Wake Up Sid(2009)#280
製作:カラン・ジョハール、ヒールー・ヤシュ・ジョハール/原案・脚本・監督:アヤン・ムカルジー/台詞:ニランジャン・アイェンガル/撮影:アニル・メーヘター/作詞:ジャーヴェード・アクタル/音楽:シャンカル-イフサーン-ローイ/背景音楽:アミット・トリヴェディ/プロダクション・デザイン:アムリター・マハル・ナカイ/VFX:プライム・フォーカス/衣装デザイン:マニーシュ・マルホートラ、プリヤンジャリー・ラーヒリー/編集:シャーン・モハムマド
出演:ランビール・カプール、コンコナー・セーン・シャルマー、スプリヤー・パターク、アヌパム・ケール、カシュミラー・シャー、ナミット・ダース、シカー・タルサニア、シュルティー・ボーラキ、モーシン・アリー・カーン、ムニール・カバーニー、アティシャー・ナイク、ラーフル・ペンドカルカル、カイナズ・モーティバラー
特別出演:ラーフル・カンナー
公開日:2009年10月2日(年間14位/日本未公開)138分
STORY
ボンクラ学生のシド(ランビール)は卒業間近ながら働く氣はまったくなし。その上、落第。父親(アヌパム)と喧嘩し家を出て、「Mumbai Beat」誌のライターである年上のアイーシャー(コンコナー)のフラットに転がり込むが、自分ひとりでは卵焼きひとつ焼けず…。
Revie-U
世界大不況の中、バブル経済を突っ走ったゼロ年代のインド。その激しい競争社会は「3 Idiots」3バカに乾杯!(2009)にて描かれているが、いよいよ登場したかと言えるのがニートを主人公にした本作。

(c)Dharma Productions,2009.
シドはコミック&ゲーム好きで勉強に身が入らず、部屋の掃除もろくに出来ない。使用人や母親の世話焼きで何不自由なく暮らして来たせいか、屋台で飲み喰いしてもクレジットカード払いしか知らない現代っ子だ。
間もなく、遊びほうけたツケがまわって落第。父親の怒りを買い、思わず家を出る。
と言っても生活力があるわけでもなく、転がり込むのがライター志望のアイーシャー宅。
しかし、布団や衣服は片付けない。CDなども出したら、出しっぱなし。彼女が仕事に出かければ、腹が空いても自分では卵焼きひとつ焼けない。やがて、仲間も無意識に傷つけていたことに氣づかされる。

(c)Dharma Productions,2009.
シドを演ずるランビール・カプールは、子供っぽく頼りなげな様がハマリ役。
ランビールはこの年、10月に本作、カトリーナー・ケイフと共演のラブコメ「Ajab Prem Ki Ghazab Kahani(おかしな愛の不思議な物語)」が11月、戦うサラリーマン物「Rocket Singh」が12月と3ヶ月連続公開。すべてジャンルが異なる作品を見事に演じ分け、それぞれ14位、2位、22位と大健闘。父である名優リシ・カプール譲りの才能を見せつけてくれる。

(c)Dharma Productions,2009.
一方、ヒロインとなるアイーシャー役のコンコナー・セーン・シャルマーは、例によってコルカタ(旧カルカッタ)からムンバイーにやってきた設定。「Page 3」(2005)の頃から比べると数段艶やかになっている。
同年の「Luck by Chance」チャンスをつかめ!(2009)でスターダムにのし上がる主人公の踏み台となるマイナー女優役にどこか重なるのは、女優としては器用なタイプではないからだろう。
サポーティングは、アイーシャーの隣人ソニアに「Revati」(2005)のカシュミラー・シャー。久々のメジャー出演だが、役柄はもちろん悩殺熟女。アイーシャーとのレディース・トークが実に愉快。
息子を見れば小遣いをたっぷり渡す大甘の母親役スプリヤー・パタークは、シャーヒド・カプールの実の継母。息子に嫁が出来たら今風の母親らしく話せるよう、ひとりアングレージ(英語)のレッスンに励むのが、いじらしい。
そして、アイーシャーの上司カビール役がラーフル・カンナー。兄アクシャヱ・カンナー同様、雰囲氣のない役者。この時期、出演作が増えてはいるが「Love Aaj Kal(ラヴ今昔)」(2009)など、すぐにフラれてしまう役なのが氣になる。
このカビール、英語雑誌「Mumbai Beat」の編集長だけあってジャズを愛聴。デートに誘うも、アイーシャーが懐メロ・フィルミーソング好きと知ると、野暮な趣味だとインテリ風を吹かす底の浅い役どころ(苦笑)。
シドを子供扱いし、大人びたカビールに心惹かれていたアイーシャーだが、帰宅してみれば、シドがデーヴァナン(=デーヴ・アーナンド)主演「Jaal(網)」(1952)のメモラブル「yeh raat yeh chandni phir kahan(この夜、この月、また何処)」を聴いている。うっすらと流れるこの感じこそ、ふたりを結びつけるフィーリングと告げる効果が佳い。
そして、またクラブで酔ってシドとアイーシャーが歌うのが、アーミル・カーン主演「Jo Jeeta Wohi Sikander 」勝者アレクサンダー(1992)のヒット・ナンバル「pehla nasha pehla khumar(初めての陶酔、初めての夢心地)」。「Mumbai Beat」のカメラマン助手となったシドへほのかに想いを寄せていた同僚のタニヤーがふたりの相性のよさを知ることとなるのだ。
ちなみに、このナンバルはイムラーン・カーン N ディピカー・パードゥコーン共演「Break Ke Baad(別れの後で)」(2010)のオープニングでも思い出の曲として使用されている。

(c)Dharma Productions,2009.
音楽は、ダルマ・プロダクション御用達のシャンカル-イフサーン-ローイ。
背景音楽に加え、アイーシャーが愛に氣づくメローなナンバル「iktara」のゲスト・コンポーザーとして、「Dev.D」(2009)や「Udaan(飛翔)」(2010)などニュー・ストリームを牽引する新鋭アミット・トリヴェディをフィーチャル。エンディング近くに流れる、いかにもアミットらしい軽やかなナンバルがCD未収録なのは惜しい。
脚本・監督は、シャー・ルク・カーン主演「Swades(祖国)」(2004)の脚本を手がけたアヤン・ムカルジー。シドの成長ぶりやアイーシャーの女心など、よく練り上げられた脚本術だけでなく、アイーシャーが風の抜ける場所を求めて開け放した玄関で窓辺のようにもたれながら(目の前はフラットの踊り場で隣人や子供が行き交う)覚え書きする等、何氣ない演出がインドらしさを感じさせる。

(c)Dharma Productions,2009.
シドは、やがてカメラマン助手として職を得て自活する。「自分のことは自分でする」という社会の基本ラインに<成長>したように見えるが、これは日本人としての視点。インドでもせいぜいミドル・クラスまでの話だろう。
「自分のことを自分でする」というのは、インド的には「階級意識の変革」を意味し、見方によっては「グローバル化」あるいは「中流化」と大きく分かれる。
一見、西洋的映画術に沿って作られているように思える昨今のボリウッド映画だが、<インドは異文化>という視点は忘れずにおきたいものだ。