Saajan(1991)#027
「Saajan」サージャン/愛しき人 06.11.22 ★★★★
製作総指揮:ラジェンドラ・ゴーグレー/製作:スダーカル・ボーカデー/撮影・監督:ローレンス・デスーザ/原案・脚本・台詞:リーマー・ラーケーシュナート/作詞:サミール、ファイズ・アンワル/音楽:ナディーム-シュラワーン/振付:チンニー・プラカーシュ/美術:R・ヴェルマン/アクション:ラーム・シェッティー/音響:ブタ・スィン/背景音楽:アマル・ハルディプル/編集:R・ラジェンドラン
出演:サンジャイ・ダット、マードゥリー・ディクシト、サルマーン・カーン、エクター、ラクシュミーカーント・ベールデー、カーダル・カーン
助演:リーマー・ラグー、アンジャナー・ムンターズ、デーニーシュ・ヒングー、ユヌス・パルヴェーズ、ディピンティ、ラージャー・ドゥッガル、シャーラカー・カルニク、ラージュー・シュレスタ、プーナム・シェッティー
友情出演:テージ・サプルー
特別出演:パンカジ・ウダース
公開日:1991年12月20日(年間トップ3ヒット/1992年、福岡アジア映画祭上映)
Film Fare Awards 音楽賞、男性プレイバックシンガー賞(クマール・サーヌー〜mera dil bhi)
STORY
足の不自由な孤児アマン(のちのサンジャイ)は、金持ちの息子アーカーシュ(のちのサルマーン)と知り合い、家族同然で暮らすこととなる。やがて、青年となったふたりは、美しい娘プージャー(マードゥリー)に恋をして……。
Revie-U
「サージャン/愛しい人」の邦題で第6回福岡アジア映画祭’92にて上映された、サンジャイ・ダット、サルマーン・カーン、マードゥリー・ディクシト主演作。
北九州は大陸文化の流入点だけあって、首都圏では上映されないインド映画を見ることが出来るので羨ましくも思える。
今年(2006年)は「私はガンディーを殺していない」Main Gandhi Ko Nahin Mara(2005)が上映され観客賞を受賞しているばかりか、あの名作「アマル・アクバル・アントニー」Amar Akbar Anthony(1977)が97年福岡市総合図書館・映画大陸インド・インドシネマウィークで上映されているのだ! 映画祭で上映されたプリントはライブラリー化されて、時よりフィルム上映されたりするなど、実に<アジア民度>が高い。
さて、この「サージャン」であるが、サンジャイは足の不自由な孤児アマン役。冒頭の少年時代にイジメられていたアマンをアーカーシュが助けたことからふたりに友情が芽生え、アーカーシュの両親も彼を実の息子同様に育てて来た(というか、すぐに現代シーンへ飛んでしまう)。
アーカーシュは幼年の頃から性へ興味が尽きず、長じても女っ垂らし、というサルマーンに相応しいキャラクター(微笑)。
一方、アマンは足が不自由なために恋愛とは縁がなく、もっぱら詩を書いて過ごしていたことから、誰に知られることもなく<サーガル(ペルシア語でゴブレットの意)>というペンネームで詩集を出版するに至っている。
アマンはアーカーシュの父親ヴァルマーから依頼されて、ホテル建設プロジェクトのために高級避暑地ウーティーへと単身赴任する。ここでマードゥリー演じる本屋の娘プージャーに出会って、彼女を見初める。しかも、彼女はサーガルの熱烈な愛読者で、まだ見ぬ詩人を慕っていて、彼の詩に曲をつけた歌で全国カレッジ・コンクールにて優勝しているほど。詩歌に対するインド人の思い入れはかなりのもので、かのラビンドラナート・タゴールの詩にメロディーが付けられたベンガリーCDが発売されていたりする。
やがて、ふたりの中に仄かな友情が芽生えた頃、アーカーシュが訪ねて来て、町で見かけたプージャーに一目惚れしてしまう。
アマンは、ヴァルマー家には天涯孤独の身から拾い上げてもらった上に立派に教育を受けさせてもらった恩義があり、またそれ以上にアーカーシュとは深い友情で結びついていた。それ故、アマンはアーカーシュこそサーガルであると、プージャーに紹介し、自分は身を引くのだ。
この、自身の想いを噛み殺し、友情を重んじて身を引く哀愁は(現実ではどうであれ)インド人の好む美徳のひとつでもあり、「Jaan-E-Mann(愛しき人よ)」(2006)にも引き継がれている。
兄弟の間でひとりの女性を愛してしまうのは、ラヴロマンスのひとつの定式となっていて、サンジャイとサルマーンのコンビでは黄金期のカリシュマー・カプールを巡る「Chal Mera Bhai」(2000)というのもあるし、同じく「麗しのサブリナ」(1954=米)を翻案した「Dillagi(冗談)」(1999)ではサニー・デーオール&ボビー・デーオールという実の兄弟がウルミラー・マートーンドカルに恋していた。
本作のポイントは、これが実の兄弟でなく、赤の他人が離れ難く結びつき<血を超えた>関係であるということ。これは後年の「K3G」(2001)でも同様であるが、こうすることでインド人の好む家族愛を浮き彫りにしやすいということであろう。日本でいう<疑似家族>とは、ややニュアンスが異なる。
監督のローレンス・デスーザは撮影監督出身で、本作でも撮影を兼任。レンブラント・ライトを多用した映像設計が印象を与える。
なにより素晴らしいのが、ナディーム-シュラワーン(ナディーム・サイフィとシュラワーン・ラトードのコンビ。インド人音楽監督はコンビを組むことが多く、-で示される)のフィルミーソングであろう。タブラー・ベースの牧歌的なリズム体にゆるやかなメロディーが運ばれ、ゆったりと流れるガンガーの如く心を洗う。
