My Name is Khan(2010)#063
「マイ・ネーム・イズ・ハーン」
製作・ヒールー・ヤシュ・ジョハール、ガウリー・カーン/監督:カラン・ジョハール/共同製作:アプールヴァ・メーヘラー/原案・脚本・台詞:シバニー・バティジャ/台詞・作詞:ニランジャン・アイイェンガル/撮影:ラヴィ・K・チャンドラン(ISC)/美術:シャルミスター・ローイ/音楽・背景音楽:シャンカル-イフサーン-ローイ/振付:ファラー・カーン/編集:ディーパー・バーティア
出演:シャー・ルク・カーン、カジョール、ジミー・シェルギル、ザリーナー・ワハーブ、ヴィネイ・パタク、ソーニャー・ジェハン、タネイ・チャッダ
公開日:2010年2月12日(日本:未公開DVD化)
母の死後、弟を頼ってシスコに渡ったイスラーム教徒のリズワーン・ハーン(シャー・ルク)は、ヒンドゥー教徒の子持ち美容師マンディラー(カジョール)と出会い、心惹かれて結婚する。米国社会に溶け込んで幸福に過ごしていた2001年9月11日、WTC同時多発テロを境に非イスラーム教徒を含んだ南アジア系住民の生活も圧迫される。アスペルガー症候群のハーンは妻の言葉を真に受け、米国大統領に会おうと旅立つ…。
Revie–U
サーチライトが夜空を照らすお馴染み20世紀FOXを筆頭に、カラン・ジョハール監督のダルマ・プロダクション、シャー・ルク・カーンのレッド・チリース・エンターテイメントのプロダクション・バナーが続く。
期待と不安を織り交ぜながら待った「My Name is Khan」(2010)は、予想通り米国映画の青白くくすんだ冷たいルック(画調)で始まる。バックパックを担いだ主人公が空港で呼び止められ個室で取り調べを受けるシーケンスは、昨年8月、ニューアーク空港で起きたシャー・ルク自身の拘束事件に重なる。彼自身、実際に劇中の台詞を税関職員に何度も告げたことだろう。
「マイ・ネーム・イズ・ハーン、私はテロリストではない」
当初、シャー・ルクがアスパーガー(アスペルガー)・シンドロームを演じることが話題となったが、「Khan」をヒンディー読みの「カーン」でなく、イスラーム教徒が用いるウルドゥー読みの「ハーン」として強調していることからも解る通り、本作は米国社会で生きるデシ(在外南インド系)の立場がテーマになっている。
全編N.Yを舞台に選び、「oh, pretty woman」を正式カバー、画面いっぱいの星条旗の前でシャー・ルクを踊らせた、カラン製作・脚本「たとえ明日が来なくても」Kal Ho Naa Ho (2003)を、その第一歩とするならば、9.11を踏まえた本作はその作風もあいまって、まさに米国市場での「市民権」申請書とも言える。
もちろん、共同製作者でもあるシャー・ルク自身の意氣込みも大きいだろう。彼演ずる主人公リズワーン・ハーンの曠野を歩き行く様は塩の行進を、ヒンドゥー/ムサルマーン(イスラーム教徒)との対立に苦心し、投獄されても尚、自分の信念に揺るぎなく、融和を主張するあまり同胞から暗殺されたガーンディーの姿が想い重なる。
ただ、作品自体としては、肝心なところがインド映画を引き摺ったご都合主義、愛国歌「勝利を我らに」(「hum honge kaamyab」 我らは成功する)を用いてオバマ大統領に迎合、米国映画のポリティカル・コレクトネスな手法も手伝って中途半端な印象は否めない。
ファラー・カーンのクレジットが珍しく振付監督でなく、単なるコリオグラファーとなっているだけに、期待のダンス・シーンがないのは誰しも寂しいはず。
もっともBGM的な音楽シーンとは言え、ストーリーに見合った書き下ろしソングとドラマの綴り方は実に巧みで、さすがボリウッド!
