Neal ‘N’ Nikki(2005)#049
製作:アーディティヤー・チョープラー/脚本・台詞・監督:アルジュン・サブローク/脚本・台詞・詞:アンヴィター・ダット・グプタン/撮影:P・S・ヴィノード/詞:イルシャード・カミール、アシーフ・アリー・ベイグ/音楽:サリーム-スレイマーン/編集:アイティーシュ・ソーニー/振付:ヴァイバーヴィ・メルチャント
出演/ウダイ・チョープラー、タニーシャー・ムカルジー、リチャー・パロード、カーミニー・カンナー、サナー・アブドゥー・カーザール
公開日:2005年12月9日(年間32位/日本未公開)
STORY
インド系カナダ人のニール(ウダイ)は、ヴァンクーバーに嫁さん探しに出る。さっそく白人のセクシー女性にデートを誘われて勇んでゆくと、そこで疫病神女ニッキー(タニーシャー)と出会って・・・。
Revie-U
「Mohabbatein(愛)」(2000)でデビューしたウダイ・チョープラーと、カジョールの妹、タニーシャー・ムカルジー主演作がこれ。
ウダイは、父親が兄弟共に映画監督のヤシュ・チョープラー、兄がプロデューサー兼監督のアーディティヤー・チョープラー、というフィルミー・ジャーティー(カースト)。父親譲りの武骨な顔面ながら、映画スターを夢見続け、家内映画産業をバネにこれまでも何本か主演作にありついて来た。二の線向きじゃないと自覚したかに見えた「Dhoom(騒乱)」(2004)での三枚目ぶりがなかなかよく、少しは見直したものの、今回はまたまたサルマーン・カーンを氣取って脱ぎまくり(しかも、やや弛み氣味)。その上、PIO(インド出自者)らしく見せるためか(?)ブルーのカラーコンタクトを装着。薄くなった生え際を誤魔化す妙なヘアースタイルに加え、美顔エステを施しイケメンを強調しているものの、マッチョな体躯とはミスマッチ、というコメントし辛い役作りである。
ダンスの方では時に早送りや緩やかな振付で踊れるように錯覚させているものの、若手俳優のレベルからするとまずまずなので、ぜひとも三枚目路線に戻って活躍して欲しいところなのだが。
一方、ヒロインとなるタニーシャーは、デビュー当時から野性的なフェロモンを放った姉とは天と地。顔立ちはお母さんのタヌージャー似で、わりとあっさりとした素人風。案の定、芝居も素人並みで、ダンスに至ってはかなり唖然とさせられる(苦笑)。姉がトップ女優だったのだから、フィルミーダンスを真似たりして遊ばなかったのかー?と思ってしまうが、「DDLJ」(1995)の頃で17歳だからムリもないか。
それにしてもサイーフ・アリー・カーンの妹ソーハーにしても、25過ぎてから女優デビューするというのは、本人がもともと映画界入りを強く願っていなかった証だろう(ふたりとも1978年生まれの現在28歳。タニーシャーは、カジョールと3つ違い!)。
監督は、「Na Tum Jaano Na Hum」(2001)でヘーマー・マーリニーの娘イーシャー・デーオールを送り出したアルジュン・サブローク。リティク・ローシャンとサイーフをからめたメロドラマがなんとも心酔わせてくれたものの、本作では脚本的にも散漫で、出て来る若手俳優も無残な芝居ばかりと見る影もなく……。
