Daag(1999)#038
Daag – The Fire(燃焼) 02.09.03UP ★★★
ダーグ
製作・脚本・監督:ラージ・カンワル/脚本:ロビン・バット、アーカーシュ・クラーナー/台詞:ジャイネンドラ・ジャイン/撮影:ハルミート・スィン/詞:サミール/音楽:ラージェーシュ・ローシャン/美術:R・ヴェルマン/振付:B・H・タルンクマール/アクション:ビクー・ヴェルマー/編集:A・ムトゥ/背景音楽:ナレーシュ・シャルマー
出演:サンジャイ・ダット、チャンドラチュール・スィン、マヒマー・チョウドリー、シャクティ・カプール、ラージ・バッバル、モーハン・ジョーシー、シワジー・サータム、ニーナー・クルカルニー、サチン・ケダーカル、ハリーシュ・パテール、ジョニー・リーヴァル、クニカー
公開日:1999年2月12日(年間トップ7ヒット!/日本未公開)
STORY
スゴ腕の悪徳弁護士ラヴィ(チャンドラチュール)は、義父シンガール(ラージ)らが推し進めるホテル建設地上げ計画のために市のコミッショナー、プラカーシュ(シワジー)を抱き込もうとして拒絶されるや、彼を冤罪で逮捕させる。知らせを聞いた息子のカラン(サンジャイ)が戻った時、プラカーシュは獄中で自決していた。復讐を誓ったカランは、パーティー帰りのラヴィとその妻カージョール(マヒマー)に銃弾を浴びせるが・・・。
Revie-U
1999年は、トラブル続きのサンジャイ・ダットが完全復活を遂げた記念すべき年。なにしろ、テロ容疑(追記参照)で服役していたのだから、まさに奇跡!
批評家からは「Vaastav(現実)」(1999)が認められ、本作が年間7位のヒットと観客からも支持されたと言えよう。
しかし、表の主人公はチャンドラチュール・スィンとマヒマー・チョウドリーになる。
ラヴィは、家庭では美人の妻がいて幸福であるが、仕事面ではかなり悪どく、金に汚い。それだけに、地上げを企む義父シンガールから頼りにされている。このカージョールの父が「Gupt(秘密)」(1997)のラージ・バッバル、その取り巻きが「Maa Tujhe Salaam(母なる女神よ、汝に礼拝を)」(2002)のモーハン・ジョーシー、「Badal(雲)」(2000)のハリーシュ・パテールなどなど。
一方、ラヴィの標的となるプラカーシュは、同年公開の「Vaastav」でもサンジャイの父親役を演じていたシワジー・サータム。潔癖な彼がラヴィからの買収を拒絶したため、娘の見合い中に警官である息子のヴィネイ(サチン・ケダーカル)が逮捕しに現れる。これで泣く妻は、すっかり薄幸な老け役が定番となった「Phir bhi Dil Hai Hindustani(それでも心はインド人)」(2000)のニーナー・クルカルニー。
実の息子に逮捕されるというのも因果な話だが、ヴィネイは弟の方で、プラカーシュには長男のカランがいた。
これがサンジャイで、役どころはちょっとクレイジーな陸軍特殊部隊のキャプテン。父の死を目の当たりにすると、ラヴィに対する復讐を誓い、パーティー会場を出たラヴィとカージョールを二丁拳銃で撃ちまくる!!!
ちょっと驚く展開だが、しかも、まだインタルミッションのかなり前である。
結局、カージョールは死亡したものの、ラヴィは一命を取り留める。しかし、事件の後遺症ですっかり廃人同様となったラヴィは、「カージョール、カージョール」と妻の名しか呟こうとしない。
このリハビリ病院で彼の担当となる看護夫スンダールが、ジョニー・リーヴァル。車イスに乗るラヴィに、例の調子で独りバカ話をするのがやたらと可笑しい。しかも、鋼鉄グラマー看護婦クニカーと「Ghulam(奴隷)」(1998)のヒット曲「aati kya khandala」を歌ったり、なんとキス・シーンも!?