全編、シリアスな演出を努めつつも、やはりカジョールは「家族の四季」Khabhi Kushi Kabhie Gham...(2001)を彷彿とさせるキャラクターとなっていて微笑ましく、重くなりがちな本作の癒しとなっている。
サポーティングは、リズワーンの母にザリーナー・ワーハブ(なんと、あのアディティヤ・パンチョリーの妻)、弟ザーキルにジミー・シェルギル、その妻ハッシーナーにその役名通りの美人ソーニャー・ジェハン、年少時代のリズワーン役に「Don」(2006)や「スラムドッグ$ミリオネア」の子役タネイ・チャッダを起用。
モーテル管理人役で「Rab Ne Bana Di Jodi(神は夫婦を創り賜う)」(2008)の親友役ヴィネイ・パータクが出演している。
アスパーガーの主人公から生まれる寓話性からすれば、インド人らしくボリウッドお家芸のミュージカルで心に迫ってもよかったのではないかとも思う。
果たして、カランとシャー・ルクは「アメリカ人」に成りたがっているのか? そんな疑問を抱きつつ、それでも、白バイに先導された黒塗りのリムジン場面を見ると、シャー・ルクが戯けて歌う「Phir Bhi Dil Hai Hindustani(それでも心はインド人)」(2000)を思い出してしまい、10年前のお氣楽なボリウッドが懐かしい(苦笑)。
さて、本日(初回掲載 2010.09.22)より日本版がレンタル開始。
邦題「マイ・ネーム・イズ・ハーン」は、劇中、シャー・ルクが発音するウルドゥーをカタカナイズしたもの。「Khan」はヒンドゥー教徒が使うヒンディー語のカタカナイズが「カーン」となるが、元々ヒンディー/ウルドゥーはひとつの言葉であったヒンドゥスターニー語を英国が統治政策のため、新たにヒンディーを造語させた背景がある。話言葉としては共通語で、実際、カランもシャー・ルクも本作のプロモーション中は「マイ・ネーム・イズ・カーン」と発音している。
その日本版であるが、「全米が泣いた」というキャッチコピーが照れくさい。もっともレンタル・ユーザーには、そこそこアピールするのだろう。
洋画会社だけあって、日本語吹き替え音声が付き。その吹き替えレベルは真に迫ったものでなく、いわゆるテレビ洋画のとって付けたようなレベル。シャー・ルク、カジョールに共に、オリジナルの芝居を損なっているが、すでにシャー・ルク・ファン、ボリウッド・ファンになって原音に親しんでいる層にとってはまったく不要なため、一般ユーザー向けのサービスと思えばいい(逆にメーカーサイドには、ボリウッド・ファンはマーケティングの数に入ってないはず)。
しかしながら、ドイツでシャー・ルクの人氣が爆発的となったのは、ダビング・アーティスト(声優)を徹底的にシャー・ルクの声色、台詞まわしに近づけたことにある。実際、シャー・ルクがドイツ語でしゃべっているかのようで、ついつい引き込まれて見てしまうほどのハイ・クオリティなのだ。
ただ、日本の吹き替え版ユーザーはそもそもオリジナル音声や芝居の機微などにこだわって見ていないし、業界自体、たまたま買い付けた作品それだけの商売を考えるのが精一杯な現状では、高望みに過ぎないだろう。
ちなみに、ボリウッド作品の日本語吹き替え音声は、これまでも「レッド・マウンテン」(「LOC:Kargil」の超短縮版)の例もあったが、やはり吹き替え洋画レベル。
*追記 2010,09,23 この先核心に触れてゆきます。
本作はカランが初めての他人の手による脚本の映画化。とは言っても実質プロデューサーを兼ねているので、まったく出来合いの脚本で監督を命じられたわけではない。
しかしながら、彼自身の脚本から比べると、後半にご都合主義が出てくるため、完成度が下がり実に残念だ。
