Vaada(2005)#028
Vaada(約束)/2005 06.06.26 ★★★★
ワーダー
製作:ヴァシュー・バーグナニー/監督:サティーシュ・コゥーシク/原案・脚本・台詞:ルミー・ジャフェリー/撮影:ジョニー・ラール/音楽:ヒメーシュ・リシャームミヤー/詞:サミール/背景音楽:サリーム-スレーマン/アクション:/アッバース・アリー・モーグル/美術:ジャーヤント・デーシュモーク/振付:ラジュー・カーン、レモ、アフィ/編集:スティーブン・ベルナルド/パブリシティ・デザイン:ニマンシュー・ナンダ、ラーホール・ナンダ/タイトル・デザイン:アヴィテール・ポスト・ストゥーディオズ
出演:アルジュン・ラームパール、アミーシャー・パテール、ザイード・カーン、ラーケーシュ・ベディ、ラージェーシュ・ヴィヴェーク、ヴィレンドラ・サクセーナ、クルデープ・シャルマー、アニル・サクセーナ、アチュール・ポルダール、シャシ・キラン
友情出演:アンジャン・スリワスターワ、アロークナート
公開日:2005年1月7日(年間16→24→36位/日本未公開)
STORY
交通事故により盲目となったラーホール(アルジュン)には妻プージャー(アミーシャー)がいたが、ある朝、殺されているのを彼の友人カラン(ザイード)が発見する。しかも、検死のために安置されたプージャーの遺体が何者かに盗まれて……。
Revie-U
サルマーン・カーン主演「Tere Naam(君の名は)」(2003)でシリアスな悲恋物をこなし、脱通俗マサーラーを図ったサティーシュ・コゥーシクが選んだ次回作がこれ。

(c)Puja Films, 2005.
主演はアルジュン・ラームパール、ヒロインはアミーシャー・パテール、これに絡むザイード・カーンは「Main Hoon Na(私がいるから)」(2004)に続く3作目。新人扱いとあって、アミーシャーが先のクレジットとなっている。
幕開けの早朝、邸宅から謎の男が立ち去る。入れ替わりでジョギングをして来たザイードが邸宅に入り、寝室で寝ている家人を確認。薄暗い中、再び階下に下りてゆき、リビングへ入ると天井から首を吊られた女の脚にぶつかる!
ここで妻の不在に氣付いたアルジュンが起き出すのだが、取り出したのはサングラスに杖。盲目の彼をザイードはなぜか物陰に隠れてやり過ごす。だが、妻の名を呼ぶアルジュンが屋外へ出ようとして躓(つまず)くと、すっと歩み出て彼を支える。不意に現れた友人に動揺するアルジュン。ザイードは彼の手を引き、リビングへ。この時、キャメラがクレーンアップして初めて女の死体がアミーシャーと判る。
アミーシャーは「Kaho Naa…Pyaar Hai(言って、愛してるって)」(2000)でリティク・ローシャンと華々しいデビューを飾り、「Gadar(暴動)(2001)でボリウッド史上トップ1・ヒットのヒロインに輝いたが、「Mangal Pandey:The Rising」(2005)までぱっとせず。
「Tathastu」(2006)でもミドル・クラスの主婦ながらブロンドに染めたまま通してしまっていたが、本作では一応、人氣歌手となっているため、そこは違和感なし。回想シーンで存分に登場するものの、時間軸ではすでに死んでいる設定で、これは「Tarkieb」(2000)でのタッブーに準ずる。
本作の見どころは、芝居が目に見えて上達したアルジュンとザイードの駆け引きであろう。

(c)Puja Films, 2005.
アルジュンは「Aankhen(盲点)」(2002)に続く盲目役。モデル出身とあって、アイシュワリヤー・ラーイとの共演作「Dil Ka Rishta(心のつながり)」(2003)ではその丹精なマスクが邪魔をして終始煮え切らず、本作の翌週にリリース(公開)された「七人の侍」(1954=東宝)の現代版「Elaan」(2005)では妻子を失った警官という役柄もあって憔悴し切ったその姿から伸び悩みのままキャリアが終わるかと心配してしまったが、本作では蓄えた口髭も凛々しく、存在感がひしひしと伝わって、その成長ぶりを心ゆくまで堪能出来るのが嬉しい。アルジュンのフィルモグラフィの中でも記憶されるべき一作であろう。本年はその他、「Yakeen(信頼)」(2005)、「Ek Ajnabee(或る異邦人)」(2005)と4作品に出演。さらにカラン・ジョハールの新作「Kabhi
Alvda Na Kehna」さよならは言わないで にリメイク版「Don」(2006)と話題作が待機中。