このクニカー、「Baazi(賭け)」(1994)では、クールな女テロリストを演じていた。
そして、一際印象的なのが、ドクター・アナンという、いつになくジェントルな役柄のシャクティ・カプール。終盤、シンガールの悪事を暴くラヴィをサポートして姿を見せるなど、看板役者とも言える扱いだ。
ラヴィが回復したのは、やはり妻カージョールの存在が大きい。しかし、カージョールは死んだはずでは?
そう、確かに彼女は死んだのだが、実は、シンガールたちはカージョールそっくりの踊り子カージョーリー(!)を探し出し、カージョールの替え玉として仕込んでいたのだ。
もちろん、これはマヒマーの二役。デビュー早々、二役とは大役だが、垢抜けないメイクとヴァンプっぽい踊りで蓮っ葉なカージョーリーを演じ分けている。登場ナンバル「dil dhak dhak dhadke」のパワフルなジャスピンデール・ナールラー、B・H・タルンクマールのハイテンションな振付の効果も大きい。
もっとも、あざとさが多少残るのはマヒマー本人がお嬢さんのためだろう。
やがて、この「カージョーリー」が、自分のことをカージョールだと思い込むラヴィに愛されるうちに、自らも心を任せてしまい、ひとり苦しむのだが、このへんが同じタイトルの「Daag(汚点)」(1973)を彷彿とさせる。
カージョーリーの献身的な介護ナンバル「dil deewana naa jaane kab」でラヴィは回復するのだが、実際には神の力が働いている。シヴァ寺院でカージョーリーがナタラージャー(シヴァの化身で踊りの王)さながらに踊るに及び、思わずラヴィが立ち上がるのだ!
ただ、一般的に無信仰と言える日本人の視点からすると大した感動にはならないはずなので、このエモーションを200%感じられるインドの観客に比べ映画を満喫できないのが残念であろう。
ラージ・カンワルは、「Deewana(恋狂い)」(1992)で監督デビュー。その他に「Badal」、「Farz(義務)」(2001)などがあり、怒濤のアクションと突拍子もないコメディが混在している。これは、彼がセカンド助監督に付いていたラージクマール・サントーシー作品「Ghayal(傷ついた者)」(1990)の精神が受け継がれているのかのようだ。
例えば、「Ghayal」では真面目なシーンでラージ・バッバルが弟の名を呼ぶとサニー・デーオールが同一カットの中でパッと現れたり、ストーリーとは直接関係ないところで大河神話TV劇「Mahabharat(マハーバーラタ)」のパロディーがあったりしたものだが、本作でもシャクティがいつになくシリアスにドクター・アナンを演じている横で、車椅子のラヴィが坂を下ってゆき、ぶつかった勢いで倒れた患者の大女(!)がなんと看護夫を潰して小人にしてしまうというクレージーなギャグがインサートされる!!
小人と言っても子供にヒゲのメイクをしてるだけ。このギャグは、インドラ・クマールの「Aashiq(愛人)」(2001)でジョニー・リーヴァルが侏儒(!!)の花嫁と共に小人化してしまうというシュールな域に昇華されるのである。
前半、チャンドラチュールとマヒマーだけでは、なかなかストーリーを引っ張ることが出来ず、退屈気味だが、本作に緊張感が生まれるのは、やはり復讐者サンジャイに負うところが大きい。
ラージェーシュ・ローシャンの音楽も耳に心地よく、特に、サンジャイのパーティー・ナンバル「lucky kabootar」が効く。スクウィンダール・スィンのコブシの利いた巻き舌シャウトはちょっと真似ができない!
ビル爆破シーンのミニチュア・ワークも見事。
また、カージョーリーのヒモとして「Raaz(神秘)」(2002)のヴィシュワジート・プラダーン、踊り子の姉御に「Haan…Maine Bhi Pyaar Kiya(はあ、私も愛を知りました)」(2002)のヒマーニー・シブプーリーがサポーティング。
*追記 2010,09,03
サンジャイのテロ容疑は、199 1年に起きたボンベイ連続爆破事件関与とマシンガンなどの銃刀不法所持で1994年7月~1995年10月まで拘置、2007年に爆破事件関与は不問、武器違法所持のみ禁固6年の判決が出ている。無論、すぐに保釈され、俳優活動を継続。これだけの「汚点」を物ともせず、ゼロ年代は彼の黄金期となっている。