開日の8月15日を避けた形となった。
*追記 2010,09,28
本作ほど長きに渡って細部まで愛され、インド人の文化的遺伝子に組み込まれたヒンディー映画もないだろう。
数々の映画で引用され、「Main Hoon Na(私がいるから)」(2004)では劇中、「Sholay」上映館が登場。チケット売り場に並ぶ主人公たちを狙撃せんとする悪役の車窓に映画看板のガッバル・スィンが映り込んで重なるショットや、リキシャー・チェイスの後、シャー・ルク・カーンが言う台詞「テーラー・キャー・ホーガー、カーリア?(おまえ、どうしたんだ、カーリア)」も、村襲撃に失敗した部下カーリア(ヴィジュー・コーテー)をガッバルが処刑する時の台詞。
酔っぱらったヴィールが給水塔の上から求愛するエピソードもすっかり定番シーンとなっていて、サルマーン・カーン(本作の脚本家サリームの長男)主演「Lucky」(2005)で再現され、本作の監督ラーメーシュ・シッピー製作「チャンドニー・チョーク・トゥ・チャイナ」CC2C(2009)では、ストーリーそのものが本作をベースにしており、アクシャイ・クマールが雇われる中国ロケの村も本作のラームガル村を思わせる岩山に囲まれたロケーションが選ばれ、宴が盛り上がったところで敵襲が入る、という風に踏襲されている。
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アミターブ・バッチャンとアビシェーク・バッチャンが初めて父子共演した「Bunty Aur Babli(バンティとバブリー)」(2005)では、アビシェークとラーニー・ムカルジーの詐欺師コンビの仲を表すためにブルー・デニムと黒シャツのアビシェークと革ジャンのラーニーがサイド・カーに乗ったり、二人を護送中の警部役アミターブが温情を示すシーンが列車上となっているし、同じくアビシェーク主演「Jhoom Barabar Jhoom(酔ってぐるぐる)」(2007)ではダルメンドラの次男ボビー・デーオールとでサイドカーで走るシーンが用意されている。撮影所物の「Dhoondte Reh Jaoge」(2009)では、若きアミターブに瓜二つのソーヌー・スードがブルー・デニムと黒シャツの衣装で撮影に臨むスケッチがある。
また、アーミル・カーン製作・主演「Lagaan」ラガーン(2001)で村の野外セットが村人の暮らしぶりをよく再現してあったのも、本作の影響上と思われる。
本作の脚本家ジャーヴェード・アクタルの娘ゾーヤー・アクタルの監督デビュー作「Luck By Chance」チャンスをつかめ!(2009)では冒頭、演劇学校に招かれた盗賊役マック・モーハン(顎髭がトレード・マークの名脇役)が乞われて本作の台詞「プーレー・パチャース・ハザール(満額5000ルピー)」を研究生たちが傾聴するスケッチが描かれている他、その影響はボリウッドだけに留まらず、テルグ映画時代のナゲーシュ・ククヌールが監督・主演したヒングリッシュ(英語映画)「Hyderabad Blues」(1998)でも登場人物たちの会話にヒンディー台詞が引用されているほど。
敬愛は映画だけに留まらず、インドの現代美術シーンでも多くのアーティストが「Sholay」をモチーフに作品を発表しており、福岡アジア美術館が「ガンボージ色のガッバル」(アトゥル・ドディヤ作)を収蔵している。
名台詞の宝庫である本作だけにその台詞を集めたCDがDVDが普及した現在も発売されており、これがまた全く聴き飽きない。これは演出のテンポがよいだけでなく、ボリウッド・スターのスターたる魅力がその声の味わいにあることがよく解る。美声で知られるアミターブのみならず、しゃべりだしたら止まらないヘーマー・マーリニーも一見キャンキャン声のようでいて嫌みのない響きを持っている(この愛嬌が欠けた娘イーシャー・デーオールが不人氣でヒロイン女優から脱落)。
特にタークル役のサンジーヴ・クマールは、映画俳優デビュー前にプリットヴィーラージ・カプールの劇団入団当初から光を放っていたと言われるだけあって惚れ惚れするような深みのある声で、なにかとジャイやヴィール、そしてガッバルが語られがちな中、実は彼の配役が彼らを引き立て、不朽の名作とされるに至ったのも彼の存在に負うところが大きいだろう。
本作は「荒野の七人」や大本「七人の侍」の焼き直し、と単に片付けられることもあるが、これらオリジナルでは悪役の印象は薄く、ヒーローを超える悪役ガッバル・スィンの造形が本作の成功をもたらしたと言えよう。
(余談になるが、日本でもボリウッド・ファンの家では子供が言うことを効かない時に「ガッバル・スィンを呼んでお仕置きしてもらうからね!」と言うとビビりまくってトラウマになるほど!)