(c)Puja Films, 2005.
一方、ザイードはデビュー作「Chura Liyaa Hai Tumne」(2003)での演技があまりにも浮ついていて見られたものではなかったが(それでもFilmfare Awards 新人賞ノミネート)、シャー・ルク・カーンとの共演作「Main Hoon Na」で、アミターブ・バッチャン、アクシャイ・クマール、アビシェーク・バッチャンら名だたるトップスターに並んで助演男優賞にノミネートされていたが、実態はほど遠い芝居であった。
しかし、本作と並行して「Shabd(言葉)」(2005)、「Dus(10)」(2005)、「Shaadi No.1(結婚No.1)」(2005)などの撮影で経験を積んだためか、声に厚みも加わって俳優として及第点に達したと言えよう。
サポーティングは、事件を捜査するインスペクター・カーンに「Lagaan」ラガーン(2001)、「Swades(祖国)」(2004)のラージェーシュ・ヴィヴェーク、ラーホールに長年仕える怪しげな使用人アレックス役に「Aks(憎しみ)」(2001)のヴィレンドラ・サクセーナ、カランの弁護士役に「Hum Aapke Dil Mein Rehte Hain(私はあなたの心に住んでいる)」(1999)のラーケーシュ・ベディを配役。
友情出演ながらプージャーの父親に「Aap Mujhe Achche Lagne Lage」(2002)のアロークナートが顔を見せているが、体調不良なのかアテレコのようにも聞こえ、見落としがち。
もうひとりの友情出演であるアンジャン・スリワスターワはそれまでの嫌みな役を脱し、「Main Aisa Hi Hoon(私だって普通です)」(2005)や「Chingaari(閃光)」(2006)などで主人公を見守る脇役に昇格。
本作は全般的に大仰な芝居を控えているが、弁護士役のラーケーシュがぎりぎり許容、検事役アンジャンはそこだけ映画のトーンを崩すコミカルな芝居を許されており、コメディアン出身のサティーシュだけに氣の弛みか?
ヒメーシュ・リシャームミヤーの手によるフィルミーソングは、どれも粒ぞろいで本作の魅力を倍増させている。
妻を失ったラーホールがプージャーとの出会いから結婚までを回想する「maula」(カヴィタ・セート)は、流行のアラビック・スタイルで耳覚えも鮮やか。手品(CG)でアミーシャを口説き、フリップを使ったプロポーズする様も貫録が感じられ、アルジュンのデビュー作「Pyaar Ishq Aur Mohabbat(恋、ロマンス、そして愛)」(2001)の登場シーンからすると天と地。

(c)Puja Films, 2005.
ナンバル明け、初夜の床でプージャーがかつて恋人がいたことを告げるが、決してこの先、心苦しくさせないことを<約束>する。
ふたりの甘い新婚ぶりを強調するかのように、立て続けに欧州ロケ・ナンバー「teri kurti sexy(君の上衣がセクシー)」に突入。ゴージャスに着飾ったアミーシャーの愛らしさが目を楽しませてくれる(街頭でシャッターを頼んだ白人の通行人にデジカメを持ち逃げされるのが可笑しい)。
再びナンバー明けにサプライズ。プージャーの運転する車が誤って自損事故を起こし、フロントガラスをブチ破って投げ出されたラーホールが失明に至る!
「この女なしでは生きられない」と歌う、カランの失意ナンバル「main ishq uska(彼女に恋して)」はバーブル・スプリヨーの淡い歌声も手伝ってカランの心痛を呷る。実は、彼の意中の女こそプージャーだった。フィルミーナンバル中の妄想度はかなり重症で、盲目となったのは彼の方だったとも言える。
三人の想いが交差する「vaada hai yeh(これが約束)」のメロディラインは記憶をくすぐるようで、忘れていた約束を思い出しそう。ザイードをプレイバックするクマール・サーヌーは「ヴァーダー」と歌っているが、ヒンディーでVはヴァともワとも好み?で発音されるため、ウディットとアルカーの歌声は「ワーダー」と聞こえる。この<約束>が本作で重要な意味を持ってくるわけだ。
サティーシュの演出は申し分なく、専業監督に匹敵するクオリティ。安手なサスペンス、と言ってしまえば、それまでだが、「Kasoor(過ち)」(2001)のヴィクラム・バットのような陳腐さはない。
もっとも例によって完全なオリジナル脚本ということではなく、サンジーヴ・クマール主演「Qatl」(1986)をリメイクしたタミール映画のヒンディー化、ということらしい。
サイドからのライティングを活かしたジョニー・ラールの撮影も見事。加えて、Vを強調した赤と黒からなるスタイリッシュなパブリシティ・デザイン&オープニング・タイトルバックも印象的。
*この先、結末に触れてゆきます。
さて、中盤、カランが愛していたのが結婚前のプージャーと明かされる。彼は「アシュラ」Anjaam(1994)のシャー・ルクよろしく、かなり病的。カフェで彼女にぶつかった男の腕を掴み、フォークでその手を突き刺しまくるのだ。
「Rang De Basanti(浅黄色に染めよ)」(2006)に先駆けて、デジタル合成による分身との対話シーンも用意されている。「RDB」では浮きまくったそれも、本作では彼のパラノイアぶりを示す表現として受け入れやすいだろう。

