Anand(1971)#295
「Anand」★★★★★
アナン(=アーナンド)
製作:N・C・シッピー/製作・原案・脚本・監督・編集:リシケーシュ・ムカルジー/脚本・台詞・作詞:グルザール/脚本:D・N・ムカルジー、ビマル・ダッタ/撮影:ジャイワント・パタール/作詞:ヨーゲーシュ/音楽:サリール・チョウドリー/美術監督:アジート・バナルジー/振付:スレーシュ/
出演:ラージェーシュ・カンナー、アミターブ・バッチャン、スミター・サンヤル、ラーメーシュ・デーオ、シーマー、ラリター・パーワル、アシート・セーン、デーヴキシャン、アタム・プラカーシュ、ラリター・クマーリー、サヴィター、バールドワージ、グルナム
友情出演:ドゥルガー・コーテー、ダーラー・スィン、ジョニー・ウォーカル
公開日:1971年(年間16位/日本未公開)123分
Filmfare Awards:作品賞・原案賞・台詞賞・編集賞・主演男優賞(ラージェーシュ・カンナー)・助演男優賞(アミターブ・バッチャン)
STORY
若き癌のスペシャリスト、Dr.バースカル(アミターブ)が赴任先で出会った陽氣な男アナン(ラージェーシュ)こそ、末期癌の患者であった…。
Revie-U
アミターブ・バッチャン扮するDr.バースカル・バナルジーが出版した小説「Anand」の授賞式から始まる。Dr.と言ってもはMAでなく町医者で、2000年前後のボリウッド映画ではまず見られないスラム街の住人に医療を施す心篤き好青年。その彼が友人のDr.クルカルニー(ラーメーシュ・デーオ)から紹介された患者がラージェーシュ・カンナー(トゥインクル・カンナーの父)演ずるアナン(=アーナンドだがドは消音)。
アミターブはデビュー2年目(出演作としては3本目)ながら、堂に入った演技を見せ、やはり愚息アビシェーク・バッチャンとは異なる天性の素質を感じる。
が、ここでラージェーシュの登場となるや、場面をすっかりさらってしまうのは、さすが13作品連続ヒットの記録を持つスーパースターの絶頂期だけある。
アナンはインド映画定番の多動的なキャラクターで、一瞬たりとも黙っていられない。自分の病名を聞いても「ヴァ! リンプーサルコーマ、なんて洒落た名前なんだ」とはしゃぐ始末。
シリアスなバースカルが諭そうとすると、「わかってるさ。俺の病名だろ? あと6ヶ月の命だからな」と、さらりと返す。長く生きるだけが人生ではない。腸のリンパ肉腫を患った彼は人生を凝縮して、そのすべてを歓びで生き抜こうとしているのだ。
こうしてアナンは、初めて顔を合わせた誰とでもその場で心に入り込んで魅了してしまう。Dr.クルカルニーの妻スマン(シーマー)にはすぐにバービー(義姉)と呼びかけ、実の姉弟以上に結びつく。
このラージェーシュの芝居から、シャー・ルク・カーンがそっくり影響されていることがわかる。彼は、ディリープ・クマールやラージェーシュなどをアイドルとしているのだろう。
そこで思い出されるのが、「たとえ明日が来なくても」Kal Ho Naa Ho(2003)だ。構成もよく似ているし、本作のアナンは誰彼構わず友人のムラリラールだと言って声をかけ、人とのつながりを楽しもうとするが、「KHNH」でシャー・ルク扮するアマンもスタテン島からマンハッタンへ渡るフェリーの上でDJのフランキーに「ラムディール」と勝手に名前を決め込んで呼びかけている。
その他にも本作との共通項を探すと、アナンがバースカルが想いを寄せるレーヌーとのカーマ神となってみせる他、「KHNH」でスシュマー・セート演じるラジョ・ジーに想いを寄せるアマンの伯父役ダーラー・スィン(戦後の日本に来日し、力道山と闘ったプロレスラー)も、アナンに言い包められて喧嘩に加勢するクシティー(インド相撲)のグル役で登場。
あと、中盤でグジャラティーネタもあり。
コミックリリーフとして登場するのが、名コメディアンのジョニー・ウォーカル。例の調子でアナンが呼びかける通行人役。ただし、彼は役者という設定で、即座にアナンの「幼友達」を演じてしまうわけ。世の中には、どこにでも一枚上手がいるものだ。このままアナンは彼とドラマの稽古場へ出かけ、幕間喜劇となる。
剽軽さを装うアナンだが、ひとり人生を噛みしめて歌う「kahin door jab din dhal jaaye」(ムケーシュ)から、いつしかアナンとバースカルは深い友情を交すようになる(その前にアナンは勝手にバースカルの居候となっている)。
インターヴァル前のナンバル「zindagi kaisi hai paheli」(マンナ・デイ)は、晴れ渡った青い空を昇りゆく風船を見上げては独り目頭を熱くし、残りの風船を手にしながら砂浜を歩いてゆくアナンをとらえた逆光の引き画、そして、大海原の上に小舟を浮かべて漁に勤しむ男たちを交差するモンタージュが、ゆるやかなメロディーと共に生命の営みを心へと焼き付ける。
「Prineeta(既婚女性)」(2005)でレーカーをフィーチャルしたムード・ナンバル「kaise paheli zindgani」(スニディー・チョハーン)も、歌詞やメロディーからして本ナンバルを意識したものだろう。
後半、一転してアナンの病状は悪化。たった今までバースカルと笑い合っていたかと思ったら、酷く苦しみ始める。この時、アナンの朗読を録音していたオープンリール・デッキのテープが巻き終わり、空回りするモンタージュが残酷にも彼の運命を暗喩する。
危篤状態のアナンに、信心深いヒンドゥーの妹がシルディーのサイババに、クリスチャンの婦長、ムサルマーン(イスラーム教徒)のジョニーがそれぞれの神に祈る脚本術も美しい。
アナンがバースカルのことを呼ぶバブー・ムーシャイとは、監督リシケーシュ・ムカルジーの親しい友人であるラージ・カプール(カリーナー・カプールとランビール・カプールの祖父)に由来とのこと。本作の原案もラージによるそうだ。
アミターブは当時28歳。一方、公表されているバイオグラフィーが本当であれば、ラージェーシュとアミターブは同い歳(!)。設定からするとバースカルは30歳で、アマンはまだ学生のようだが、実年齢(?)からするとラージェーシュがバースカル役に相応しく思える。もっとも、デビュー間もないアミターブにとっては、逆のキャスティングではストーリーを牽引できたかは疑問であるが。
「Saajan」サージャン/愛しき人(1991)はじめ、インド人はかくも人との結びつきを篤く思ってやまないのだろう。
同じく生命の<歓び>を描いたアミターブ N ラーニー・ムカルジー共演「Balck」(2005)が対極をなす作風であるのが興味深い。