Zameer(2005)#287
「Zameer(魂)」 ★★☆
ザミール
製作:ニティン・ラージ・アラヤダート/監督:カマル/原案・脚本:スリニヴァサン/台詞:サンジャイ・マーソーム/作詞:サミール、イスラール・アンサーリー/音楽:ジャティン・ラリット/撮影:ハリ・ナーヤル/背景音楽:スレーシュ・アイヤール、アヌープ・シャンカル/アクション:ビクー・ヴェルマー、パップー・ヴェルマー/振付:ジャイ・ボーラデー、チンニー・プラカーシュ、レーカー・プラカーシュ/美術監督:S・S・シャルマー、マヒンドラ・バトゥレー/編集:ラージ・ゴーパル(チェンナイ)、パップー・シャルマー(ムンバイー)
出演:アジャイ・デーヴガン、マヒマー・チョウドリー、アミーシャー・パテール、クルブーシャン・カルバンダー、アロークナート、シャクティ・カプール、アニル・ナグラート、ヴィヴェーク・シャイク
公開日:2005年3月4日(日本未公開)
STORY
女子大の新任教師スーラージ(アジャイ)は、高飛車なプージャー(アミーシャー)に惚れられてしまう。しかし、スーラージにはスプリヤー(マヒマー)という婚約者がいて…。
Revie-U *結末に触れています。
冒頭のシーンは、コルカタ(旧カルカッタ)のキンデルプル港。「Calcutta Mail」(2003)以降、「Raincoat」(2004)、「Parineeta(既婚女性)」(2005)、そして「Love Aaj Kal(ラヴ今昔)」(2009)とコルカタを舞台にした作品が増えている。
開幕早々、港湾労働者の老人が仕切りのグンダー(ヤクザ者)に日当を巻き上げられる。そこで通り掛かりのアジャイ・デーヴガンが鉄拳を下す、いかにもマサーラーな展開、彼の「G.air(除け者)」(1999)を思い出させる。
アジャイは今でこそ演技派として名を成しているが、「Phool Aur Kaante(花と棘)」(1991)でデビューした当時は父親がヴィール・デーヴガンが殺陣師ということもあり、アクションで売り出したものだ。
しかしながら、演技派に転向してからはアクション俳優呼ばわりされることを嫌う日本の俳優たちと違って、アジャイはボンクラ・コメディ「Golmaal(ごまかし)」(2006)とシェイクスピアの翻案「Omkara」(2006)を両立させているのは偉い。
ところが、その後の展開は、まったく別テイスト。
アジャイ扮するスーラージは、友人教師のシャクティ・カプール(これがなかなかに味わい深い芝居)に乞われて、なんと女子大で教鞭を執ることに。しかも彼に入れ込む女子大生役が「Kaho Naa…Pyaar Hai(言って…愛してるって)」(2000)でリティク・ローシャンとWデビューを果たしたアミーシャー・パテール。
彼女の部屋にはリティクのポスターがでかでかと貼ってあって、コメディリリーフのヴィヴェーク・シャークィーに「ヘイ、リティック・ローシャン!」などと呼びかけたりするのが可笑しい。
監督は、マラヤーラム映画界のカマルという人。彼自身のヒット作「Mazhayethum Munpe」(1995)のリメードで、受賞歴もあるものの、演出力はかなり低く、「Khatta Meetha(酸いも甘いも)」(2010)のプリヤダルシャンとは大違いだ。ヒンディー映画への進出は実に12年ぶりになるが、今回も大フロップでチャート圏外であった。
演出ミスだけでなく、映画の魅力を損なっているのはセカンド・ヒロインのマヒマー・チョウドリーと彼の父役クルブーシャン・カルバンダーがなぜかダビング(アテレコ)であること。年10本以上出演していたマニーシャー・コイララなどもアフレコのスケジュールが押さえられなかったのか、よくアテレコの憂き目にあっていた。
南のインド映画界ではミュージカルのプレイバックだけでなく普通の台詞も吹き替えが多いためか(言語別のマーケットがヒンディーより小さい故)、ボリウッドに進出を試みた監督も構わずダビングで済ませてしまう傾向にある。
ここでストーリーを明かしてしまうと、スーラージには病弱な婚約者のスプリヤーがいると知りながらプージャーは強引に結婚を迫り、結局は自害してしまうというもの。
南の人はこの手のしんみりとした悲恋を好むようで、サルマーン・カーンの「Tere Naam(君の名前)」(2003)やゴーヴィンダ版「春琴抄」の「Pyaar Diwana Hota Hai(恋に狂って)」(2002)などヒンディー・リメード映画の中にも数本見られる。
いづれも北のメンタリティーには合わないのか、南のテイストを自粛したアーミル・カーン主演版「Ghajni」(2008)を除き、「Tere Naam」以外はたいていフロップしている。