酔いつぶれたニッキーを送り届けるべく、タクシーを捕まえようとするニールだが、間近にファッション・ホテルがあるのをみつけ、そこへ転がり込もうとする。酔ったニッキーが「歩けないしぃ〜。おぶってぇえ」と言うに及び、なんだか嫌な予感が走る。果たして、ホテルに連れ込んだところで彼女の携帯が鳴るわ、ニールがシャワーを浴びたりして……そう、ドリームワークスで正式リメイクが決まったという「猟奇的な彼女」(2001=韓)のイタダキ・スケッチであった〜! いやはや。
しかしながら、DNA的には韓国と重なる部分の多い日本人の目からすると「オールド・ボーイ」(2003=韓)を勝手にフルコピーした「Zinda(生存)」(2005)といい、本作といい、どうもインド人は韓国映画を咀嚼しそこなっているように思えてならない。
が、しかし、さすがに<恨(ハン)>の悲愁ぶりがインド人受けしないと見たのか、「猟奇的〜」からのイタダキはここまで。後半は、ハリウッド物のラブコメをミックスしている模様。
近年、ヤシュ・ラージ・フィルムズは、単に自社製作だけに留まらず、そのブランド・ヴァリューから他社作品のCDやDVD販売に力を入れて、インドのトップ・エンターテイメント・コングロマリットを目指しているかのようだ。本作もそのソフト・ラインナップを埋めるプログラム・ピクチャーとして、若者受けするNRI(在外インド人)風俗を存分に取り入れ、上映時間も「Dhoom」同様に2時間余りという戦略。
NRI物が氾濫する背景には、舞台設定を海外に移してしまえば、インドの道徳規範をすり抜けて高い露出度と軽薄な性描写(下ネタ含む)が許されやすい、という目論みもあるのだろう。
そのためか、ニッキーのキャラクターは、飲酒・泥酔等、果ては「処女はオシャレじゃない」とばかり処女決別に走るなど、これが(正しくあるべきとされる)若いインド女性かと思うほど。
もっとも、新経済路線へと転じた翌年に公開されたヘーマー・マーリニー監督作「Dil Aashna Hai」(1992)でも三人の女学生が意中の恋人と一夜を伴にする初体験がすでに描かれていたが、本作のニッキーとはまさに隔世の趣がある。その点では、現代日本のモラリティと相通ずる作品として、非インド映画通には受け入れられやすいかもしれない。
欧米化された感覚からすると立ち遅れているインド映画のキス・シーンであるが、本作におけるウダイとタニーシャーのそれは、ディープキスとまではいかないものの、唇を開いたごく自然な描写となっていて、それまでの「猿の惑星」(1968=米)式唇を閉じたキスより進化している(苦笑)。
ただし、キス・シーンそのものは今に始まったことではなく、少なくとも「Naam(名前)」(1982)ではサンジャイはしなかったものの、助演のクマール・ガゥーラーウがプーナム・ディローンとキスしているし、メジャー・スターとしてのキス好きはアーミル・カーンが挙げられるだろう。女優では、デビュー間もないジュヒー・チャーウラーが「Qayamat Se Qayamat Tak(破滅から破滅へ)」(1988)ですでに挑戦しているし、「Ishq(ロマンス)」(1997)ではバス・ストップで群衆に囲まれてのパブリック・キスも披露している。
話をウダイとタニーシャーに戻すと、ふたりのキスは3度あり、これもインドの聖数に符号かと感心していたら、後々、もう1度おまけが。やっぱり、本作はインド規範でない??
反面、背景音楽だけ請け負うことの多いサリーム-スレイマーンのフィルミー・ナンバルはどれも粒ぞろい!
