Kyon Ki…(2005)#057
Kyon Ki…(なぜならば) 07.09.09 ★★★★★
製作:ムケーシュ・タルレージャー、スニール・マンチャンダ/原案・脚本・監督:プリヤダルシャン/台詞:サンジャイ・チェル/撮影:S・ティルー/作詞:サミール/音楽:ヒメーシュ・リシャームミヤー/背景音楽:S・P・ヴェンカテーシュ/振付:ポニー・ヴェルマー/美術:サブー・シリル/編集:N・ゴーパルクリシュナン、アルン・クマール/VFX:プライム・フォーカスLtd.
出演:サルマーン・カーン、カリーナー・カプール、リミー、ジャッキー・シュロフ、オーム・プーリー、アスラーニー、マノージ・ジョーシー、ククーシュ・デブー、ジャーヴェード・カーン、アトゥール・パルチュル
特別出演:スニール・シェッティー
公開日:2005年11月3日(日本未公開)
STORY
殺人事件に絡んで精神病院へ入院することとなったアナン(サルマーン)。Dr.スニール(ジャッキー)は彼が、かつて医学生時代に世話になっていた主人の息子と知って目をかける。一方、人間不信になりかけていたDr.タンヴィ(カリーナー)は、アナンと事あるごとに対立するが、彼が結婚したばかりの妻マーヤー(リミー)を事故で失った過去を知るに至り、次第に彼に惹かれてしまい……。
Revie-U *結末に触れていません。ご安心を。
本作のヒロイン、カリーナー・カプールは女医役。
親身になって治療した患者が完治したとはいえ、元の不遜な人格に戻って退院して行ったことから、ちょっと凹んでしま う。そこへ、サルマーン・カーン扮する患者が入院してくるわけだ。といっても、ここは精神病院。正常か異常かまずは診断がなされる。
ロールシャッハ・テストを理を持ってかわす返答に、医師団は彼を<正常>と判断する。が、まとわりついた蝿を潰すべくひと暴れ。即入院と、のっけから引き込む展開がよい。
Dr.タンヴィは先のいきさつから、退院患者と同じ管理番号36を得たアナン(=アーナンド)に不信感を抱き続ける。前半はアナンのトリックスターぶり(片裾を持ち上げたズボンが象徴的)が綴られ、タンヴィとの対立が強調される。
一転して、アナンの過去に触れるエピソードは、ルーマニア・ロケも手伝ってお伽話感に満ちており、これがなかなかに微笑ましい(ルーマニア人の修道女がトリトリ・ヒンディー話者だったり…)。
無論、屋上から(見せかけの)自殺という求愛方法は、「炎」Sholay(1975)などに連なるボリウッドの伝統(苦笑)。
「Main Hoon Na(私がいるから)」(2004)以降、妄想過剰は容認されたようで、ますます視覚的にもエスカレートしていて目を楽しませてくれる。
ショック・ルームで電撃を受けているアナンの脳裏を表す映像が爆撃を受ける戦場を花嫁を連れて逃げるハードロックPV風に仕立てられていたり、ハンガマ・ナンバル「jatka maare」中、威圧的な看護婦が彼の妄想の中でいきなりミニスカ・ダンサーに変身、高圧的な院長を手術台に載せ、その石の心臓を抜き取るなど、それら妄想シーンに浸って愉悦する観客もかなりパーガル?
それだけでなく、後半は、アナンに理解を示したタンヴィが治療する立場にありながら、彼に心を寄せていってしまうのだ。
セカンド・ヒロインのリミーは、「Dhoom(騒乱)」(2004)はじめ勝ち氣なキャラクターが板についてしまったが、本作ではロマンチックなスケッチがつづられ、時にカリーナーが霞むほど……?!