米国を襲ったハリケーンに水没した村をリズワーンが訪ねるくだり。序盤の少年時代に雨水に埋まった中庭を自転車とポンプを連動したジュガード(間に合わせの工夫から生まれる民間発明品)でかき出す冴えたエピソードがあり、当然、ここは伏線が生かされるべきところだが、なんのことはない、彼を追ったテレビ・クルー達がやってきて、皆で手分けしてなんとかする…というだけ。
(リズワーンはそれなりに陣頭指揮をとっているが、なんだか「Kuch Kuch Hota Hai」何かが起きてる)(1998)のサマー・キャンプで雨漏りする納屋でのあれこれしてるシーンが重なる)
ここでリズワーンが天才的にひらめいて堰き止めていた土砂を崩し水没した村から一氣に水を引かせて救世主に祭り上げられる、といったスペクタクルな展開でもあれば、日本版ジャケットのコピーにある「フォレスト・ガンプ」以上の感動作になったのだろうが、カラン達は今回インド映画らしからぬ「リアルな映画」を目指したということで、そうはなっていない。
日本版の特典映像に「ボリウッドの新風」という米国でのプロモーション番組が収録されていて、カランや脚本家がボリウッドからの脱却をめざした点を強調している。
「ボリウッド」という名称自体をボリウッド映画人が(特に海外でのメディア向けに)嫌ってみせるスノッブな風潮がここ最近あって、「Delhi-6」デリー6(2009)のプロモーション時にアビシェーク・バッチャンが「もうボリウッドと呼ばないで欲しい」と発言したり、東京国際映画祭でも上映された「Luck by Chance」チャンスをつかめ!(2009)の劇中でもディンプル・カパーディヤー扮する往年の女優が「ボリウッド」というフレーズに腹を立て「ヒンディー映画」と言い直すシーンが描かれている。
(これは日本でコテコテな安っぽい映画のイメージが定着してしまっている「インド映画」と現在のクオリティ・アップした「ボリウッド」を、ボリウッドを知らない一般人に同じように思って欲しくないファン心理に似ている)
だが、先のように中途半端な洋画への歩み寄りにより、本来インド映画が持っている持ち味である情感の伝え方が損なわれるようであれば、誇りを持って伝統的な手法をより極めて行って欲しいものだ。
シャー・ルク自身「中国映画はカンフーが特色で、インド映画は歌と踊りだ」と語っているのだから。
話を本作の弱さに戻すと、終盤のオバマ大統領スケッチに尽きる。
「家族の四季」Kabhi Kushi Kabhie Gham…(2001)の後半、あれだけ旧宗主国イギリスに対してコンプレックスを剥き出しにし、一転「たとえ明日は来なくても」Kal Ho Naa Ho(2003)ではスクリーンいっぱいに星条旗を広げ米国に迎合しているかに見えたカランだが、ここまで米大統領を持ち上げなくてもよかろうに、と思ってしまう。
空港シーンや少年時代のシーンはじめ丹念に紡がれたよいエピソードが多い分、このほつれが足を引っ張ってしまっているのが残念だ。
ただ、本作はカランのある地点までの到達点であり、本作が新たな第一歩となる過渡期と思えば、これからの行方に益々期待が高まる。
尚、リライアンスBIG ホームビデオから発売されている本国版DVDは、ジャケットに「PAL」と記載されているが、国内仕様のパイオニアDVDプレーヤー(DV-310)及びパソコンでは再生可能(パナソニックDVDレコーダー DMR-XE1では不可)。
CDには「KKHH」から「KANK」までの4曲をボーナストラックとして収録。カラーブックレット付きとなっている。
*追記 2010.11.10
9月にレンタルのみでスタートした本作の日本盤DVDが12月23日よりセル解禁となります。定価は1490円。アマゾンの予約だとさらに格安という価格破壊ぶり!
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