サーガルの詩にプージャーが曲をつけたとするコンクール・ナンバル 「bohat pyar karte hain」では、ステージでマードゥリーが弾く白いグランドピアノ(美術部の造作した大道具)からドライアイスの蒸気が溢れ出すという幻想的なアイディアが美しい! このナンバルでアヌラーダー・パウドーワールがFilm Fare Awards 女性プレイバックシンガーにノミネートされたが、本作でノミネートされたプレイバック・シンガーは4名というから、本作の評判が知れようというもの。
また、茶畑が広がるウーティーの山道へとプージャーに連れ出されたアマンが思い描く妄想ナンバル「mera dil bhi kitna pagal」では、クマール・サーヌーが男性プレイバックシンガー賞を受賞。プージャに手を取られ霧雨に濡れた杉林を行くアマンだが、彼は立ち木に肩を取られて動けず、幹から先へはアマンの妄想である色鮮やかに着飾ったプージャと彼自身が歩み始める(年代からしてデジタルではなくオプチカル合成であるはずだが、合成画面のマッチングは違和感なし)。
無論、妄想の中での彼は杖など必要としない。その幻影を思い抱くサンジャイの伸びた髪にバックライトが強く当てられ、彼が妄想に深まってゆく様を照度を上げることで表すなど、「Main Hoon Na(私がいるから)」(2004)や「Jaan-E-Mann」を先取りするデスーザの発想は感心させられる。
さらには、サルマーンとマードゥリーの田園ナンバル「dekha hai pehli baar」は可憐なアルカー・ヤーグニクと甘ったるいチャーイを思わせるS・P・バラスブラーマニーヤムが心地よく絡み合い、後半、名歌手パンカジ・ウダースが招かれて歌うレセプション・ナンバル「jeeye to yeeye kaise」も、プージャを想うアマンの切なさを炙り出し、忘れ難い名曲となっている。
サポーティングは、アーカーシュの父親ヴァルマーに、「Lucky」(2005)の在露NRIドクタル役カーダル・カーン。持ち前の低く厚い声が温情溢れる役柄を一層引き立てる。
その妻カムラーには、「Tera Mera Saath Rahen(おまえと俺は一蓮托生)」(2001)のリーマー・ラグー。今回はオープニング・クレジットでなく、エンディング・クレジットで表示されるサポーティング扱いに留まる。15年以上前の作品とあって、ややスリムで愛らしい。
カーダルのビジネス・パートナー、スーラージュン・ラールチャンド役が、「Karobaar」(2000)のデーニーシュ・ヒングー。
ウーティー入りしたアマンの世話を焼く使用人ラクシュミー役が、永遠の使用人役者、故ラクシュミーカーント・ベールデー。今回はなんと、セカンド・ヒロイン、エクターに続く5番目のタイトル・ビリング!
そのエクター(芝居は評価外)は、後年、サンジャイが完全復活の礎となった「Vaastav(現実)」(1999)で、サンジャイの兄役モーニーシュ・ベールの妻となるプージャー役。この作品では、リーマーがサンジャイの母親役として悲しき結末を導いている。
プージャーの母親役が、アンジャナー・ムンターズ。氣品のある声が麗しい。近年は「Koi…Mil Gaya(誰か…みつけた)」(2003)でリティク・ローシャンとプリティー・ズィンターを取り合い?するラジャート・ベディの母親役として添え物出演。
サーガルの詩集を出版するパブリッシャー、アニース役がユヌス・パルヴェーズ。アミターブ・バッチャンとシャシ・カプールの詐欺師コンビにカモられる強欲ホテル・マネージャーが印象的であった「Shaan(栄光)」(1980)をリスペクトしているアビシェーク・バッチャン主演「Bunty Aur Babli(バンティとバブリー)」(2005)ではホテル・オーナーに昇格!
前半、アーカーシュがホテル(レストラン)で盲目の振りをし女の子に近づこうとする。その母親の台詞にある「Dosti(友情)」(1964)は、天涯孤独となった少年と盲目の少年の友情物語。主人公ふたりの離れ難い結びつきは、本作でも継承されている。
ちなみに、この映画で少年たちと親しくなる少女の兄役サンジャイ・カーンは、ザイード・カーンの父親にしてリティク・ローシャンの法律内父親(義父)。
先の盲人を真似したくだりはあまり褒められたものではないが、中盤、足の不自由なことからプージャーを愚弄しようとした暴漢たちに対抗出来ず屈辱を受けたアマンが教会で神に怒りをぶちまけるシーンがある(ペルシア風の筆名を名乗る彼だが、ミッション系の孤児院で育てられた)。
その傍らに両足を切断された男が静かに祈っていて、アマンは神に嘆いて醜態を晒した自分を恥じるわけだが、これが本当に両足のないエキストラを起用しているところが、実にインド的。
プージャーに恋したアマンが夜中にサーガルの詩を読み上げる素っ頓狂なフレーズは、今となっては「KKHH」(1998)のタイトルソングを思い起こす(苦笑)。
90年代初頭だけあって、サルマーンとサンジャイは共に細身で、襟足だけ長い例のボリウッド・ヘアスタイルが時代を感じさせる。
このふたり、兄弟役が実によく似合い、サルマーンの「Yeh Hai Jalwa」(2002)にゲスト出演のサンジャイが冗談のように姿を見せた際も絶妙に思えたものだが、最近は共演が少ないのが残念。
もちろん、若きマードゥリーも麗しく、サーガルの描く詩のように心に灯ってやまない。