逆レビュー(6)アメリカン・スナイパー
ボリウッド的見地から非インド映画を鋭くレビュー。不定期連載の第6弾は現在上映中の「アメリカン・スナイパー」を逆レビュー!
file.6 「アメリカン・スナイパー」(2014)
監督:クリント・イーストウッド
脚本:ジェイソン・ホール
原作:クリス・カイル「ネイビー・シールズ最強の狙撃手」
出演:ブラッドリー・クーパー、シエナ・ミラー、サミー・シーク
STORY
幼い頃、父親に「仲間を守るのが男。羊や狼でなく番犬になれ」と高圧的に育てられたクリス(ブラッドリー・クーパー)は同棲していた彼女の浮氣に男心を傷つけられた反動からテロと戦うアメリカ海軍に入隊を決意し、最強の男たちネイビー・シールズ(海軍特殊部隊)を志願する。イラクでは仲間を守るため160人以上の「蛮人」を狙撃し、「伝説の狙撃手」として称えられるが…。
Revie-U
クリント・イーストウッドが実在した伝説の狙撃手を描いた「反戦」映画としての評価が高いが、実際に観るとこれ見よがしな「反戦」スローガンが出ている訳でもなく、いわゆるリベラルが期待して観ると肩すかしを喰う事になる。しかし、主演・監督「グラン・トリノ」(2009)で暴力によるヒロイズムを否定した彼だけに「反戦」が根底に流れているのは明らかだ。
ボリウッドでも、「Lajja(恥)」(2001)やマードゥリー・ディクシト主演「Gulaab Gang(ピンク集団)」(2014)のような女性の地位向上を啓蒙する社会派作品でも派手なアクションが用意されていて意外に思われる事があるが、これはお説教のターゲットとなる男性客を引き込むための「釣り」。本作もイーストウッドが一番観てもらいたい観客層として在郷軍人やNRA(全米ライフル協会)のメンバーたちを念頭に置き、彼らの足を劇場に向かわせるために表面的な「反戦」描写を極力廃したと思える。
主人公となるクリス・カイルは、イラク戦争で街中へ突入する特殊部隊シールズをバックアップする狙撃手として名を馳せるが、ボリウッド的には、米軍を次々と狙撃して行く神出鬼没の狙撃手ムスタファ(サミー・シーク)が住民からの通報を受けてはライフル片手に屋根から屋根を飛び回り、ジャンプする様を路地から見上げて撮影したショットなど、「Fiza」(2000)や「アルターフ」Mission:Kashmir(2000)のリティク・ローシャンを彷彿とさせ、大いにそそられる。
ただ、ストーリーが進行するうちに物足りなく思えてくるのが、やはりボリウッド映画と違って家族の描写が少ないためだろう。主人公の人物像が形成される要因として幼年時代が描かれるのは、カルマとしての生い立ちを描かずにはいられないインド映画に通じるが、主人公の価値観に圧倒的な影響をもたらした父親や、20代までずっとつるんで過ごした弟との交流も主人公がシールズを志願してからほとんど描かれなくなり、もっぱら結婚相手のタヤ(シエナ・ミラー)が時より出て来るだけなのだ。
これは個人主義が浸透し核家族化がスタンダードになっているアメリカの現状というよりは、作品のテーマとしてあえて孤立感を設計しているためだろう。なぜなら、イラクで「敵」とされる側には常に家族が登場し、あの狙撃手ムスタファにさえ妻がいて赤ん坊をあやす姿が描かれているのだ。一方、主人王は「祖国を守る。家族を守る」と戦場へ何度も赴きながら結局のところ、守るべき家族とも心の壁を築いては疎遠になり、帰還兵がPTSDに苦しむ事で守るべき祖国の社会も病んでしまうのだ。
表面的にテーマを謳わずに描いたハリウッド映画も、こうしてボリウッドに馴染んだ眼で観てみると作品の奥底に込められたテーマを掘り起こすのに役立つと再確認。改めてテロや異宗教間の問題を描いたボリウッドの秀作を観直してみたくなった(すぎたカズト/ナマステ・ボリウッド)。
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