その後、「Dhoom:2」(2006)では妊婦と設定で末席に押しやられた感があったが(しかもアテレコ)、クリケット狂の夫に対抗する「Hattrick」(2007)では存在感を取り戻している。
プリヤダルシャンは、せっせと自作をボリウッドで焼き直している人で、本作も彼のマラヤーラム映画「Thalavattam」(1986)が<原板>とされる。
職人的早撮りを誇り、この86年には7本も制作、今も年2〜3本ペースでリリースし続け、昨年は「Malamaal Weekly」(2006)、「Bhagam Bhag」(2006)のスマッシュヒットを放ち、ボリウッドでも名うてのヒットメーカーの地位を確立している。
同じストーリーでマラヤーラム/ヒンディーと2本演出して飽きないのかと思うが、キャストもロケ地も違う<別の映画>として撮るから、案外それが楽しみだったりするのだろう。
19年前の自作をセルフ・リメイクということになる本作は、やはりサンジャイ・ダット主演「Munna Bhai MBBS」(2003)が医療の現場に風穴を開けるヒューマン・コメディとして大当たりしたので、患者の立場からトリックスターとなって人の尊厳を説く、という本作を机の奥から引っ張り出し、サンジューの向こうを張ってサルマーン主演に仕立て上げたと思える。
実際、これがサルー自身の自虐的な?身の上にオーバーラップして、ついつい目頭を熱くさせられるのだ。
音楽は、本年、初主演(!)作「Aap Kaa Suroor」(2007)が5週連続トップ5にチャート・インし続け、ヒメーシュ旋風の真価を示したヒメーシュ・リシャームミヤー。
本作のフィルミーソングは、例のクラブ系ではなく、彼本来の持ち味であるリリカルなメロディーで、どれも素晴らしい。 クナール・ガンジャワーラーの美声がくすぐるメローなストーキング・ナンバル「dil keh raha hai」、メランコリックなアレンジが心酔わせる「kyon ki itna pyaar」に加え、ウディットの調子っぱずれさがたまらない「jhatka maare」などなど、いずれも耳に残る。
ただ、この時期のアルカー・ヤーグニクは高音で声が枯れてしまっているのが、実に残念である。
サブリードは、トレードマークの口髭を覆い尽くした顎髭と黒眼鏡でそれと判らぬ役作りでDr.スニール役に臨んだジャッキー・シュロフ。昔の恩義を今も感じ、アナンを弟のように想い続ける様がインドの美徳を感じさせ、本作をより哀愁足らしめる。
アナンと敵対する院長のDr.クラーナー役が、名バイプレイヤーとして名高いオーム・プーリー。「Don」(2006)では多少老境が心配されたが、本作では彼の持ち味である威圧感を遺憾なく発揮。アナンの妄想場面ではパンク・ロッカー?に扮し、ラップまがいの口上をまくし立てるのが可笑しい。
注目は、近年頓に重要な役柄に登用されるようになったマノージ・ジョーシー。
「Dhoom(騒乱)」(2004)で若きエリート警視アビシェーク・バッチャンの部下役あたりから頭角を現し、「Garam
Masala」(2006)、「Chup Chupke」(2006)、「Bhagam Bhag」(2006)などすっかりプリヤダルシャン組となった彼。本作では、アナンに金で釣られて制服を貸したことが露呈し解雇される警備員役として登場。
一方、患者役はと言うと、特にアスラーニーがよい。
70年前半にリシケーシュ・ムカルジー監督作などでアミターブ・バッチャンの友人役を多く演じているだけあって、彼演ずる患者がアミット・ジーに電話するシーンは感慨深いものがある。「炎」Sholay(1975)だけ見ると、ヒトラーまがいの刑務所所長役から単なるコメディアンに思えてしまうが、実は良質の芝居をする名脇役なのである。
「MBMBBS」で一躍名が売れたDr.ルスタムことククーシュ・デブーも目が離せない。しかも役名は、ムンナー! 「Mujhse
Shaadi Karogi(結婚しようよ)」(2004)のルスタム・ペットショップと言い、「MBBS」ネタが目に余ったのか、続編「Lage
Raho Munnnabhai」(2006)では顔見せ出演に抑えられ、しかも袋叩きに遭っていたっけ(苦笑)。
ちなみに「Apne(身内)」(2007)では、一見それと判らぬようなメイクで医者役に戻り、ややシリアスなキャラクターとしているものの、これがククーシュと判ると途端に可笑しさが込み上げてしまう。
また、「Kal Ho Naa Ho(明日が来なくても)」(2003)の家政婦カンター・バヘン役スラバー・アルヤーが冒頭の患者として配役されている。彼女がアテレコなのは、「Phir Milenge(また会おう)」(2004)のレヴァティーもそうであるが、南インド映画では役者も吹き替えが当たり前なので監督もいちいち端役はアフレコに呼ばない習慣があるためか?