オープニング・タイトルバックに流れるのは、「Hum Kisi Se Kum Nahin」と言ってもアイシュワリヤー・ラーイ主演2001年版でなく、1977年版のメモラブル(懐メロ)・ナンバル「yeh ladka hai akkah kaisa hai deewaana」(アーシャー・ボースレー/モハムド・ラフィ)のカバー。ヒロインのカージャル・キランが風船につかまって舞い上がってしまうのどかなナンバーであった(カージャルとカジョールの引っかけ? カバー化にあたって歌詞は書き換えられている。また、CDには未収録)。
クラブ内でのハンガマ・ナンバー「halla re」は、デリーワーラーを前に行われた某赤い炭酸飲料タイアップの公開記念イベントでも一番盛り上がり、観客の男どもは踊り狂い、プレイバックのシュウェター・パンディットには何度もアンコールが出ていたほど(ちなみにステージはCDが流されていたようだが、首振りスンダリーしながら歌えるのはさすがインド人ガーヤック! 一方、ウダイとタニーシャーは主演コンビながら、リミックス・パフォーマンスをバックダンサーだけで踊らせ済ませていた)。
タイトル・ナンバル「neal ‘n’ nikki」(KK/シュウェター)は軽快なノリがよく、耳に馴染む。途中に「DDLJ」のパロディーが入るのは、ウダイの兄アディティが監督しているのと、タニーシャーの姉カジョールがヒロインを演じていたから、というわけか(本作の監督アルジュンも、ヨーロッパ旅行に同行するシャー・ルク・カーンの友人役として出演している)。
ボリウッド定番の雪山と高原のアウトドア・ロケ(これを定着させたのは父親ヤーシュ・ジーで、そのためにFilm Fare Awards 2001でスウィス旅行産業特別賞を受賞している!!)によるムード・ナンバル「I’m
in love」(ソーヌー/マハーラクシュミー他)は、聴いてるだけで恋に落ちそう。
パンジャビー・ナンバル「akh ladiya」は粘るクナール・ガンジャワーラー、か細いシュウェター、加えてジャーヴェード・アリーの歌声がほどよく交差し、楽しめるナンバルに仕上がっている。
実はこのシーンには、ニッキーの妹スウィーティー役としてセカンド・ヒロインのリチャー・パロードが軽やかな踊りを見せてくれる。そのスレンダーなチョーリー姿は「Main Hoon Na(私がいるから)」(2004)のアムリター・ラーオを彷彿。若手には珍しく古典舞踊の素養を見せるリチャーは、本作唯一の収穫といえよう。
「Dhoom」つながりでアビシェーク・バッチャンがカメオ出演。
「Kal Ho Naa Ho(明日が来なくても)」(2004)でスシュマー・セートと一緒にバジャンを歌っていた妹役カーミニー・カンナーが、ニールの母親役となっている。
また、ウダイが見せるiBook画面で、「Hello Brother」(1999)とジュヒー・チャーウラー&チランジーヴィー「The Gentleman」(1995)でもロケされている、シュリー・アミターブ・バッチャン主演「Silsila(愛の関係)」(1981)より伝説のオランダ・チューリップ畑ナンバル「dekha
aik khuwaab」(キショール・クマール/ラター・マンゲーシュカル)、そしてリシ・カプール&シュリーデヴィー「Chandni」(1989)より「o meri chandni」(ジョーリー・ムカルジー)が映し出される。この映画は2本ともヤシュ・チョープラーの監督作で、どちらも三角関係を題材にしているところが興味深い。
映画は凡作ながら、フィルミーソングは歌い継がれてゆくことだろう。
追記 2010,09,08
>ウダイ・チョープラー
フロップしたにも関わらず続編を企画していたウダイ。しかし、タニーシャーとの婚約もブレイクUP。落ち込むあまり引きこもりになったのか、しばらく音沙汰のなかったウダイだが、兄アーディティヤーが「Rab Ne Bana De Jodi(神は夫婦を創り賜う)」(2008)で監督復帰とアナウンスされるや、ウダイの「Dhoom 3」監督説も浮上。
もっともこれはデマだったようで、ウダイは製作・脚本・主演「Pyaar Impossible!」(2010)で復活。アディティの「RNBDJ」制作を横目で見ながら思いついたとしか思えない、ダサキモヲタのラブ・コメディー。ヒロインにプリヤンカー・チョープラーを迎え、なかなかよい出来に仕上がっている。
>タニーシャー
そのまま消えるかに思えたタニーシャーだが、2010年現在もなんとか女優を続けている模様。
もっとも、群像喜劇の佳作「One Two Three」(2008)ではエキストラに等しい端役扱い(メイン・リードの台詞中をずっと陰から見守ってるだけ、とか)で先が思いやられる。
>「猟奇的な彼女」
ランヴィール・ショーレー ‘N’ マリッカー・シュラワト主演「Ugly Aur Pagli(醜男とバカ女)」(2008)で完全イタダキ済み。
>アルジュン・サブローク
本作のフロップが祟って、その後、監督作はなし。ウダイとの交友は続いているようで、「Dhoom 2」や「Pyaar Impossible!」に「DDLJ」同様、端役で顔見せ出演している。