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ブック・レビュー file.1「疑惑のマハーラージャ」

2010.12.01
The Game

「疑惑のマハーラージャー」ローリー・キング著/山田久美子訳/集英社文庫

詰め物入りのソファに広げられたのは、伝統的なシャルワール・カミーズだったが、それまでわたしが街で見かけたどれよりもずっとずっとフォーマルだった。ゆったりとしたズボンは足首の刺繍入りの折り返しですぼまっており、それに合わせた膝丈のチュニックは複雑な紋様のビーズ刺繍が首まわりからボタンで閉じる脇のスリット、前後の長い縫い目にまでほどこされていた。それに合わせた息を呑むようなカシミールのショールはたいそう繊細なウールに絹糸でアラベスク模様がびっしりと刺繍され、あまりの美しさにわたしは荒れた手を引っこめていられず、慈しむように布を撫でた。わたしの反応に老齢の仕立て屋は優しい眼つきになり、それは家内の仕事ですといって、実演しつつ着かたを教えてくれた。その一式はホームズがポートサイドで買ってくれたサリーにもましてすばらしく、どこまでも優雅で、着た人が歩いたり坐ったり、なにかを取ろうとして手をのばしたときに突然ヌードになる危険がないという計り知れない利点があった。
「シャーロック・ホームズの愛弟子 疑惑のマハーラージャ」(ローリー・キング/山田久美子訳/集英社文庫)

英国には100万人以上のNRI(在外インド人)がいると言われており、ボリウッドにとって英国はかなり重要な市場となっている。逆もまた真なりで、英国はインドを長く統治していた歴史もあって、ウェットな風土から見た遠い彼の地はエキゾチックな想像力をかき立て、文学面でもインドとのつながりがみられる。

本年のX’mas 印装パーティー秘密の花園會と題したように、「秘密の花園」の主人公メアリーは英領インドに生まれ、コレラによって両親を失い、英国の伯父へと引き取られる。
同じくバーネットによる「小公女」の主人公サアラ(=セーラ)も同様にインドからの帰国子女となっていて、後半、猿をペットにしているラム・ダスという人物が登場し、物語を弾ませる。

またボンベイに生まれたラドヤード・キプリングは、出身地インドを題材とした作品を数々と発表。その代表作「ジャングル・ブック」の映画化(1994年版)では、カラン・ジョハールの父である故ヤシュ・ジョハールがインド側のアソシエート・プロデューサーとして参加している。
ちなみにキプリングの有名な言葉「East is East, West is West」は、パキスタン系英国人の俳優/劇作家アユーブ・ハーン・ディンの自伝的作品を映画化したオーム・プーリー出演「ぼくの国、パパの国」East is East(1999)と続編「West is West」(2010)のタイトルに使用されている。

そして、かのシャーロック・ホームズ(ついついシャー・ロック、と打ち込んでしまう。苦笑)も、アーミル・カーン主演「Mangal Pandey」(2005)で描かれた<セポイの反乱>絡みの「四つの署名」という代表作がある。

さて、今回とりあげるのは、原作者コナン・ドイルの著作権切れから幾つも新シリーズが派生している中で、アメリカの女流作家ローリー・R・キングが書いた「シャーロック・ホームズの愛弟子」シリーズの最新刊「疑惑のマハーラージャ」(原題 「The Game」/山田久美子訳/集英社文庫)。

「愛弟子」とあるように、主役はシャーロックの妻メアリ・ラッセル・ホームズ(奇しくもワトソンの妻メアリ・モースタンと同じ名)。彼女は15歳にしてシャーロックの弟子となり、やがて妻となったそうな。そして本作でのシャーロックは70歳、メアリは24歳という若妻!
64歳のアミターブ・バッチャンと34歳のタッブーが恋をする「Cheeni Kum(甘さ少々)」(2007)よりずっと年が離れている。これはローリーの夫が30歳年上の大学教授で、大学院生で結婚したという彼女自身のバックボーンが下敷きになっているようだ。

また、作者のローリーがアメリカ人だけあって翻訳も実にライトなテイストでなされており、厳めしい英国映画ではなくアメリカのテレビ映画といったところか(シャーロックの妻メアリが主役だけに「ミセス・コロンボ」?)。

物語は、シャーロック・ホームズの定石に則って彼の兄マイクロフトからの依頼でインドに出向く。時代が時代だけに客船での渡航になるが、シャーロックの愛弟子だけあって読書家のメアリは、航海中にインドの神々が戦う神話「マハーバーラタ」を愛読する。
そして、またシャーロックは博学の名探偵だけあってヒンディーが出来る、という設定もよい。

その他、メームサーヒブ(奥さま。インド人が白人女性を呼ぶときの敬称)、バーブー(英語教育を受けたインド紳士への敬称)、シャルワール(ゆったりしたパンツ)、カミーズ(シャルワールの上に着るゆったりしたチュニック)、ドーティー(腰布)、サドゥー(聖職者)、キャラバンサラーイ(隊商宿)、ビーリー(手巻き煙草)、ニーム(インドセンダン)、パンディット(専門家)、チャーイ(スパイス入りミルクティー)などのインド語彙やら、ホーリーネームを持つスワーミー(ヒンドゥー教の学者・宗教指導者の尊称)が実はアメリカ人だったり、「ピッチャーにはいったマンゴー味の甘い飲み物(氷なし)」、「ヒンディー語の動詞活用形を頭に詰め込むことと」や「カハバーダール! シャーイターン カ バッチャ!(気をつけろ! 悪魔の子め!)」といった記述が並んで目を楽しませてくれる。
()内の説明は本書によるもの。「Hindu」を「ヒンズー」でなく「ヒンドゥー」と表記しているのは、好感が持てる。

一方、ローリーは丹念にリサーチしたようで(彼女の夫、キング教授はインド生まれの英国人で比較宗教学の教授)、「サリーの端をホームズのエメラルドのタイピンでブラウスに留めると、瞬時にヌードになるという危険は激減した」という描写もまだサリーの下にチョーリー(ブラウス)やペチコートを着用するのが一般的でなく、ピン留めなどしなかった時代に合わせてのことだろう。

結婚後もシャーロックとメアリの師弟関係は続いていて、彼らは「ラッセル」、「ホームズ」と呼び合っている。
変装のためにメアリがターバンを巻くと、彼女が以前事件に赴いた地で覚えたベドウィン風に巻いてしまい、それをシャーロックが「インド風」に巻き直す、といった場面など実に凝っている。
この描写も、ローリーとキング教授の師弟関係にある実生活から取り入れたように思え、やはり実生活から演出に活かされた家族の四季」Khabhi Khushi Kabhie Gham…(2001)での、ジャヤー・バッチャンが踏み台を使って実の夫でもあるアミターブ・バッチャンのネクタイを締める場面が思い出される。

コナン・ドイルによるオリジナルのシャーロック・ホームズ・シリーズも助手のワトソンが手記という形で記録し、シャーロックらは<実在の人物>とするのが<お約束>となっているが、本書ではキプリングの代表作「少年キム」で少年スパイとなったキムも実在していて、英国情報部の幻の諜報部員キンバル・オハラとして登場する。
そればかりか、コナン・ドイルさえ物語の中で実在し、ローリー自身、巻末の謝辞にて「わたしの添えた地図にはどれひとつとしてメアリ・ラッセルが “カーンプル” と呼ぶ場所の正確な位置を示していないことを、お断りしておくべきかもしれない」と書いている。
このへんは、実際のボリウッド・スターや映画一族のネタが劇中にメタとして扱われるボリウッド映画に通じるようで面白い。

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