(c)Puja Films, 2005.
ナンバル「main ishq uska」でしばらく出稼ぎしていた欧州から帰国すると、プージャーが結婚したと知らされる。失意のカランは友人のラーホールを訪ねるが、そこで再会するのが彼の妻となったプージャーであった。
それだけに、プージャーを殺した真犯人が謎を呼ぶ作りとなっている。
回想が入り交じった後、カランの屋敷に賊が忍び込み、プージャーの装身具を置いてゆく。この屋敷は「Tere Naam」でサルマーンの実家として使われた石造りの邸宅。判り難いように照明を落として撮影されているが、カランの悲恋を強調する意味合いもあって再びロケに選ばれたのだろう。サルマーンの新作「Saawan…(雨季の歌)」(2006)でも同様の理由で使われていた。
カランは何者かが罪を被せようとするのを逃れるため、深夜、ラーホールの邸宅に装身具を戻す。が、翌朝、ラーホールが侵入した賊に殴られ、病院に担ぎ込まれる。ここでボリウッド映画では珍しく、邸宅内の指紋やタイヤ痕を採取したりと科学捜査を試みられ、賊の正体をカランと判定し彼を逮捕する!
さらに、この後、実はラーホールが盲目ではなかったことが示されるのだ!!
後半は、釈放されたカランがふとしたことからラーホールのブライドに疑問を抱き、彼を繰り返し試してゆく。無論、ラーホールはその仕掛けが見えているわけだが、悟られないように巧みにそれを躱してゆく様が実にスリリング。これも、ふたりの役者としての成長があってのこと。
このへんのツイストは「Aankhen」を彷彿。無論、ルミー・ジャフリーの脚本によるところが大きいだろう。
特に目を見張るのは、なかなかラーホールを見破れないカランが業を煮やしてグンダー(ゴロツキ)を雇い、彼を襲わせるシークエンス。
見せかけの友情を嘲笑うかの如くラーホールは「炎」Sholay(1975)の「yeh dosti(これが友情)」を口ずさみ、雇われたグンダーに対峙する。肩で突き飛ばされたラーホールは砂浜の上で杖を失う。傍らで薄笑いを浮かべるカランが見えていながら、ノンブラインドとして防御できない足枷がスリルをかき立てる。そこはボリウッドだけに、マーシャル・アーツで男たちに立ち向かうのだ(ファイトマスター、アッバース・アリー・モーグルによるワイヤーワークを存分に取り入れた殺陣が見物!)。その素早い動きからして懸念を増すわけだが、ここが脚本の妙技。「おまえたち、俺がブラインドのフリをしてると思ってるんだろう? じゃあ、これでどうだ?」と、ラーホールは黒い布を取り出しては目隠しをして、男どもをなぎ倒してゆく!
より一層、カランはプージャー殺しの疑惑を強め、ラーホールの嘘を暴こうとする。だが、1枚も2枚もラーホールの方が上手で、いよいよカランはプージャー殺しの汚名を着せられ、逮捕されてしまう。この底の浅いカランをザイェードが演じるところがまたよろしい。

(c)Puja Films, 2005.
無期懲役の判決を喰らい刑務所へ入れられたカランの前にラーホールが現れる。カランはここでもラーホールに衣装返しを試みようとするが……。と、ここから先はやはり自分の<目>で確かめて頂きたい。「Vaada Hai Yeh(これが約束)」とは何か判った時、胸を打たれることだろう。
年間36位と、興行的には惨敗。アルジュンとアミーシャー、新人ザイードではまだまだ客が呼べないことが実証されたわけだが、ボリウッド・サスペンスとしては上出来の部類。ふたりの美男俳優がしのぎを削るのが本作の魅力。面食いにはオススメの小品である。
なお、ep055では「Vaada ヴァダー〜隠された真実〜」の邦題で放映された。
*追記 2012.07.02
アルジュン・ラームパールの役者としての及第点は本作からスタート。本年8月日本公開「ラ・ワン」Ra.One(2011)の悪役ラーワンも見物!
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