演ずるアムジャード・カーン(癖毛にひげ面は、まるで「マグマ大使」のゴア)は、残念ながら1992年に亡くなっている。すでに「Qurbani(犠牲)」(1980)の頃にはアクションに不似合いなほどの胴回りとなっていたが、晩年に撮影された「Rudaali」ルダリ(1993)ではもう動くことも難しいのか、ほとんどジャバ・ザ・ハットのように横たわったシーンばかりであった。
本作の公開後(つまり、そのロング・ラン中)、メガヒットにあやかってアミターブの「ひとりSholay」とも言える「Mr.Natwarlal」(1979)が作られた。
実は「Sholay」以前にもダルメンドラ版の「ひとりSholay」が存在する。この「Mera Gaon Mera Desh(我が村、我が国)」(1971)、冒頭でコソ泥のダルメンドラが捕まり刑務所に入れられる。それを片腕(!)の元軍人(演ずるはアムジャードの実父ジャヤント!!)が呼び寄せ、盗賊ジャッバル・スィン(!!!)から村を守るよう命じられるのだ。
ジャッバル役はデビュー間もないヴィノード・カンナー(アクシャヱ・カンナーの父)で、美男の盗賊として話題になり、年間3位に食い込んでいる。この時の盗賊スタイルは旧弊なドーティー(腰巻き)であったが、「Sholay」のガッバル・スィンが古着のアーミー・ジャケットを着込んでいるのは、やはり監督のラーメーシュが米「ダーティハリー」(1971)のイカれた狙撃犯スコルピオから思いついたのであろう。ラーメーシュは「Shaan(栄光)」(1980)でもドン・シーゲル風ガン・アクションを演出している。
これまで見たように本作は様々な作品の継ぎ接ぎとも言えるが、各地の民話が語り継がれる内に補強されて一大神話/叙事詩となったインドの「物語作り」を受け継いだ本作がこれほどまでにインド人の心に響いた理由は、終盤、バサンティがガッバルに誘拐されるエピソードをインド神話「ラーマヤナ」におけるシーター誘拐から持ち込んだことにある。
脚本を手がけたサリーム-ジャーヴェードは、70〜80年代初頭に活躍したヒットメーカーでラーメーシュの前作「Seeta Aur Geeta(シーターとギーター)」(1972)他、アミターブの「怒れる若者」像を創り上げ、「Deewaar(壁)」(1975)、「Don」(1978)、「Dostana(友情)」(1980)、「Shaan」(1980)、「Shakti(力)」(1982)などアミターブ主演作の多くが彼らによる仕事。80年代中盤にコンビを解消した後も遺恨は深く残り、作詞家に転向したジャーヴェード・アクタルはサルマーン主演作に詞を書くことはまずなく、「サリーム-ジャーヴェード」は生き別れの代名詞ともなっており、「Yun Hota Toh Kya Hota(もし起きれば、何が起きるか)」(2006)でも9.11のテロに巻き込まれる方がイルファン・カーン演じるサリーム。ジャーヴェード・アクタルの息子ファルハーン・アクタル監督がリメイクしたシャー・ルク版「DON」(2006)ではオープニング・タイトルバックで両開きのドアに彼らの名前がクレジットされ、ドアが左右に開くという意味深な演出がなされていた。
アカデミー賞8冠に輝いた「スラムドッグ$ミリオネア」もサリーム-ジャーヴェードの脚本をよく研究したと言われるが、生き別れる兄弟にその名を活かさなかったのが残念。
2つに分かれると言えば、本作のクライマックスが2バージョンあることだろう。
初回レビューに書いたタークルがガッバル・スィンを蹴り殺すバージョンは初回公開時のもので、その後に復讐が横行しないように再撮影されたというのが、タークルが蹴り殺そうとする寸前、警官がやって来てガッバルを逮捕するという改訂バージョンである。「ダーティハリー」はじめ悪役は殺して終わり、という西部劇スタイルを色濃く残したハリウッド映画と異なり、世界一長い法律を自負するインドだけに最後は司法に委ねるエンディングが数多く作られている(台詞入りCDは初回公開の復讐バージョン)。
しかし、アメリカン・ニューシネマに影響を受けたラーメーシュのこと、案外、メキシコに渡って自由に生き延びる国外バージョンとは別に「俺たちには明日はない」ばりに国境の手前で銃弾に散る国内バージョンが作られたと言われる「ゲッタウェイ」にあやかって…とも思えなくもない。
長男が他界し寡婦となった嫁の再婚に奔走する「Baabul(父)」(2006)のプロモーションでアミターブは、寡婦の恋愛について「Sholay」でも扱っていたと答えていたが、やはり寡婦は不運な存在というインド文化に則っており、終盤に命を落とすジャイは寡婦ラーダーに恋をした時点で死相が出ていたことになる。もっとも、物語的にはその枠組みの中でより哀愁を出すために、ラーダーがジャイに想いを寄せていることを感じ取ったタークルが彼女の父親(イフテーカル)にそれとなく再婚させる考えを伝えている。
いずれにせよ、新婚間もないジャヤーがこのような寡婦の役を引き受けるに当たって、多少は躊躇もあったことだろう。
奇しくも今年、「ラーマヤナ」のシーター誘拐を下敷きにした、アビシェーク・バッチャンとその妻アイシュワリヤー・ラーイ・バッチャン共演「Raavan」ラーヴァン(2010)が東京国際映画祭にて、アミターブ・バッチャンとジャヤー・バッチャン夫妻共演「Sholay」と共に上映される。バッチャンズ・フルメンバーの奇遇が、日本でのボリウッド氣運上昇に働きかけてくれることを祈るばかりである。
あめんが
*追記 2012,08,15
「Sholay」3D版がオリジナルの公開日である本日、制作・公開された模様。初公開より36年、数々の作品に台詞や場面が引用され続けている本作は世界で最も愛されている映画と言えよう。
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