Tarkieb(2000)#282
Tarkieb(方法) 01.04.11改稿 ★★★
タルキーブ
製作:ジャイ・メーヘター/監督:イスマイェル・シュロフ/脚本・台詞:モィン・ウド・ディン/音楽:アーデーシュ・シュリワスターワ/撮影:マザール・カムラン/背景音楽:サンジャイ・チョウドリー/振付:アフメド・カーン、ロリーポップ/アクション:シャーム・コゥーシャル/美術監督:ビムレーシュ・B・ラール/編集:A・R・ラージェンドラン
出演:ナーナー・パーテーカル、タッブー、シルパー・シェッティー、アディティヤ・パンチョリー、ミリンド・ソーマン、アシュトーシュ・ラーナー、ラザック・カーン、ラグヴィール・ヤーダウ、ティクー・タルサニア、アキレンドラ・ミシュラー
STORY
沼から女性のバラバラ死体が発見される。事件は地元警察の手に負えず、CBI(中央捜査局)の凄腕捜査官ジャスラージ(ナーナー)が派遣される。被害者は軍事病院に務める看護官ローシュニー(タッブー)と判明。捜査線上に浮かぶ男、男、男の影。果たして事件は解決するのか…?
Revie-U
「ONE MUDER SEVEN SUSPECTS」のキャッチコピー、切断された腕の発見、沼の底から回収される脚、冒頭からインド版猟奇サスペンスの臭いが漂う。
さらにダンス・シーンともなれば、ダダ的な指紋男がバックグラウンドダンサーというアヴァンギャルドな発想と、じんわりとけだるい本編との対比がなんともB級インド映画。
スーツ姿が渋いナーナー・パーテーカルのCBI捜査官ぶりは、本編部分のルック(画調)と少々古臭い演出のタッチも手伝って、1940〜50年代の米ハードボイルド・ミステリーを思わせる。
この時期のナーナーは終盤に家族全員を惨殺する「Vadh」(2002)など強烈な作品が続くが、本作も彼だけの存在感に負うところが大きい。
ヒロインであるタッブーはすでに殺されていて容疑者の証言(回想)にしか登場しないというのも驚きだが、愛に翻弄される哀しい役どころはタッブーらしくもある。
彼女の同僚役というセカンド・ヒロインが、シルパー・シェッティー。登場シーンがステージ・ナンバルなので、ボリウッド初心者にはダンサー役と誤解されそうだが、れっきとした軍属。
それにしても捜査線上に浮かぶ3人の男たち、「Yes Boss」イエス・ボス(1997)のアディティヤ・パンチョリー、「16 December」(2002)のミリンド・ソーマン、「Badal(雲)」(2000)のアーシュトーシュ・ラーナーと、人相からしてすべて胡散臭く怪しい。役者としても底の浅い二流ばかり…。
というのは当時の話。
アディティヤは「Musafir(旅人)」(2004)の後、しばらく銀幕から遠ざかっていたが、「Striker」(2010)で復活した時は容貌も演技もすっかりシャープになり、驚かされたものだ。
トップ・モデル出身という触れ込みだったミリンドも華々しいキャリアから程遠く地道にキャリアを積み、「Bheja Fry(脳味噌揚げ)」(2007)、「Say Salaam India」(2007)の敵側コーチ役で軽やかな演技を見せるまでになった。これも印仏日独合作「花の谷」Valley of Flowes(2006)出演の賜物だろう。
そして、もともとバイプレーヤー的立ち位置だったアーシュトーシュも、キロン・ケールの息子シカンダル・ケール主演「Summer 2007」(2008)における前半の駄作ぶりから一転、彼が登場する後半では一氣にストーリーを牽引する力量を見せつける役者魂が驚嘆に値する。
作品としてはBグレードながら、アーデーシュ・スリワースタによるフィルミーソングの出来はよく、シルパー登場のセクシー・ステージ・ナンバル「dupate ke palloo(ドゥパッターの裾が)」、ジャグジット・スィンをフィーチャルしたメロー・ガザル「kiskaa chehra ab main dekhoon(誰かの顔を今みつめて)」(アルカー・ヤーグニクの健氣さが伝わる口上もよい)、軽快なパーティー・ナンバル「dil mera tarse」、ダダ+神話劇が交差する前衛ステージ・ナンバル「tuzhe dhundoon main」などなかなかに耳に残る。
サポーティングに、盲人の屋台店主役に「Peepli Live」(2010)のラグヴィール・ヤーダウ。
見るからに怪しい脇役に「ラガーン」Lagaan(2001)の鍛冶屋役アキレンドラ・ミシュラー。
ジャスラージの助手役ティクー・タルサニアも短躯にスーツを着用し、いつになくコメディ芝居を控えめに見えて、占い聖者に化けてしっかり容疑者の手相(指紋)を採取するのが微笑ましい。
また、被害者を特定する歯医者役にラザック・カーンが顔を見せている。
軍事病院をめぐる殺人事件の捜査は、米「戦火の勇気」を下敷きにしてあり、その大本は「羅生門」(「藪の中」)に行き着く。が、洗練されているとは言い難い脚本/演出から早晩思い至らない効果?を生んでいる。
それにしても、掟破りの結末には…。