その他、神父役に「Tere Naam(君の名は)」(2003)、「Dum(強靱)」(2003)の父親役サウラーヴ・ドゥベイ。
アナンの兄役が、デーヴィッド・ダワンの実兄アニル・ダワン。
特別出演でスニール・シェッティーがちらりと顔を見せている。
さて、本作が下敷きにしているのは、見ての通り「カッコーの巣の上で」(原作は、ヴェトナム戦争中、「キャッチ22」、「ライ麦畑でつかまえて」と共に最も若者に読まれた三大メンタル小説)。
もっともこれは、アナンのバックボーンにすぎない。 全体の屋台骨は、グルザール脚本、ラージェーシュ・カンナー主演「Kamoshi(沈黙)」(1969)を踏襲。こちらはワヒーダー・レフマーン演じる看護婦ラーダーが立ち去るクルマを病院のテラスから見下ろしている描写から始まり、勘の良い観客であれば、すぐにピンとくるであろう。
この時、病院の建物が高層フロアとなっていて、真下に見下ろすクルマの距離感からもワヒーダーの心情が示されており、加えて高層ビルの設定が60年代後半の都市化する時代の病理とも伺われる。
原版での展開は、(一看護婦である)ラーダーが院長から「アルンは愛の欠如によって、精神を病んだ。愛情をもって看護せよ」と(治療を)命じられる。彼女は以前にもこの治療法で尽くした患者に恋をしてしまい、同じ轍を踏まぬよう、今度はこれを拒むのだが……。
この、冒頭に退院してゆく患者役が特別出演のダルメンドラ。「Guddi」(1972)ではスターである彼自身としてフィーチャルされており、劇中のジャヤー・バードゥリー(現バッチャン)が彼の主演作「Anpama(無垢なるもの)」(1966)を3回観たという台詞が用意されているほどのスターヴァリューがある時期にあって、本人とは解らぬよう横顔までしか見せない演出が心憎い。
そして、彼への想いを引き摺るラーダーの前に現れるアルンは、殺人事件でなく、恋人に振られたあまりのショックで精神に異常をきたした設定となっている。
扮するラージェーシュは、ロマンティックなスーパースターとしてブレイク直前。同年に製作されたヤシュ・チョープラー監督作「Itteffeq(偶然の一致)」(1969)でもサイコ役を演じているが、ヤシュは「Dil Aashna Hai(心では愛している)」(1992)の後半でストーカー氣質の青年を演じたデビュー間もないシャー・ルク・カーンを素早く起用してストーカー映画「Darr(恐怖)」(1993)をヒットさせており、その手腕を若くして持ちあわせていたことが見て取れる。
ラージェーシュと言えば、やはり末期癌の患者を演じた、グルザール脚本、リシケーシュ・ムカルジー監督の名作「Anand」(1971)が思い出され、本作の役名アナン(アーナンド)もこれを継承している。
自作他作のマラヤーラム映画を盛んにボリウッドでリメイクしているプリヤダルシャンであるが、その発想の源はというと、意外にも往年のヒンディー映画であるのが興味深い。
実はこの他にも、アクシャイ・クマール×ジョン・エイブラハムが3人のスッチーと繰り広げるスラップスティック「Garam
Masala」(2005)の後半が、デーヴ・アナン×ヴィジャヤンティマーラー主演「Duniya(世界)」(1968)の中でジョニー・ウォーカルによる幕間スケッチ・ナンバルのまるまるスープアップだったりする。
海辺で強盗に襲われた美女3名がジョニーに助けられたことから(実はヤシの実が落下して強盗を直撃!)、彼のアパートメントを次々と訪ねて、喜び勇んだジョニーは美女たちを奥の小部屋に押し込んでは入れ替わり立ち替わりナンバル「thhi
meri laxmi」(モハムド・ラフィ)へ突入。もちろん、指輪を抜き取る描写もあり、これからもプリヤダルシャンの確信犯ぶりが伺えよう。
で、ジョニーがなぜそれほどモテるのかというと、インド版ジェームス・ボンドの009だから(笑)
*追記 2007.09.12
オートバイごっこしている患者役は、アトゥール・パルチュル。ずんぐり体躯に白いウェディングドレスでピアノを弾く「Anjaane(知らずして)」(2006)のちょっとパーガルなナンドゥー役がサイコー! B級ホラーながら、ヒメーシュ・リシャームミヤーの音楽がクール!
*追記 2010.09.13
監督のプリヤダルシャンは相変わらず職人的にリメイク映画を作り続けている。自作のマラヤーラム映画は尽きたようで、最新作「Bumm Bumm Bole」(2010)は「Taare Zameen Par(地上の星たち)」(2007)で話題になった天才子役ダルシール・サファリを起用し、「TZP」のヒット・ナンバルを勝手に借用タイトルにし、またもドタバタ映画を制作か?と思ったら、なんとイラン映画「運動靴と赤い金魚」(1997)を正式リメイク。これが、なかなかの秀作!